世界はキミのために

16話 地獄から天国

   

その夜遅く、コハクはどんよりとしたオーラを纏ってアジトに戻ってきた。
その頬にはヒスイの小さな手形がくっきりと残っていた。

いつもなら笑い飛ばすカーネリアンもさすがに深く突っ込めなかった。

(・・・何やらかしたんだ?こいつ・・・)

「あの・・・ヒスイは・・・」

コハクはおずおずと尋ねた。

「あ、ああ、もう寝てるよ」

「そうですか」

カーネリアンが答えると、コハクは少しほっとしたような顔をした。

  

コハクは廊下を静かに歩いてゆき、そっとヒスイの部屋に入った。

(・・・こんなことして、ヒスイが目を覚まそうものなら、ますますドツボのような気もするけど・・・)

コハクはバツが悪そうに軽く頭を掻いた。

上からベッドを覗きこむとヒスイは本当にぐっすりと眠っていた。

「ヒスイは一度寝つくとホント起きないからなぁ。よし」

コハクはあの夜の呪文を唱えた。

「ひょっとしてお腹がすいているのかもしれない。これでお腹いっぱいになったら機嫌良くなって許してくれる・・・といいな」

今までそういうことが何度かあった。
ヒスイには当然自覚はなかったが、血に飢えてくると、イライラしたり逆にボーっとしたりと情緒不安定になるのだった。

コハクは祈る気持ちでヒスイに血を与えようとしていた。

コハクの呪文に反応し、ヒスイがゆっくりと動き出す・・・。

寝起きで少し乱れた髪をそのままにベッドの上に座り込み、じっとコハクを見上げた。

コハクはヒスイの顔にかかった髪を長い指でそっと整え、同じベッドに腰掛けた。

「飲む?」

その言葉にヒスイは何も答えなかったが、すっとコハクの傍へ寄り白く細い腕を伸ばした。そして・・・

「え・・・?」

ぐっと強い力でコハクを押し倒した。

「え?え?」

コハクはされるがままになっている。

「・・・誰にも・・・あげない・・・。わたしの・・・もの」

ヒスイは抑揚のない声でそうボソッと呟いてから、仰向けに倒されたコハクの上に乗りかかった。

コハクはとても驚いた顔をして、それからとても嬉しそうに笑った。

「ヒスイのものだよ。全部。ん・・・」

ヒスイはコハクの唇を塞ぐように自分の唇を重ね、そのままコハクの唇を噛んだ。
お互いの口の中に血の味が広がる・・・。

そんなことはお構いなしにコハクは心酔した。
先程までとは打って変わった天にも昇る気持ちである。

(ヒスイって・・・照れ屋さんの割には意外と大胆なのかも・・・)

  

それからしばらく経った。

ヒスイはまだコハクから離れない。
ゴクン、ゴクンと美味しそうに喉を鳴らして血を吸っては、ぺろりと舌で自分の唇を舐め、また同じところから吸った。

「ヒスイ・・・お腹・・・空いてたんだね・・・。ごめんね・・・気がつかなくて・・・」

コハクは血を吸われながらずっとヒスイの髪を撫でていた。

「だから・・・かな・・・。いつもよりちょっと・・・ながい・・・ね」

ゴクン、ゴクン、ゴクン・・・・。

ヒスイは一向にやめる気配をみせない。

「うれしい・・・けど・・・少し気が遠く・・・」

コハクの手がヒスイの髪から離れ、ばたりと落ちた。

コハクは貧血で完全に意識を失った。

「・・・・・・」

ヒスイは血を吸うのをやめ、じっとコハクを見た。

コハクは真っ青な顔でぴくりとも動かない。

「・・・・・・」

ヒスイはベッドから降り、ふらふらと歩き出した。

コハクを残したまま部屋を出て廊下をふわふわとした足取りで歩いていく・・・。
そしてくんくんと鼻を鳴らし人の気配のする部屋へ入っていった。

「・・・ヒスイ・・・」

そこにはオニキスがいた。

オニキスは左手に本を、右手にはワインのグラスを持って立っていた。

「お子様が一丁前に夜這いか・・・?」

オニキスはヒスイを見るなりそう言って鼻で笑い、本とグラスを脇の机に置いた。

「・・・・・・」

ヒスイは黙ってオニキスの近くまで歩いていった。
オニキスはヒスイの様子がおかしい事に気付いた。
ヒスイから血の臭いがする・・・。

「・・・お前の保護者はどうした?」

「・・・・・・」

ヒスイはオニキスに両腕を伸ばした。

「・・・だめだよ」

オニキスの部屋の入り口に、立っているのもやっとというコハクの姿があった。

「・・・こっちにきて、お兄ちゃんの血を・・・飲みなさい・・・。他の人の血を飲んでは・・・いけない・・・」

コハクは息も絶え絶えそこまで言うと、ドサリとその場に倒れた。

コハクの言葉でヒスイの動きが止まった。
オニキスに伸ばした腕を引き、向きを変えコハクのほうへ戻ってゆく。

「・・・・・・」

オニキスはだいたいの事情が飲み込めたようだ。

「・・・馬鹿が」

オニキスは容赦なく言った。

「・・・もう少し放っておいても死にはしないだろう。ちょっと待ってろ」

オニキスは二人の脇をすり抜け部屋を出て行った。

  

間もなくオニキスがカーネリアンを連れて部屋に戻ってきた。

ヒスイは意識のないコハクの横で虚ろな瞳のまま膝を抱えてじっと座っていた。

「まったく・・・何やってるんだか」

カーネリアンは唖然として二人を見た。

「ヒスイを眠らせるよ。この術はおそらくかけた本人しか解けない。コハクが目を覚ますまでの時間稼ぎだ。まぁ、もっともこれ以上吸うつもりもないようだけど」

  

「う・・・ん」

コハクは一時間ほどで意識を取り戻した。顔色も随分良くなっている。

「さすがにタフだね。けど・・・普通の人間だったら命の保障はなかったよ」

カーネリアンはコハクが目を覚ましたことに気が付くとそう言った。

「すみませんでした・・・」

コハクは一言そう言って、あたりをキョロキョロ見回した。

「・・・ヒスイなら大丈夫だ。今部屋に寝かせてある」

「すっかりご迷惑を・・・」

自分が意識を失った後、どういう展開になったかだいたいは想像がつく。

「やっぱりお前が血を与えていたんだね。ヒスイ本人に全くわからないように。実に興味深いよ」

カーネリアンは子供の姿のまま含み笑いをした。

「お前とは一度サシで話がしてみたいと思ってた」

「僕もです」

コハクは作り笑いをカーネリアンに向けた。

「お前・・・悪魔の間じゃ有名だからなぁ」

あはは。とコハクは一笑した。

「まあ、そうでしょうね」

「アタシは今年で108歳になる・・・吸血鬼としては若いほうだが、お前達の事はよく知っているよ」

「・・・・・・」

「取引だ。いいね。お前が口を割るなら、アタシも色々教えてやる。だけどここまできてまだ隠すつもりなら・・・洗いざらいヒスイに話す」

「それは・・・」

コハクはまいったという顔をしたが取引に応じるか否か決断しかねているようだった。

「・・・知りたいだろ。ヒスイの体のこと。アタシなら教えてやれるよ。同じヴァンピールとして・・・」

カーネリアンは囁くような甘い声で言った。すべてお見通しというカンジだった。

「例えば・・・今日何故あんなに血を求めたか・・・とかね」

コハクがぴくりと反応した。そして迷いのない返事をした。

「わかりました。取引しましょう」

「喰い付きいいな」

カーネリアンは拳を口にあてクックッと笑った。

「じゃあ、まず私から教えてやろう。アタシ達の求める血の量はその時の精神状態に大きく左右される・・・それはお前もなんとなくわかるだろ?」

「はい」

「それともうひとつ・・・我々は皮肉なことに好意を寄せる相手の血を旨く感じる。愛すれば愛するほど・・・旨味が増してやめられなくなるのさ」

「じゃあ、さっきのは・・・」

「旨かったんだろうよ、お前の血が」

コハクは俯いて少し赤くなった。

それをみてカーネリアンは大笑いした。

「メノウの右腕は肝の据わったおそろしく頭の切れる奴だって聞いてたけど・・・実物はこれかい。面白い奴だね、お前」

「・・・ヒスイに関してはだめなんです、僕」

コハクはまだ少し赤い顔で苦笑いした。

「ヒスイがさ、オニキスのところにきたのは多分血を吸うためじゃなくて、お前が倒れたことを誰かに知らせようとしていたからだと思うよ。本能を解放されたとて、我々もそこまで愚かではないからね」

「ヒスイ・・・」

カーネリアンは話を続けた。

「お前がさ、自分の血を飲ませることにこだわるのは・・・メノウの命令だからか?」

「それもありますけど・・・。たぶん独占欲・・・に近いと思います」

「わかってるじゃないか」

「はい。それはもう嫌ってほど。自分でもわかっています」

「はは、認めたか。潔ぎいいな」

カーネリアンはまたケラケラと笑った。

「成人前のヴァンピールに色々な血の味を覚えさせるのはよくない。お前のしていることは間違いじゃないよ。理由はどうあれ・・・ね」

「・・・少し、ほっとしました」

コハクも笑った。

「じゃあ、これはサービスで教えてやる。血にも腹持ちの良し悪しがあるのさ。基本的に異性の血は腹持ちがいい。で、それが人外の者なら尚更だ。お前のような・・・な。お前はヒスイにとって最高の食料ってわけさ。・・・もっとも、お前はそうなるまでにエライ苦労をしたらしいけど。もともと相性悪い種族だからな。そう、悪いなんてもんじゃない、最悪だ。史上最悪。それをよくここまで・・・感服したよ」

「たいしたことないですよ。手に入れた幸せに比べたら」

コハクは幸せに浸るようにうっとりと瞳を閉じた。

「呆れた奴だね」

「よくそう言われます。だけど・・・メノウ様でなければヒスイや僕の体をここまで造りかえる事はできなかったと思います」

「・・・交代だ」

カーネリアンに促され、コハクは話だした。

「はい・・・。メノウ様の願いは、ヒスイが普通の人間として生きる事。

その為に自分の命を削ってヒスイの吸血鬼としての部分を封じた・・・」

「だけどそれで人間になれるわけじゃない」

カーネリアンが口を挟んだ。

「はい。当然生きていくために血は必要でした。メノウ様はその事をヒスイに悟らせるなと・・・僕にある呪文を託しました。それはどの文献にも載っていないヒスイ専用のもので、メノウ様が独自に編み出しました・・・」

「ヒスイ専用・・・か」

「はい。申し訳ありませんがそういうことです。呪文の内容についてはお教えできません。僕の次にヒスイに血を与え、共に生き、守りとおしてくれる者にしか伝えられないんです」

「それは・・・オニキスの事かい?」

「・・・・・・」

コハクは口をきゅっと結んで黙った。

「ふぅん・・・。まあ、それはいいさ」

カーネリアンはコハクの心境を察してか話を逸らした。

「メノウは人間・・・でもアタシらの間じゃ、伝説の人ってやつだったんだ」

「・・・でしょうね」

コハクは相槌を打った。

「魔術、召喚術、紋章術、錬金術・・・。ありとあらゆるものに天才的な才能を持っていた。こんな人間もいるのかと、よく思ったものさ」

「そうですね」

「・・・サンゴ様は人間になれたのか・・・?」

「・・・残念ながら。ヒスイを産んですぐ・・・」

「・・・そうか」

「あれだけの力を持った奴が研究してたんだ・・・吸血鬼でも人間として生きる術を。やっぱり期待しちゃってさ」

カーネリアンは肩をすくめて軽く笑った。

「ヴァンピールっていうのは意外といるもんでさ、どちらの世界にも受け入れられず苦しんでる。そのほとんどが人間として生きる事を望んで・・・ね」

「・・・あなたを含めて・・・ですか」

「まあね。だから教えてもらいたい。メノウに仕えていたお前なら研究のこと・・・何か知ってるんじゃないか?」

カーネリアンの問いかけにコハクは少し寂しそうに笑って答えた。

「・・・僕は吸血鬼の天敵だから・・・研究のお手伝いをすることも許されていませんでした。それにもし成果があがっていたとしたら、ヒスイは完全な『人間』のはずです。お役に立てなくてすみませんが・・・」

「そうだよ・・・な」

「もう少し研究が続けられていれば・・・そうなっていたと思います」

「あいつらが邪魔しなければ・・・!!」

カーネリアンは悔しそうに唇を噛んだ。

  

「あの・・・僕からもう一つ聞いていいですか?」

「何だい?」

「ヒスイを拉致した時・・・どこまで話しました?ヒスイに」

コハクは冷静に尋ねた。

「・・・人間じゃないこと、言っちまった。すまない」

「いえ」

「メノウの思惑は知っていたが、やり方が無茶苦茶な気がしてさ。アタシがこんなこと言うのもおかしいかもしれないけど、あの子を偽りの世界に閉じ込めて、本人に真実と向き合うチャンスも与えない・・・なんかそんなのかわいそうな気がして、黙ってられなかった」

「ヒスイの紋様のことは・・・」

「もちろん言った」

カーネリアンは堂々としていた。

「そう・・・ですか」

コハクは黙って視線を伏せた。

「・・・あの子もタフだよ。自分の正体や紋様の事を知った時、何て言ったと思う?ありがとうって言ったんだ、アタシに」

コハクは顔を上げた。

「ヒスイが・・・そう・・・言いましたか」

「ああ、言った。あの子にとっちゃさ、お前たちが必死で隠そうとしてることなんてどうってことないんじゃないの?それよりずっと・・・お前自身が隠していることのほうが重要なんじゃないか?」

「・・・・・・」

「女なんてそんなもんさ。人間だろうがそうじゃなかろうが」

カーネリアンはコハクの肩を軽く叩いた。

「・・・そろそろ解いてやりな。眠り姫の呪いをさ」

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