世界はキミのために

42話 恋愛トラベル

   

「う〜ん・・・」

ヒスイはごく自然に、眠りから覚めるようにして瞳を開けた。

「・・・ここ、知ってる」

家の裏庭だった。

ヒスイはむくりと起きあがった。

「そうなんですよぉ〜、でね、ヒスイったら・・・」

(お兄ちゃんの声だ!)

その声にピクリと反応し、ヒスイは建物の影に隠れた。

(さっきはとんでもないことしちゃったけど・・・。

ここが過去なら介入しちゃいけないのよね・・・。たぶん)

「お兄ちゃん・・・だ」

コハクの姿を確認するなりホッとした。

そこにいたのはヒスイのよく知るコハクだった。

隣にはメノウもいる。

「あの人がお父さん・・・。ホントだ。同じ顔してる・・・」

ヒスイはくすぐったいような気持ちになった。

「お兄ちゃんがだっこしてるの・・・私?」

コハクは大事そうに赤ん坊を抱えていた。

にこにこしながら赤ん坊のヒスイを見つめている。

先程のコハクに比べると驚く程の変貌ぶりだった。

「お兄ちゃんってば・・・あのあとどうしたのかな・・・」

ヒスイはくすくすと笑った。

「ヒスイ返して」

メノウがコハクに言う。

「ええっ!?もう!?」

「当たり前でしょ。ヒスイはオレの娘だからね」

「う・・・」

「悪い虫がつかないように、しっかり見張ってないと」
と、言ってメノウはコハクに視線を投げた。

コハクは目を合わせないようにそっぽを向いて、口笛を吹くような仕草をしていた。

(おとうさんも・・・私のこと可愛がってくれてたんだなぁ・・・。なんかこうして見ると妙に照れ臭い・・・)

ヒスイはその場から離れた。

「それにしても疲れた・・・。お兄ちゃんの剣を受けるのにほとんど魔力使っちゃったし・・・。眠い・・・。どこかで少し休みたいなぁ・・・」

ヒスイはふらふらと屋敷のなかにはいっていき、二階にあるコハクの部屋で足を止めた。

「私の部屋はまだないから、お兄ちゃんのベッド借りようっと。まだお昼だし、しばらく戻ってこないでしょ」

ヒスイはベッドに潜り込んだ。

「あ〜・・・お兄ちゃんのニオイがする〜・・・。初めてお兄ちゃんとしたときのことを思いだすなぁ・・・って私何言ってんの!?」

ヒスイはカアッと赤くなり、自分で突っ込みを入れた。

(会いたいなぁ・・・。私のお兄ちゃんに。今頃どうしているかな。

 ここのお兄ちゃんはここの私のものだもんね・・・。声をかける訳にもいかないし・・・)

ベッドの上でそんなことを考えているうちに、ヒスイはすっかり眠り込んでしまった。

  

「・・・ヒスイ、ですよね?」

「だね」

「綺麗ですねぇ・・・。やっぱり」

「当たり前でしょ。オレとサンゴの娘だよ。どっちに転んだって、美人に決まってる」

ベッドですやすやと寝息を立てているヒスイをメノウとコハクが覗き込んだ。

「で、どうします?」

「気付かないフリをするよ。オレ達は魔力があるから“未来”と接触することができるけど、普通の人間に“未来”からの来訪者は見えないはずだ。だから、声をかけたりしちゃだめだよ」

「はい」

コハクは頷いた。

「さ、いくよ」

「はい。すぐ行きます」


先に部屋から出て行くメノウにそう言って、コハクはその場に残った。

そして再び、ベッドで眠るヒスイを覗き込んだ。

(やっぱりあの時、僕を殴ったのはヒスイだったのか)

コハクは右の頬に手をやって嬉しそうに笑った。

(あれ・・・?僕のピアス・・・してる・・・?)

コハクがそっとヒスイの耳にかかった髪をはらうと、あらわになったヒスイの耳からは琥珀のピアスが見えた。

(まさか、本当に僕のこと好きになってくれるのかな)

コハクはますます嬉しそうな顔をして笑った。

その時、ヒスイがぱちりと両目を開いた。

「あ・・・」

ヒスイとコハクはばっちりと目が合った。

「おにい・・・ちゃん・・・」

ヒスイは上体を起こしてコハクを見つめた。

「こんにちわ」

コハクは爽やかな笑顔でヒスイに挨拶をした。

「こ・・・こんにちわ・・・」

ヒスイは躊躇いがちに小さな声で挨拶を返した。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

お互いとりあえず挨拶を交わしたものの、どうすればいいのかわからなかった。

(何やってるの・・・ここにいちゃだめじゃない。早く行かなきゃ・・・)

ヒスイは必死になって自分にそう言い聞かせたが、なかなかその場から立ち去ることができなかった。
コハクから視線を外すことができない・・・。

「・・・あのときみたいに、抱きついてくれないの?」

コハクがくすっと笑って言った。

「お兄ちゃんっ!!」

ヒスイはまたコハクに抱きついた。
今度はコハクも抱き返してきた。

ヒスイに両腕をまわし、きゅっと抱きしめる・・・。

「・・・まずいなぁ・・・」

とコハクが口を開いた。その声には笑いが混じっていた。

「“未来”と接触しちゃいけないのに・・・離したくない」

困ったように微笑むコハク。

「・・・私も」

ヒスイは腕に力を込めた。

「・・・未来の僕はちゃんとヒスイを幸せにできてる?」

コハクは瞳を伏せ、柔らかなトーンでヒスイに尋ねた。

「うんっ!」

ヒスイは元気良くそう返事をして、コハクから少し体を離した。
それから二人は見つめ合い、笑いあって同時に瞳を閉じた。

ほとんど無意識に、そうするのがあたりまえのように二人は唇を寄せ合う・・・。

「うわあぁぁ〜ん!!」

一階で赤ん坊のヒスイが鳴きだした。とても大きな声で。

二人はハッとしてキスを交わす前に離れた。

「ごめん・・・さすがにこれはだめだよね」

「ん・・・・そうだね・・・」

それぞれ口元を手で覆いながら、赤い顔で俯く二人・・・。

「ちっちゃなヒスイが呼んでるよ。お兄ちゃんどこ〜?って」

「大変だ。早く行かなきゃ」

「私も・・・もう行くね」

他に行くあてがある訳でもなかったが、ヒスイはそう言ってコハクよりも早く部屋の出口に向かった。
ドアノブに手を掛けたまま最後にコハクをひと目見ようと振り返る。

「またね、ヒスイ」

コハクは明るく笑って言った。

「うん!また!きっと!!」

  

ヒスイは勢いよくドアを開けて飛び出した。

同時に、泣きじゃくるヒスイを抱いたメノウが視界に飛び込んできた。

「コハク〜。ヒスイが泣きやまないよ・・・っと・・・あれ?」

メノウが階段下からヒスイを見上げている。同じ顔で。

「おとうさん!?」

「うわ・・・っ・・・」

階段を駆け下りようとした矢先にメノウと出くわしたので、ヒスイは驚いて階段から足を踏み外した。

「きゃあぁっ!」

後ろでコハクの呼ぶ声がする。

けれどもヒスイは階段を転がり落ちる前に、パッとその場から姿を消してしまった。

「なんだかせわしないね・・・」

メノウはさして驚く様子もなく、赤ん坊のヒスイをあやしながら階段をのぼった。

「ええ。ホントに・・・」

コハクは少しの間ヒスイが消えた空間を眺めていたが、ヒスイのぐずる声が聞こえて我に返った。

「ヒスイが泣きやまなくてさぁ・・・」

メノウからヒスイを受け取ってぽんぽんと優しく背中を叩く。

するとヒスイはぴたりと泣きやんだ。

「お前、上手いよなぁ。ヒスイの機嫌とるの」

「いやぁ・・・それほどでも」

「ところでさ、お前あっちのヒスイに悪さしなかった?」

「し・・・してませんよ」

コハクはドキッとしつつも一応は否定した。

「・・・だめだって言ったでしょ」

目を反らすコハクの様子を見て、確信したようにメノウが言った。
コハクには弁解の余地もない。

「えへへ・・・すみません」

コハクは愛嬌のある微笑みを浮かべながら頭を掻いた。

「あ!でもほんの少しですよ、本当に」

「はぁ〜っ・・・。お前には何言っても無駄な気がしてきた・・・」

「ねぇ、メノウさま」

「何?」

「ヒスイ、くださいv」

「・・・誰がやるか。ボケ!」

メノウはコハクを足蹴にした・・・つもりだったが、コハクはさっとそれをかわして話を続けた。

「もちろん無理強いするつもりはありませんが、それでも、もしヒスイが僕を選んでくれたら・・・その時はきっちりいただきますからね」

(・・・こういうときは本気なんだよね、こいつ・・・)

いつもはやられっぱなしのコハクが自分の攻撃から身をかわした時点で、メノウは悟った。

(・・・こうなるともうホントに何を言っても無駄だろうな。こいつすげぇ頑固だし・・・)

そんなことを思いながら「ばぁか、誰がお前なんかに」

と、言ってメノウは笑った。

「気が早いっつうの」

「・・・まぁ、それもそうですね・・・」

コハクは真剣な表情を緩め、肩をすくめた。

「早く大きくなって僕を愛してね、ヒスイ」

高い高いをしながら、愛おしそうにヒスイを見上げてコハクが言った。

ヒスイはキャッ!キャッ!とご機嫌な声を上げた。

「あ〜ぁ。早速悪い虫が付いちゃったね」

楽しそうに笑うヒスイにつられて笑いながらメノウが言った。

  

「ぎゃっ!!」

ドスン!と大きな音を立ててヒスイは豪快にしりもちをついた。

何もない空間から突如として現れたヒスイ。

「いたたたた・・・。今度はどこよ、一体・・・」

ヒスイはこの時間移動の旅に慣れつつあった。

(ここも・・・知っている場所だ・・・。そう・・・ここは・・・城下の教会・・・。なんでこんなとこに・・・?しかも夜だし)

打ちつけたお尻の痛みで、ヒスイはなかなか立ち上がることができなかった。
床に座り込んだまま俯いてじっとしている。
教会は静寂そのものだった。

「お前・・・“何”だ?」

突然、夜の教会に声が響いた。

聞き覚えのあるような、ないようなその声にヒスイは顔を上げた。

そこには十歳にも満たない黒髪の子供が立っていた。

「オニ・・・キス?」

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