世界はキミのために

27話 終わりのキス。始まりのキス。

   

それからどれくらいたったのか・・・窓の外は夕焼けだった。

ヒスイは泣き疲れて眠ってしまった。

「・・・ごめん・・・ね」

コハクはヒスイの長い髪を一束とって口づけた。
そして深くヒスイの香りを吸い込んだ。
よく知っている甘い香り・・・。
18年間共にあった・・・。

「・・・もう、いかなくちゃ」

コハクは名残惜しそうにヒスイから離れ服を着た。

「ん・・・?お兄ちゃん・・・?」

ヒスイはうっすら瞳をあけコハクを見た。

何も知らないヒスイは屈託のない笑顔を浮かべて言った。

「キスして。もっと」

「うん」

コハクは再びベッドに寄ってヒスイと唇を合わせた。
今までで一番長く・・・切ないキス・・・。

「ヒスイ・・・お父さんに会ったらこれを渡して・・・」

コハクはヒビの入ったシルバーのリングをヒスイの手に握らせた。

「え・・・?」

「・・・愛してるよ、ヒスイ。また、会おうね」

「!!お兄ちゃん・・な・・・にこれ・・・嫌・・・ねむりたく・・・な・・・」

コハクの唇が離れた瞬間のことだった。

ヒスイは凶悪な睡魔に襲われた。必死の抵抗も空しく再びベッドに崩れ落ちる・・・。

即効性の睡眠薬だった。

「まだ・・・夢をみていて。目が覚める頃には・・・すべて終わってる・・・」

  

「私に挨拶もなしですか?」

廊下でシンジュが待っていた。

「シンジュ・・・」

コハクはシンジュのすぐ横までいくと真剣な表情で言った。

「ヒスイのこと・・・しばらく頼むね」

「当然です。それよりこれ」

シンジュは右手をコハクに差し出した。

「これは・・・」

シンジュがコハクに渡したのは、ヒスイが自分の髪で編んだミサンガだった。

「ヒスイ様から」

「ヒスイ・・・」

コハクはミサンガを握り締めた拳を唇にあてた。

「・・・私はきっとまたお兄ちゃんに騙されると思うから・・・」

シンジュがヒスイの言葉を述べる・・・。

「もし別れ際に私の姿がなかったら・・・お兄ちゃんがひとりでいこうとしていたら・・・これを・・・渡して欲しいと。そして・・・世界で一番愛している・・・と」

「・・・っ・・・」

コハクは言葉を詰まらせた。

「ヒスイ様はあなたが思っている以上にあなたのことをわかっているんだと思いますよ。それなのにあなたはヒスイ様を泣かせてばかりで・・・」

「・・・ごめん」

「だけどいつからか・・・あの泣き顔が美しいとさえ・・・思ってしまいました。ヒスイ様は幸せだったのでしょうね。あなたの勝ちですよ、コハク。また・・・会いましょう」

「シンジュ・・・」

  

「何をしんみりしているんだ?」

オニキスが部屋からでできた。
ひとつ空き部屋を挟んだ少し離れたところから二人を見据える。

「いよいよご昇天か?」

オニキスは辛辣な皮肉を言った。

「・・・残念ですよ。あなたとはとことん闘ってみたかった」

コハクはしなやかに微笑んでオニキスの前まで歩いた。

「いつでもいいぞ」

「そうですね。いずれまた」

それだけ言葉を交わし、コハクはオニキスの前を通り抜けた。

『・・・光よ。永遠なれ。闇よ。無限なれ。すべては愛し子のために』

すれ違い様、コハクは横を向いたまま呟いた。

「・・・何のつもりだ・・・」

その呪文のような響きにオニキスは怪訝そうな表情を浮かべた。

「あなたにもいずれわかりますよ」

コハクは振り向きもせずそう答えた後、颯爽と歩いていった。
この家の出口に向かって。

  

「あれ?カーネリアンさん。よくわかりましたね、ここ」

コハクが外にでると目の前にカーネリアンが立っていた。
今日は大人の姿をしている
。外は見事な夕焼けでカーネリアンの夕日と同じ色の髪が一層鮮やかに見えた。

「アンタがいなくなったら、さすがにヒスイも泣くだろうと思ってさ。ちょいと慰めてやろうかと」

カーネリアンは肩をすくめて憫笑を浮かべた。

「カーネリアンさんにも色々お世話になりました。ヒスイのこと・・・よろしくお願いします」

コハクは深く頭を下げた。

「・・・アンタどこまで計算してた?」

「・・・・・・」

カーネリアンの質問にコハクは答えなかった。瞳を伏せて静かに佇んでいる。カーネリアンは続けた。

「・・・美人コンテストさ、見たよ。あれ、わざとだろ?わざとヒスイを目立たせてアタシらみたいな・・・闇の生き物が動き出すのを待ってた。違うか?」

「・・・ヒスイには仲間が必要だと思ったんです。あなたのように頼れる仲間が」

「・・・・・・」

今度はカーネリアンが沈黙した。
コハクの真意を聞き漏らすまいと聞き手に徹するつもりのようだった。

「ヒスイを連れて旅に出てから殆ど計画通りでしたけど・・・ただひとつ大きく違ったことは・・・」

コハクは一度言葉を切ってから、くすりと笑って続けた。

「自分です。自分のことがいちばん計算外でした。人と話すのが苦手で少し言葉を飲み込む癖のあるヒスイが・・・僕のことをはっきり好きだと言ってくれた時は本当に嬉しかった。その一言で自制心も何も吹き飛んでしまいました」

「まぁ、その気持ちはわかるよ。ヒスイは反応が可愛いよなぁ・・・。自分ではそうは思っていないだろうけど、根が素直で純粋だ」

カーネリアンも賛同した。

「ヒスイには処世術程度に人との付き合い方を教えたつもりですけど、友達を作れとか、外の世界を知れとか・・・強要しなかったんです。

 結局僕はヒスイを自分だけのものにしたかった。自分だけに向けられる言葉、笑顔、愛情・・・。みんなみんな独り占めしたかったんです」

「してるじゃん」

「ええ」

コハクは全く悪びれる様子もなくさらりと答えた。

「ヒスイも悪い男につかまったもんだ」

あまりにもコハクが堂々としているのでカーネリアンは逆におかしくなって笑った。
責める気も失せたようだった。

「そうですねぇ」

コハクは穏やかな口調で肯定した。

「まぁ、そんなのヌキにしてもさ、『愛すること』を知ったヒスイは幸せなんだろうよ。ヒスイのことは・・・任せな」

カーネリアンは語尾を強くして言った。

「感謝します」

コハクは軽く頭を下げて礼を述べたが、すぐにこう付け加えた。

「カッコ良く決めていただいて何なんですけど。僕、戻ってくるつもりなんで」

「ああ、わかってるさ」

カーネリアンは夕日を背負って笑った。

「僕がいなくなれば・・・ヒスイの世界は変わる。否応なしに。それをどう受け止めるかはヒスイ次第ですが、どうか見守ってやってください・・・」

コハクは最後にそう言ってカーネリアンに別れを告げた。

  

コハクが去った廊下にはシンジュとオニキスが黙って顔をつきあわせていた。
そこにオパールが早足で姿を現した。

「はい。これ」

オパールはオニキスに薬の入った瓶を手渡した。

「何だこれは・・・」

「コハクがヒスイに使った睡眠薬の解毒剤。ま、要は気付け薬ね」

「・・・あいつは何をしているんだ、一体・・・」

オニキスはほとほと呆れた調子で言った。

「本当にもう時間がないわ。迎えがくる。あの様子ではもってあと半刻。

 使い方は・・・わかるわね?あとはあなた次第よ、オニキス」

  

オニキスは気付け薬を持ってヒスイの眠る部屋へと入った。
だいたい何があったのかは想像がつく。
ヒスイの眠る様はまるで一枚の絵画のように美しかった。

「・・・・・・」

オニキスはそっと指を伸ばしてヒスイの髪に触れた。

「・・・お兄ちゃ・・・ん」

ヒスイは苦悶の表情で寝言を言った。

「いか・・・ない・・・で・・・」

「・・・・・・」

オニキスは少しの間腕を組んでヒスイを見下ろしていたが、思い切りよく液体状の気付け薬の蓋を開け飲み干した・・・といっても飲み込んだわけではなく口に含んだまま、不機嫌な顔でヒスイに口移しで与えた。

「ん・・・おにい・・・」

ヒスイがぴくりと反応する・・・。

「また、『お兄ちゃん』か」

オニキスは軽く息を漏らした。

そしてまた顔を近づけ、今度はヒスイの額を指で弾いた。

パチン!

「!!いたっ!いたた・・・」

ヒスイが目を覚ました。

「あ・・・れ・・・?お兄ちゃん・・・じゃない・・・」

ヒスイは薬で深く眠らされていた為、すぐには頭が回らなかった。
呆けた顔でオニキスを見つめる・・・。

「馬鹿、よく見ろ。これのどこが兄だ。あんな派手なのと一緒にするな」

オニキスはコハクのように華やかではないが美形には違いなかった。

「・・・オニキス・・・。!!お兄ちゃんはっ!?」

ヒスイは意識がはっきりしたのと同時に青ざめた。

「早く服を着ろ。時間がない」

「!!!」

ヒスイは裸のままベッドから飛び降りて、シーツをひったくった。
それを頭からかぶりすごい勢いで部屋から出ていく。

「おい、こら待て。服を・・・」

「・・・まったく。どうしようもないな」

オニキスは髪を掻きあげ、溜息をついた。

  

「お兄ちゃんっ!!!」

コハクは近くの森を抜けた先にある丘で夕日を浴びていた。

「!!来ちゃだめだ!ヒスイ!!」

コハクの足元に魔方陣が広がった
。大きな・・・そう実家で見たあの正体不明の魔方陣と同じ図柄だった。
その線に沿って地面が燃え上がった。

ただの炎ではない、白くまばゆい聖なる炎・・・。

「嫌だっ!!お兄ちゃんっ!!」

なりふり構わず突っ込んでいこうとするヒスイを追ってきたオニキスが後ろから羽交い絞めする。

「お前が行ったら死ぬぞ」

「お兄ちゃん!お兄ちゃんっ!!」

ヒスイは声が枯れるまで叫んだ。

「ヒスイ!ありがと!!これ!!」

コハクも炎の中からミサンガを巻いた右腕を掲げて叫んだ。

「だけど・・・こっちにきてはいけないよ。絶対に」

何かを厳しく言い聞かせるときの声だった。
ヒスイにはそれがわかった。

ヒスイは叫ぶのをやめ、コハクに向かって話しだした。

「それはね、目印なの。いつどこでどんな姿のお兄ちゃんと会ってもひと目でわかるように。だから・・・外さないでね」

「うん。外さない」

コハクが儚く微笑んだ瞬間、夕暮れの空を貫いて天空から光が差した。

光は無数の白く長い手となって八方からコハクの体を包み込んだ。

「ちょっと待っててね」

コハクの最後の言葉だった。

コハクの姿は白い手に包囲され完全に見えなくなった。
今や折り重なって光のかたまりになっている。
そして一気に上空へと引きあげた。
そのまま光の筋となって遥か天空へと消え去っていく・・・。

辺りには静寂と夕焼けの色が戻った。

ヒスイはコハクが姿を消した瞬間、オニキスの腕の中で意識を失い、全く動かなくなってしまった。

(・・・ショックで気絶するとは・・・な)

オニキスはヒスイを抱き上げオパールのロッジに引き返した。

  

カーネリアンとシンジュが出迎えた。オパールの姿はない。

オニキスは部屋までヒスイを運び、カーネリアンがヒスイに服を着せた。

少し遅れてオパールが部屋に入ってきた。
カーネリアンはオパールの姿を見るなり言った。

「ヒスイは私が連れてくよ」

オパールはあらあらと笑って答えた。

「ヒスイは私の弟子にします」

「お二人ともご心配なく。ヒスイ様には私が付いていますから」

シンジュもそこに割って入り、三人は火花を散らした。

「・・・・・・」

オニキスは黙ってヒスイの姿を見つめていた。

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