世界はキミのために

72話 夜のサービス

   

セラフィム乱入事件以来、ヒスイに対する嫌がらせはぴたりと止んだ。

同時にセラフィムに恐れをなした一般の生徒達も遠ざかり、ヒスイは孤立したが、以前よりもずっと快適だった。

“勉強”は嫌いじゃない。

ヒスイは真剣に授業を受け、休み時間はダイヤとお喋りをして、学校が終わればまっすぐコハクの神殿へ帰った。

「ねぇ、お兄ちゃん。今度、ここに連れてきたいヒトがいるんだけど」

ヒスイは宿題をやりながらふと目を上げてコハクに言った。

「・・・それって、男?」

「あ、うん。そうだけど。お兄ちゃんの大ファンなの。すごくお兄ちゃんに憧れてて・・・」

「僕に?」

「うん。そう」

「・・・ふぅん・・・」

(手なづけるにはちょうどいいか)

コハクはロクなことを考えていない。

「いいよ。連れておいで。ケルビムには僕から話しておくから」

「うんっ!」

ヒスイは嬉しそうに頷いた。

「そのかわり・・・」

「ん?」

「今夜はうんとサービスしてね」

「うんっ!!」

  

「・・・って言ったけどぉ・・・。恥かしい・・・よぅ・・・」

軋むベッドの音に掻き消されそうな弱々しい声でヒスイが呟く。

「ん・・・はぁっ」

「いいね。下から見るヒスイの顔も」

「やだ・・・よう・・・。こんなの・・・恥かしい・・・」

今夜はヒスイがコハクの上に乗っている。

「その顔が好きなんだ。ヒスイは照れた顔が最高に可愛い」

そう言うコハクの顔は最高にいやらしい。

はあっ。はあっ。

ヒスイの体に浮かぶ甘い汗を手の平で感じながら、鑑賞を続ける。

降り注ぐ銀の髪に指を絡めたりして。

「せめて・・・あかり・・・消して・・・」

ヒスイの頭上に浮かぶ魔法の球。

コハクの魔力を消費して淡い光を放っている。

これがベッドライトの代わりだった。

「だ〜め。もっとよくヒスイの顔が見たいから」

コハクは応じない。

「お・・・ねがい。おにいちゃん・・・」

ヒスイが体をしならせる。

「・・・じゃあ、明かり消したらもっとサービスしてくれる?」

今夜は満月。月明かりでも充分明るい晩だった。

「・・・する・・・よ。何でも。お兄ちゃんの喜ぶこと・・・なら」

「・・・いい子だ」

コハクは明かりを消した。

「あ・・・ぅ。おに・・・ちゃ・・・」

 

ヒスイがコハクに支配され、染められてゆく様を、月は黙って見ていた。

  

[ホ、ホントかよ!?いいの?行っても!?]

[うん。]

ダイヤは万歳をして喜んだ。

[うっわぁ〜・・・セラフィムに会えるんだ!ホントに!!]

[うん。]

[なんかすげぇ緊張してきた!オレ!!]

コロコロと表情を変えるダイヤを見て、ぷぷぷとヒスイが笑う。

[もうすぐここにお兄ちゃんがくるはずだから。]

ヒスイがセラフィムのことを“兄”と呼んでもダイヤは驚かない。

とっくに聞いた話だからだ。

ヒスイとダイヤは学校の裏手の丘にきていた。

バサッ・・・。

コハクは約束の時間の5分前に現れた。

[うおっ!!]

ダイヤは驚きと興奮でおかしな声を出した。

[こんにちは。君がダイヤくん、だね?]

[は!はじめましてっ!!]

緊張でカチンコチンになっている。

[ヒスイがずいぶんお世話になっているようで。]

コハクは感謝を述べて、右手を差し出した。

ダイヤはごしごしと服で手を拭いてからコハクと握手をした。

じ〜ん・・・。

(オレ、もう手ぇ洗わねぇ・・・)

[君、空は飛べる?]

[あ!はいっ!!]

[じゃあ、ついてきて。“上”の雲、僕が穴を開けるから、塞がる前に通過してね。]

[はいっ!]

(セラフィムってすげぇ優しそうじゃん?間近で見ると噂通りの超美形だし。そういや“花嫁”もそうだよなぁ・・・。ヒスイ、っていうのか“花嫁”の名前・・・)

  

[うっわぁ〜っ。]

驚きの連続。

[セラフィムの神殿ってもっと神殿っぽいのかと思ってたけど・・・]

物が多い。

ダイヤが見たこともない地上の物でいっぱいだった。

[意外と生活感あるんだなぁ・・・。]

こっそりヒスイに耳打ちする。

[でしょ?]

そう答えたヒスイの顔がとても幸せそうだったので、ここでの生活はきっと充実しているのだろうとダイヤは思った。

[今、お茶の用意をするから。ちょっと待っててね。]

コハクはいそいそと奥へ引っ込んだ。

[・・・セラフィムがいれるの?お茶・・・。]

[そうよ?]

[“花嫁”ってすげぇな・・・。]

[お兄ちゃんのいれるお茶、すごくおいしいのよ。楽しみにしてて。]

ヒスイは自慢気に言った。

[優しそうだよな、セラフィムって。]

優美で穏やかな見た目からは、到底殺しのプロとは思えない。

[うん。普段はすごく優しいよ。]

夜以外なら、文句なく優しい。

ヒスイは苦笑した。

  

[あ!じゃあ、私片付けるよ!]

ヒスイは気を利かせたつもりで、自ら片付けを申し出た。

コハクのいれたお茶は極上の味がした。

ダイヤはお茶菓子として出された地上のお菓子・・・苺のタルトを夢中になって食べた。
その様子をヒスイとコハクが楽しそうに見守っていた。

[・・・君はどう思う?]

ヒスイが奥に姿を消してから、コハクが尋ねた。

[え?]

[ヒスイ。]

[は?]

[ちょっとツンとしたとこあるけど、可愛いでしょ?]

ダイヤは驚いた。
憧れのセラフィムがでれっとした顔で話はじめたからだ。
セラフィムは思っていたよりもずっと気さくで話しやすい、と思った矢先だった。

[そう・・・ですね。]

[怒るとここに牙がでるんだ。]

コハクは犬歯の辺りを指さして笑った。

[それがまた可愛いの。わかる?]

[はい。わかります。]

ダイヤは例の集団との喧嘩の最中にヒスイの牙を何度も見た。
そして“花嫁”に対して不謹慎だとは思いながらも、その牙がちょっとかわいいと思っていた。

ダイヤの回答を受けて、コハクの声のトーンがほんの少し下がった。

[・・・君は“悪魔”をどう思う?]

さっきまでとは打って変わった真剣な表情。

ダイヤは正直に思っていたことを答えた。

[・・・当然のように、悪魔は忌むべきものだと思ってました。セラフィムが“花嫁”を連れ帰るまでは。]

[うん・・・たぶん天界にいるほとんどの天使がそうだろうね。]

[けど!今は違う!!]

ダイヤは敬語を使うのも忘れて否定した。

[オレ、“花嫁”と話すの楽しいし!“花嫁”のこと知れば知るほど、悪魔って言ったってオレ達と何一つ変わらないって・・・そう思うんだ!]

[そう。その通りだよ。彼等は僕等と変わらない。]

コハクは優しく微笑んだ。

[悪魔のなかには確かに悪い奴もいる。だけどそれは天使だって同じだ。]

ダイヤは強く頷いた。

[天使は触れただけで悪魔を消滅させることができる。だから、自分達が優位だと思いがちだ・・・が、実際は違う。彼等のほうがずっと“生きてゆく強さ”を持ってる。種族として今、最も脆弱なのは天使じゃないかと、僕は思う。]

[セラフィム・・・。]

ダイヤはコハクの話に聞き惚れている。

[ここ、オンナノコ少ないでしょ。]

[はい。]

[下にはいっぱいいるよ。まぁ、ヒスイほど可愛いコはいないけど。]

コハクの口からヒスイの名が出ると場の空気は一気に軽くなった。

[人間・精霊・そして悪魔。みんな地上で生きてる。ここに閉じこもっているのは僕等だけだよ。]

[地上・・・。]

ダイヤは夢見る瞳で呟いた。

[興味沸いた?]

くすりとコハクが笑う。

[はいっ!!]

もともと好奇心旺盛な性格だ。
ヒスイから地上の話を聞く度に、ウズウズしていた。

地上に降りてみたいと何度も思ったが、神の喪失以来、天界の門は閉ざされたままだ。
上級天使ならともかく、いち天使の力ではどうにもならない。

[天使のなかには、オレの他にも地上に興味を持っている奴がたくさんいるはずです。]

[それを聞いて安心したよ。]

[え?]

どういう意味かと聞き返したが、コハクは美しく微笑んだきり、それ以上一切語らなかった。

   

(・・・厄介だな。今回は)

コハクはふわりと瓦礫の上に降り立った。

鞘に収まった大剣でトントンと肩を叩く。

(・・・モルダバイト・・・か)

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