71話 愛すべき共犯者
「あぁぁ~っ」
コハクは頭を抱えている。
「早くヒスイ返してください」
「そんなこと言われてもなぁ・・・」
耳にタコができるぐらい「ヒスイを返せ!」を連発するコハク。
口を開けば、ヒスイ、ヒスイ、だ。
「タイミングが合わなきゃどうしようもないよ」
「気が付きましたかね、ヒスイは」
「そりゃ、さすがに気付くでしょ」
「怒られますよぉ~。ものすごぉ~く。お父さんなんて嫌い!とか言われちゃったりして~」
ヒスイの口マネをしたコハクがざまあみろとばかりに笑う。
「・・・・・・」
メノウは気まずそうに頭を掻いた。
「こうなったら、明日にでも作戦決行してください」
「わかった。任せといて」
“作戦”と言ってもメノウのすべきことはひとつしかない。
「ケルビムが学校に結界を張っているんです。熾天使の僕だけが入れない、条件結界です」
打ち合わせの場でコハクが言った。
「結界破りは割と得意なほうなんですけどね、どうしても内側からじゃないと破れないんで、メノウ様にお願いしたいんです。ケルビムに制限されたヒスイの力でなんとかなりますか?」
「お安いご用だよ。俺にできないことなんてない」
(ヒスイのフリは極めたもんね~)
メノウはヒスイになりきって登校した。
送迎係のケルビムでさえ簡単に欺くことができた。
[おはよう!“花嫁”!]
[あ。“花嫁”だ。おはよ~。]
廊下を歩くメノウに何人かの天使が挨拶をした。
(・・・なるほど。すべてが敵ってわけじゃないみたいだね)
[よっ!“花嫁”!]
教室にはいるとダイヤが真っ先に声をかけてきた。
その親しげな様子からヒスイとの仲を推測する。
[おはよう。]
メノウが挨拶をすると、ダイヤは拳を突き出してきた。
[今日は勝つぜ!!]
[うん!]
メノウはとっておきのヒスイスマイルで、ダイヤと拳を合わせた。
(へぇ・・・今時珍しい熱血少年だね。それにかなりヒスイと親しいみたいだ)
メノウの目が光る。
(ヒスイに近寄る男はみんなふるいにかけてやる。俺の目に敵った男しか、ヒスイの傍には寄らせない)
[ねぇ、何でみんな私のこと名前で呼ばないの?]
休み時間、案の定ヒスイの元へ遊びにきたダイヤにメノウが質問する。
ヒスイはこういうことに関心がない。
同じ質問はしていないだろう。
そう踏んでのことだった。
誰もがみんなヒスイのことを“花嫁”と呼ぶ。
教師でさえも。
[上級天使の“花嫁”は名前で呼んじゃいけないんだ。そういう決まりなんだよ。]
[へぇ・・・。そうなんだ。]
[だから名前は聞かない。知っちゃったらうっかり名前で呼んじゃいそうだし。]
ダイヤは下級天使、アークエンジェルだった。
一番人間に馴染みがある階級で、地上の書物に登場するのは皆このアークエンジェルと言ってもよいくらいだ。
(天使って意外なほどタテ社会なんだぁ・・・)
メノウは影でくすりと笑った。
(・・・つまんない授業・・・)
メノウは頬杖をついた。
(学校ってもっと面白いと思ってた)
授業など聞かなくてもわかる。
(けど・・・ヒスイはマジメに授業受けてるみたいだなぁ)
しっかりノートをとっている。
(こんなに一生懸命天界のこと勉強してどうするつもりなんだろ。まさかここで暮らす気でいるとか・・・?)
「・・・ありえる」
(ヒスイは極端な話、コハクさえいればいいんだもんな。ちぇっ)
「それにしても・・・眠い・・・」
午後の授業。
ケルビムの結界は昼休みに解いた。
(思ったより手こずっちゃったし・・・)
コハクに持たされた弁当を食べる時間もなかった。
(結界陣の場所、聞いといて良かったよ・・・)
数カ所にわたって描かれた結界陣。
それを見つけ出し、内容を書き換えることによって効力を打ち消す。
結界に関しての相当な知識がないとできないことだった。
出かけに、コハクから学校の見取図を受け取った。
コハクが予想した、結界のありそうな場所に印が付けられている。
「ケルビムの性格からして、たぶんこんな感じかと思うんです」
コハクの予想はすべて的中していた。
(宝探しみたいで面白かったけど・・・あれじゃあ、ヒスイにはちょっと荷が重いな)
必要なのは魔力よりも知識。
(とはいえ、やっぱり書き換えには魔力を使う訳だから・・・)
疲れた。眠い。
魔力はもう殆ど残っていない。
そして退屈な授業・・・。
空腹と睡魔がタッグを組んでメノウに襲いかかる。
(・・・やべ・・・眠くて死にそう・・・)
途切れ途切れの意識。
メノウは色々と手段を講じて睡魔と戦ったが、敗北の色が濃い。
「あぁ・・・もうホントにだめ・・・。俺、睡魔には勝てないや・・・」
「はっ!!」
(ここ・・・学校!?)
メノウと入れ替わりでヒスイが戻り、目を見開いた。
メノウから体を取り返そうと、ヒスイは一日の大半を寝て過ごした。
その甲斐あって、なんとかメノウの眠りのタイミングに合わせることができた。
だが、この先起こることは当然何も知らなかった。
「あ!ノート取らなきゃ・・・」
「・・・お父さん・・・・全然授業聞いてなかったわね・・・」
ノートは真っ白・・・ではなく落書きで一杯だった。
ヒスイには理解不能な絵が描かれている。
上手いのか下手なのかさえ謎だ。
「でもまぁ・・・許そう」
ノートの上にはヒスイ宛のメッセージが天使語で残されていた。
[ごめんね、ヒスイ。大切な俺の娘・・・]
[おいっ!あれ!]
急に窓際の席が騒がしくなった。
[セラフィムだ!!]
生徒のひとりが叫んだ。
「え・・・?お兄ちゃん??」
[ホントだ!セラフィムだ!]
[本物だ!!]
ダイヤは窓から身を乗り出している。
(お兄ちゃん・・・何かあったのかな?)
突然のコハクの来訪。
理由は全くわからない。
(忘れ物届けにきたとか・・・?)
ヒスイもダイヤと一緒になって窓から顔を出した。
金色の羽根と髪が太陽の光で輝いている。神々しく、美しい熾天使・・・。
「えっ!?ヒスイ!?」
驚いたのはコハクのほうだった。
ヒスイには当然内緒の計画だったのだ。
(さてはメノウさま・・・授業中に寝たな・・・。ヒスイが戻ってきてくれたのは嬉しいけど・・・後で怒られるのは覚悟しとかないと・・・)
コハクはヒスイに向かって微笑んだ後、窓の硝子越しに言った。
「窓、開けて。ヒスイ」
ヒスイは窓を開けた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「えへへ。ちょっとね」
「?何で剣なんて持ってるの??」
「え~と・・・これはアクセサリーみたいなもので・・・」
「はぁ~っ?」
(やりにくい・・・)
そう思いながら標的を探す。
ヒスイと話をしていたコハクが顔を上げると同時に逃げ出す者達・・・
それが標的だ。
反悪魔主義で、ヒスイに嫌がらせをしている数名の天使。
コハクはそれを追った。
「お兄ちゃん!?どこいくの!?」
廊下に飛び出した数名のグループを上から追い越し、先回りで出迎え、剣を片手に構える。
容赦なく睨み付けるその姿は迫力満点だ。
[僕が何も知らないと思うなよ。今後“花嫁”に傷を負わせるようなことがあれば・・・殺す。]
(!!お兄ちゃんのバカーっ!!!!何言ってんのォ~!!?)
コハクの後を追って廊下に出たヒスイは開いた口が塞がらなかった。
顎が外れそうなほどの大口を開けてコハクを見ている。
「超~!カッコイイぜ!!な、見た?見た?今の!」
ダイヤが隣で大興奮している。
廊下も教室も大騒ぎだ。
これまで授業をしていた教師もおろおろと見守るばかり。
[と、いうことで。]
コハクは右手に剣を持ったまま、左手をヒスイの腰にまわして、ひょいと抱き上げた。
[今日は早退しま~す。]
「お・・・おにいちゃん!?」
「えへへ」
「えへへ。じゃないわよ!なんでこんなこと・・・」
「お説教は後で聞くから・・・しっかりつかまって」
コハクは廊下の窓からヒスイを連れて飛び立った。
抜け落ちた熾天使の羽根を取り合う男子生徒。
「やっぱサイコ~!!」
ダイヤは窓から空に向かって叫んだ。
手に入れた羽根を高く翳して。
「どうして子供の喧嘩に親が出てくるようなマネするのよ!!」
「ご・・・ごめん」
一面の花畑・・・の真ん中でコハクはヒスイに散々怒られた。
「知らないフリしてくれたっていいじゃない!たった三ヶ月のことなんだから!我慢できるわよ!!」
「ごめん。心配でつい・・・」
コハクは脅しに使った剣を投げ捨て、ひたすらヒスイに謝った。
(こんなハズでは・・・もっと徹底的に潰そうと思ってたのに・・・)
「お父さんのことだって知ってたんでしょ?」
やはり飛び火してきた。
「ん・・・まぁ」
ヒスイは気の済むまで怒って、とりあえずすっきりしたらしく落ち着いた声だった。
コハクがあやふやな返答をしても、もうそれほど怒らない。
「・・・怒ってる?僕達のこと・・・」
乗っ取りに関しての主犯はメノウでコハクは共犯。
そしてこの件に関してはコハクが主犯でメノウが共犯・・・。
どうしようもない二人だ。
「・・・まぁ、過ぎた事だし・・・」
ヒスイは花畑の中に座り込んだ。
コハクも同じように腰を下ろす。
怒りが早く静まったのはこの花のせいだろうと、ヒスイは思った。
気が付けばふんわりと爽やかな香りに包まれている。
「・・・お父さん・・・私の体で変なこと・・・してないよね・・・?」
「うん。メノウ様なりにヒスイのことを考えてしたことだから。大丈夫だと思うよ」
「う~ん・・・」
ヒスイは何とも言えない顔をしている。
「メノウ様はね、ヒスイの周りにいる男を見極めてたんだよ」
「見極め・・・?」
「そうそう。変な輩をヒスイの近くに置いておく訳にはいかないでしょ。昔っから、悪い虫はヒスイに近付かせない!ってムキになってたから」
「・・・そっか」
「ちなみに僕はメノウ様のお墨付きだから大丈夫だよ」
コハクが得意顔で笑う。
「もう、お兄ちゃんってば」
相変わらず自信たっぷりのコハクの態度に、ふっとヒスイの表情から力が抜けた。
「・・・おかえり。ヒスイ」
「ただいま。お兄ちゃん」
コハクがヒスイの肩を抱く・・・。
風に舞い上がる花びらのなかで、二人は再会のキスをした。