世界はキミのために

49話 同じ穴のムジナ

   

「信じられない・・・」

オパールはかつて氷壁があったその場所で驚きのあまり硬直した。

隣で同じようにカーネリアンも固まっている。

「一体、何が起きたっていうんだい・・・これは・・・」

そこにはもう何もない。

オブシディアンという名の銀の獣が封じられていた氷壁・・・それが跡形もなく消え去っていた。

「・・・こんなことができるのはメノウだけだと思っていたわ・・・」

「・・・そうだな」

二人は周囲の気配を探りながら言葉を交わした。互いに目は合わせない。

「自力で・・・やぶったのか?」

「わからない・・・。だけど、とにかく危険ね。“彼”とまともに闘り合うことができるのはメノウか・・・コハクぐらいしかいないもの」

「お手上げだな。二人ともここにはいない」

「そうね」

いつもならここはひんやりとした風が吹き抜ける場所だった。
氷壁がなくなった今、二人は乾ききった風を全身に感じている。

「オニキスはだめだよ。この国の柱だ。無茶はさせられない」

「・・・・・・」

先回りしたカーネリアンの言葉に、オパールは溜息をつくしかなかった。

「ファントムを・・・動かす。メンバー総動員すりゃ、なんとかなるだろ」

「・・・それには及ばないわ。恐らく」

オパールはカーネリアンを制止した。

「何でだ?」

「確かに野放しにしておくのは危険だけれど・・・“彼”はメノウとの決着を望んでいる。だから・・・メノウの復活を邪魔することはないと思う」

「そりゃあ、なぁ」

カーネリアンは子供の姿をしている。
姉貴分としての見栄からかヒスイの前では大人の姿を保っているカーネリアンも、普段はこうして力を温存していた。

「けど、同じ吸血鬼として言わせてもらうなら、まずは腹ごしらえだ。無関係な人間を襲う可能性は充分ある。もう手遅れかもしれないけどね。さて、どうする?」

「どのみち今の戦力ではまともに戦えないわ。とにかく今はメノウの復活を急ぐしかない」

「だな」

「“彼”がこの森から出られないように結界を張るわ」

そうは言ったものの、森からはもはや何の気配も感じない。

「・・・手遅れかもしれないけど、やれるだけのことはやる。ファントムを動かせるなら、この付近の村や町の警護にあたって」

「・・・わかった」

  

「・・・風邪ですね」

オニキスは主治医にそう宣告された。

とはいえ、本人は高熱にうなされてほとんど意識がない。

「・・・・・・」

ヒスイは腕を組んでオニキスを見下ろした。

(ちょっと責任感じちゃうわね・・・)

メノウを復活させるにあたり、下見に行った二日前のことだった。

普段から薄着のヒスイはその日も布の少ない服装をしていた。

氷壁の周辺は想像以上にひんやりと寒く、ヒスイはぶるぶると震えだした。

「・・・これでも着ていろ。風邪でもひかれたら面倒だ」

オニキスは自分の上着をヒスイに着せた・・・ところまでは良かったが、代わりに自分が風邪をひく羽目になったのだった。

「オニキス様の場合、日頃の疲れもあるのでしょう。しばらくは絶対安静です」

主治医はオニキスに注射を三本打って、部屋を後にした。

インカ・ローズが人払いをしたため、一国の王子が寝込んでいるにも関わらず、看病にあたるのはヒスイだけになっていた。

(看病なんてしたこと・・・ない。お兄ちゃん全然病気しなかったし。私はよく熱を出したけど・・・。そっか!お兄ちゃんがしてくれたみたいにすればいいのよね!)

ヒスイは冷たい手でオニキスの額に触れた。

「・・・ヒスイ・・・?」

オニキスがうっすらと瞳を開ける。

「うん」

「・・・そばに・・・」

「うん。いるよ?」

「・・・よるな・・・」

「はぁ?」

何よ。人が折角看病してあげようと・・・ヒスイは言い返そうとしてオニキスを見たが、さすがに気の毒になって黙った。

そして黙々と看病を続けた。

  

ドカーン!!

翌朝のことだった。

景気のよい爆発音でオニキスは目を覚ました。

「・・・なにを・・・しているんだ?あいつは・・・」

キッチンから黒い煙がモクモクと立ちのぼっている。

オニキスはゴホゴホと咳をしながら体を起こし、キッチンに向かった。

怪しげな煙のせいでオニキスは更に激しく咳込んだ。

「・・・化学の実験か?」

もうそうとしか思えない。

鼻が詰まっているオニキスにもわかるくらいの悪臭が漂う。

「・・・違うわよ。料理してるの!」

「・・・お前が?」

「そうよ!おかゆつくろうと思っ・・・て・・・」

テーブルの上には黒こげの・・・おそらく鍋だったと思われる物体が置いてある。
しかし、それ以上に目立ったのは、コンロに面した壁だった。

煤で真っ黒な上に、穴が開きかけている。

オニキスは溜息をついた。

「とにかく・・・順を追って説明しろ」

そしてヒスイに事の顛末を説明させた。

「ええと・・・お鍋を火にかけてたら、そのままうたた寝しちゃって・・・火が近くにあった本に燃え移ったみたいなの・・・つまり、火事よね」

ヒスイは両腕を組み、真顔で言った。

「・・・それで?」

「・・・目が覚めたら、コンロのまわりが燃えてて・・・慌てて消そうとしたんだけど、寝起きだったから、呪文間違っちゃって・・・」

「爆発させた、と」

「ごめんなさい・・・」

「それで、お前が作ったというのは・・・」

「これ」

謎の黒い物体にしか見えない鍋をヒスイが指さした。

中には、お焦げを通り越して灰になりかけている見るも無惨なおかゆが残っていた。

「・・・・・・食ったら死にそうな出来だな」

「しょ、しょうがないじゃない!料理なんて初めてしたんだからっ!」

「・・・・・・」

オニキスは鍋の中の粉っぽい物質をひとつまみして食べた。

「・・・不味い」

ヒスイも同じようにしてつまんだ。

「・・・う・・・もはやこれは食べ物とは呼べないわね・・・」

オニキスの咳に対抗するかの如く、ゲボゲホと激しくむせた。

オニキスは黙って口をもぐもぐさせている。
もともと寄り気味の眉を更に寄せて、なんとか飲み込もうと必死になっているようだった。

なんとかそれに成功すると再び咳をして「まずい」と繰り返した。

まずいを連発されて落ち込むかと思いきや、ヒスイは逆に笑い出した。

「オニキスはいつも本当の事を言ってくれるね」

「?何だ?急に」

「ううん。何となく。こんなものでもお兄ちゃんだったら絶対おいしいって言い張っただろうな、って」

「確かに・・・あいつならどんな不味いものを食わされたって、お前の作ったものなら美味いと言うだろうな。オレはあいつのように甘くはないぞ」

「それでいいの。どっちが私の為になるかと言えば、たぶんオニキスやシンジュのようにダメなものはダメって言ってくれるほうだと思うのよね。やっぱりそういう人が一人ぐらい傍にいないと・・・」

「・・・オレは嘘はつかない」

「うん。わかってるよ」

「・・・わかってない」

オニキスは溜息混じりに小さな声で呟いた。

  

「熱、下がったみたいだね。よかった」

オニキスの額にヒスイの指がそっと触れた。

「・・・ついてるぞ」

ヒスイの頬に黒い粒がついている。

オニキスはそれをとって自分の口に運んだ。

「あ・・・それやばいって・・・。体に悪いよ・・・」

ヒスイは気まずそうにオニキスの瞳を覗き込んだ。

「・・・・・・」

オニキスは何も答えず、間近にあるヒスイの顔をじっと見つめた。

「?」

無防備にオニキスを見つめ返すヒスイ。

オニキスの両目はヒスイの姿をしっかりと捉えていた。

そして視線はヒスイの唇へと絞り込まれる・・・。

オニキスは瞳を伏せて、更に顔を近づけた。

「?」

ヒスイは状況をまるで理解していない。

オニキスの顔がいつもよりずっと近くにあっても、何だろう?

とゆっくり瞬きをして見ているだけだった。

「・・・・・・」

オニキスは途中でキスを止めた。
気が抜けると待っていましたとばかりに咳がでた。

ケホッ。ケホッ。

「?どうしたの?」

「・・・バカ」

キスの代わりにヒスイの額を指で弾く・・・。

いたっ!と言ってヒスイは両手で額を抑えた。

「何するのよ。そりゃ、大失敗だったけど・・・。もしかして・・・怒ってる?」

「別に」

「じゃあ、なんでいきなりデコピンするの」

「深い意味はない」

「あ・・・そう」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

少し考えてから、ヒスイはポンっと手を叩いた。

「わかった!お腹が空いてるんでしょ!?待ってて!今度こそちゃんとしたおかゆを食べさせてあげるから!!」

威勢のいいヒスイの言葉に、オニキスは・・・笑った。

いつもの苦笑いではなく、まさに笑顔と呼べるものだった。

ヒスイは目を丸くした。

(なんだ・・・ちゃんと笑えるんじゃない)

そして負けじと自分も笑った。

「・・・っと、その前にここをなんとかしなきゃ」

ヒスイは額に滲む汗を拭った。修復は長丁場になりそうだ。

「これから片付けするから、オニキスはまだ寝ていて。いい?わかった?」

まるで子供にでも言い聞かせるような口調で、ヒスイはオニキスをキッチンから追い出した。

  

ゴホッ。ゴホッ。

「オニキス様」

キッチンから出てきたオニキスを待ち受けていたのはインカ・ローズだった。
風邪薬を持って真っ直ぐに立っている。

「・・・どうして途中で止めたんですか、キス」

インカ・ローズはオニキスの煮え切らない態度とヒスイの鈍さに、イライラしていた。
結果、臣下としてはあり得ない質問が口をついて出てしまった。

「・・・・・・」

(・・・見てたのか・・・)

今更、インカ・ローズやシンジュに自分の気持ちを隠すつもりもない。

オニキスは床に視線を落として言った。

「・・・風邪がうつると面倒だからだ」

「へ・・・?」

「あいつまで風邪をひいたら、オレが風邪をひいた意味がないないだろう」

「それも・・・そうですけど」

(オニキス様って・・・やっぱり優しい。でもその優しさが絶対アダになってる。そんなんじゃ、あのニブちんには伝わりっこないのに〜!!

 あぁ!じれったい!!なんとかしたい!この二人っ!!)

インカ・ローズは心のなかで熱く叫んだ。

オニキスは咳き込みながら、苦笑いした。

「薬はその辺にでも置いておけ。あいつの作ったものを食べてから飲む。何ができるかわからんが、とりあえず今はオレの為に作っているのだから、どんなものでも食ってやるぞ」

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