世界はキミのために

50話 熾天使の愛の歌

   

「いよっ!」

更にその翌日、見舞いと称してカーネリアンとオパールが顔をだした。
とはいえ、正式な面会などではなくバルコニーからの入場だ。

いつもそうらしく、二人は手慣れたものだった。

オニキスはまだ少し咳をしていたが、寝込むほどではなくなっていた。

「なかなかタフじゃないか」

カーネリアンはいつものようにあっけらかんと笑い飛ばして、オニキスを肘でつついた。

「鬼の霍乱じゃないけどさ、アンタが風邪でぶっ倒れたって聞いたときは正直・・・笑った」

「・・・・・・」

「本当に元気になって・・・。一週間は絶対安静と言われていたのでしょう?これも可愛い奥様の看病の賜物かしらねぇ。ふふふ」

オパールも反対側からオニキスを挟んで、カーネリアンと同じように肘でつついた。

カーネリアンとオパール・・・。
背の高い二人が並ぶと迫力がある。

うっとうしそうにオニキスが口を開いた。

「・・・お前達、何しにきた」

「何しにだって?」

「そんなのきまっているわよねぇ・・・」

『お・見・舞・い』

二人はにやにやと笑いながら、示し合わせたように同時に答えた。

その態度は明らかにそれだけではないことを物語っていた。

「それで首尾はどうだ?」

「・・・あまりよくないわ。実は・・・」

オパールは手短に森での出来事をオニキスに報告した。

「おかしいだろ?」

カーネリアンも難しい顔をしている。

オニキスの肩に手をかけオパールが耳打ちした。

「とにかくそういう訳だから、準備は万全に、念入りにやるわ。もう少し時間をちょうだい」

  

「それとほら」

カーネリアンは、トンッとオニキスの胸元に紙の束を押しつけた。

オニキスはそれを受け取った。

「何だ、これは」

「見舞いだよ」

「・・・楽譜、か」

「これを歌わせるんだ、ヒスイに。セイレーンの声で」

  

ヒスイとシンジュが二人並んで離れの宮殿へと戻ってきた。

ヒスイはオニキスの代わりに公務で本殿のほうに赴いていた。
もちろんシンジュも一緒である。

「日頃からきちんと学んでおかないから、彼等の話についていけないんですよ!」

「別についていきたくもないわよ」

「そういう考えが甘いと・・・」

相変わらず、ヒスイはシンジュにガミガミと説教されている。

もううんざりという顔だ。

「ああしてみると本当の姉弟みたいねぇ・・・」

羨ましいわ、とオパールが笑った。

ヒスイとシンジュは二人の客に気が付くと笑顔で歓迎の挨拶をした。

  

「・・・あれ?」

ヒスイはオニキスから手渡された譜面に目を通していた。

「私、この歌知ってるよ?」

「そんな馬鹿な!!この譜面はなぁ、世界にひとつしかないと言われるシロモノなんだよ!?手に入れるのにヒトがどんだけ苦労したと・・・。オパールはさらっと盗んでこいっていうしさ!人使い荒いんだよ!全く!」

カーネリアンは声を大にして言った。
そこにはオパールに対する文句もしっかり含まれている。

「でも・・・だって・・・」

ヒスイは言いにくそうに言葉を続けた。

「私が寝るときいつも歌ってくれたの。お兄ちゃんが」

「・・・・・・」

一同、言葉を失って沈黙した。

「なんか・・・すごい偶然・・・」

「んなわけないだろ!」

カーネリアンがヒスイの発言を思いっきり否定した。

「お前に覚えさせるために歌ってたんだよ!あいつのすることに偶然なんてあるもんか!!」

「・・・どうやら私達はまだ、彼の敷いたレールの上を走っているようねぇ」

すぐ熱くなるカーネリアンをうまく執り成して、オパールがその場を締めくくった。

  

「それでは始めます」

開始の合図もオパールだった。

見舞いから三日後。

オニキスの風邪もほぼ完治した。

ヒスイは瞳を閉じて大きく息をすった。

コハクの声を、歌を思い出しながら、懐かしさを込めて歌い出す・・・。

  

メノウ復活計画に参加したのは、オパールを中心にヒスイ・シンジュ・オニキス・カーネリアンの五人だった。

オパールの元に他の四人が集まった時には、準備は完璧に済んでいて、メノウの氷壁の周りには同じカタチの魔法陣が無数に描かれていた。

「すごい数・・・。これ、何の魔法陣なの・・・?」

ヒスイは尊敬の眼差しをオパールに向けた。

「単純なものなのよ。数は多いけれど・・・これはね、水を吸収する魔法陣」

「へぇ〜っ・・・」

「これからあなたの歌でこの氷壁を溶かす。溶けた氷は水になるでしょう?それを吸収する為のものなの。でないと、この森が水浸しになってしまうわ」

「セイレーンの歌声ってそんなにすごいの?」

ヒスイは人前で歌を歌うのが苦手だった。
今はそんなことを言っている場合ではないにしても、緊張が隠せない。

「まぁ、あいつらは歌専門の悪魔だからね」

カーネリアンがヒスイの背中をバシッと叩いた。

「“銀”はさ、血を吸った相手の力を自分のものにできるんだよ。知ってたかい?」

“銀”とはヒスイを含む銀の髪をした吸血鬼の一族の事を指している。

「え?そうなの?」

案の定ヒスイは何も知らなかった。そのうえ驚きは薄いようだ。

カーネリアンはやれやれと肩を竦めた。

「これはさ、愛の歌なんだと。アタシらには歌詞読めないけどさ」

カーネリアンが入手してきた楽譜には歌詞まで記載されていたが、異国語なのかまったく読むことはできなかった。

「私も読めない。歌うことはできるけど、意味はさっぱりだし」

「・・・天使語ね。これは」

静かな声でオパールが言った。

「私も初めて見るけれど、コハクが歌っていたのならそれしかないわ」

「天使語・・・かぁ。ん?そういえば・・・」

ヒスイはポケットを探り、一枚の紙切れを取り出した。

以前コハクのスケッチブックの間から出てきたものだった。

いつも持ち歩いていたその紙と、譜面の歌詞を見比べてみる・・・。

「あ・・・ホントだ。おんなじ」

(だけどやっぱり全然わかんないや)

「誰か天使語わかる人っていないのかなぁ」

「いませんね」

ヒスイの呟きに答えたのはシンジュだ。

「天使の存在自体が幻想的なもの・・・架空の生き物として捉えられているんです。この世界では。ですから天使に関しての文献は多くても、に迫るものは少ないかと。ましてや天使語となると、直接天使と接触があった者ぐらいしか・・・」

「・・・お父さん・・・は?」

ヒスイは過去で見たコハクとメノウの姿を思い出しながらそう口にした。

「メノウさまなら、おそらく」

さらりとシンジュが言ってのけた。

(・・・お兄ちゃん・・・ずっと一緒にいたんだから教えてくれたっていいのに。一番お兄ちゃんと長くいたのは私だよ?)

意に満たないという顔でヒスイはむっつりと黙り込んだ。

「ますます頑張らないとね」

ヒスイの肩に手を置いてオパールが微笑んだ。

「大切なのは歌詞よりもメロディーなの。心を込めて歌ってね。天使の歌はとても強い愛のエネルギーをもっているのだそうよ」

「愛の力で氷を溶かす・・・の?」

「ええ。そうよ」

「天使の愛の歌ねぇ・・・鳥肌が立ちそうだよ、アタシゃ」

カーネリアンは身震いした。

ヒスイもオパールもそれを見て笑った。

  

「・・・予想以上・・・だわ」

ヒスイは歌い続けた。

すべてのものをあたたかく包み込むような歌声だった。

ヒスイの歌声が何かに邪魔をされて途切れることのないよう守護にあたる四人まで聞き惚れている。
森の木々までもがセイレーンの魔力を得たヒスイの歌声に合わせてさわさわと軽やかな音をたてた。

ヒスイは瞳の色が紅くなり、髪は薄いグリーンへと変化している。

恐らくそれが血の提供者であるセイレーンの姿に近いのだろう。

ヒスイの歌う姿は美しかった。

巨大な氷壁の正面に立ち、お腹に軽く手を添えて。
心から歌うことを楽しんでいるような表情を浮かべている。
生き生きとした良い顔だ。

この姿を一生忘れることはないだろうと、目を細めてヒスイを見守っていたオニキスは思った。

  

ヒスイの歌声はオパールの想像以上の成果をあげた。

愛の歌で溶かされた氷は水にはならずにその場で水蒸気になった。

「本当に・・・想像以上・・・だわ」

オパールは頼もしいと言わんばかりの目でヒスイを見つめた。

「こんだけある魔法陣も無駄になっちまったなぁ」

カーネリアンはオパールのこれまでの苦労を思うとそう言わずにはいられなかったが、やはりどこか嬉しそうな顔でヒスイを見ていた。

「いいのよ」

  

どんなに強力な呪文や武器をもってしても傷ひとつつけることのできなかった氷壁が一人の少女の愛の歌で溶けていく・・・。

じんわりと溶けては消えてゆく氷。

メノウの体は、頭のてっぺんから徐々に外の空気に触れた。

ヒスイは時々薄目をあけてメノウの姿を確認した。

メノウはコハクと同じ神父服を着ていた。
15歳・・・華奢な体つきで身長はヒスイより低い。ほんの僅かの差ではあるが。

顔は、本当に瓜二つと言ってよかった。髪の色が違うだけである。

メノウは明るい栗色の髪をしていた。

(・・・双子みたい)

ヒスイは胸が躍った。親子の対面。そしてもうすぐ夢が叶うのだ。

歌声にも力がこもる。

「もういいわ。ヒスイ」

我を忘れて歌に熱中するヒスイにオパールが声をかけた。

メノウを軽々と抱きかかえ、ヒスイの前に立っている。

メノウに意識はない。

が、すでに“天使の涙”で応急処置を済まされ、顔色は良かった。

逆にカーネリアンのほうが“天使の涙”の光にまいってしまったようだった。

オパールは参加メンバー全員に向けて言った。

「お疲れ様。戻りましょう。もうじきメノウが目を覚ますはずだわ」

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