世界はキミのために

55話 新たなる関係

   

「な・・・んだよ、これ」

「メノウ様!!」

一筋の希望。

メノウもオニキスの離れで暮らすことに話がまとまり、ヒスイと共に森を出てきていた。

オニキスの蔵書に興味を示し、一階の書斎で本を物色しているはずだった。
それがなぜこんなになるまで気が付かなかったのか。

机に伏して居眠りをしていたのだ。

メノウは一度寝付いてしまうと、自然に目が覚めるまで何があっても起きることはなかった。
今回はまさにそれが裏目にでた。

メノウ唯一の弱点・・・。

サンゴを失ってからずっとそうだ。

サンゴの夢を見ていると目が覚めない。どうしても。

  

部屋には血の臭いが漂っている。

「・・・オブシディアンの仕業か・・・。あいつ・・・絶対に許さない」

メノウは怒り心頭という顔をしている。

とはいえ、まずはヒスイの傷を癒すことに専念した。
最高レベルの回復魔法を何度も重ねがけしてやっとヒスイの傷口が塞がりはじめる・・・。

「死んだ人間を生き返らせることはできないよ。俺にはね」

ヒスイの回復が一段落してから、メノウはオニキスの様子を窺った。

やはり生きてはいない。

「・・・ヒスイに伝えて。このままオニキスを失いたくなかったら、眷族にするしかないよ、って」

「!!!」

その言葉にシンジュは驚きを隠せない。

眷族・・・それはつまりオニキスを吸血鬼にするということに他ならなかった。

「早くしないと、細胞がみんな死んじゃうよ。ヒスイを起こして。体はもう大丈夫なはずだから」

そう言うメノウはバルコニーから下を見下ろしている。

「俺はあいつを追う。今度こそ決着をつけてやる・・・!!」

愛娘を傷つけられた怒りがおさまらない。

メノウはオブシディアンの軌跡を辿って自分もバルコニーから飛び降りた。

「あとは頼んだよ!シンジュ!!」

  

「なんてことだ・・・。ヒスイ様っ!!起きてください!!早く!!」

シンジュはヒスイの体を揺さぶった。

「・・・・・・・う・・・ん」

気だるそうにヒスイが瞳を開いた。
まだ意識が朦朧としている。

「ヒスイ様!!オニキスが!!」

「・・・オニキス・・・?」

何が起こったというのだろう。
銀色の獣に襲われて・・・それから・・・?

「オニキスは命を落としました」

シンジュが目の前の真実のみを述べた。

「・・・私が・・・殺したの・・・?」

オニキスの首筋には深い牙の痕があった。
そして口の中にはオニキスの血の味が残っている。

「・・・死なせるものですか」

ヒスイは迷いなく儀式に取りかかった。

誰から習ったわけでもないが、本能でわかる。

「・・・オニキスを引き込むんですか、悪魔の世界に」

不意にシンジュがそう洩らした。

もちろんオニキスには助かってもらいたい。

しかし、目が覚めたとき人間ではなくなっていたら・・・彼はどう思うだろう。
果たしてそれを望むのか・・・。
望まざる者に、眷族の運命はあまりにも重い。

(ヒスイ様はそれをわかっていない)

「・・・人間として生きることにどれだけの意味があるというの?」

ヒスイはさらりとそう言ってのけた。

「吸血鬼も悪くないわよ?」

「・・・・・・」

シンジュは言葉を失った。

毎度のことながらヒスイの楽天的な考え方にはついてゆけない。

「・・・それでも、永遠に近い刻を生きることになるんですよ?・・・ひとりで」

「え・・・?」

「ヒスイ様がオニキスの気持ちに応えない以上、眷族といえども彼はひとりで生きてゆくことになる。酷だとは思いませんか?」

「・・・それは後で考えるわ。とにかく、死なせる訳にはいかないのよっ!」

ヒスイは自分の手首を噛み切った。

そこから流れ出した血を一旦自分の口に含み、それから口移しでオニキスに与える・・・。

オニキスは全く動かない。

けれども、ヒスイの血はオニキスの細胞に浸透し、復活・再生させた。

とくん・・・とくん・・・。

オニキスから鼓動が聞こえる・・・。

 

こうしてオニキスは、新たな生命を得た。

ヒスイの・・・眷族として。

  

「あ〜ぁ・・・」

ここは中庭。

ヒスイは植え込みの近くでしゃがみ込んでいた。

「どうしよう・・・お兄ちゃん・・・。私、ヒト殺しちゃった・・・」

(・・・もうやだ。早くお兄ちゃんのところにいきたい)

現実逃避だと自分でもわかっていた。
そう都合良くコハクと再会できるはずもない。

「お兄ちゃん・・・。お兄ちゃん・・・。お兄ちゃん・・・っ」

ヒスイは空に向かってコハクを呼んだ。

色々な想いが混ざり合って涙が出た。

(いつもみたいに笑って大丈夫だよ、って言って欲しい。お兄ちゃんに)

ヒスイは泣きながら再び空を仰いだ。

その時だった。

ヒスイの目の前に天使が舞い降りた。

「!!!?」

空と同じ色をした髪と瞳・・・。吸い込まれそうな蒼だ。

「・・・ヒ・ス・イ?」

天使の青年はヒスイを指さしてゆっくり訊ねた。

愛想も何もない。全くの無表情。

「そうだけど・・・?」

ヒスイは涙も拭かずに青年を見上げた。

「・・・・・・」

次の言葉が続かない。

青年天使はぼ〜っとした顔で、黙ったままだ。

何も考えていないように見える・・・。

(天使・・・ということはお兄ちゃんと何か関係が・・・?)

そう思い、ヒスイは自分から声をかけた。

「あの・・・」

「・・・ラリマーという名前の・・・」

「え・・・?」

青年天使がいきなり言葉を発した。

「男に気をつけて・・・」

「え??」

「・・・コハクの伝言」

「!!!お兄ちゃんの!?」

こくり、と天使が頷いた。

ヒスイは喜びで胸が震えた。

(お兄ちゃんのこと、もっと聞きたい!!)

バサリ・・・と天使は浮き上がった。

「待って!!もっと話を・・・」

ヒスイは天使を呼び止め、飛び立とうとする足首をがっちり掴んだ。

天使はビタンと前のめりにコケた。

体の前面が地面に激突し、それからむくりと起きあがった天使の額と鼻先は擦りむいている。

「・・・・・・」

天使は驚きも怒りもせず、無言で瞬きをしている。

「ごめん」

ヒスイはハンカチでそっと天使の額に触れた。

「あなた、名前はなんていうの?」

「・・・ターコイズ」

天使は答えた。

「コハクが・・・くれた名前」

「お兄ちゃんが!?」

「・・・・・・」

「ねぇ、ターコイズとお兄ちゃんってどういう関係なの?」

「・・・・・・」

「友達?」

「・・・イズでいい」

「え?あ、うん」

ワンテンポ遅れている。

ヒスイはめげずに繰り返した。

「友達なの?まさか兄弟とかじゃないよね??」

「・・・似たようなもの」

天使の生活や家族構成などは、こちらの世界からすると全くの謎だった。

「お兄ちゃん、どうしてる?元気?」

こくり。

「そっかぁ・・・よかったぁ・・・」

「・・・もう、いく。ここ、長く・・・いられない・・・」

「・・・天使だから?」

こくり。

「また、会える?」

今度は無理に引き留めたりはしなかった。
天使が地上に長く留まれないことを知っていたからだ。

「・・・わからない・・・」

「お兄ちゃんによろしくね」

伝えてもらいたいことがたくさんありすぎて、逆にそれしか言葉にならなかった。

こくり。

イズは頷き、空へと還っていった。

  

「・・・・・・」

オニキスの視界に見慣れた天井が広がった。

(・・・オレは・・・生きて・・・いるの・・・か?)

「オニキス!!」

シンジュがオニキスの顔を覗き込んだ。

近くにヒスイはいないようだ。

「ヒスイは・・・無事なのか・・・?」

「はい。けれど今は顔を合わせないほうがいいと思います」

「・・・無事なら、それでいい・・・」

オニキスは少し青い顔をしている。明らかに貧血だ。

「お二人の関係が大きく変わってしまったので・・・これからご説明することに納得されたうえで再会をすべきかと」

シンジュは、オニキスが感情的になるようならばヒスイに会わせるべきではないと考えた。

その心配は杞憂で、オニキスはむしろ穏やかだった。

「オレは・・・何故生きている・・・?」

「・・・喉が、乾きませんか・・・?」

シンジュのその一言でオニキスは全てを悟った。

「・・・そういう・・・ことか・・・」

「はい・・・」

「・・・そうか」

オニキスは落ち着いている。

驚きも、怒りも、悲しみもない。

「・・・詳しくご説明します」

シンジュは“眷族”が何たるかの説明をはじめた。

「胸に手を」

「・・・・・・」

オニキスは言われた通りにした。

とくん。とくん。とくん。

心臓の音が聞こえる。

生きている証だ。

「鼓動が聞こえますね?」

「ああ」

「それはあなたの鼓動ではありません」

「・・・・・・」

「あなたの心臓は止まったまま、もう動くことはありません」

そういう意味では死人と変わらない。

「その鼓動は・・・ヒスイ様のものです」

「・・・なん・・・だって・・?」

オニキスは険しい顔をした。

こんなカタチで繋がることなど、望んではいない。

「はい。いわばひとつの心臓を共有している状態なのです」

「・・・・・・」

「眷族のあなたは、ヒスイ様が生きている限り決して死ぬことはありません。逆にあなたがどんなに元気でも、ヒスイ様に何かあったらその時は・・・」

「オレも死ぬ・・・と」

「はい・・・」

「・・・・・・」

重い真実だった。

逃れられない運命。

切っても切れない関係。

「・・・オレはいいが、ヒスイは・・・そんなものに縛られている訳には・・・」

オニキスはヒスイのことを思い、胸を痛めた。沈痛な面持ちだ。

シンジュはそんなオニキスを一瞥して言った。

「・・・ほとほと呆れますね、あなたにも。いいですか?ヒスイ様のなかのコハクの血はみんな流れてしまった。今、ヒスイ様を生かしているのはあなたの血ですよ、オニキス。もう少し欲張りになってみてはどうです?」

  

シンジュはヒスイにも同じ説明をした。

「オニキスはもはや自分の意志で死を選ぶことはできません。ヒスイ様の命が尽きる時まで」

「・・・私が死んだらオニキスも死ぬ・・・の?」

「そうです。そういう間柄になったんです」

「・・・・・・」

(・・・重いわね・・・。さすがにちょっと)

ヒスイは沈黙した。

何をどう言ったところで、もはや変えることはできないのだ。

新たなる二人の関係を。

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