世界はキミのために

44話 祝福のキスを

   

氷壁はそこにあった。

古城の一角・・・もとは立派な温室であっただろうと思われる場所だった。

氷壁は月の光に彩られ、内側にも淡い光が差し込んでいる。

「キレイ・・・。生きてるみたい・・・」

オニキスの母親は両目を閉じていたが、目元がオニキスとそっくりだった。
そしてその母親とヒスイの知っているオニキスの母親も似ているのだろうとヒスイは思った。

「セイリャクケッコンなんだって」

オニキスは両手を氷壁について内側の母親を見上げた。

「この国を守るために」

「・・・・・・」

ヒスイは何と答えて良いかわかならかった。

「ぼくは、この国がとても好きだけれど、セイリャクケッコンなんてしたくないよ。

 だってふたりともつらそうなんだよ?お母さんの妹っていう人も国に婚約者がいるのに、ここに嫁ぐことになったって、メイド達が話してた。だから、そんなの絶対にだめだ」

(オニキス・・・ちゃんとわかってるんだ・・・)

オニキスの純粋さにヒスイは胸を打たれた。

ヒスイはオニキスの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でた。

よく自分がコハクやカーネリアンにしてもらうように。

「私もそう思う。“王家は国民の為にあれ”は王家が国民の犠牲になるっていう意味じゃないはずだもの。あなたはお父さんとは違う方法で、この国を守ればいい。私も協力するから・・・」

「おねえちゃんが?協力・・・してくれるの?」

「うん。私も結構この国が気に入ってるの。だから・・・」

この国は人外の者でも他国に比べればすっと住みやすいのだと、カーネリアンが言っていた。
活気ある城下町、明るい人々の顔、夜には美しい星空を存分に堪能できる。
良い国なのだ。ここは。

「・・・おねえちゃんって一体・・・」

オニキスはヒスイのことが気にかかってしょうがなかった。

突然目の前に現れた、美しく優しい生き物・・・。

「あ、そうだ!」

ヒスイはオニキスの質問には答えなかった。

そのかわりに、王家の証である指輪を自分の薬指から外してオニキスに握らせた。

「これ・・・返すわ」

(私との結婚も・・・政略結婚とそんなに変わらないもんね・・・)

「???」

オニキスはヒスイが王家の指輪を持っていたことに驚き、それを渡されたことにも驚き、そして更にヒスイの言葉に困惑した。

「それはオニキスが大きくなって、本当に心から結婚したいと思ったひとに渡してね」

「???」

「オニキスが国を守るなら、オニキスは私が守ってあげる。私が傍にいる限りそうするから」

優しく、甘い、響きだった。

オニキスの胸っぱいに嬉しさが広がった。

「とにかく。意に沿わない結婚はしちゃだめ。自己犠牲なんて馬鹿らしいわ。オニキスが国の犠牲にならなくたって、なるようになるものよ」

ヒスイの言葉には何の根拠もなかったが、たとえハッタリでも頼もしかった。
オニキスにとっては。

(・・・ちょっと難しかったかな・・・)

ヒスイは、嬉しそうに頬を紅潮させて立っているオニキスの頭をもう一度撫でた。

  

「オニキス、今いくつ?」

「六歳」

(六歳かぁ・・・。私が六歳の頃なんてお兄ちゃんにべったりで、毎日がすごく楽しくて。当たり前のように幸せだった。同じ六歳でも全然違う。オニキスは)

「あ、でも今日で七歳だ・・・」

「今日が誕生日なの?」

「うん」

「だからなの?お母さんを探していたのは・・・」

「父上は今、忙しいから・・・」

オニキスは俯いた。

「お母さん、僕、七歳になったよ」

そして額を氷壁に寄せて小さく呟いた。

「・・・・・・」

ヒスイはオニキスのちんまりとした背中を見ながら大きく息を

吸った。そうして口ずさんだのは、オニキスの誕生を祝う歌だった。

オニキスは驚いてヒスイを振り返った。

「おめでとう」

オニキスと視線の高さを同じにして、ヒスイはにっこりと笑った。

「あげられるものが何もないんだけど・・・あ!そうだ!」

コハクの誕生日にはいつも頬にキスをしていたことを思い出して、反射的にヒスイの体が動いた。

それがお祝いの儀式なのだとヒスイは疑いもせずそう思っていたのだった。
誕生日には祝福のキスを。

「?」

ヒスイの行動を予測できなかったオニキスは、右の視界にはいったヒスイの方を向いた。

ちゅっ。

「はれっ?」

偶然にしてはできすぎな程、ぴったりと唇と唇が合わさった。

「!!!」

オニキスは真っ赤になって後ろに飛び退いた。

ヒスイも自分の唇に軽く指で触れてぽかんとしている。

(失敗・・・しちゃった・・・)

「まぁ、子供が相手だし・・・誕生日だし・・・。不慮の事故よね・・・。うん。うん」

ぶつぶつと言いながら無理矢理自分を納得させて、ヒスイは「ごめんね」とオニキスに謝った。

「・・・・・・」

オニキスは火照った顔のまま、返す言葉もないといった具合で口を押さえている。

「・・・大丈夫??ホント、ごめん」

オニキスが硬直しているので、ヒスイは繰り返し謝罪した。

「・・・・・・」

オニキスは黙りこくったままだった。

 

ほんの少しの間の後、ヒスイはオニキスを覗き込んだ。

するとオニキスは顔を上げ、真っ直ぐにヒスイを見た。

ちゅっ。

今度はオニキスがヒスイにキスをした。

「へ?」

ヒスイはパニックになった。

「こらっ!子供のくせに何ませたことしてるの!」

動揺しながらも頭の片隅で、興味本位なのだろうと考えた。

しかしオニキスにとっては違っていた。
それは母親の前での誓いのキスだった。

「・・・この国と同じくらいおねえちゃんのこと大切にするから・・・ずっとそばにいて・・・」

オニキスの声が聞こえたような気がした。

ぐらり・・・とヒスイの意識が遠のいた。

  

『ヒスイ様!!』

シンジュとインカ・ローズが同時にヒスイを覗き込んだ。

ヒスイはオアシスの木陰で大の字になって倒れていた。

(・・・だれかが・・・呼んでる・・・)

ヒスイは呼びかけに反応し、うっすらと瞳を開けた。

(しろ・・・と、ぴんく・・・?)

「・・・シンジュ!ローズ!」

ヒスイは飛び起きた。

(戻ってきたんだ・・・)

「ヒスイ様・・・」

シンジュとインカ・ローズが安堵の表情を浮かべた。
それがまたほぼ同時のことだったので、二人はお互いに横目で睨み合った。

「お怪我はありませんか?」

インカ・ローズがシンジュを押しのけて、ヒスイに声をかけた。

「一体どうしたっていうんです!?」

今度はシンジュがインカ・ローズを押しのけてヒスイに詰め寄った。

「ヒスイ様が行方不明だって大騒ぎだったんですよっ!」

ここでは三日ほど神隠しにあっていたことをシンジュから聞かされると、ヒスイはシンジュの説教が始まる前に、しおらしく謝った。

「ごめんなさい・・・あとでちゃんとみんなにも謝るから・・・」

ヒスイは上目遣いでシンジュを見た。

「・・・一応は反省されているようですね。めずらしく」

シンジュは、まだ何か言いたそうにしていたが、後ろに控えていたオニキスにバトンを渡した。

オニキスが近づいてきた。少年の面影は残っていない。

「オニキス・・・」

「・・・まったく、お前というやつは・・・」

オニキスはヒスイの腕を掴んで強引に立たせた。

呆れ顔だった。
が、ほんの少しだけ微笑んでいるようにも見えた。

「・・・おかえしだ」

オニキスはヒスイを抱き寄せた。

「!?ちょっと・・・なにす・・・」

そしてヒスイの顎を掴んで、鼻の頭にキスをした。

「・・・心当たりは?」

「・・・あります・・・」


ヒスイは過去で自分がしたことを振り返って、おとなしくなった。

(会いたかった)

オニキスは喉まで出かかった言葉を飲み込んで、更に強くヒスイを抱いた。
インカ・ローズがにやけた顔で二人を観察していることはとりあえず無視して。

「オニキスは・・・私がどこへ行ってたか知ってる・・・の?」

「ああ」

「今はすっかり昔と逆になっちゃったね」

自分よりずっと大きくなったオニキスの腕の中でヒスイが笑った。

「あの頃は可愛かったねぇ。それがこんなんなっちゃって」

「・・・余計なお世話だ。ほら」

「ん?」

オニキスはポケットから指輪を取り出して、ヒスイの左手をとった。

そしてもう一度、指輪をヒスイの薬指に通した。

「はめておけ」

「え・・・でもこれは・・・」

「これで、いいんだ」

オニキスはヒスイから離れ、ふいっと横を向いた。

「これはもっと大事にしてって言ったでしょう・・・?」

ヒスイはオニキスをたしなめた。

「・・・・・・」

オニキスは答えない。

(・・・やっぱりひねくれてる・・・)

「もうっ!どうなっても知らないからね!」

ヒスイはぷんと怒った顔をして言った。

オニキスはふて腐れた顔で髪を掻き上げ、小さくぼやいた。

「・・・もう、どうにでもなれ、だ」

 
「ホントに・・・ニブすぎる・・・」

インカ・ローズは唖然としていた。

「ヒスイ様の頭の中は90%コハクのことですから」

シンジュは淡々とした口調で言った。

「99%じゃないの」

インカ・ローズが素早くそう切り返す。

「・・・たしかに」

シンジュとインカ・ローズは並んで真っ直ぐ前を見据えたまま、会話を続けた。

「いいのかな、それで」

「・・・さぁ、それはヒスイ様の決めることですから」

「私だったら、再会できるかどうかわからない恋人より、目先のいい男を選ぶけど」

「人間の考えることはよくわかりませんね・・・」

シンジュはオニキスを見た。

オニキスは常に冷静沈着な男だったが、ヒスイに対する態度は明らかに他とは違っていた。
それに気が付いていないのはヒスイだけだった。

(愛することは幸せ・・・?たとえそれが届かぬ想いだったとしても・・・そう、思えるものなのか・・・?)

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