41話 恋の花咲くとき
「まずいことになったわ・・・」
ヒスイはいつになく神妙な顔つきでオニキスに打ち明けた。
「実はこれ・・・」
「・・・・・・」
「・・・そんな目で見ないでよ・・・」
ヒスイが差し出した物を見て、オニキスはやってくれたな、という目でヒスイを見た。
「べ、別に盗んできた訳じゃないのよ!髪の毛に絡まっていたの。気が付かなくて、ここまできちゃった・・・」
帰りの馬車でのやり取りである。
目的を果たした一行は早々にスファレライトから引き上げることにした。
早朝出発すれば深夜には自国に戻れる距離だったので、王立図書博物館から帰還してまもなく出発という運びになったのだった。
一行は睡眠時間を犠牲にしながら日の出と共に旅立った。
ヒスイ達が乗り込んだ馬車は行きと同様インカ・ローズが手綱を握っている。
そして今はもう夕暮れ・・・モルダバイトまであと半分という距離まできていた。
ヒスイが手に握っていたのは立派な懐中時計だった。
とはいえ特殊な素材で作られており、重量としては、髪に絡まっていたとしても到底気が付かないくらい軽いものだった。
「はあぁ〜っ・・・」
シンジュはこれ以上ない程の深い溜息でヒスイを責めた。
「間違いなくこれは王立図書博物館のものですね」
「・・・どうしよう。やっちゃった・・・」
さすがにヒスイもまずいと思ったらしく、沈んだ声で呟いた。
「・・・とにかく引き返す。大事になるまえに元の場所へ戻すぞ」
オニキスは淡々としたものだった。
ヒスイの失敗は伏せたまま、もっともらしい理由をでっちあげ、引き返すことを部下達に告げる。
誰一人として文句を言う者はいなかった。
ヒスイは心のなかで皆に謝罪した。
「わたしって・・・馬鹿!?」
ヒスイは大声で自分をなじった。
「王立図書博物館にあったものだもの。普通の時計なワケないじゃない。なのになんでネジ巻いちゃうかなぁ・・・」
半分泣きそうな顔で、右手には例の懐中時計を握っている。
ヒスイは懐中時計をじっと見つめながら、これまでの行動を振り返った。
夜通しで馬車を走らせるには、人間も馬も休息が必要だというシンジュの提案で、一行は一旦足を止めた。
乾いた大地の続く荒野の真ん中だったが、シンジュが近くのオアシスまで誘導した。
普通の人間には見つけることのできないオアシス・・・。
こんなところにオアシスが・・・とインカ・ローズを筆頭に皆、驚きの声をあげた。
そして皆が思い思いに休息を取り始めた頃だった。
ヒスイも馬車から降りて、地平線に沈む美しい夕焼けを見た。
(・・・お兄ちゃんがいっちゃったのもこんな夕焼けの日だった・・・)
切なくなってそっとピアスに触れてみる・・・。
コハクのピアスはヒスイを支える大切な思い出の品だった。
この先も何と言われようと外す気はない。
ヒスイはピアスをいじりながら皆から少し離れた木陰まで歩いた。
そして今度は懐中時計を取り出して、ぶらりと目の前にぶら下げてみた。
「・・・確かに立派だけど・・・こうしてみていると普通の懐中時計とあまり変わらないみたい・・・。へぇ・・・どれどれ、ここがこうなって・・・」
ヒスイはおもむろに懐中時計の蓋を開けた。
時刻を示す針は完全に止まっていた。
(問題はその後よね・・・。なんかそれ見てたらものすごくネジを巻きたくなって・・・巻かなきゃいけない気がして・・・)
「考えるより先に手が動いてました・・・なんて、理由にならないよね・・・」
ヒスイは途方に暮れた。
「ここ・・・どこなんだろ・・・」
日没寸前だったはずなのに、ここではまだ太陽が高い位置にあった。
それはヒスイがただならぬ事態に陥ったことを証明していた。
(私ってこんなのばっかりだよね・・・。さすがにここまで馬鹿だと自分でもマズイ気がしてきた・・・)
「あ〜あ。シンジュもオニキスも呆れてるだろうなぁ・・・。とにかく一刻も早く戻らないと・・・」
周囲には木しかない。
森・・・のようだが、どこの森かは全く見当もつかなかった。
足元の植物や木の種類からして自分のよく知る森でないことだけは確かだった。
「・・・ん?なんかニオイがする・・・」
ヒスイは漂ってきたニオイを敏感に感じ取った。
「・・・焦げ臭い・・・」
(近くで火事でも・・・?)
ヒスイはニオイを辿っていくことにした。
咳き込みそうなニオイを嗅ぎながら迷うことなく前進してゆく・・・。
道なき道を十分程歩いたところで一気に視界が開けた。
「!!?」
そこは一面の焼け野原だった。
今しがた焼き払われたばかりのようで、まだあちこちに残り火があった。
「なんなの・・・これ・・・」
本でしか見たことのないような光景だった。
「一体誰がこんなこと・・・」
ヒスイは視線を泳がせた。
(えっ!!?)
「お・・・おにいちゃん!?」
ヒスイの心臓が張り裂けんばかりに高鳴った。
バクバクと大きな音をたてているのが自分でもよくわかる。
視線の先には紛れもないコハクの姿・・・。
ヒスイは、焼け焦げ倒れた木々をまたいで駆け寄ろうとしたが、妙な違和感を感じて足を止めた。
「お兄ちゃん・・・だけど・・・なんか違う・・・」
コハクは見慣れた神父服を身に纏っていたが、長い金の髪を後ろできつく結んでいた。
ゆるい三つ編み姿のコハクしか見たことのないヒスイにはそれだけでも充分違和感があった。
それに加えコハクは右手に大きな剣を持っている。
強力な炎の魔法を付加した魔法剣・・・。
恐らくその剣でこの辺一帯を焼き払ったのだろう。
「あれ・・・?なんかずいぶん男っぽいけど・・・お兄ちゃんだよね・・・」
そこにいたのは表情も仕草もヒスイの知るコハクとは全く異なるコハクだった。
ヒスイは目を疑った。
「お兄ちゃん・・・知らない人・・・みたい・・・」
息が詰まりそうだ。気後れして声をかけることができない。
あれほど再会を望んでいたというのに。
(私の知らないお兄ちゃんって・・・まさか・・・)
ヒスイはひとつの答えにたどり着いた。
それは以前オパールとカーネリアンの口から明かされたコハクの過去。
(お兄ちゃんとお父さんで、たくさんの悪魔を殺したって・・・)
「じゃあ、ここは・・・過去!?」
(そんなベタな・・・。でもそうとしか思えない)
ヒスイはじりじりとコハクの側へ寄り、焼けずに残っていた森側の低木の影に身を潜めた。
そこから息を殺してコハクの様子を窺う・・・。
「僕に勝てるとでも思っていたの?」
コハクは地面に膝をついているボロボロの天使に剣先を向けた。
「最高の契約者を見つけたんだ。君が何と言おうと僕は戻らない」
美しく整った顔に浮かべた微笑みは心まで凍てつくような冷たいものだった。
「じゃあね、ケルビム」
無抵抗の天使にコハクは容赦なく剣を振り下ろした。
ガツン!と鈍い音が響いた。
ヒスイが飛び出し、コハクの剣を止めた。
ヒスイは反射的に落ちていた太い木の枝を拾い、炎の剣を防ぐ為の防御呪文を施した。
そして、冷酷に微笑むコハクと今にも命を奪われそうな天使の間に割って入ったのだった。
「早く逃げて!!」
ヒスイは背後でうずくまっている天使に声をかけた。
体のあちこちから血が滲み、とても痛々しい姿をしている。
「早く!!」
「・・・・・・恩にきる」
バサリと重い羽音がして天使が飛び立った。
それを確認すると、ヒスイは炎の剣を押し返しながら、キッとコハクを睨みつけた。
「何やってるのよっ!!こんなことしてっ!!」
「・・・君、誰?」
コハクはヒスイの登場に目を丸くしつつも、剣を引く気配はなかった。
(なによ・・・私を知らないお兄ちゃんなんかっ!!)
「バカアァァァッ!!」
ヒスイはいきなりコハクを殴りつけた。
しかも平手打ちなどではなくキレのある見事なストレートパンチだった。
「!?」
ヒスイのパンチはコハクの不意をついて右の頬にクリーンヒットした。
コハクは体勢を崩してフラフラと後ろに下がった。
さすがのコハクも何が何だかわからないという顔をしている。
「私だって・・・悪魔なんだよっ!!」
コハクを怒鳴りつけたヒスイはいきなりコハクに抱きついた。
「!!?」
コハクは剣を落とした。完全にヒスイのペースに巻き込まれている。
「好きっ!」
ヒスイは自分でも明らかに不審な行動をしているとわかっていたが、実際コハクを前にしてしまうと感情を押さえることができなかった。
「え・・・?」
コハクは驚きの連続で、もはや冷たい表情どころではなくなっていた。
殴られて腫れ上がった右の頬だけでなく左の頬まで赤く染めて、ぽかんとしている。
「あの・・・君は・・・」
コハクがヒスイの肩ごしに声をかけた。
ヒスイはコハクにぎゅっと強く抱きついたまま、強烈な眠気に襲われていた。
「わたし・・・は・・・」
ヒスイはやっとの思いでそこまで口にしたが、眠りに落ちる瞬間のように一気に気が遠くなった。
「!?」
すぅっとヒスイの体が透けた。
そして無念にも言葉を続けることができないままフッとコハクの元から消え去った。
「・・・一体何だったんだ?」
コハクは剣を拾うこともせず、その場に立ち尽くした。
まだ少し赤い顔をしている。
「何してるの?お前」
「あ・・・メノウさま」
コハクの前にメノウが現れた。
メノウもまたコハク同様、悪魔と森を
容赦なく焼き払ってきたところだった。
「ぷっ!何それ、誰にやられたの?」
メノウはコハクの顔を見るなり吹き出して笑った。
「お前を殴れる悪魔なんかそういないだろ?」
「はぁ・・・そうなんですけど・・・」
コハクは半分夢をみているような口調で言った。
「銀の髪の女性で・・・メノウ様と同じ顔をしていました・・・」
「銀の髪?なら悪魔だね。それに何?オレと同じ顔?夢でもみたんじゃないの?」
「僕の剣を木の枝で止めたんです・・・」
「はぁっ?木の枝でお前の剣を止めるなんてことできるわけないだろ。
そんなことできるとしたらオレぐらいだ」
「そうですよねぇ・・・」
コハクはヒスイが投げ捨てた木の枝を見つめながら首をひねった。
(彼女は自分を悪魔だと言った。だけど普通の悪魔が僕に触れたら一瞬で塵になるはずだ。それなのに、僕に抱きついて平気だった・・・。
一体何者なんだ?それに・・・好きって・・・)
コハクは頬を押さえて再び赤くなった。
その様子をメノウが横目で見て笑った。
「ホントにどうしちゃったの?お前でも赤面することあるんだね。初めてみたよ」
「・・・そうかも・・・しれませんね・・・。僕だってこんな気持ち初めてです・・・」
コハクは口に手をあてて更に赤くなった。
「・・・大丈夫?お前ひょっとして疲れてる?確かにここんとこ殺りっぱなしだったけどさぁ・・・。その反応はちょっとあり得ないでしょ・・・」
これまでの話に半信半疑のメノウは、今までと全く様子の違うコハクの姿に困惑した。
「その顔・・・誰にやられたか知らないけど・・・思いっきり殴られて頭のネジ飛んじゃったんじゃない?」
「はい。たぶん・・・飛んじゃいました」