番外編(お題No.20)

気まぐれな月

“ヒスイとトパーズの初めての出会い”と、言えるのか微妙・・・。様々な想いが交錯しております。
   

「・・・・・・」

シトリンが床に転がっている。

放っておけば、たぶん死ぬ。

 

オレがやった。

   

トパーズ、5歳。

口の周りに付着した血痕を袖口で拭う。

 

ついにやってしまった。

“渇き”に耐えられず、妹に牙を剥いた。

 

あれほど、こっちへ来るな、と言ったのに。

 

 

(・・・父上を呼ばないと・・・)

頭は冷静に働いている。

しかし、足が動かない。

(オレに殺されかけたと知ったら、シトリンはどう思うだろう)

血の繋がりを唯一感じることのできる生き物なのに。

傷つけてしまった。

自分の片割れに、忌み嫌われるのは、いやだ。

 

(オレがシトリンを殺しかけたと知ったら、父上はどう思うだろう)

「・・・悲しむに決まってる」

 

だけど、喉が渇いて死にそうだ、なんて言えない。

言ったら絶対何とかしようとするだろう。

 

・・・本当の子供じゃないのに。

 

これ以上迷惑はかけられない。

 

 

「トパーズ・・・これは・・・」

「・・・父上・・・」

血の匂いを嗅ぎつけたオニキスが子供部屋の扉を開けた。

声をあげて呼ばなくても、来るとわかっていた。

 

 

この日を境に、オレ達は別々の部屋に分けられた。

・・・正しい判断だ。

 

そして運の良いことに、あの時のことをシトリンは何も覚えていなかった。

 

 

 

書斎で見つけた宝物。

銀髪の女。“ヒスイ”。

大抵いつも本に埋もれて眠っている。

傍に寄ると、美味しそうな匂いがして。

口の中が唾液でいっぱいになる。

“ヒスイ”は世界でいちばんのごちそうだから。

ごくっ。

喉がなる。でも。

気付かれては、いけない。

(噛んじゃだめだ。目を覚ます)

そっと口に含んで、軽く指を舐めるだけ・・・ぺろぺろと爪の先を舌で撫でる。

“ヒスイ”の味。

「ん・・・おにい・・・ちゃ・・・」

ヒスイの唇が動いて、聞こえるのは寝言。

いつもそうだった。

口から出るのは必ず“お兄ちゃん”。

オレやシトリンの名前をたったの一度だって呼んだことはない。

(・・・“お兄ちゃん”って誰だ?)

普通に考えれば兄妹だろう。

でもヒスイは“お兄ちゃん”のところへ帰るんだ。

父上を置き去りにして。

 

 

「あにうえ?そこにだれかいるのか?」

読書が苦手なシトリン。書斎まで来るのは珍しかった。

「・・・別に誰もいない。馬鹿はあっちへ行け」

いつものように冷たい言葉で追い払う。

“ヒスイ”をシトリンに見せたら話がややこしくなると思ったし、宝物を独占したい気持ちもあった。

 

憎いと思えば思うほど、綺麗に見えて。

綺麗に見えれば見えるほど、憎くなる。

 

この女がどこから来て、どこに帰るのか、今度こそ見届けてやろうと思った。

 

森の中。揺れる銀の髪を追う。

赤い屋根の屋敷は、何故今まで気がつかなかったのかと思うくらい近くにあって正直驚いた。

「おかえり、ヒスイ」

「ただいまっ!」

ヒスイが玄関に立つより早く扉が開いて“お兄ちゃん”が顔を出す。

金髪に菫色の瞳。

顔立ちもシトリンと同じだ。

遺伝子上の父親であることは確定した。

(あの男が・・・父上からヒスイを奪った)

ちぅ〜っ・・・

ただいまのキスをして、城では見たことのない顔で笑うヒスイ。

覚えているのは、そこまで。

 

 

「くすっ。ヒスイを追いかけてきたのかぁ・・・可愛いとこあるじゃないか」

 

 

突然意識を失って倒れたトパーズをコハクが抱き上げる。

(でもかなり・・・体調悪そうだ)

「えっ・・・!?ト、トパーズ!?」

コハクがトパーズを連れてリビングへ戻ると、驚いたヒスイは近くの衝立に隠れた。

「意識がないんだ、大丈夫だよ、出ておいで」

トパーズは極度の貧血で、真っ青な顔をしていた。

大丈夫、と言える状態でもないのだが、今意識を取り戻されても困るのだ。

コハクもヒスイも子供達との対面を避けていた。

 

 

「大きくなったよねぇ・・・あれからもう5年か」

自分達のベッドにトパーズを寝かせ、上から二人で覗き込む。

「わ・・・ほっぺた柔らかい〜・・・」

ヒスイは物珍しそうに、トパーズの頬をつついた。

「くす・・・今はまだ小さいけど、男の子だからすぐヒスイより大きくなるよ」

「うん」

「どんな風に成長するか、楽しみだね」

「うん」

「僕等は・・・見ているだけだけど」

「うん」

「・・・いいの?」

「何が?」

不思議顔で見上げるヒスイ。

コハクは苦笑いで頭を撫でた。

 

 

「ホントはヒスイの血のほうがいいんだろうけど。僕ので我慢してね」

 

トパーズを腕に抱いて、立っているのはバルコニー。

モルダバイト城。離れの宮殿。オニキスの住処だ。

 

噛み切った指をトパーズの口に含ませると、唇が微かに動いた。

「やっぱりキツイんだろうなぁ・・・“渇き”は」

なにせ自分は天使で。

トパーズの苦しみは、想像の範疇でしかない。

「あんまり我慢しないで、オニキスに相談するんだよ?」

その声が届いていないことを知りながら、コハクはトパーズの体をそっとベッドの上に下ろした。

 

 

バサッ・・・

 

 

「・・・会っていけばよいものを」

床に残された金色の羽根をオニキスが拾い上げる。

コハクの姿はもうどこにもない。

けれども、こうして羽根を拾うことが度々あった。

(お前が子供達の様子をちょくちょく見に来ていることぐらい知っている)

自分が“父親”だと誇示するつもりはない。

名乗り出てくれても構わないと思う。

 

「日頃あれだけ調子がいいくせに・・・変なところで意地を張る奴だ」

 

 

「・・・・・・」

目覚めたら、オニキスの部屋。

屋敷の前で意識が途絶えた筈なのに、何故ここにいるのか。

口の中に残る味は、初めてのもの。

少し違和感があった。

「・・・・・・」

認めたくない答えが出そうで、トパーズは考えるのをやめた。

  

 

数日後の食事タイム。

 

こくっ・・・

「・・・ごちそう・・・さまでした」

「・・・オレの血は旨いか?」

「・・・はい」

オニキスとトパーズの淡々とした会話。

「・・・無理をするな。そんなに青い顔をして」

「・・・・・・」

血にも相性がある。

自分の血ではトパーズを満足させることはできないと、気付いていた。

「・・・シトリンの血を、分けてもらえ」

異性の血のほうが、腹持ちがいい。

愛があればあるほど、美味しく感じるのはどの吸血鬼でも同じだろう。

そう考えての助言だった。

「そんなに飢えている状態では、人を殺しかねない」

「・・・・・・」

あの時の光景が、お互いの脳裏を過ぎる。

そのことでオニキスがトパーズを責めることはなかったが、しきりに身を案じられることになったのがトパーズにとっては逆に苦痛だった。

「何より・・・“渇き”は辛いだろう」

「・・・・・・」

「シトリンが駄目なら・・・」

“ヒスイ”

そう言いかけたオニキスの言葉を遮って。

 

「シトリンの血を」

 

だけど“シトリンには知られたくない”。

 

トパーズがそう告げると、オニキスはしばらくの間難しい顔をして黙っていたが「わかった」と、頷いた。

 

 

何故、隠そうとするのか。

(事情を話せば、シトリンは進んでトパーズに血を飲ませようとするはずだ)

そこまで考えてハッとする。

いつの間にか、吸血行為に慣れてしまった自分。

“普通”ではないのだ。

日々、血を啜って生きていることを、知られたくないと思うのは当然かもしれない。

(それにしても・・・似るものだな・・・)

 

トパーズには、痛みを一人で抱え込む癖がある。

 

(あいつのようになる前に、その癖を直してやりたいと思うが・・・)

砕けた間柄とは言い難いものがあった。

(オレに問題があるのだろうか・・・)

 

オレの表情が固いのか?

 

もっと冗談を言ったほうがいいのか?

 

子供にウケる話題は何だ?

 

考え出すとキリがない。王政そっちのけになりそうだ。

 

「・・・わからん」

 

それともやはり・・・母親が必要なのか・・・

 

はぁ〜・・・っ。

 

モルダバイト。子育てに悩む王様がひとり。

 

 

「ただいま〜!!」

そこに現れる、救いの天使シトリン。

真っ先にオニキスの元へやってくる。

 

“ただいま”には特別な響きがあって。

 

どこへ行っても必ず自分のところへ帰ってくる誰かがいること。

それは幸せ以外の何物でもない。

 

「ほら〜!みやげだ〜!」

息を切らして駆けてきたシトリンの手に握られているのは、ソフトクリーム。

右手にバニラ。左手にチョコ。

首から小銭入れをぶら下げて。

中にはメイド達の手伝いをして稼いだお駄賃が入っている。

「そふとくりぃむだぞ〜!」

そうは言ったが、半分溶けていた。

どろどろ。べたべた。もはや原型を留めていない。

真夏の炎天下の中を走ってきたのだから、それも仕方のないことだった。

「あにうえには、ばにら!」

「おにきすどのには、ちょこ!」

元気いっぱいの笑顔で差し出されたソフトクリーム。

「自分の分はどうした」

オニキスが膝を折って覗き込む。

「あ〜・・・わたしは〜・・・たべてきたっ!」

ソフトクリームはどうしたって2つしか持てない。

食べてきた、と言ったシトリンはしきりに指を舐めている。

溶けたソフトクリームで甘くなった指を。

(・・・食べてきたなんて嘘だ)

妹の癖。嘘をついている時はいつも語尾がのびる。

「アイスなんか・・・」

嫌いだ、と突き返そうとするトパーズをオニキスが制止。

「これは、お前が食べるといい」

一度は受け取ったチョコソフトをシトリンの目前に翳した。

ごくっ。

唾を飲む音。それからプルプルと頭を振って自分を戒めるシトリン。

「それはおにきすどのにたべてもらいたくて、かってきたものだから」

「・・・気持ちは嬉しいが、甘いものは滲みる」

「・・・え?」

「・・・虫歯にな」

「むしば?」

「ああ、だから、一口だけいただこう」

ぱくっ、とひと齧り。

「どうだ?うまいか?」

「ああ、旨い」

オニキスの言葉にシトリンの表情がパッと華やぐ。

「旨いが、歯が痛い。後はお前が食べてくれ」

「そ、そういうことなら・・・」

「早くしないと、溶けてなくなるぞ?」

「わわっ!」

慌てて舐めて、ぽわわ〜ん・・・

「うまいなぁ〜・・・」

 

 

「・・・・・・」

口の中に広がる、バニラ味。

程良く甘く、ひんやりと。

火照った喉を冷やしてくれる。

血液以外のものを美味しいと感じたのは、初めてだった。

「あにうえっ!うまいか?うまいか?」

シトリンは、トパーズの“うまい”が聞きたくて、ソワソワしている。

「う・・・」

「う!?」

「・・・るさい」

「・・・・・・」

シトリンの願い、叶わず。

それでもトパーズが残さず全部食べたので、満足したようだった。

 

 

その夜のこと。

 

ぐっすりと眠るシトリンの枕元にはお気に入りの小銭入れ。

真っ赤なエナメル。そして、ガマグチ。

開閉の際に、パチン、パチン、と大きな音をたてるのがポイントだ。

 

パチン。

ガマグチが鳴った。

手にしているのは・・・オニキス。

「・・・今日のお礼だ」

中味が空っぽの小銭入れ。

そこに、小さな宝石を一粒。

パチン。

 

 

 

“太陽の子”

 

シトリンはいつも光の中にいる。

 

「・・・オレ達には少し、眩しすぎるか」

トパーズと並んで、バルコニーから夏の星座を見上げる。

「・・・・・・」

オニキスが星を眺める時はいつも、心の大半をヒスイに占められている。

トパーズは知っていた。

 

 

シトリンが太陽なら、ヒスイは月。

満ちては欠ける、気まぐれな月。

 

姿を見せない新月。

 

毎晩、夜空を見上げて待っている奴等のことなんてお構いなしで。

 

気が向けば、ひょっこり顔を出す。

 

 

ヒスイは今日も書斎にいる。

今日も、と言っても2ヶ月ぶりだ。

その間、トパーズは毎日書斎で待っていた。

むにゃぁ〜・・・。

ヒスイが寝返りを打つと、唇で強く吸われた跡がいくつも残る首筋が見えた。

息を殺して傍に寄り、そのひとつをそっと舐めてみる。

「ん・・・くすぐったいよ・・・おにいちゃん・・・」

「・・・・・・」

 

気まぐれな月を捕まえる。

 

いつか、この女より大きくなったら。

 

押さえつけて、たっぷり血を吸ってやる。

 

・・・その口が、オレの名前を呼ぶまで。


+++END+++


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