56話 完全なる支配者
「ふんっ」
メノウは不機嫌な顔で、机の上の石を弾いた。
黒曜石だった。
魔石・オブシディアン・・・。
「さっさとこうしとけばよかった」
後悔してももう遅い。
「だめだなぁ・・・俺。どうしていつもこうツメが甘いんだろ・・・」
(こいつがまさかヒスイに手をかけるなんてなぁ。サンゴが死んだのはヒスイのせいだとでも思っているのか?全部俺の責任だってのに)
メノウは遠い目をして言った。
「こりゃ・・・こじれるぞ・・・」
「・・・・・・」
ヒスイはバルコニーで月を見上げていた。
大量の血で汚された床はいつの間にかキレイになっている。
こうしていると昨晩の出来事が嘘か幻のように思えた。
オニキスとはまだ顔を合わせていない。
同じ部屋にいるのに、だ。
(・・・さすがにちょっと気まずい・・・)
そんな理由から、ヒスイは外ばかり見ていた。
「・・・・・・」
もう一つの沈黙。
オニキスは黙ったまま、いきなり後ろからヒスイを抱き締めた。
「!?」
「・・・暴れるな。これ以上何もしない」
オニキスの言葉にヒスイは大人しくなった。
「そのまま黙って聞け」
「・・・・・・」
「・・・お前がどれだけ生きるか知らんが、お前の命が尽きるその時まで、共に生きることを誓う。眷族として。たとえどんなに離れていても・・・だ」
ちくん。とヒスイの胸が痛んだ。
心臓を共有しているため、その痛みはオニキスにも伝わった。
「・・・オレは“死”を望んだりはしない。だからお前は、安心して長生きすればいい」
「・・・・・・」
どんな蔑みの言葉より、ヒスイの胸を突いた。
ヒスイは無性に切ない気分を味わった。
コハクといる時にはあまり感じたことのない感情だった。
黙って俯く・・・。
「・・・穴、塞がるぞ」
「え・・・?」
オニキスがいつもと変わらない口調でそう言って、自分の右のピアスを外した。
銀の獣に襲われた時、片方失ってしまった琥珀のピアス。
オニキスは空いたヒスイの耳たぶに、そっと漆黒のピアスを通した。
そしてそのままヒスイから離れた。
「・・・オニキス様・・・」
オニキスが戻った先にはインカ・ローズとシンジュがいた。
二人ともバルコニーでのやりとりを一部始終見ていた。
「・・・ヒスイはオレを選ばない。いつかは必ずコハクのところに帰る」
オニキスは言った。
「だが、ヒスイが逝く時にオレも共に逝けるのなら・・・悪くはない」
「・・・何て顔してんのよ、アンタ・・・」
「あなたこそ」
オニキスは部屋を出て行った。
残された二人は互いの顔を見合った。
オニキスの言葉が耳について離れない。
報われないとわかっていて・・・それでも悪くはないと言う。
「・・・ヒスイ様は・・・馬鹿だわ。どうしてオニキス様を選ばないの?」
「・・・コハクより百倍まともだと思いますけどね・・・」
シンジュはバルコニーに立っているヒスイを見た。
(オニキスの言っていることは正しい。ヒスイ様はコハクしか選ばない。たぶん・・・そういう風に育てられてきたんだ)
翌日。
オニキスが吸血鬼化したという話を聞きつけて、カーネリアンがやってきた。
「カーネリアン・・・」
ヒスイは、同族でキャリアの長いカーネリアンの来訪に、少しだけ救われた気がした。
カーネリアンはヒスイを抱き締めた。
「大変だったな・・・」
「・・・うん」
「けどまぁ、思ったより元気そうだね」
「私はね」
ヒスイは肩をすくめて、ベットの方を見た。
オニキスはそれこそ死んだように眠っている。
「なに、心配はいらないよ。細胞が作り替えられてるだけさ。次に目を覚ました時は完全に吸血鬼だ。・・・まぁ、アタシ等と同じ“半”だけど・・・」
カーネリアンが意識して明るいテンポを保とうとしているのが、ヒスイにはわかった。
「・・・なぁ、ヒスイ」
「うん」
「オニキスのこと・・・どう思ってるんだい?」
「どうって?」
「・・・嫌いじゃないんだろ?」
「うん」
「じゃあ、何なんだ?」
「よく・・・わからない」
ヒスイとカーネリアンは立ち話をした。
「なら、コハクのことはどう思ってる?」
「・・・普通じゃない」
「は?」
ヒスイの答えにカーネリアンは驚いた顔をした。
「お兄ちゃんも私も普通じゃない。兄妹とか、恋人とかそんな言葉で表せない。だけど私、それでいいの。お兄ちゃんの選んだ服を着て、お兄ちゃんに手をひかれて歩く。お兄ちゃんに髪を洗ってもらって、爪を切ってもらって。頭からつま先まで全部お兄ちゃんの好きにしていいよ、って何度も思った」
「な・・・・」
カーネリアンには理解し難い感情のようだ。
「そうされるのが気持ちいいの」
くすり、とヒスイが笑う。
「そして私は、お兄ちゃんの血と、お兄ちゃんの入れたミルクティーを飲んで生きるの」
「・・・驚いた・・・。コハクはともかく、アンタはまともだと思ってたのに」
「愛に決まったカタチなんてないわ」
100歳近く年下のヒスイに愛を語られてしまった。
形無しとばかりにカーネリアンは失笑した。
(・・・コハクはヒスイのことを何でも知っている。それこそ心の裏側から、体の内側まで、全部。どんなときもヒスイの心を繋ぎ止めて離さない・・・完全なる支配者・・・)
カーネリアンはヒスイを見た。
ヒスイは無垢な微笑みで、カーネリアンを見つめ返した。
(・・・タチの悪いことに、ヒスイはすべてを承知の上でコハクに支配されることを望んでる)
「どうしようもないね、こりゃ」
カーネリアンは心底オニキスに同情した。
「・・・気分はどう?」
目を覚ましたオニキスにヒスイが訊ねた。
「別に。普通だ」
オニキスは素っ気ない。
二人きりで話がしたいからとヒスイ自ら人払いをし、部屋には他に誰もいない。
「・・・私、謝らないわよ。悪いことしたなんて思ってないもの」
「ああ」
オニキスは瞳を伏せ、短く答えた。
「お腹が空いたら好きなだけ私の血を飲めばいい」
「ああ。そうさせてもらう」
「・・・生きていればいいこともあるわ」
「・・・そうだな」
オニキスはヒスイの話に相槌を打ってから続けた。
「・・・お前が傷を負ったのはそもそもオレの責任だ」
「え・・・?」
「結界を張っておくべきだった」
「別にオニキスのせいだなんて思ってないわ」
ヒスイはふいっと横を向いた。
ヒスイとオニキスのリアクションは時折ひどく似ていた。
「・・・守ってやれなくてすまなかった」
「・・・・・・」
ヒスイは唇をきゅつと噛んでから、視線をオニキスに向けた。
「・・・血、飲んでみる?」
オニキスはベットから立ち上がった。
ヒスイの腰に手をまわし身を寄せると、生えたたての牙をヒスイの首筋に突き立てた。
今までの鬱憤を晴らすかのように、躊躇いはない。
「・・・っ」
ヒスイが小さな声をあげたが、オニキスは聞き流した。
いつになく残虐な気持ちになっていた。このまま喰ってしまいたい衝動に駆られる・・・。
(・・・お兄ちゃんの・・・嘘つき。噛まれたら・・・痛いじゃない)
ヒスイは痛みを堪えた。
この状況で痛いなどと言ってはいられない。
(・・・旨い)
オニキスは舌鼓を打った。
ヒスイの血は今まで口にしたどんなものより美味しく感じた。
(・・・これが・・・愛する者の血の味か・・・)
「・・・次、交代ね」
ヒスイが言った。
「・・・ええとなんだっけ・・・こういうの・・・」
今度はヒスイがオニキスの首筋に噛みついた。
「・・・共生」
オニキスが答える。
「そうそう、共生」
ヒスイは血を吸いながら話した。
「こうやってお互い助け合いながら生きてゆけばいいわ」
「・・・そうだな」
翌朝。
眠りから覚めたヒスイは、自分で自分に驚いた。
「うそ・・・子供に戻っちゃった・・・」
ヒスイの体は小さくなっている。
胸もぺったんこだ。
12歳のヒスイそのままの姿だった。
夕べはぴったりだったネグリジェも今では半分脱げかかっている。
ヒスイは鏡のなかの自分に問いかけた。
「なんで?どうしちゃったの?私・・・」