45話 トキメキと疑惑
トクン。と、鈍く温かい音をたててインカ・ローズの胸が鳴った。
王宮の会議室。今は真夜中。
インカ・ローズは山積みになった書類の間からのぞくシンジュの寝顔に心惹かれた。
インカ・ローズとシンジュはオニキスの右腕として甲乙つけがたい仕事ぶりをみせていた。
そんなある晩のことだった。
仕事に追われたインカ・ローズとシンジュはお互いの姿が見えなくなるほど山になった書類に埋もれ、ほとんど徹夜で仕事をしていた。
さすがのシンジュも連日の疲れから万年筆片手にうつらうつらと、インカ・ローズも頭がボーッとしてきた。
「コーヒー入れてくるわ」
インカ・ローズは立ち上がり、給仕室に向かった。
どっしりとしたカップに濃いコーヒーを入れて戻ると、うたたねだったはずのシンジュは完全に眠ってしまっていた。
(・・・精霊でも居眠りってするのね・・・)
微笑ましい気持ちでシンジュを見た。
(肌も髪も真っ白・・・。こうしてみると文句なしに可愛いんだけどね)
近頃なぜかシンジュに好意的だ。自分でもそう思う。
(・・・仕事のできる男って好きだわ、私)
最初の出会いは決してよいものとは言えないが、一緒に仕事をしているうちに気が付くと目で追うようになっていた。
品行方正。誠心誠意。
シンジュは天職といってもよいくらいこの仕事に向いていた。
オニキスは宣言どおり自分の右腕として重要な仕事を任せたし、
シンジュもそれに応えた。
豊富な知識。公正な判断力。生真面目な性格な割には気が利き、面倒見もよかった。周囲への気配りも忘れない。
(皮肉屋だけど、信用できるわ。こいつ)
短期間のうちに城の誰もがシンジュに一目置くようになり、大臣のなかにはシンジュに信頼をおいて相談を持ちかける者まででてきた。
(なんだか妙に頼りがいがあるというか。そりゃ見た目は子供だけどさ)
インカ・ローズもシンジュを高く評価し、最近先輩風を吹かせなくなってきたところだった。
「お堅くて面白みのないヤツだと思っていたのに、なぜか話をしていると楽しいんだよね。誰と話をするよりも」
シンジュは眠り込んでいる。
もちろんこの声は聞こえない。
(・・・好き・・・なのかな。私、こいつのこと・・・)
確かな胸の高鳴りを感じながらも、その気持ちを認めてしまうのはなんとなくくやしかった。
(ライバルなの!こいつは!しかも人間じゃないんだから上手くいくわけない・・・上手く・・・いくわけ・・・)
そう思うと寂しかった。
インカ・ローズはシンジュに手を伸ばした。
シンジュのマシュマロのような頬に無性に触れたくなったのだ。
トクン。
(ちょっと触るぐらいいいよね)
そっと指で触れてみる・・・。
「・・・メノウさま・・・」
「え・・・?」
インカ・ローズはシンジュの寝言に驚いて手を引いた。
(メノウ?誰・・・?)
その時、シンジュの体が光った。
体の内側から溢れ出した光が輪郭に沿って強く輝く。
「な、なに?」
二・三歩下がってシンジュを凝視するインカ・ローズは次の瞬間大声をあげた。
「ええ〜っ!?ウソでしょ!?」
「・・・ん・・・」
シンジュが起きあがる。
自分の体の異変を感じてか、インカ・ローズの声で起こされてかは定かではない。
「・・・これは・・・」
シンジュの眠気は一気に吹き飛んだ。
成長・・・している。飛躍的に。
シンジュは二十代後半から三十代前半の青年の姿をしていた。オニキスよりも年上に見える。
(めっちゃいい男・・・)
インカ・ローズは持ち前の順応性の早さで、この状況に対応した。
しかし、なぜそうなったかよりも、目の前のシンジュの外見に心をつかまれてしまっている。
「あ・・・」
シンジュと目が合った。
時が止まったように思えた。
ドキン。ドキン。ドキン。
インカ・ローズは息もできないくらい激しくときめいている自分を感じた。
「我々精霊は・・・」
シンジュは席から立ち上がり、ときめくインカ・ローズをよそにいつもの説明を始めた。
「契約者である主人の、魔力の強弱によって姿を変えるんです」
(ヒスイ様から強い魔力が供給されている・・・。一体何が・・・)
シンジュはヒスイの身を案じた。
「ちょっと様子をみてきま・・・す・・・あれ?」
駆けだしたと同時にシンジュは少年の姿に戻ってしまった。
「元に・・・戻った・・・」
(ヒスイ様、まさかオニキスと何か・・・あった・・・?)
「え・・・あれ?」
ヒスイは天蓋付きの大きなベットの上で目を覚ました。
メノウを復活させる日取りが決まって、上機嫌で眠りにつき、
清々しく目覚めるはずのある朝のことだった。
「なんで服、きてないの?ゆうべはちゃんと寝間着をきていたはずなのに・・・」
ヒスイはぽかんとした。
下着も着けていない。完全に裸だった。
「もしかして・・・寝呆けて脱いだ??お兄ちゃんの夢みてて・・・なら有り得る・・・けど・・・」
ヒスイはコハクの美しい顔を思い浮かべてうっとりした。
(もうすぐ・・・会える。お兄ちゃん・・・)
「・・・ん?」
何気なく視線を下に落とした。自分のすぐ傍らでモゾモゾと動く物体に目が止まる。
「オ・・・オニキス!?」
ヒスイに名前を呼ばれてオニキスはハッと目を覚まし、上体を起こした。
「!?なんでオニキスも服きてないの!?」
ヒスイは悲鳴に近い怒鳴り声をあげた。
「な・・・んだ・・・これは・・・」
オニキスも茫然としている。
「どういうことよっ!!これっ!!」
ヒスイは物凄い剣幕でオニキスに詰め寄った。体を隠すことさえ忘れて。
「・・・言っておくが、オレは何もしていないぞ」
「じゃあ、なんで二人とも裸なの!?」
「知るか」
「・・・っ!!最低っ!!」
ヒスイはベットの下に脱ぎ捨ててあった服を拾い上げ、扉に向かって歩きなから袖を通した。
バタンッ!!
そして荒々しい動作で勢いよく扉を閉め、出て行ってしまった。
「・・・やはり何も覚えていないのか、アイツは・・・。“何か”に意識を乗っ取られている。間違いなく」
オニキスは髪を掻き上げ、瞳を閉じた。
昨晩の出来事を思い出す・・・。
くすくす・・・。
ヒスイの妖しげな笑い声。
「どう?抱いてみる?」
ヒスイは自分から服を脱いでオニキスの前に立った。
誘惑したのは、ヒスイだった。
「・・・お前、“誰”だ?」
「さぁ、誰でしょう?くすくす」
「・・・ヒスイはこんな事を求めてはいない。お前がもし、ヒスイの幸せを望む者なら、これ以上はやめておけ」
オニキスは取り乱すことなく真っ直ぐヒスイの目を見て言った。
「・・・ふう〜ん。なかなか立派なこと言うじゃないか」
ヒスイは、雪のように白く美しい身体を惜しげもなく見せている。
腰に右手を当てて挑発的な表情を浮かべるヒスイは、いつものヒスイとは全く違った魅力があった。
凶悪なほど美しい。
「じゃあ、ご褒美」
ヒスイが微かに唇を動かした。甘い声が漏れる。
「!?」
ヒスイはオニキスに身を寄せて、濃厚なキスをした。上手い、としか言いようのない極上のキス・・・。
「・・・・・・」
オニキスは退けることができなかった。しかし、受け入れることもしなかった。
「くすくす。これがヒスイの味だよ。どう?美味しいでしょ」
「・・・・・・」
オニキスは短く息を吐いて瞳をそらした。
「そぉ〜んなに我慢しなくていいのに」
ヒスイに弄ばれながらも、オニキスは理性を保っていた。
「かわいそうに。キミは我慢することに慣れすぎているね」
「!?」
ヒスイがオニキスを抱きしめた。
オニキスの顔がヒスイの胸に埋まった。
「・・・!?」
「スキありっ!」
ヒスイは短い呪文を唱えた。
「!?」
(しまっ・・・た・・・)
オニキスは無抵抗のまま、ヒスイの腕のなかで意識を失った。
「・・・あのあとの記憶が全くない」
オニキスは両腕を組んで溜息をついた。
(服は・・・脱がされたのか・・・?それとも自分で脱いだのか・・・?)
「・・・何もしていないと言い張ったものの、本当に何もしていないだろうな・・・?」
自分を問いつめてみても、当然答えは返ってこなかった。