世界はキミのために

22話 もうひとつの課題

   

旅の支度はすぐに整った。コハクはとても手際がよかった。

あっという間に荷物をまとめ、ヒスイの髪を結い上げた。

「はい。ヒスイ。これ着てね」

「なんか久しぶりにちゃんと服着た気がする」

コハクから受け取った服に着替えたヒスイは、鏡の前で笑った。

「そうだね」

コハクも同じように笑った。

  

シンジュを加え、3人は地図を覗き込んだ。

メノウに創られたこの村は当然地図に載っていない。
メノウの張った結界で普通の人間には見つけられないようになっていた。
稀に偶然だけで迷い込んでくる者もいたが、それもせいぜい10年に一度ぐらいのことだった。

「オパールさんの住んでいる精霊の森はここ」

コハクはこの地方の地図の上を指差した。

この地方は森が多かった。
地図には『forest』の文字がいくつも点在していた。
そしてコハクが指差したのは内陸の地図の中心・・・。
真っ黒に塗りつぶされた場所だった。

「ここが・・・森?」

ヒスイは軽く首を傾げた。

「まぁ、そういうことになっているかな」

コハクはにこやかに答えた。

「呪文とかで行けちゃったりしない・・・よね?」

「う〜ん。行けないことはないんだけど・・・」

コハクはそう言ってちらりとシンジュのほうを見た。

「まぁ、使わないほうが無難ですね。精霊の森まで行くのは簡単ですけど、何があるのかよくわかりもしないのに、いきなり突っ込むのは無謀というものです。いくらあなたがいても」

「そうだね・・・。昔と同じならいいんだけど・・・」

コハクは腕を組み、考えをめぐらせていた。

「たぶん、そうはいかないと思いますよ」

「移動呪文は弾かれる可能性があるか・・・」

「ですね」

ヒスイはそんな二人の会話を黙って聞いていた。

(二人とも色んなこと知ってる・・・。やっぱり大人なんだなぁ・・・)

「じゃあ、とりあえず森の入り口までは・・・」

コハクは話をまとめようとした。

「私が運びますよ。まぁ、それもヒスイ様の魔力次第ですけど」

シンジュがいきなりヒスイの名を出した。

「はぁ?私??」

「そうです。しっかりやってくださいよ」

「何をすればいいの??」

ヒスイはきょとんとした顔で尋ねた。

「乗り物をイメージしてください」

「乗り物?」

「シンジュはね、姿を自由に変えられるんだよ」

コハクが補足した。

「主人のイメージしたものにですけどね」

  

ヒスイ達は屋敷の裏手に出た。

「乗り物・・・ねぇ・・・。私とお兄ちゃんが乗れる・・・乗り物・・・。そうだ!!」

ヒスイはポンと手を叩いた。

「決まりましたか?そうしたら私の体に触れて・・・強くイメージしてください」

ヒスイは腰を低くしてシンジュの肩に手をかけた。

「ええと・・・」

瞳を閉じて心に思い描いてみる・・・。

(前に本で見た・・・白い、大きな、獣。そう・・・あれは・・・)

ヒスイのイメージが固まるにつれ、それに呼応するかの如くシンジュの体が光を放ちメキメキと姿を変えてゆく・・・。

「これは驚いた。白虎じゃないか。よく知っていたね」

コハクはヒスイの頭を撫でた。
子供の姿をしたヒスイにするのと同じように。
いい子、いい子、と。

「よくできました」

「えへへ」

「でもちょっと・・・大きすぎたかな?」

コハクは笑いを堪えながらシンジュを見た・・・見上げた。

「・・・・・・」

シンジュは雄々しく美しい白虎へと姿を変えたが、その体は小さな家一軒分は軽くあった。

「・・・まぁ、いいでしょう。もっと変なものにされるかと思っていましたから。これなら幾分マシです。想像力はまともなようで安心しました。さぁ、行きますよ」

シンジュは四肢を折って姿勢を低くし、背中に乗るように指示した。

「一言余計・・・」

ヒスイはシンジュの体によじ登りながら小さな声でぼやいた。

  

シンジュはまさに光の如く速かった。ビュンビュンと景色を飛ばし、目にも止まらぬ速さで樹海を走り抜けた。

そのスピードでまる一日走り続けて、夕方には精霊の森の入り口に辿り着いた。
徒歩なら2週間はかかる距離である。

「・・・気持ち悪い・・・」

ヒスイは乗り物酔いをしていた。目的地に到着してシンジュの足が止まると同時に背中の上でこてんと前のめりになった。

「全く情けない・・・。人間みたいなことを言って」

「うぅ・・・」

コハクはヒスイを抱きひらりとシンジュの背中から降りた。

「少し行ったところに、泉があるはずです。そこならまだ安全ですよ」

シンジュは人の形に戻りながら、くいっと顎で森を指した。

「お好きにどうぞ」

「ありがとう。シンジュ」

コハクはぐったりするヒスイをおぶって、泉のほとりに向かった。

そしてヒスイをそっと木の幹に寄りかからせた。

「そのまま少し眠るといいよ。楽になる」

  

日が完全に落ちて辺りがひんやりして来た頃、ヒスイは目を覚ました。

「ヒスイ。調子はどう?」

コハクはヒスイのすぐ傍にいた。
ヒスイがコハクの手を握って離さなかったのだ。

「うん。もう全然」

「そう。良かった。・・・ホラ見て。月が綺麗だよ」

コハクはヒスイの肩を抱いて夜空を仰いだ。

「ほんとだぁ・・・。月の光が反射して水面がキラキラしてる」

「一緒に入ろうか」

「うん!」

  

「わ・・・冷たくて気持ちいい〜!!」

ヒスイは爪先からゆっくりと泉に入っていった。

「あ、思ってたより深くない」

泉の水位はヒスイの胸の下ぐらいだった。

「こっちにおいで、ヒスイ」

コハクは先に入ってヒスイを待っていた。
柔らかな笑顔でヒスイに手を差し伸べる・・・。

ヒスイはその手をとって水面を移動した。

不意に二人の頭上が一瞬強く光った。

「?」

不思議そうな顔で頭上を見上げるヒスイにコハクが言った。

「シンジュだよ。外から見えないように結界を張ってくれたんだ」

「へぇ・・・」

「慣れているんだよ、こういうのに。メノウ様とサンゴ様で。・・・気が効くでしょ?」

「うん!ありがと〜!シンジュ!!」

ヒスイはシンジュがどこにいるのかわかならかったが、とりあえず木の影の方をみて、大きな声で言った。

「・・・・・・」

シンジュは泉に背を向けてフンと鼻を鳴らした。

ヒスイは視線をコハクに戻した。

コハクはとても愛おしそうな瞳でヒスイを見つめていた。

二人は見つめあい、微笑みあって、そして抱き合った。

二人を中心に広がる波紋・・・。

揺れる水面の音・・・。

「また・・・この役か・・・」

月の光の下で愛し合う二人の姿をシンジュは木の影から見ていた。

(・・・メノウ様・・・)

  

「お兄ちゃん・・・」

「ヒスイ・・・」

ヒスイとコハクは頭から水を滴らせていたが、シンジュの張った結界の中は暖かく少しも冷えることはなかった。

心ゆくまで愛し合った後も二人はお互いの体に腕をまわし抱き合った。

コハクはヒスイの肩にかかる濡れた髪をそっとどかして首筋にキスをした。
ヒスイもキスを返すようにコハクの首筋に唇を寄せた・・・。

コハクの鼓動が首筋からも感じられる・・・。

ヒスイは無意識にゴクリと喉を鳴らした。

そしてうっとりするような顔でコハクの首筋を・・・舐めた。

そのまま牙を剥き出しにして大きく口を開けたところでヒスイは我にかえり体を硬直させた。

(私・・・今、お兄ちゃんの血、吸おうとした!?いやだ・・・)

水面に移る自分の姿・・・口元から白い小さな牙が覗いていた。

ヒスイは思わず目を逸らした。

「どうしたの?さぁ、飲んで」

コハクはヒスイを抱きしめたまま、優しくそう言った。

「え・・・」

「喉、渇いてるんでしょう。いいよ。飲んで」

「お兄ちゃん・・・はじめからそのつもりで・・・」

「・・・飲んで。ヒスイの意志で。僕の血を」

「・・・私・・・。今までどうしていたの・・・?18年間ずっとお兄ちゃんの血を・・・?」

「・・・うん。だけどそれはヒスイの意志じゃない。特別な呪文を使って、眠っているヒスイに血を吸わせていたんだ・・・。ごめん」

コハクはそう言ってヒスイを抱く腕に力を込めた。

「その呪文・・・もしかして自分がいなくなる前に誰かに託そうとか・・・思ってなかった?」

ヒスイは探るような口調で言った。

「そうするように言われてた」

「じゃあ、もう必要ないね。誰にも教えないで。その呪文」

「・・・ヒスイがちゃんと吸えたらね」

「吸うよ。だって私、他の血飲みたくないもん」

ヒスイは強気な態度でそう言ったが、なかなかコハクに牙をたてることができなかった。
ヒスイの躊躇いが触れ合う体から伝わってきた。

「・・・ゆっくりでいいから」

「・・・噛まれたら、痛いんでしょ?」

「痛くないよ。むしろ吸われている時は気持ちがいい」

「ホント?」

「うん。ホント。だから僕を気持ちよくして。ヒスイ。さっきみたいに。・・・できるよね?」

「ん・・・。いただき・・・ますっ!」

ヒスイは目をぎゅっとつぶって、勢いよくコハクの首筋に噛み付いた。

コハクの温かく甘い血がヒスイの中に流れ込んでくる・・・。

「おいしい?ヒスイ」

ヒスイはコクンと頷いた。

「僕のミルクティーよりも?」

「・・・うん」

ゴクン、ゴクン・・・。

(・・・美味しい・・・。目眩がしそうなくらいに・・・)

しばらくしてヒスイはコハクの首筋から唇を離し、まっすぐな瞳でコハクをみた。

「でも・・・少ししょっぱい」

ヒスイの瞳から流れ落ちた涙が頬を伝ってヒスイの唇を濡らしていた。

コハクの血と混じって、ヒスイの唇を濃い桜色に染めていた。

「ヒスイ」

コハクは親指でヒスイの涙を拭った。

「可愛いよ。その牙も」

ヒスイは頬を赤らめて瞳を伏せた。白く伸びた牙が八重歯のようにもみえる。

「・・・気持ち、良かった?」

「うん。実はもう癖になってる」

コハクは甘い声でそう言って、牙の覗くヒスイの唇を塞いだ。

「ホントだ。しょっぱい」

「お兄ちゃん・・・」

「うん?」

「ご馳走さま」

ヒスイは18年分の想いを込めて言った。

「どういたしまして。シンジュがいるから、今度は倒れるまで吸っても大丈夫だよ」

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