世界はキミのために

58話 完膚無き失恋

   

「良かったのかい?城、出てきちまって」

「うん」

ヒスイはファントムに合流したら、“天使”の情報集めをしようと考えていた。
蛇の道は蛇じゃないが、人外の者のほうが詳しいのではないかと、ふと思いたったのだ。
カーネリアンに誘われて二つ返事でOKした。

(どのみちお城にいても役には立たないもの。シンジュと違って)

そのシンジュもすっかり幼くなり、城務めが困難になった。
盆栽展にも行きそびれ、かなり不機嫌モードである。
ロザリオの中で沈黙を決め込んでいる。

「ちょっと寄りたいとこがあるんだけど、いいかい?」

「うん」

カーネリアンに連れられてきた先は海だった。
ヒスイの視界一面に青い世界が広がり、思わず感嘆の声が洩れる。

「うわぁ・・・。海だぁ・・・」

「海は初めてかい?」

「ううん。前に一度だけ、お兄ちゃんと見たことある」

内陸のモルダバイトに住む者からすれば、とても珍しいものだった。

海を見るためには国境を越えなければならない。

「どうだい?いい気分転換になるだろ?」

潮風が気持ちいい。

髪が風に泳ぐ・・・。

「・・・うん」

周囲の気遣いが嬉しくもあり、心苦しくもあった。

それでも海を見ていると気持ちが癒されてくる。

「カーネリアンの寄りたいところって、ここ?」

「いや、こっちだ」

連れ立って砂浜を歩いた。二人とも子供の姿をしている。

「ほら、あそこ」

カーネリアンが示した場所は、沖にぽかりと浮かぶ小さな小島だった。

「?離れ小島じゃない。どうやって行くって・・・え?」

バサリ。

「ちょ・・・ちょっと・・・」

カーネリアンは背中から大きなコウモリのような羽根を出し、ヒスイを抱えて飛び立った。

「お前も、あと100年したら銀色に輝く綺麗な羽根が生えるはずだよ」

そう言って笑いながら。

  

島は本当にこじんまりとしていて、小さな石碑がひとつだけあることを除けば、他に何もなかった。

(石碑・・・?)

ヒスイは疑問に思いつつも、カーネリアンが口を開くのを待った。

カーネリアンは石碑の前で膝を折って語り始めた。

「アタシはさ、この国の生まれなんだ。親父が吸血鬼だったんだけど、アタシが10にならないうちに死んじまって、その後は教会の孤児院で育った」

「お母さん・・・は?」

「お前んとこと同じ。アタシを産んですぐ死んだ」

「・・・・・・」

「笑っちゃうだろ?悪魔が教会の世話になるなんてさ」

ヒスイは黙ってカーネリアンの話に耳を傾けていた。

余計な言葉をはさむ気はないらしい。

「もちろん、ヴァンピールだってのは隠してた。腹が減ったら動物の血を飲んで、まぁ、たまに孤児院の子の血を頂いたこともあったけど」

今だから笑って話せると、カーネリアンは苦笑した。

(・・・苦労したんだろうな・・・)

ヒスイは自分がお姫様扱いされるのがわかったような気がした。

「・・・この石碑は?」

「あぁ、アタシのオトコの墓」

「・・・え?」

カーネリアンが大人であることは認めていたが、男勝りのサバサバとした性格から、恋愛とは縁がなさそうに見えたのだ。

ヒスイの露骨に驚いた顔を見て、カーネリアンは笑った。

「こ〜んな目の細いヤツでさ」

と、言って自分の目を横に引っ張ってみせる。

「全然カッコ良くなかったけど、気のいいヤツだった」

「へぇ・・・」

「よくある話、だよ」

カーネリアンはそう念を押して話を続けた。

「孤児の世話をする牧師だった」

「牧師?それって・・・エクソシスト?」

「違うよ。まぁ、そんな感じの力は持ってたみたいだけど」

墓前での話だ。

この話の結末はたぶんハッピーエンドじゃない。

そう知りつつも、カーネリアンの恋の話は新鮮で、惹きつけられた。

ヒスイはせがむような目でカーネリアンを見つめた。

「ちょっとヘタ打って、ヴァンピールだってバレたときも、あいつは何一つ変わらなかった。そのうえ血まで飲ませてくれるようになってね。単純にそれが嬉しくて好きになっちまった。な、よくある話だろ?」

ヒスイは首を横に振った。

「恋する理由なんてそういうものでしょ?」

当然とばかりにヒスイが言うので、カーネリアンは笑ってしまった。

「で、その人とはいつ・・・」

「13の時」

「ええっ!?それってちょっと・・・まずいんじゃ・・・」

ヒスイは激しく動揺した。何故か自分が赤面している。

「あはは!お前じゃないけど、早く大人になりたくてなぁ。ひとまわり歳が離れてたから、それは犯罪だとかって言って、あいつ、ずいぶん渋ってたんだけど、ねだって、ねだってやっと大人にしてもらったんだよ」

「そ・・・っかぁ」

カーネリアンの横顔から微笑みがこぼれて、ヒスイの心までもあたためた。その笑顔は当時の幸せをこれでもかというほど物語っていた。

(でも・・・)

その男は墓の下だ。

「この国は、悪魔が多いんだ。好戦的な国だからさ。血の臭いにつられて集まるんだよ。のんびりとしたモルダバイトとは大違いだね」

「・・・・・・」

「そのくせ悪魔に対する弾圧が凄くてね、ここではエクソシストより、フリーのハンター・・・私怨で悪魔を狩るヤツラが幅を効かせてたんだ」

「ハンター・・・」

「アタシもそれに引っかかってさ、全部終わり。アタシを庇ってあいつが死んで、今もここで眠ってる。・・・もう百年近く前の話さ」

「どうして眷族にしなかったの?」

ヒスイは、オニキスが死んだと聞いてすぐさま眷族にした。迷いはなかった。

「眷族にすればずっと一緒にいられるじゃない。両想いならなおさら・・・」

ヒスイらしい意見だった。

「お前と違ってさ、アタシは吸血鬼を忌むべきものだと思っていたから、迷って、決められなかった・・・。それにあの時は、共に生きることより、共に死ぬことしか考えてなくてさ。けど、簡単には死ねないカラダだろ。後を追うこともできずに、何十年も一人で生きて、腐りきってた。そんな時、オニキスに会ったんだ」

「オニキスに?」

「そ。あいつはお前を・・・銀の吸血鬼を探していた。人外の者に理解を示し、決して差別したりはしなかった。そして、生きる場所を与えてやると言って、アタシにファントムをくれたんだ。あいつには感謝してる。それこそ、言葉にできないくらいにさ」

「・・・・・・」

「いい男だよ。コハクのように器用じゃないけど。お前のこと、きっと何よりも大切にする」

「・・・・・・」

ヒスイは無言で表情を歪ませた。

誰に何と言われようと気持ちは変わらない。が、答えに困っている風だった。

「・・・なぁ、オニキスの幸せって何だと思う?」

「・・・わからない」

「お前が幸せになること。たぶんそうだ」

「私が?」

「お前の幸せは何だい?」

「・・・お兄ちゃんと生きること」

「・・・頑固だねぇ」

カーネリアンは溜息混じりに笑った。

「でも、まぁ、そうしたきゃ、そうすればいいさ」

「そうするわよ」

ヒスイはふて腐れ気味だ。

「お前みたいにさ、何不自由なく育った子は幸せであることが当然だと思ってる。だから逆に幸せに貪欲だ。幸せがどういうものか知っているから、失うまいと躍起になる。アタシはお前のそういうところが好きだよ。お前にはそうであって欲しい。人間じゃなくたって幸せになれるんだって、皆に教えてやってくれ」

「・・・うん」

ヒスイは力一杯頷いた。

オニキスを勧めつつも、強制はしないでいてくれる。

ヒスイは心のなかでカーネリアンに感謝した。

  

「ただいま」

ヒスイはオニキスの正面に立ち、笑顔で言った。

城から逃げ出してばかりだったヒスイが、自分から戻ってきたことに意表を衝かれ、オニキスは驚きを顔に出した。

「・・・なぜ、戻ってきた・・・」

「渡したいものがあったから」

「?」

「いいから、屈んで、屈んで」

小さなヒスイはオニキスの腕を下に引き、自分に近づくよう促した。

「動かないでね」

ヒスイがポケットから取り出したのは無色透明のピアスで、それをオニキスの右の耳に取り付けた。

「イグって石、知ってる?人工的に作られたものだから、石としての価値があるかどうかわからないけど、このままじゃ、オニキスの穴が塞がっちゃうでしょ?だからこれをしていて」

「別に塞がっても・・・」

オニキスはヒスイからのプレゼントが嬉しい反面、その意図を察して気が滅入った。

「だめだよ。穴は塞いじゃ。誰かに貰ったとき、穴がなくちゃ困るよ」

(やはりそうきたか・・・)

ヒスイは優しく、残酷だった。

「私、世界がひっくり返ってもお兄ちゃんのところへいく」

「・・・好きにしろ」

「ごめんね」

ヒスイのその言葉はどこに結びつくのかとても曖昧だった。

オニキスを眷族にしたことか、オニキスの気持ちに応えられないことか。

「・・・幸せになってね」

「それには及ばない」

「え?」

「今、幸せだからだ。人を勝手に不幸にするな」

オニキスは平然としている。

「ええと・・・どのへんが?」

ヒスイからすれば、オニキスは不幸を一身に背負っているような男だった。
そのため、ついそう口にしてしまった。

「お前が生きてここにいるから」

オニキスは言い切った。

「・・・だけど・・・」

代わりにオニキスが死んだ・・・ヒスイはその言葉を声にできなかった。

自分の罪を認めてしまうようで恐かったのだ。

「・・・心臓などお前にくれてやる。心はもとよりお前のものだ」

オニキスは、ヒスイを責める気など全くないことを言葉に込めた。

「・・・ごめんっ!私っ・・・!!」

ヒスイは懸命な表情でオニキスを見上げた。

それからオニキスの右手をとって、唇を寄せた。

ヒスイの唇がオニキスの指先に触れる・・・。

ヒスイからの初めてのキスだった。

「・・・」

オニキスの右手を包み込む、ヒスイの温かい両手。
触れる柔らかい唇。

味を確かめた訳でもないのに、何故だかとても甘い気がした。

オニキスは右手を自分のほうへ引いた。
ヒスイの両手と共に。

そして、ヒスイが口づけした場所にゆっくりと唇を重ねた。

「・・・これで充分だ」

オニキスは瞳を閉じた。

「お前がどんな姿をしていようが構わない。・・・好きだ」

とくん・・・と、ヒスイの胸が脈打った。

鈍い痛みが混ざってはいても、ときめきの一種に違いなかった。

オニキスの胸も同じように鳴った。

(・・・・・・!?)

オニキスは瞳を開けた。

二人の視線が交わり、同じ鼓動を刻む・・・。

「・・・お前が好きだ」

オニキスは繰り返した。

今度はオニキスがヒスイの指先にキスをする。

「・・・あ・・・」

例えるならそれは、大人になる魔法のキスをコハクとしたときに似ていた。
指先から流れ込む、得体の知れないあたたかなもの。

「え・・・?あれ??」

窓から吹き込む風がふんわりとヒスイの体を包み込み、去っていった。

後には大人に戻ったヒスイがいた。

  

(やってくれるねぇ・・・)

メノウは机に伏して寝たふりをしながら、二人の様子を窺っていた。

(ヒスイを抱かないで大人に戻すなんて)

「もたもたしてると、ヒスイ取られちゃうよ。コハク・・・」

とても小さな声でそう呟やいてから、窓越しに空を眺めた。

「早く戻っておいで」

  

「・・・いい天気ねぇ・・・」

ヒスイは中庭に面した渡り廊下を歩いていた。

天気のいい日はいつも洗濯物を干すコハクの背中を思い出す。

(ターコイズ・・・また会えないかな・・・。お兄ちゃんと同じ、天使・・・)

バサッ・・・。

ヒスイがそう思った瞬間、頭上で羽音が聞こえた。

ヒスイはバッと空を仰いだ。

「イズっ・・・!?」

しかし、ヒスイの前に降り立ったのはターコイズではなかった。

六枚の羽根をもつ、智天使ケルビム。

「!!!あなたは・・・」

ヒスイはその顔に見覚えがあった。

過去で、コハクに殺されかけていた天使。

「初めまして・・・ではありませんね。その節はどうも」

ケルビムは微笑んだ。
とても紳士的だった。

どことなく雰囲気がコハクに似ている。

(この人・・・お兄ちゃんと同じニオイがする・・・)

「あなたは・・・何という名前なの?」

ヒスイはケルビムにとても興味が湧いた。
手始めに名前を尋ねる。

「・・・ラリマー」

にっこりと笑ってケルビムが答えた。

「コハクの同僚です。以後お見知りおきを」

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