コハク×ヒスイ
木漏れ日咲く空に
文:久遠 千世様
[前編]
──ほぉら、ヒスイ。見てごらん──
幼い私を抱っこしてお兄ちゃんが言った。
きらきら色んな光が、風に枝葉が揺らされる度に形をかえて降り注ぐ大木の下。
一つにとどめないその光の粒がとっても不思議で。でもお兄ちゃんの金髪のようにすごく綺麗で。
私は何とかそれを掴もうと、小さな手を目一杯のばしてた。
──まるでお花が咲いてるみたいだね。綺麗だねぇ──
今思えば、なんて綺麗な表現だろうか。
木漏れ日が、花のように光り輝き天空をおおっていたあの日。
そう。木漏れ日咲く空に、私は小さいながらも感動していたのだ。
「ん……」
夢の余韻を残しながらヒスイはゆっくりと目を覚ます。かすむ視界を整えるべく目をこすりながら、緩慢な動きで起き上がった。
懐かしい夢みたわ。あれは、何歳くらいの時だったのかしら。
抱っこされてたから……でも、お兄ちゃんは今でも私のこと抱っこするわよね。えと、手が小さかったから……三歳とか五歳くらいの時かしら。
そんなことを考えながらヒスイは大きく背伸びをし、いつも通りコハクの用意した服を着て階段を降りていくと。
「どうもー。ご苦労さまー」
聞こえてきた声はどうやら玄関から。それを示すように、その方向は開け放たれているであろう扉から差し込んでくる朝の光に満ちていた。
声の主はもちろんコハク。
“ご苦労さま”? 郵便か荷物でも来たのかしら。
ヒスイが階段を降りきると同時に、コハクが廊下の角から顔を出す。
「あ、ヒスイおはよ」
持っているのは、白いリボンのかかった大きな箱。
「おはよう、お兄ちゃん。それなぁに?」
ヒスイはじっと箱を見つめながら首をかしげ問いかける。するとコハクは笑みを浮かべヒスイの手をとり、意気揚揚とリビングへ向かうと、まずいつものクッションにヒスイを座らせてから箱を差し出した。
「ヒスイにプレゼントだよ」
「私に?」
今日は何かの記念日だったっけ?
いくら考えても何も思い浮かばない。何だか焦ってくるが、コハクはそんなこと気にもとめずににこにこしている。
この笑顔がなんか怖いのよね。
意を決してリボンをするりとほどき、そっと箱をあけると。
「……わぁ」
そこに入っていたのは真っ白のワンピース。手に取り広げてみれば、幾重にも重なりあった薄い生地が窓からの光に透け、白を深みのあるものにかえている。それは同時により清楚なイメージを倍増させていた。フレアのきいたスカート部分は上品な膝丈、肩はリボンでとめる形になっている。ピンタックやレースをふんだんに使ったそのワンピース、何とも女の子らしいデザインだ。
「どう?」
「すごく可愛いっ! ありがとうお兄ちゃんっ!」
「ヒスイに似合うと思って思わず買っちゃった。よかった。気に入ってくれて」
コハクの満足そうな笑みを見れば、ヒスイも何だか嬉しくなる。
「ねぇ、ヒスイ。着てみてほしいな」
「うん、いいよっ。じゃあちょっと待ってて?」
ワンピースを大事そうに抱え隣の部屋へと移動し、まだ朝袖を通してから少ししかたっていないせいか、石鹸の香りの残る服を脱ぎ捨てた。
新しいワンピースは肌触りも極上である。
ファスナーをあげ、長い銀髪を払い除ける。サイズはもちろんぴったり。コハクはこれまで、サイズが合わないものを買ってきたことは一度もない。
“日々、ヒスイの成長は肌で直に感じているからねっ!”
と、この間言っていたのを思い出す。遊びに来ていて偶然その場に居合わせたメノウが、それはもう呆れた表情を浮かべていたっけ。
ヒスイはくすくすと笑った。
「お兄ちゃんお待たせっ! ……あれ?」
軽い足取りでリビングに戻ると、そこにはコハクの姿はなく。
「お兄ちゃん?」
姿を見せたとたん、コハクが言うであろう賛辞の言葉を期待していたヒスイはちょっとがっかり。
着てって言ったのはお兄ちゃんなのにぃ。
ぷくっと頬を膨らませ、唇を尖らせる。と。
「ヒースイっ」
背後からのコハクの声。
「お兄……わっ」
文句の一つでも言ってやろうとふり返った視界が一瞬さえぎられ、条件反射で目をつぶったヒスイの頭に触れる感触。
「あ、あれ?」
「ヒスイ可愛いっ! 似合うっ! 最高っ!」
かぶせられたのは、つばを贅沢にとった焦げ茶色のむぎわら帽子。
「はーい、一回転ーっ」
手を取られ、促されるままにくるりと一回転。
風をはらみふわりとひるがえるスカート部分。ちらりと太ももがのぞく様は何ともそそられる。
コハクの感動は頂点を突き抜け、熱くなった胸が苦しいくらいだ。
か、可愛すぎるっ!!
「やだお兄ちゃんっ!? 何で泣くのっ!?」
感動しすぎて思わず涙。
わけがわからず、でも困ったように心配げな表情にて見上げてくるヒスイ。そんなヒスイをじっと見つめてから、コハクがおねだり。
「ねぇヒスイ。もう一つお願いきいて欲しいんだけど……」
「う、うんっ! 何っ!?」
願ってもないチャンスだ。コハクがまさか感動と下心から涙しているとは露も知らないヒスイは、少しでももとに戻ってくれるならまさに何でもする勢いだった。
「今日は風が爽やかだね、お兄ちゃん」
森の脇にある道を、そよ風に飛ばされないよう帽子をおさえながらヒスイが言った。
「この季節にはめずらしいね」
反対側の手をしっかり握りしめ、コハクが続く。
季節は真夏。もともと強い日差しをあまり得意としないヒスイを外へ誘ったのだ。そのへんの考慮はぬかりない。真夏といえど風がある程度爽やかで、直射日光を浴びることのないようにつばの広い帽子、プラス、程よい木陰。ヒスイの肌に日焼け止めを隙間なくぬってあるのは言うまでもなく。
「でもどうしたの?」
「ん? 何が?」
「いきなり散歩に行こうなんて」
ヒスイがインドア派なことは十分過ぎる程知っているコハクは、よほどのことがない限り、例えば前々から買い物に行こうとか、何々を見に行こうとか誘っておかなければ外へ連れ出すことはない。
「しかもそれ、お弁当でしょ?」
ちらり、とコハクの持つバスケットを見る。
「ちょっとね」
にっこり微笑まれ、さっきから何だかはぐらかされてばかり。でも、さっきの涙を浮かべた顔と比べればその笑顔が嬉しかった。それに見上げれば木の葉に透ける煌めく陽の光。これはあの夢の光景を思い起こさせる。
暖かい窓辺でいつものパウダービーズのクッションに座り本を読むのが大好きだけど、たまにはこうやって外の新鮮な空気を胸いっぱいに満たすのもいいかな、とヒスイは思った。
今のように、誰よりも安心できるコハクが横にいれば尚のこと。
自然、足取りは軽やかに、気がつけば得意な歌を口ずさんでいた。
そんな時、ずっと小道を行くかと思っていたヒスイだったが、急にコハクが森の中へと進路を変える。
「あれ? 何処行くの?」
森と言ってもあまり木々が密集しておらず、程よい陽の光が降り注いでいる。木立をいく風は更に爽やかに、小鳥のさえずりは甲高い響きを持ち自然の中に浸透していく。
決して道があるわけではないのだが、でも誰も立ち入ったことがないわけではなさそうだ。わずかに踏みならされたかんがある。
「懐かしい夢を見たんだ」
[後編]
「え?」
夢。ヒスイはどきりとする。
「まだヒスイがうーんと小さい頃、今日みたいな爽やかな日に散歩にでかけた夢をね」
まさに今日、自分が見た夢とかぶる。
同じ? でも、まさか。
高鳴り続ける胸にそっと手をあて、今は自分をある場所に連れていくために前を歩くコハクを見上げた。
綺麗に整えられた金色の髪の毛が、陽の光を受けて星の瞬きのように煌めく。それはあの夢と同じ印象をヒスイに与えた。
「お兄ちゃ……」
私も似たような夢を見たの、と言葉を続けようとする前に、コハクがとびきりの笑顔でふり向きそれをさえぎった。
「ほら、ヒスイ、見てごらん」
その言葉でさえ夢と重なる。
コハクが体をよけ、ヒスイの視界を広げる。とたん、前から吹いた風が銀糸の髪を舞い上がらせた。
深く澄んだ翡翠色の瞳にうつるもの。
背の高い木々が作りあげている森にしては不自然な程にぽっかりとあいた空間に、陽の光がきざはしとなり降り注いでいる。真夏なのにもかかわらず、柔らかい印象を与えるそれはまるで妖精が戯れているようにも見えた。
それらの風景に一際存在感を放ちたたずむのは、細かい葉を従え枝を展開させる一本の巨木。風にさわさわ揺れることで奏でる音は、鳥達のさえずりと見事に共鳴し、まるで夢の中にいるように錯覚させた。
「わ……すごい、綺麗……」
“きらきら輝く大樹”そんな言葉が一番当てはまる。
「こっち来て」
言うが早いかコハクはヒスイの手を引っ張り、有無を言わさず大樹へ向けて歩きだす。そして幹の少し手前に持ってきたブランケットを敷くと、その上にまず自分が座りすぐ前に座るようにヒスイを促した。
「なぁに?」
「いいからおいで」
微笑むコハクに吸いよせられるように、示されたままそこに腰かけ胸に深くよりかかる。背にあたる温もりが心地よかった。
「ねぇ、お兄ちゃん。これでどうするの?」
とりあえずヒスイの髪の毛にキスを落とし、ぬかりなく腰にしっかりと手を回してコハクは無言のまま後ろに倒れた。
「ちょっ! お兄ちゃんっ!」
コハクを下敷きにするように倒れるのだから衝撃がないのは百も承知だが、反射的に手で顔をおおい目をぎゅっとつぶる。寝転んだことで帽子も転がったのが、ふと感じた解放感から分かった。
「ヒスイ」
やんわりと優しい所作にて、その繊手が取り払われる。
「見て」
コハクの囁きに導かれ、ヒスイはそっと目をあけた。
──まるでお花が咲いてるみたいだね──
フラッシュバックしたその言葉。まさしくあの夢の光景が広がっていた。
きらきら、きらきら。風で枝葉が揺れるたび、あらゆる形を見せる光の輝き。一つとして同じものはなく、全てが尊い煌めきを放っていた。
視界いっぱいに広がる光の花園に、ヒスイは無意識に手をのばす。
「綺麗でしょ? 緑が濃くて、生き生きと息づく今のこの時期が一番綺麗なんだ」
のばした手のひらに、今にも掴めそうな程降り積もる。
「昔、ヒスイがまだちっちゃい頃、ここに来たことがあるんだよ?」
一つでも多く綺麗なものを見せてあげたくて。そしてそれらはいつもすぐそばに在ることを、知ってほしかったから。
そしてそれらに負けないくらい、ヒスイは綺麗なんだって言いたかったから。
「覚えてないよね。まだ本当にヒスイはちっちゃかったからなぁ」
体に響くコハクの声。なんでこんなに胸が熱くなるのか。
「……てる……」
「え?」
「覚えてるよ……? んーん、思い出した……私も夢をみたから……」
夢。そのキーワードにコハクが何かを言う前にヒスイが勢いよく起き上がり、自分よりはるかにたくましい胸に肘をつくようにして、光を吸収しとびきりの色を見せる紫色の瞳をのぞきこんだ。
「きらきらの光っ! お兄ちゃんが見せてくれた木漏れ日の花っ!」
その勢いと、同じ夢を同時にみたことを知り、コハクはとても驚いた顔をしていた。
でも、すぐにまた、それが笑顔にかわる。
そしてのびてくる手が、そっとヒスイの頬を撫でた。
「お兄ちゃん……?」
「ヒスイは、とても綺麗になったね」
いきなりそんなことを言うので、ヒスイは目をしばたいた。
「本当に、綺麗」
そのまま柔らかく頬をすべらせ、耳をかすめて髪の毛に指をからめる。静かにおとずれた刺激に、ヒスイは思った以上に体の芯がうずくのを感じた。
じっと見つめられれば何だか落ち着かなくなり、どぎまぎしてしまう。いつも一緒にいて、見つめてくれることには慣れているはずなのに。
ヒスイは少しだけ頬を赤らめ、そのままコハクの胸に甘えるように顔をふせた。
「い、いつものお兄ちゃんじゃない、みた、い……」
声も上ずる。
コハクはくすりと笑うと、髪の毛を撫でながら華奢な体を抱きしめた。
「たまには、ね?」
また風が吹く。木の葉が鳴れば爽やかさは倍増し、大地に落ちる木漏れ日が万華鏡のように様々に変化する。
そのどれもが、いつもより綺麗だと思った。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
「綺麗だね」
「うん、そうだね」
瞳をめぐらし、光を咲かせる木漏れ日を求めれば、透ける緑の向こう、紺碧色の澄んだ天空が広がっているのが分かった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「何?」
「今度は私のお願いきいてくれる?」
「もちろん」
速答してくれるコハクにヒスイは本当に嬉しそうに再び顔をあげる。
「お願いって?」
「あの時みたいに抱っこして欲しいな」
まさかそのようなお願いをされるとは思わなかったので一瞬きょとんとするが、すぐに反動をつけ、ヒスイを抱いたまま勢いよく起き上がる。
「どうせなら、もっと近くに行こう」
言うやいなや、その黄金の翼を広げる。
金の羽根が舞い、また別の光を生むその神々しさにヒスイが見惚れる前に、コハクは飛び立った。
そしてたくましい枝に腰かけ、膝に座らせるのではなくきちんと腕にヒスイを座らせる。
「どう?」
「うん、すごく綺麗っ! ありがとうっ!」
世界の輝きを存分に楽しみ記憶に焼きつけると、ヒスイはにっこり笑いコハクの頬を包み込む。
「お兄ちゃんも綺麗。あの時と同じだね」
「僕はかわらないから」
「もう。そうじゃなくてっ」
ぷっと頬をふくらませると、でもすぐに元通りの笑みを浮かべてその額に唇をよせる。
それはほんのかするくらいの、かるーいキス。
「ヒスイ?」
続け様にまぶたに落とし、次はほっぺた。
意地悪するように唇は避けてヒスイはキスを繰り返す。
ものほしそうなコハクの眼差しを見て、ヒスイは勝ち誇ったように口角を吊り上げた。
「ヒスイぃ……」
「ダメ。おあずけっ」
そんなヒスイにコハクはむすっ。だが、いくら唇を求めても難なくかわされてしまう。
それを見てくすくす笑うヒスイをじーっと見つめてから、コハクは満面の笑みを向けた。
唇がだめなら。
「や、やだっ、どこに……っ!」
狙うは胸元。そのためのワンピース。
きめの細かいすべやかな白い肌に、コハクは唇を滑らせる。
ここは高い木の枝の上。大きく仰け反ればバランスを崩しかねない。
もちろん、ヒスイにも同じ金色の翼があるのだからもし落ちたとしても大丈夫なのだが、いきなりな展開にすっかり頭から抜け落ちてしまっているようだ。
「あ、も……お兄、ちゃ……っ」
一際強く感じた吸いつきに、そこが熱くなりすぎたことに耐えられず、コハクの首筋にうずくまるようにしてついに降参。
「光の花だけじゃ、淋しいからね」
今度はコハクがくすりと笑う。
解放されたことにヒスイが少しあがった息を飲み込みながら胸元を見ると。
そこにはくっきりとした紅い花。
「綺麗に咲いたでしょ?」
誰もこの笑顔にはかなわない。
何を言っているのかと怒りたくもなるが、でも無理で。
ヒスイはそのままコハクの首筋に腕をからめ、思いきり抱きしめた。
「お兄ちゃん大好きっ!」
「僕もだよ」
木漏れ日咲く空の下。
二人の幸せそうな笑い声が響き渡った。
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