World Joker

番外編

SMワルツ


[前編]

「・・・・・・」
リビングの絨毯の上、ヒスイは今日もコハクのシャツ一枚で転がっている。
すぅすぅと寝息を立てるヒスイに近付くのは――マーキュリーだ。
「・・・・・・」
これは夢だと、わかっていた。

欲望を満たすための、夢。

マーキュリーはヒスイの口元へ布を持っていき、それを食ませ、結びつけた。猿ぐつわだ。
「!?」
口を塞がれたヒスイは驚き、目を覚ましたが。
「あぅうっ〜・・・!!」
声は出るものの、言葉は話せない。
“犯される”ことを予感したのか、猿ぐつわをしたまま逃げようとするヒスイを押し倒し、片脚を抱え上げるマーキュリー。
空いている方の手でベルトを外しジッパーを下ろすと、飢えたペニスがヒスイを獲物と認識し、より硬く尖り出た。
「っ!!」
それを見たヒスイが表情を強張らせるも。


「こうして“穴”を開けられるのは、慣れているでしょう?お母さん」


マーキュリーはにっこり微笑み、勃起ペニスをヒスイの膣内へと捻じ込んだ。
「――!!んふッ!!んー!!!」
ヒスイは嫌がり、泣きながら、両手でマーキュリーの体を押し戻そうとした。が、無視する。
マーキュリーもまた、夢の中の凌辱行為に慣れていた。
「・・・・・・」
すでに使用済のヒスイの膣にはまだ快感の種火が残っていたようで。
ズチュズチュ、マーキュリーが何度かペニスで擦り上げると。
ヒスイは、ひくっ、としゃくり上げ。抵抗が弱まった。
「んッ・・・ん・・・ぅ」
不本意に甦った快感から、両脚に力が入らないらしく。
「ん・・・」
かぱっと開いて、そのままマーキュリーを受け入れる。
「んぅ・・・っう・・・」
表情を歪め、震えながらも。
肉襞の間にとろみのある愛液を沸き立たせ、レイプペニスを濡らした。
そこで一気に抽送を加速させるマーキュリー。
「んんッ!!んッ!!ふぅ・・・ッ!!」
ヒスイの奥を突く度、そこから“先客”の精液が出てくる。
「・・・・・・」
全部吐かせてやるつもりで、突いて、突いて、突き上げて。
マーキュリーはヒスイの子宮を激しく揺さぶった。
「!!んぐッ!!う゛ぅぅ・・・ッ!!あ!!!!あぁ・・・ッ!!!!」
息子に子宮を責められるのは堪えるらしく、ヒスイが声を張り上げる。
シャツが透けるほど汗をかき、涙を溢しながら、両脚を閉じることもできずに、マーキュリーの下で悶えている。
「・・・・・・」
もっと醜く乱れればいい――と、思うのに。
どんなになってもヒスイは美しく・・・苛立ちを煽る。
そんな中。
「っ・・・」
失った分を取り戻そうとするかのように、子宮口の方から亀頭に吸い付いてきて。
若く敏感な鈴口を刺激した。
「は・・・」
熱く溶かされた腰をヒスイの股間に叩き込むマーキュリー。
シャツ越しにヒスイの乳房の僅かな膨らみを握り上げ、熟した先端を口に含み。
軽く噛んで、それと同時に射精した――





「・・・・・・」(またか・・・)
目覚めたマーキュリーが体を起こす。
前髪を掻き上げ、溜息。
時の流れが違う空間で修業をするようになってから、毎晩のようにヒスイを夢で犯し続けて、精神的疲労が溜まっていた。
あまり眠った気がしない。
この時はまだ淫らな悪夢から逃れる術を知らなかった。
「早く行かないと・・・」
体は怠いが、休んでもいられない。
身だしなみを整え、マーキュリーは部屋を出た。


別室で朝食を済ませ、師であるセレの元へ赴く。
「おはようございます」
礼儀正しく、朝の挨拶をする一方で・・・気付く。
セレの他に、もうひとり・・・
「コクヨウ義兄さん?」※人型※
祖母の弟にして、姉アクアの夫であり、純血の“銀”の吸血鬼の最後の生き残りだ。
「彼にも協力してもらうことにしたよ」と、セレ。
「そうですか、よろしくお願いします」
マーキュリーは軽く頭を下げた。
「・・・・・・」
黙ってマーキュリーを見るコクヨウ。
(誰かの修業に付き合うなんざ、まっぴら御免・・・)だが。
相手がマーキュリーなら、話は別だ。
「・・・・・・」
姉サンゴに良く似ているのだ。
優しげな顔立ち。少し癖のある銀の髪。
穏やかな立ち振る舞いも、どこか愁いを帯びたその表情も。
妻アクアもサンゴに似ている部分はあるが、あくまで“アクア”として愛しているため、以前ほどサンゴの面影を見なくなった。
その分――アクアの弟であるマーキュリーに面影を重ねるようになっていた。
天敵コハクの手前、思うような交流もできずにいたが、修業相手としてお呼びがかかり、密かに心躍らせていた。
「で、何すりゃいいんだよ」と、コクヨウ。←デレ隠し中。
すると、セレが言った。


「“ヴァルプルギスの夜”というのを知っているかね?」


「いえ・・・」
ヴァルプルギスの夜・・・マーキュリーは初めて聞く言葉だった。
コクヨウは知っているのかいないのか、セレの問いかけには答えなかった。
「モルダバイトでは、この言い方はしないからね」
知らないのも無理はない、と、セレ。
続くセレの説明によると、ヴァルプルギスの夜とは・・・
一年で最もこの世とあの世の境目が曖昧になる夜のことで。
死者があの世から迷い出ることも多々あるとか。
それらを寄せ付けないために、火を焚き、お祭り騒ぎをするらしい。
「観光のようなものだがね、後学のために見ておくといい。コクヨウ、君もね」
「・・・・・・」
ヴァルプルギスの夜の話が出てから、コクヨウの機嫌は悪く。
セレの勧めに、舌打ちで答えた。

[中編]

セレに送られた地は、“何処か”もわからなければ、“いつの時代”かもわからない。
「夜が明けたら迎えに来るよ」と、告げられただけだった。
はっきりしているのは、“ヴァルプルギスの夜”であること。
そこは小さな田舎町で、ちょうど日が暮れかかっているところだった・・・が。
「・・・祭りの気配がねぇ」
コクヨウが険しい顔で呟いた。
「そうですね」
町の様子がおかしい、と、マーキュリーも口にする。
広場には多くの人が集まっていたが、お祭りという雰囲気ではない。
それぞれが不安を抱えているように見えた。
「チッ!!」先程に続き、コクヨウが舌打ち。
「祭りやんねーのかよ!どうなっても知んねぇぞ!!」
・・・と、人々に向け、荒っぽい口調で言い放った。
「どうなるんですか?」
マーキュリーが冷静に尋ねる。
「・・・・・・」
コクヨウは、霊的なものが、かなり“視える”方なのだ。
その手の任務も多く、正直うんざりしていた。
ヴァルプルギスの夜――などは特に。
「・・・あの世から来た奴等が、連れてっちまうんだよ。この世の奴を」
家族、恋人、友人・・・親しい者を、自分と同じ亡者に。
我を忘れた者は、無差別に憑りついたりもするため、厄介なのだ。
「祭りってのは、本来意味のあるモンなんだ。単なるイベントじゃねぇ」
それを聞いたマーキュリーは、当たり障りなく、近くにいた町人に問いただした。
すると――

領主が、祭りの許可を下さないという。
火を焚くための薪を差し押さえ、祭りが行えないよう手回ししているとか。

「なんだそりゃ!!」
元々怒りっぽいコクヨウは・・・
「頭、イカレてんじゃねのか!?」
大声で町人達に告げた。


「このままじゃ、町に死者の霊が溢れかえるぜ!!」





信心深い領主の元、昨年まではつつがなく執り行われていた祭り。
町人の一人がこう口にする。

領主様は、奥様を亡くしてから、人が変わったようになってしまった、と。

「・・・・・・」(そういうことか)←マーキュリー心の声。
恐らく領主は、あの世からの迎えが来るのを待っている。
だからあえて、霊を祓う祭りを行わないのだ。
「・・・・・・」
(愛するひとを亡くしたら、そういう気持ちになるのもわかるけど)


他人を巻き込んでいい理由にはないらない。


(ってことか。総帥が、わざわざ僕等をここに寄越したのなら・・・)
なんとかしてみせろ――ということだろう。結局、修業は修業なのだ。
「・・・・・・」(何が観光だよ・・・)
マーキュリーは軽く溜息を洩らしたあと、広場で吠え散らかしているコクヨウに領主の説得を頼んだ。
最悪、薪だけでも運び出して欲しい、と。
「お前はどーすんだよ」
「もうすぐ日が暮れます。町の人達を一ヶ所に集めて、霊から守ります」
「だ・・・大丈夫なのかよ」
「大丈夫です。薪が届くまでの間ですから」
「ぐ・・・」
そう言われると、責任重大だ。迷っている時間さえも惜しい。
「領主の館はあそこだな!!待ってろ!!ぜってー無理すんじゃねぇぞ!!」
コクヨウが全力で走り出す。


そして間もなく、日没を迎えた。


辺り一帯が暗くなり、霊魂があちこち漂い始めた。
エクソシストを名乗ったマーキュリーの指示で、町人達は各自燃やせるものを手に、広場に集まっていた。
心許ない炎ではあったが、多少の効果はあるようで、弱い霊は退けられた。
問題は強い霊。町人に襲い掛かろうとする悪霊を、マーキュリーが祓う。
悪魔には肉体があるが、悪霊にはそれがない。
ゆえに、その戦いは特殊で、新人には難しいとされているが・・・
マーキュリーが、屋敷の地下で選んだ武器は、『ウロボロスの鞭』と呼ばれるもので、霊との戦いに順応できるものだった。
ウロボロスは、輪廻転生の象徴ともされる魔物で、尻尾を咥えた蛇のような形状をしている。
伸縮自在なこの鞭は、今まさにその状態にあり。
握り手の部分※下に向け口を開けた蛇の装飾が施されている※そこに尻尾※鞭の先※を差し込み、輪を作っていた。
この輪に霊を通せば、輪廻転生の流れに押し込むことができる。
ただしそこに成仏の有無はない。
この世に未練を残す死者にとっては恐ろしい武器だ。
マーキュリーはそれを師から伝えられており、その力を以って、町人を巡る数多の悪霊を凌いでいたが・・・
「っ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」
連日の悪夢により、蓄積されていた疲労が出始めた。
いくら有能な武器を持っていても、霊との戦いは精神勝負なのだ。
鞭を振るえば、魔力も消費する。


「――!?」


不意に、眩暈を起こし、視界が真っ暗になった。
まずい、と思っても手遅れで。
意識を、魂を、攫われそうになった、その時。
広場の中心に白銀の炎が灯り、煌々と燃え上がった。
それはいわば――聖火。
広場に集まった霊たちが一斉に退いた。
マーキュリーに襲い掛かった霊もいつの間にか消えていた。
町民の歓声が起こるなか、マーキュリーは目を凝らし、炎の中を見つめていた。
そこには・・・どこかで見たことがあるような、儚げで美しい女の姿があった。
ふんわりと柔らかな、銀の髪・・・紅い瞳。
(もしかして・・・)


「おばあ・・・さん?」

[後編]

「薪をどこに隠しやがった!畜生!!」


こちら、領主の館に到着したコクヨウ。
使用人はひとりもおらず、室内には一切明かりが灯っていない。
「チッ!!なんて様だよ!!」
階段を駆け上り、片っ端から扉を開け、死を望む領主を探す、と。
三番目の扉を開けた先に、その姿が。
「!!」(ガキも一緒か!?)
妻を亡くした領主に、幼い子供がいるとは聞いていない。
だが、目の前には、40代半ばほどのやつれた領主と、母親が死んだことさえ理解できないであろう齢の少女がいた。
暗闇のなか、窓を開け、迎えが来るのを待っている。
「なにやってんだ、テメェ!!」
領主を怒鳴りつけるコクヨウ。
すっかり頭に血がのぼっていた。
「妻が待っている・・・わたしを・・・この子を・・・はやく・・・いかなくては・・・」
ブツブツと、生気のない目に生気のない声で、領主が呟く。
「んなわけねぇだろが!!」


「“母親”が一番悲しむことすんな!!バカ野郎!!」


コクヨウはそう叫び、領主の顔を一発殴った。
「ぱぱをいじめちゃため!!」
幼い少女が、泣きながら、父親を庇う。
「ぱぱ、おまつりいこう。ままはおまつりがすきだから、さきにいっちゃったんだよ。いっしょにままをさがしてあげるから、おまつり、いこう?」
「っ・・・!!うぅっ・・・」
コクヨウの拳と、娘の言葉に、正気を取り戻した領主が泣き崩れる。
「・・・愛してやれよ。死んだ女の分まで」


(・・・言えたモンじゃねぇけどな)
リアカーに薪を積み込み、広場を目指すコクヨウ。
道すがら、自身の過去を振り返る――
サンゴの娘、ヒスイを、昔一度殺しかけたことがある。
(そんなこと、サンゴは望んじゃいねぇって・・・)
今なら、わかる。だが当時は、考える余裕もなく。
「・・・・・・」
血を分けた姉弟なのに。
サンゴの、本当の望みを、理解することができなかった。
(ここまでくんのに、ずいぶん時間がかかっちまった)
サンゴの死を受け入れられなかったのは、他に愛する者がいなかったから。
サンゴの孫であるアクアを愛するようになって、やっとそれに気付いた。
「サンゴ・・・」




コクヨウが広場に戻ると、そこではもう、祭りが始まっていた。
白銀の炎を囲み、飲めや歌えの大騒ぎで。
ことごとく霊を追い払う――が。
「サ・・・ンゴ?」
炎の中、揺らめく影。
町の人間には見えていないようだが、コクヨウには見える。
もともと霊感が強いのと、ヴァルプルギスの夜であること、その他諸々、条件が重なっているのかもしれないが・・・。
「サ・・・」
声を掛けようとして、躊躇うコクヨウ。
胸を張って話せることが何もない気がした。
一方で、コクヨウの到着に気付いたマーキュリーが。
「コクヨウ義兄さん」と、駆け寄る。
「・・・どうなってんだ?」
「お祖母さんが助けてくれたみたいです。見えますか?炎の中に」
「・・・まーな」
コクヨウは素っ気なくそう答えたっきり、炎の方を見ようとはしなかった。
「すみません。わざわざ運んでもらったのに」
「お前が謝ることじゃねぇよ」
サンゴが助けた、ということは。
「・・・危なかったのか?」
「はい、自己管理ができていませんでした」
マーキュリーは厳しい口調でそう言ってから。
「領主の方はどうでしたか?」
コクヨウは、明かりの灯った館を眺め。
「もう、大丈夫だろ」




白銀の炎で一際盛り上がった祭りも、終わりを迎えようとしていた。
夜明けが近いのだ。
「コクヨウ義兄さん、お祖母さんと話さなくて良いんですか?」と、マーキュリー。
「返事はないですが、こちらの言うことは聞こえているみたいです」
サンゴは、炎の中で、にこにこしている。
「あと数分で、日が昇ります」
腕時計に視線を落とし、マーキュリーが言った。
炎の勢いは弱まり、サンゴの輪郭が徐々に曖昧になってゆく・・・別れの時が迫っていた。
「っ・・・」(クソッ!!)
意を決し、コクヨウが顔を上げる。
「サンゴ・・・っ!!」
触れられないとわかっていて、それでも、炎の中へ手を伸ばした。


「今度は、オレのところに産まれてこい!!」


「アクアは、オレの女は、丈夫な奴だから、きっと健康に産んでやれる」
サンゴはただ微笑むばかりだったが、聞こえていることを信じて続ける。
「大事に育ててやる。太陽の下で、あいつと暮らせるようにしてやるから。だから――」
「――時間です。コクヨウ義兄さん」
朝日に照らされ、白銀の炎が・・・消える。
解き放たれたサンゴもまた、暁の空へ吸い込まれるように消えていった――


「・・・雨?」
朝日の眩しさに目を細めながら、マーキュリーが空を仰ぐ。
サンゴが消えた空から、ポツポツと雫が落ちてくる。
「違う、これは・・・」(涙・・・)
銀の姉弟の間で、何があったかは知らない。けれど。
温かく降り注ぐ“これ”は、きっと嬉し涙なのだと、マーキュリーは思った。
「・・・お前、好きな女とか、いねぇのか?」
マーキュリーの隣に並び、同じ空を見上げていたコクヨウが言った。
「・・・いませんよ」
マーキュリーは笑顔で答えた。
「・・・まあ、なんだ。“銀”の男は、色々面倒だかんな。わかんねーことあったら、いつでも聞きにこい」
柄にもなく、先輩風を吹かせるコクヨウ。
「ぷっ・・・ありがとうございます」
マーキュリーに笑われ、急に恥ずかしくなったのか、コクヨウは慌てて話を逸らした。
「迎えがくるまで、修業すんぞ!!」
「はい、ではお言葉に甘えて」
次の瞬間、マーキュリーが鞭を振る。コクヨウに向けて。
「!?うわっ!!おま・・・何すんだよ!!」
「実はこの鞭、対象者に、力を与えたり、奪ったり、できるみたいなんです」と、マーキュリー。
「コクヨウ義兄さんで、試させてもらってもいいですか?」
返事も待たずに、再度、鞭でコクヨウを狙う。
ギリギリのところで避けながら、コクヨウは「止めろ!!ちょっと待て!!」と、叫んだ。



(笑いながら嘘をつくところなんざ、サンゴにそっくりなのに)



「こいつ・・・」



(ドSじゃねーか!!)

[後日談]

あれから数ヶ月・・・すべてがひと段落したある日のこと。

赤い屋根の屋敷――リビング。

そこにはメノウとヒスイがいた。
親子水入らずでティータイムを過ごしているところだった。
コハクはキッチンでケーキを焼いている。
「――でね、お母さん?みたいなヒトが、助けてくれたんだって」
マーキュリーから聞いた話だ。
「へー・・・」と、紅茶を口に運ぶメノウ。
「やっぱりお母さん、近くにいるのかな?」と、ヒスイ。
「私も、昔助けてもらったことあるよ。トパーズと色々こじれちゃった時に」
「俺の前には、姿見せてくんないなぁ」
メノウは苦笑いで、呟くように言った。するとヒスイが。


「もう心配ない、ってことじゃない?」


「なるほどなぁ」
ここでもまた苦笑いだ。
「あ、そういえば、お母さんのお墓ってないの?庭にお花沢山咲いてるし、もしあるなら持っていこうかな、って」
「ないよ」
「そっか」
メノウの返答は、思っていた通りのもので。ヒスイは頷いた。
赤い屋根の屋敷は、短期間とはいえ、サンゴが暮らしていた場所なのに、写真も飾られていなければ、遺品の類も殆ど見たことがない。
それはメノウが、サンゴの死と直面したくないからだと、解釈していた。
・・・が、そこで。
「でも、ま、そろそろ建ててもいかもな」
「え?お父さん?それって・・・」
驚くヒスイの頭を、正面から撫でるメノウ。
「・・・この世界に戻ってきた時さ、娘のお前がいて、すぐに孫もできて。何だかんだで、ずっと賑やかだっただろ。だから――」


「俺は、俺のことを考えずに済んだ」


サンゴがいない世界でも、気持ちがすぐ“生きる”方に向いたのは、そのお陰だ――と。
「お父さん・・・」
「自分のことだけを考えるって、楽っちゃ楽だけど、ちょっと寂しいだろ?」
「・・・うん、そうだね」
「俺もしばらく逝けそうにないし。いっちょ、立派な墓でも立てて、皆で手を合わせるか!」
「・・・ねぇ、お父さん」
「ん?」
「お墓はひとまず置いておいて、写真を飾るくらいでいいんじゃない?」
何を思ってか、ヒスイがそう口にした。
「周りにお花も充分添えらえるし。写真に時々話しかけたりして。お母さんの好きな物をお供えしたら、次の日にはなくなってるかも」
などと言って、笑う。
齢を重ねたせいなのか、顔立ちは幼くとも、あたたかみのある、奥深い笑顔だった。
「あはは!何だよ、それ」と、メノウも笑い。
「――けど、そうなったら、面白いな」




――翌日。

「お父さん、こっち!」
ヒスイに手を引かれ、庭を横切り、辿りついたのは、離れの建物。
「中へどうぞ、メノウ様」
待機していたコハクが扉を開ける・・・と、そこには。
「!!」(サ・・・ンゴ・・・)
写真や遺品が揃った、サンゴを偲ぶ空間。
「・・・・・・」
しかし、どんなに年月が経っても、懐かしい〜では済まず、感情が揺れる。
立ち尽くすメノウに、コハクが言った。
「本家の方にも、写真は飾ってありますが――」


「サンゴ様のことだけを考えたい時もあるでしょう?」


「そういう時は、いつでもここへ来てください」
「・・・そうさせてもらうわ」
写真立てを手に取り、メノウがそう口にする傍ら、ヒスイが歌い始めた。
レクイエムなどではなく、幸せを伝える歌だ。
「・・・お母さんが、今どこにいるのかわからないけど。目に見えないところへは、目に見えないものの方が、届くような気がしない?」
と、ヒスイ。花も、香りの良いものを選んだという。


間もなく、ヒスイの歌声を聞きつけた双子兄弟が、離れに顔を出した。
「お!これ、ばーちゃんの写真じゃんか!」
アイボリーが写真立てを覗き込む。
「やっぱ、ばーちゃん、乳デケェ」
悪気のない口調でそう言って、ヒスイの胸元を見た。
「シトリンもアクアもデケェのに、なんで?」
「私はお父さん似だから、いいのっ!!ペッタンコでも!!」
ほら、そっくりでしょっ!!と、メノウの隣に並ぶ。
「ちょっ・・・何で笑うのよ!お兄ちゃんまでっ!!」
アイボリー、マーキュリー、コハク、そしてメノウ。
皆が笑う。拗ねていたヒスイも、次第につられて笑い出す。
「あはは!ま、確かにヒスイは俺似だよ」
メノウは笑いながら、再び写真立てに目を遣った。




“家族”の楽しい笑い声。




もし届いているのなら。




(一緒に笑ってくれよな、サンゴ)

+++END+++

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