世界はキミのために

35話 陰謀の赤い水

   

ヒスイは窓際でほおづえをついていた。

婚礼の儀で滞った業務をこなすべくオニキスは昼夜を問わず忙しくしている。
何もわからないヒスイはこの広い部屋に閉じこめられていた。

「あ〜。イライラする」

ヒスイは機嫌が悪かった。

知り合いが一人もいないこの城で、オニキスにもろくに相手にされず、

王立図書博物館への出発を指折り数える日々・・・。

オニキスの書斎にはそれはたくさんの本があったが、ヒスイの嫌いな歴史物が多かった。

ヒスイはその中から少しでも役に立ちそうなものを選んでは2階に持ってゆき、それを読んで時間を潰していた。

「ねぇ、シンジュ」

「何ですか?」

ヒスイのすぐ隣でシンジュも本を読んでいた。
シンジュはオニキスと同じ趣味のようで、机の上に歴史や政治の本を山のように積み上げて読書に没頭していた。

「暇だね・・・」

「そうですか?」

「何か話そうか」

「別にいいですけど・・・」

シンジュはオニキスのように無口ではなかったが、コハクのように饒舌でもなかった。

「でもなぁ・・・シンジュの話は気がつくとお説教になってるんだもん」

「・・・それはご自分に責任がおありなのでしょう。私だってたまには普通に会話がしたいですよ・・・」

「シンジュが重箱の隅をつつくようなことばかり言うからでしょ!」

「何言ってるんですか!隅なんかつつかなくたって問題はごろごろしてますよ!」

ヒスイとシンジュはむすっとした顔で睨みあった。

主従というよりは喧嘩友達・・・今二人はそんな関係だった。

  

コン!コン!

力強く扉を叩く音がした。

「誰!?」

ヒスイはびくっとして扉ごしに言った。

シンジュは慌ててヒスイの首に掛かったロザリオの中に戻り、部屋にはヒスイひとりが残った。

「メイド長のインカ・ローズです!」

(なんだ。インカ・ローズかぁ・・)

インカ・ローズは、ヒスイが初めてこの城に連れてこられた時の案内役だった。

オニキスの側近で、ヒスイがこの城にやってきてからは世話役としても一役買っている。

ヒスイはほっとして「どうぞ」と言いながら、自分から重い扉を開いた。

インカ・ローズはつやつやとした血色の良い顔で立っている。

(インカ・ローズは知っているのかな・・・?私があの時の子供だということ・・・)

少し前にこの城を訪れた少女と同じ銀の髪。
しかも名前まで同じときたら、ばれていないはずがないと思いつつも、直接確かめるのは気が重かった。
オニキスにも余計な事は話すなと釘を打たれている。

「あの・・・ヒスイ様??」

ヒスイは扉を少し開けたところで動きが止まっていたらしい。

インカ・ローズが不思議そうな顔でヒスイを覗き込んでいる。

「オニキス様よりヒスイ様のお相手をせよと仰せつかりまして。それで・・・これをお持ちしたのですが・・・。お部屋に入れていただいてもよろしいでしょうか?」

「あ・・・うん。どうぞ」

ヒスイは考えがまとまらないまま、インカ・ローズを招き入れた。

インカ・ローズはその手に高級なワインの瓶を持っていた。

「とても良いワインが手に入ったんですよ。お飲みになりませんか?」

「ワイン・・・ねぇ・・・」

ヒスイはお酒とはまるで縁がなかった。
家にはまったく置いていなかったし、コハクが飲んでいるところも見たことがない。

「私、そういうの飲んだことないんだけど平気かな?」

「ええ。これはアルコール度の低い果実酒なので初めての方でも飲みやすいと思いますよ。オススメです」

「へぇ・・・じゃあ、飲んでみようかなぁ・・・」

「では御用意いたします。少々お待ちを」

ヒスイに背を向け、いそいそとグラスを用意するインカ・ローズはにやりと笑った。

実は、今日はまだオニキスと顔を合わせていない。
ヒスイに言ったことはすべて嘘だった。
意図的にヒスイを酔わせて、真実を聞きだそうというインカ・ローズの作戦が今まさに実行されようとしていた。

(ラッキーだわ。これならきっとすぐに酔いがまわる。簡単に聞き出せそう。
 あの夜のヒスイ様とこのヒスイ様。絶対何か接点があるはず・・・。

 オニキス様は何も言わないけど、私は知ってる。
 オニキス様は銀の髪にこだわりがある。
 人に対して執着心のないオニキス様がわざわざ城に呼び付けた幼い少女ヒスイと、突然連れ帰って妻に迎えたヒスイ。 恐らくは同一人物)

インカ・ローズの推理は冴えわたっていた。

キラリと瞳の奥が光る・・・。

「ねぇ、一緒に飲まない?」

インカ・ローズの陰謀をよそに、ヒスイはグラスをもうひとつ追加するように言った。

「よろしいんですか?」

「もちろん」

「ではお言葉に甘えて・・・」

インカ・ローズは軽く舌で唇を舐めた。
その仕草を見てヒスイはくすくすと笑った。

「インカ・ローズはお酒が好きなんだね」

「えっ!?あ・・・はい。実は・・・」

(ヒスイ様って意外と人を見抜く目はあったりして・・・)

インカ・ローズは無類の酒好きだった。

まさに酒豪。酒にはめっぽう強く、その種類にも詳しかった。

そして今回も、口当たりが甘く飲みやすい割にはアルコール度が高いワインを用意してきていた。

  

「じゃあ、乾杯!」

ヒスイはおどけて乾杯の音頭を取り、インカ・ローズとグラスの縁をあわせた。

そして・・・一気に飲み干してしまった。

「あ・・・。おいしい・・・。ひっく」

ヒスイはいきなり目が据わって、しゃっくりをしはじめた。

「ひっく。インカ・ローズもどんどん飲んで〜!」

「お気に召していただいたようで・・・光栄ですわ」

インカ・ローズは自分が飲みたい気持ちをぐっと堪えて、ヒスイにもう一杯勧めた。

インカ・ローズの狙いどおりヒスイはすぐに酔っ払い、けらけらと陽気に笑い始めた。

しめしめと目を細め、インカ・ローズが質問に取りかかろうとした矢先・・・ヒスイは胸元のロザリオに向けて大きな声を出した。

「ほらぁ・・・シンジュもでておいでよ〜!」

(何!?ヒスイ様どうしたの?誰に話かけてるのよ〜!?)

「なんだかよくわかんないけど楽しいよぅ〜!」

「・・・・・・」

シンジュは、今や立派な酔っ払いとなったヒスイを無視し続けた。

「シンジュってば!!」

ヒスイはロザリオを手に取って大声を出した。

「でてきなさいっ!」

普段は無理強いすることのないヒスイもこのときばかりは命令口調だった。

「・・・どうなっても知りませんよ」

シンジュは投げやりな態度でヒスイとインカ・ローズの前に姿を現した。

(!!精霊!?)

インカ・ローズはシンジュを凝視した。
肌も髪も雪のように白く、唯一瞳だけがうす蒼い・・・それは淡く美しい姿だった。

思えばそれが一目惚れの瞬間だった。
インカ・ローズにとっての。

しかし今はそれどころではなかった。
初めて見る精霊の姿に驚くばかりで、生まれたての恋心に気付く余裕はない。

一方、シンジュはインカ・ローズを一瞥しただけで、特に何のリアクションも見せなかった。

驚こうが、わめこうが知ったことではないというように。

「ヒスイ様・・・いい加減にしてください。ホントに世話の焼ける・・・」

シンジュは猛烈に不機嫌な顔でヒスイを見た。

「シンジュも飲も〜!!」

ヒスイはそんなことはお構いなしで、シンジュに抱きついた。

「あぁ、もうっ!ホントに知りませんからね!なんて酒癖の悪い・・・」

シンジュは抵抗する気力も失って、そのままコハクの姿へと変化した。

「!!?」

それはインカ・ローズも知っている姿だった。

(ヒスイ様は精霊使い!?だけどそれよりもこれどういうことよ・・・!?)

「ちょっと・・・説明してもらえます?」

インカ・ローズはコハクの姿をしているシンジュに的を絞って尋ねた。

シンジュはちらっと横目でインカ・ローズ見て答えた。

「主人の愚行につきましては、後ほどご説明致しますので、少し席を外してもらえませんか?」

とりつくしまもなくそう言われ、インカ・ローズは渋々と部屋の外に出た。
しかし、お決まりのように、扉の隙間から二人の様子を伺った。

  

「ヒスイ様。しっかりして下さい」

ヒスイより背の高くなったシンジュは、ヒスイの両腕を掴んで体を揺さぶった。

「あ〜・・・。おにいちゃん」

ヒスイは完全にコハクだと思い込んでいる。
甘えた声・・・そしてコハクにしか見せない極上の笑顔でシンジュに微笑みかけた。

「違います。私はコハクじゃない」

シンジュは忌々しそうに瞳を伏せ強くそう言い聞かせたが、ヒスイの耳には届かなかった。

ヒスイはシンジュの金色に輝く長い髪を一束掴み、ぐいっとシンジュの顔を自分の方へ引き寄せた。

「だから、届かないってば」

そう言ってくすくすと笑いながら、ヒスイの方から長いキスをする・・・。

「え・・・?」

インカ・ローズはいつになく積極的なヒスイの行動に困惑した。

(なに・・・してるの!?あの人・・・お兄さんでしょ!?ブラコンにしてはちょっとやりすぎなんじゃ・・・。とにかく止めなきゃ!!)

「やめてください。ヒスイ様」

シンジュは取り乱す様子はなかったが、全身から怒りのオーラを漂わせていた。

「この顔なら中身はどうでもいいんですか!?いくら酔っているからとはいえ・・・」

シンジュの言葉を無視して、ヒスイが再び唇を寄せてきた。

「いい加減にしてください・・・わ・・・ちょっと・・・やめて・・・」

さすがにシンジュもヒスイを押し返そうと必死になった。

その時・・・。

バンッ!!

サバアッ!!

  

立て続けに二つの音が部屋に響いた。

扉を勢いよく開ける音と、バケツの水をぶちまける音。

「・・・あれ?」

ヒスイは冷たい水を頭からかぶせられ、正気に戻った。

「お兄ちゃん・・・じゃ、ない・・・。シンジュ?」

酔いがさめれば、姿だけに惑わされることはなかった。

「そうですっ!さっさと離れてくださいよっ!!」

「ご・・・ごめん。私・・・ひょっとしてお兄ちゃんと間違えて変なこと・・・」

「し・て・ま・せ・ん!」

シンジュはムキになって否定した。

「そう?それならいいんだけど・・・なんか自信なくて・・・」

ヒスイはすまなそうな顔をしながらびしょ濡れになった髪を掻き上げた。

ぼたぼたと水がしたたり落ちる・・・。

「ヒスイ様・・・一体これはどういうことですか?」

インカ・ローズは空のバケツを持ってわなわなと震えている。

「・・・見ての通りよ」

「オニキス様というものがありながら・・・よりによってお兄さんとなんて!!」

「オニキスとは何でもないわ。それにお兄ちゃんとは血が繋がってないのよ」

「何でもない・・・って!?夫婦じゃないですかっ!!」

「偽造なのよ。本当の夫婦じゃない」

「偽造!?どうしてそんな・・・」

「王族になりたかったのよ。王立図書博物館に行くために」

「オニキス様はそのこと・・・」

「勿論、知ってる」

インカ・ローズは口をぱくぱくさせたが、あまりのことに次の言葉がでてこなかった。

「他に何か問題でも?」

ヒスイは強気な態度で続けた。

「・・・それってあんまりじゃないですか!?」

「どうして?二人とも合意の上よ?あなたに言われる筋合いは・・・」

「だって!オニキス様は・・・っ!!」

インカ・ローズがそこまで言った時、オニキスが部屋に入ってきた。

「!!オニキス様!?」

「・・・扉が開いていたから何かと思えば・・・」

水浸しの床と、ずぶ濡れのヒスイ。
そして怒り震えるインカ・ローズと、コハクになったシンジュ。

オニキスは3人を順番に見ながら言った。

「・・・修羅場だな・・・」

  

「失礼しますっ!!」

インカ・ローズは、くやしそうに唇を噛んでオニキスを見たあと、脇をすり抜け早足で出て行った。

シンジュは自分の意志で元の姿に戻った。

「くしゅん!」

ヒスイはくしゃみをした。

「・・・とにかく着替えてこい」

「うん・・・」

ヒスイは何度もくしゃみをしながら、衣装部屋へ入っていった。

  

「・・・インカ・ローズにやられたか」

オニキスはテーブルの上に残されたワインの瓶を手に取り、中味を一気に飲み干した。

「・・・酒とはいえんな。これで酔ったのか、ヒスイは」

「お酒は初めてだそうです。酒癖が非常に悪いようで」

シンジュはむっつりとふくれたまま、オニキスに説明した。

「・・・今後気をつけよう」

オニキスはコハクになったシンジュを見た時点で、ヒスイがどんな風に酒癖が悪かったのか、簡単に理解できた。

「お前も災難だったな」

「ええ・・・」

シンジュは疲れきった顔で頷いた。

「でも、良かったんですか?今の女性にバレてしまいましたよ」

「ローズか・・・。あいつは以前ヒスイに会っている。隠すだけ無駄だ。早いうちに真実を明かして味方につけるつもりだったが、まさか向こうから動いてくるとはな」

「・・・・・・」

「シンジュ。お前も今後は姿を隠す必要はない。出たり消えたりするほうがよっぽど不自然だ」

「そうなればあなたもヒスイ様に手出しできませんが?」

「別に構わない。そうするつもりもないからな」

オニキスはシンジュを封印した晩の事には触れなかった。

シンジュも同じように黙っていた。

(闇の精霊使い、オニキス・・・。敵にまわすには厄介な相手だな・・・)

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