世界に春がやってくる

34話  闇の中の光

 

オニキスの視界に広がったのは水没した森だった。

ダムの底に沈んだ森・・・という感じで。

どこまでも、深い。

闇の精霊の棲む塔は辛うじて最上階が水上に覗いていたが、そこまでの距離はかなりある。

泳いでいくにしても、到底息の続く距離ではなかった。

(いや・・・待て)

改めて自分の構造を考えてみる。

(心臓がないということは、息をしなくても良いのではないか)

ヒスイの眷族で、不死身のオニキス。

(ヒスイさえ呼吸をしていれば、酸欠に陥る事はないだろう)

この時代の精霊の森が何故水の中なのか。

「コハクは何も言っていなかったが・・・」

今はそれどころではなかった。

 

オニキスは水の中の森へと身を沈めた。

侵入者ではあるが精霊達の抵抗を受けることもなく・・・

 

闇の塔。

 

昼夜問わず、塔の中に充満している“闇”は最高位の精霊ボージの配下、下級精霊である。

 

「闇の精霊よ・・・汝との契約を望む。姿を現せ」

 

円形の塔の最上階。微かに空気が動いた。

黒く艶めく滑らかな四肢。

漆黒の豹が現れた。

これぞまさしく闇の精霊ボージの姿だった。

 

「・・・驚かないのね」

「お前の事はよく知っている」

「知っている?」

ゆらり・・・と、黒豹の尻尾が揺れた。

獣でも女らしい話し方をする。

闇の中で金色に光る眼がじっとオニキスを見据えていた。

 

 

「・・・契約を望む者。我に力を示せ」

「・・・いいだろう」

 

 

 

同じく過去。智天使の神殿。

 

 

「さて・・・行ってこようかな」

「セラフィム!?待ってください」

 

黙示録は力づくで奪う事にした。

魔剣と共に歩き出したコハクをラリマーが止める。

「あまり時間がないんだ」

「私にも協力させてください」

「ヒスイを保護してくれるだけで充分だよ。君が黙示録に絡んだら、すぐに感づかれてしまう」

(わざわざ隠すまでもなく、僕等がここにいる事はバレてるだろうな)

「もっとあなたの力になりたい。私にできることがあれば何でも・・・」

妙なところで強情なラリマーがコハクの前に立ちはだかった。

「・・・・・・」

 

戦わずして黙示録を奪う方法。

 

「そうだな・・・君に頼むとすれば・・・」

柄にもなく平和的思考を巡らせる。

 

「“僕”が死なない程度に一服盛るとか」

「あなたには毒など効かない」

 

熾天使は美しく強靱な肉体を持つ天使なのだ。

毒物への耐性も半端ではない。

ただし・・・ヒスイの料理にはあっさりやられる。

(自分でもそれが不思議なんだけど・・・)

 

「じゃあ、お酒で酔わせるとか・・・」

この提案もラリマーに却下された。

「あなたが酔ったところなど見たことがない」

「・・・・・・」

自分の弱点を考えてみる。

“ヒスイ”しか思い浮かばない。

 

「セラフィムは・・・各地を飛び回っていて神殿にいる時間が少ない」

今、熾天使の神殿に行ってもすれ違いになるだけだと主張するラリマー。

言われてみれば確かにそうだ。

この時代、黙示録に代わり世界の浄化をしていた張本人なのだ。

(それなら・・・もう少しだけ・・・ヒスイの傍に・・・)

ラリマーの助言を聞き入れ、コハクは衝立の裏へと回った。

 

 

「おに〜ちゃん?」

いつもの第一声。

もう何十年と変わらず、朝一番にヒスイが口にする言葉だ。

ラリマーの治療を受けて、数時間。

ヒスイが目を覚ました。

 

「ヒスイ!調子はどう?」

「んっ!もう平気だよ」

「・・・お腹見せて」

「うん〜」

自分で服を捲り、お腹を見せるヒスイ。

傷口はもう跡形もなく消えていて、熱を出す気配もなかった。

「・・・痛い?」

「ううん。全然。わ・・・」

ベッドに乗り上げ、押し倒し、唇で元傷口・・・今は滑らかな白肌に触れる。

「怪我させて・・・ごめん・・・」

「お兄ちゃんのせいじゃないよ」

 

“現在”の状況、露知らず。

 

ベッドで、イチャイチャ。

 

また上から何かが降ってきてもおかしくないムードだ。

 

(ああ・・・ヒスイ・・・)

ヒスイの肌に直接触れている時間が何より一番好きだ。

傷も治り、すっかり元気になって。

(良かったぁ〜・・・)

 

 

吹き抜ける風が心地よかった。

 

 

「あれ?おにいちゃん?」

ヒスイに乗り掛かったまま、眠りに落ちるコハク。

「疲れてるんだ・・・そうよね」

ずっしりと腹部に感じるコハクの重み。

風になびく金髪を指先で弄んだりして、少しの間大人しく下敷きになっていたが・・・

「そうだ。ラリマーにお礼言わなきゃ・・・」

ベッドをコハクに明け渡し、ヒスイが立つ。が。

 

 

間が悪かった。

 

 

ラリマーの姿を探し、ふらふらと出て行った先に・・・コハク。

 

 

「・・・どういうコト?」

淡々とした口調でコハクが言った。

「気に入ったので、私の花嫁にしようかと・・・」

 

花嫁とは、本来性欲を持たない神直属の3天使が生涯只一人欲情する相手の事を言う。

 

ラリマーの苦しい言い訳だった。

もう一人のコハクを庇う為、ヒスイがここにいる理由をなんとか取り繕おうとしたのだが、鼻で笑われ。

「下手な芝居だ。その子、絶対君のタイプじゃないから」

 

 

 

衝立の裏側。

 

「ヒスイ・・・あ・・・あれ?」

伸ばした手が宙を掴む。

意識が夢の世界から戻ってきたところで、自分が眠っていた事に気付くコハク。

「ん!?」

すぐに聞き慣れた自分の声が耳についた。

(アイツ・・・もう来たのか!?)

 

ラリマーとヒスイ。そしてコハク。

3人の姿を影から確認。

 

飛び出すと即戦いになってしまう可能性があるので、とりあえず堪えて見守る。

 

 

 

「見たところ、キミが僕の花嫁らしいけど・・・こうしない?」

「?」

「もしキミが“過去”に残るって言うんなら、今すぐコレを燃やしてあげる」

と、コハクは言い、ヒスイの頭上に黙示録を掲げた。

「な・・・」

(何血迷った事言ってんだ!?)

過去の自分の言動が信じられない。

けれども。

(“花嫁”の威力ってすごいなぁ・・・)

図々しい態度にどれだけ腹が立っても、そう思わずにはいられなかった。

(この頃って、もっと腐ってたハズなのに・・・)

「コロっとイッちゃった訳だ」

熾天使の花嫁には過去も未来も関係なく。

(僕は僕だから、やっぱりヒスイの事、好きになっちゃうんだろうな)

 

 

「どう?」

 

 

黙示録片手にコハクが繰り返す。

ヒスイの答えは・・・

 

 

「やだ」

 

 

世界と己の運命が天秤に掛けられ、少しは迷うかと思いきや即答だった。

(よしっ!それでこそヒスイだ!!)

影でぐっ!と拳を握る、未来のコハク。

(ザマーミロ!)

過去の自分がフラれて喜ぶのもどうかと思うが。

 

「燃やすとか、そんな勝手な事して・・・神様から罰を与えられたりしないの?」

 

続いてヒスイの口からそんな質問が飛び出した。

智天使ラリマーと熾天使コハクが顔を見合わせる。

「・・・大丈夫だよ。いざとなったら神を殺・・・」

「セラフィム!!」

物騒な回答をするコハクをラリマーが諫める。

「心配はいりませんよ。罰があるなら私も一緒に受けます」

この場にはいない座天使トロウンズもきっとそう言うだろう、と。

 

 

「何だかんだで結局仲がいいのね」

暢気に・・・ヒスイが笑った。

 

 

(ヒスイ・・・)

「笑ってる場合じゃないんだけどね・・・」

そう言いつつ、衝立の裏のコハクも苦笑い。

 

 

 

さっき夢をみた。

 

僕は果てしない暗闇の中で。

 

“生”の意味も。

“死”の意味も。

 

わからなくなっていた。

 

そこに現れた、ひとつの光。

 

その光はヒスイなのだと心の何処かで思って。

 

何とか掴もうと手を伸ばしたところで目が覚めた。

 

 

 

夢の中では光に届かなかったけど。

現実は、違う。

 

(目が覚めて、ホッとした・・・)

 

 

闇の中の光。

きっと僕にとってヒスイはそうなんだ。

闇が深ければ深い程、その光は輝きを増して。

「・・・欲しいんだろうな。あげないけど」

 

 

衝立の向こう・・・緊張感を欠いたムードであるが、黙示録を巡る話し合いは決裂している。

残された手段はやはり強奪と考え、コハクは魔剣を手に取り、出てゆくタイミングを伺った。

(確実に仕留めるにはオニキスと合流した方がいい・・・)

「戦ってる間に来るかな・・・」

今になってオニキスの顔が浮かぶ。

「精霊の森かぁ」

(この頃行ったことないから、どうなってるかわからないけど)

噂では、各種精霊の力の均衡が崩れているとか・・・

話しておけば良かったと、後になって思う。

「まぁ、オニキスなら大丈夫か・・・精霊王が“番人”を定めるまで、あの地は不安定なんだよね」

一番勢力の強い精霊属性が反映される土地柄。

“現在”でもその名残で森の泉の水深は季節ごとに変わるのだった。

 

「・・・そろそろ出てくれば?」

コハクがコハクに指名を受ける。

 

「・・・ヒスイは抜きだよ?」

「勿論」

 

 

 

精霊の森にて。闇の試練。

 

オニキスは武器を持っていなかった。

暴力を嫌う精霊相手に必要ないという理由で。

泳ぎの邪魔にもなるからと森の入口に置いてきた。

 

コハクのように攻めの戦いはしない。

 

闇の精霊の攻撃を避けつつ、氷系の呪文で足場を凍らせ、今は・・・

黒豹の四肢を硬い氷で捉え、動きを完全に封じていた。

「これで気が済んだか」

実質オニキスの勝利。

 

 

『お前は・・・何故“闇”を求める』

 

 

闇の精霊が尋ねた。

 

 

「・・・闇の中でしか見えないものがあるからだ」

 

 

オニキスはそう答えるなり、指先で空中に魔法文字を描いた。

滅多に使わない破壊系呪文。

壊したのは、塔の天井だった。

 

人間界の時刻は夜。太陽はもう見る影もない。

頭上には星屑の夜空が広がっていた。

 

 

「どうだ?美しい眺めだろう?」

 

 

 

闇の中でしか見えないもの。

それは、光。

 

 

自然に例えるなら。

 

 

星の光や、月の輝き。

 

 

夜になれば、昼には見えなかったものが見えてくるように。

 

 

 

「闇があるからこそ、見える光がある」

オニキスは、闇の精霊ボージーへと歩み寄り、その場で膝をついた。

「光を見つけるために、闇が必要だ。力を貸して欲しい」

四肢を束縛していた氷を砕き、黒豹を見上げる。

 

「・・・素敵な口説き文句ね」

黒豹は伸びをして体をほぐし、機嫌良く尻尾を揺らした。

「いいわ。契約を・・・私の名前は・・・」

 

 

「・・・ボージー」

 

 

オニキスが名を呼ぶ。

“現在”では失ってしまった精霊の名を。

 

 

「・・・いくぞ」

「ええ」

しなやかに。一人と一匹が歩き出す。

 

 

「それで?戦いの相手は?」

「・・・熾天使だ」


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