世界はキミのために

39話 天使の言霊

   

くす。くす。うふふ。

「!?なに?何処から?」

小さな子供の笑い声が聞こえて、ヒスイはハッと我にかえった。

『くすくす・・・。誰かきたよ。夫婦じゃないよ。ひとりだよ』

『侵入者だ・・・。くす。くす』

ヒスイは部屋中を見回した。とても・・・広い。

壁全体が金箔の、目映いばかりの部屋だ。
本や展示物などは一切置いていない。

「うふふ。侵入者は・・・コロセ!!ハイジョしろ!!くす。くす」

「!!?上!?」

ヒスイは天井を見上げた。上空から確かに声が聞こえる。

(天使の・・・天井画!?)

そこには背中に小さな翼を生やした赤ん坊の絵が所狭しと描かれていた。

右手には似つかわしくない鋭く尖った槍を持って、天使達は無邪気に笑い合っている。

「絵が・・・動いてる・・・」

ヒスイはこのあとの展開を思って震驚した。

装備はひらひらのネグリジェ。ロザリオは置いてきてしまった。
周囲には武器になりそうなものなど何もない。
そして相手は天敵である天使。

ヒスイは血だまりの中で翼を拾った時に感じた痛みを思い出して、身震いした。

「どうしよう・・・こんなところで死ねない・・・!」

そうは思っても、良い案が浮かぶ訳ではなかった。

『侵入者は・・・コロス!コロス!』

ヒスイの懸念したとおり、天使達は絵から飛び出してきた。

槍を片手に微笑みながら・・・と、いうのが何とも不気味だった。

ヒスイはとにかく逃げた。だだっ広い室内をただひたすら。

次の部屋に続いていると思われる扉を見つけ、押したり引いたりしてみても当然のように開かなかった。

「万事休す!?」

追いつめられたヒスイは思わず目をつぶった。

天使達の群れは一直線にヒスイへと向かってきた。
槍が射程距離に入る・・・。

その時だった。

『セラフィムの匂いがする』

先頭の天使が呟やいた。

『ホントだ。セラフィムの匂いだ』

天使達の間に波紋が広がった。
統率を失い、ざわざわとしている。

『セラフィムだ』

『セラフィムこわいよ』

『うん。こわい』

『逃げよう』

『逃げよう』

ヒスイのすぐそばまで迫っていた天使がわっと一斉に散った。
そうしてあっという間に天井へと収まってしまった。

完全に「絵」となった天使達はもはや微動だにしない。
まるで初めから何事もなかったかのように。

ただひとつ違っていたのは、描かれた天使達が皆それぞれ目や耳や口を手で覆っていることだった。

「・・・へんな絵」

ヒスイは何が起こったのか全く理解できなかった。

(・・・幻でも見たのかな・・・)

天井から床へ視線を落とした。
するとそこには天使達の忘れ物・・・小さく尖った槍がバラバラと散らばっていた。

「やっぱり・・・夢でも幻でもないか・・・」

槍に混じって金色の鍵が落ちていた。
ヒスイはその鍵を拾った。

  

「セラフィム・・・って最上級天使の名前よね」

ヒスイはコハクと別れて以来、天使に関する本を探して読んだ。
不思議なことに大人の体になってからというもの、聖書の類に触れても痛みを感じることはなくなっていた。
ヒスイは深く考えもせずにこれは好都合と片っ端から読破していったのだった。

「それがどうして私から?ん?あれ?まさか・・・お兄ちゃんってセラフィムだったの!?」

最近知った天使階級制度。

「そうかぁ・・・。セラフィムだったんだ・・・。お兄ちゃん翼が二枚しかなかったから全然結びつかなかった」

セラフィムは六枚翼があると言われている。
しかしコハクがヒスイに見せた翼は二枚だけだった。

(・・・背中の紋様と関係あるわね・・・。絶対)

コハクが語ることを拒んだ紋様の代償・・・。

「私を育てる為にお兄ちゃんは一体どれだけの代償を払ったんだろう・・・。天使が悪魔を育てることは並大抵のことじゃ・・・ない」

ヒスイは俯いて、胸の痛みに耐えた。

「・・・今更そんなこと考えていてもしょうがないじゃない。お兄ちゃんの払った代償の代償はいつか私が払う・・・!」

コハクに負けない切り替えの早さで、ヒスイは気持ちを前向きに持ちなおした。
顔をあげて、くんくんと自分の体の匂いを嗅ぐ・・・。

「う〜ん・・・。自分ではわからない・・・。でもお兄ちゃんとずっと一緒だったから同じ匂いがするのかなぁ・・・」

ヒスイは顔をほころばせて笑った。

(ちゃんとここにお兄ちゃんがいる・・・)

誰かに見られでもしたら恥ずかしいと頭の片隅で思いながらも、ヒスイは自分で自分の体を抱き締めた。

(大丈夫。怖くなんて・・・ない)

  

ヒスイは先程開けることのできなかった扉の前に立ち、拾ったばかりの鍵を使用した。
解錠しても重い扉だった。

人ひとりが通れるぐらいの隙間が開くまで、ヒスイは力を振り絞って前へ押した。

そしてするりとできたての隙間から次の部屋へと入っていった。

「やっぱりね・・・」

その部屋は前の部屋とまったく同じ造りをしていた。

しかし壁は黒く塗られ、上の方から青白い光が射すだけの見通しの悪い部屋だった。

とりあえず拾ってきた槍を構えてみる。

(まさか天使の槍まで使えるとは思わなかったけど・・・)

ヒスイは火傷覚悟で天使が落としていった槍に触れてみたが、火傷するどころかまったく普通に触ることができた。

(聖書もいつの間にか触れるようになってたし・・・ひょっとしてお兄ちゃんと何か関係があるのかな・・・)

「さて・・・っと。天使ときたら次は悪魔よね」

ヒスイは天井を見上げた。

月の光にも似た淡い光のその先には、思った通り悪魔の姿が描かれていた。
悪魔といっても様々で、首のない騎士や、鎌を持った骸骨、狼男のようなものまで、実に禍々しく描写されている。

「うわ・・・すごい迫力。こんなのが動き出したら・・・。で、でもっ!私、半分悪魔だもん。大丈夫だよ・・・ね」

そう、思いたかった。

ヒスイの考えは甘かった。

絵のなかの悪魔達は容赦なくこぞごそと動き始めた。

『裏切り者め・・・』

『天使と通じたウラギリモノ・・・』

『天使の匂いがぷんぷんするぞ』

『侵入者はコロス!』

『ウラギリモノはコロス!』

「!!!?」

天使と対峙したときよりも状況は悪かった。
同じ悪魔だからと油断していたうえに、部屋が暗くてよく見えない。
ヒスイが対策を練るより先に悪魔達は天井から飛び出してきた。

慌てて前の部屋に引き返そうとしたが、扉への道はすでに、三つの首を持つ巨大な黒い犬によって塞がれていた。

地獄の番人として名高いケルベロスという名のモンスターである。

(ケルベロス!?うそぉ・・・なんでそんなすごい悪魔がここにいるの!?)

ヒスイは逃げ場を失って立ちつくした。
牽制のつもりで槍を振り回しても、ほとんど効果はないようだった。
ヒスイは四方を悪魔に囲まれた。

「う・・・」

(こうなったら力任せに暴れてスキを作るしかない!そこからとにかく逃げるのよ!!)

ヒスイの脳から体へそう指令が下った時だった。

突然、頭上からぼたぼたと、細く、長い、何かがたくさん降ってきた。

「!?蛇!?」

大量の蛇たちがヒスイの足元でうごめいている。ヒスイはゾッとした。

複数の蛇がヒスイの足と手に巻き付いて、体の自由を奪った。

最後にドサリと落ちてきた、他の蛇の十倍はありそうな大蛇がヒスイの体を伝い、ゆっくりと首に巻き付く・・・。

ヒスイは首を絞められて、苦しそうに息を漏らした。

「う・・・。くる・・・し・・・」

(おにいちゃん・・・)

コハクのことを想いながら意識が半分遠くなりかけたところで、思いも寄らない奇跡が起こった。

【・・・・・・!!】

ヒスイの口が勝手に言葉を発した。

それは聞いたこともない言葉で、何かの呪文のようでもあった。

ヒスイは自分が何を言ったのか理解できないまま、自分の声に意識を引き戻された。
そして目にしたものは・・・

何もないはずの空間から現れた天使。
正確には天使の形をした光の塊だった。

ギヤャ〜ッ!!

光の天使達は部屋の中を飛び回り、触れた悪魔をことごとく塵に還した。

ヒスイは蛇から解放され、床に四つん這いの状態でゴホゴホと咳をしながらその様子を見守った。

「・・・よくわからないけど・・・たすかった・・・。でも、私・・・こんな呪文知らない・・・。また・・・お兄ちゃんが何か・・・したわね・・・。ゴホッ」

ほんの数十秒の出来事だった。
天使の形をした光は悪魔をすべて消し去ると、自らもフッと消えてしまった。

「はぁ〜っ・・・」

ヒスイは大の字になって床に転がった。まだ息が荒い。

(・・・ホントに死ぬかと思った・・・)

そのままの姿勢で天井に視線をやると、驚くことに天井は真っ白になっていた。
悪魔の姿はおろか一点の汚れもない。

「・・・すごい・・・威力・・・・」

ヒスイは指で唇に触れた。

(お兄ちゃん・・・一体、私の体に何をしたんだろう。別にいいけど・・・ね。お兄ちゃんになら何されても)

「早く会いたいなぁ・・・。おにい・・・ちゃん・・・」

ヒスイはしばらくそこから動けなかった。

  

「・・・シンジュ。ヒスイはどうした」

深夜に戻ったオニキスはベットにヒスイの姿がないのを見ると、ロザリオをわしづかみにして言及した。

「ヒスイ・・・さま・・・は・・・ルビー・・・と・・・」

ロザリオから弱々しいシンジュの声がした。よく聞き取れない。

「姿を現せ。シンジュ」

「で・・・きま、せん・・・。この・・・建物・・・結界・・・」

「何だと・・・?」

オニキスは壁に立て掛けておいた剣の柄の部分に手を翳した。

そして何の反応もないことを確かめると、自分の指を噛み切り流れ出た血で、床に一辺が1m程ある星形の五芒星を描いた。

その中心にシンジュのロザリオを置く・・・。

「・・・やはりただでは済まなかったか・・・」

「メノウ様の結界です。ここでは精霊魔法は使えない・・・」

ロザリオからシンジュが姿を現した。

「これは・・・あなたが・・・?」

シンジュは足元の五芒星を見た。

「・・・そこから出るな」

オニキスはシンジュにそう指示した。

(一部分でもメノウ様の結界を無効化するなんて・・・この男・・・かなり魔道に精通している・・・)

「ヒスイはどこだ」

「あなたの元婚約者に連れられて・・・どこへ行ったのかはわかりません。もう、二時間は前の話です」

「・・・迂闊だった」

オニキスは己を責めるような口ぶりでそう漏らし、拳をバンッ!と、壁に叩きつけた。

「相手も王族だ。下手な疑いはかけられない」

「そうでしょうね」

「・・・これだから王族ってやつは・・・」

王の風格をもつオニキスの口からでた意外な言葉に驚きながら、シンジュは言った。

「ご心配なく。天使だろうが悪魔だろうが、そう簡単にはヒスイ様に手出しできません。そのようにコハクが手を打っているはずです」

「・・・・・・」

「けれど、だだひとつ・・・ヒスイ様に仇なすものがあるとすれば・・・それは人間です」

「人間か・・・一番厄介だな」

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