世界はキミのために

63話 魔法樹の下で

   

「望みの品だ」

コハクは生首をラリマーの前に投げ捨てた。

ゴロンと醜悪な男の頭部だけが雲の上に転がる。

熾天使と智天使の神殿の中間地点、二人はそこで向かい合っている。

「さすがに仕事が早い」

ラリマーが笑顔で賞賛する。

コハクは右手に血のべっとりとついた剣を携え、服には返り血が付いている。
まったくの無表情。

「派手にやってきた。これでしばらく地上は“天使”の話で持ち切りのはずだ」

「見事な“裁き”です。お疲れ様でした」

ラリマーは生首を拾い上げ、コハクを労った。

「ヒスイは・・・」

ヒスイにこの姿は見せられない。

傍にいないことを前提にヒスイの名を出す。

「ご心配なく。私の神殿で普通に生活させていますよ。あなたに会いたいと駄々をこねるので、今は眠ってもらっていますが」

「・・・・・・」

「早速、ご所望ですか?」

ラリマーがまるで自分の物のような言い回しをするので、コハクはカチンときた。

「今日はいい。血のニオイがすごいから」

ムッとした表情のまま、ラリマーに背を向け飛び立った。

  

バサッ。

コハクは聖なる泉の前に降りた。地面が雲で構成されている世界の、

巨大な水溜まり・・・淡く光輝く水を湛えている。

剣を近くの木に立て掛け、服を脱いで泉に入る。

血で汚れた体を清めるためだった。

(・・・あいつ“天使”の存在を地上に知らしめてどうする気なんだ・・・。まぁ、こっちはそのほうが都合がいい。せいぜい利用させてもらおう・・・)

「それにしても・・・久しぶりに殺ったなぁ・・・」

コハクは空を仰いだ。

「ヒスイにバレないようにしないと・・・」

ヒスイはどう思うだろう。

(本当の僕を知っても、変わらず好きって言ってくれるかなぁ・・・)

「大丈夫だよね・・・たぶん」

コハクは濡れた髪に指を通して呟いた。

  

「あれ・・・?」

ヒスイは本を抱えたまま、ラリマーの前に立っている。

ラリマーの神殿で語学の本を読んでいたのだが、一瞬にして主人の下へ召喚されてしまった。

ラリマーは顎でコハクが去った泉の方角を指した。

「しっかりサービスしてきなさい」

「サービス・・・って・・・」

「そのぐらいわかるでしょう」

「・・・言われなくたってするわよ」

ヒスイは持っていた本をラリマーに託して、コハクのもとへ急いだ。

雲から木が生えている・・・そんな不思議な光景が続く。

(!?)

ヒスイは足を止めた。

そこで見たのは血に染まった大きな剣だった。

(お兄ちゃんの・・・剣??)

にわかに信じ難い。

(お兄ちゃん、昔は強かったって聞いたことあるけど・・・)

あんなに美味しい紅茶を入れる手で、こんな剣を振るっているとは思えない。

「・・・いやなニオイ・・・」

刀身には悪意に満ちた人間の血がこびりついていた。

かなり質が悪い。

ヒスイは眉をしかめた。

吸血鬼だけに血にはうるさいのだ。

(・・・ここにも同じ血の臭いが・・・)

顔を上げた。
すると、今度は木の枝のほうに、天使の服が引っ掛けられていた。
天界で再会した時にコハクが着ていた服だった。

血がべったりと付いている。
コハクの血では、ない。

(お兄ちゃん・・・何してるの・・・?)

  

コハクに会うのは“失敗の日”以来だった。

ラリマーはコハクに条件を飲ませたあと、すぐにヒスイを石から出した。

もとより閉じこめておく気はないようだった。

「セラフィムのところへはしばらく行ってはなりません」

「どうして・・・?」

「セラフィムは“お仕事”で忙しくなりますから」

「・・・・・・」

ヒスイは石の中から二人の様子を窺っていた。

表情を曇らせるコハク。得意顔のラリマー。

何を話しているかは想像の範疇でしかないが、コハクにとってあまり良い話ではないように見えた。

この時ほど天使語がわからないことをもどかしく思ったことはなかった。

それからラリマーに頼み込んで、天使語の勉強を始めたのだった。

(・・・都合の悪い話なんだ。お兄ちゃんが天使語を使うときは。だから私が天使語の勉強をしていることは内緒にしよう。そのほうがお兄ちゃんの本音が聞ける)

  

「お兄ちゃん・・・」

ギクッ。ドキッ。

ヒスイの声にコハクは過剰に反応した。

「ヒスイ!?」

(あいつ・・・わざと・・・)

ラリマーの仕業だ。

コハクがヒスイに隠していることを見越して、あえてヒスイを向かわせたのは明瞭だった。

コハクは溜息を洩らした。

「こっちにきちゃだめだよ。今、穢れがすごいから」

内心どう突っ込まれるかドキドキしている。

「・・・・・・」

ヒスイは唇を噛んだ。
コハクの言葉を無視して自分もざぶざぶと泉に入っていく・・・。

(私のせいだ。私がよく考えもせずにラリマーの魔石になっちゃったから・・・お兄ちゃん、ラリマーに脅されてる。それでこんなこと・・・)

「あ・・・ヒスイ・・・だめだって・・・」

ヒスイはコハクに抱きついた。

「怪我はない?」

「うん。僕は。でもちょっと臭うでしょ。血が」

「いいよ!そんなのっ!」

いきなり感情剥き出しだった。

「なんでお兄ちゃんばっかり痛い思いするの!?私のせいなのに!私が悪いのに・・・!!そうやって何でもひとりで抱え込まないで、私にも分けてよぅ・・・」

コハクは感情的になるヒスイを抱き締め、よしよしとあやした。

(・・・まずいぞ。ヒスイにそう思わせるのがあいつの作戦なんだ。この流れは・・・まずい。非常に)

「・・・何をしてきたの?」

肩越しにヒスイが突っ込んでくる。

(やっぱりきた・・・)

コハクは押し黙った。

「・・・だめっ!」

とりあえずキスで流れを変えようと唇を寄せるが、先読みしたヒスイに指で止められてしまった。

「・・・だめ?」

「だめ!誤魔化されないんだから!」

ヒスイの深い追及。

「嫌だよ。お兄ちゃんが痛いの」

ヒスイはコハクの体に腕をまわし、背中をなぞった。

言っているのは今回のことに限らず、のようだ。

(・・・メノウ様・・・ヒスイにしゃべったな・・・)

コハクは内心舌打ちをした。

(誰も彼もヒスイに余計なことを吹き込まないで欲しい・・・)

「・・・いいんだよ。ヒスイのしたことは間違いじゃない」

説得の算段がついたコハクはゆっくりと話し出した。

「ヒスイも気が付いていると思うけど、僕とケルビムは仲が悪い・・・というか、昔からどうも意見が合わないんだ」

「・・・うん」

「ヒスイが魔石になって、僕からすれば人質に取られるようなカタチになってる訳だけど・・・」

そこまで言って、ヒスイを見る。

ヒスイはしゅんとして、抱きつく腕にも力がない。

そんな姿でさえ愛おしいと思いながら、話を続ける。

「どんなカタチでも、会えて嬉しい。だからこれでいいんだ」

きゅっ。とヒスイが腕に力を込めた。

コハクの言葉が心に届いたようだ。

「ごめんね。すぐ自由にしてあげるって言ったのに・・・」

ぷるぷるとヒスイが首を横に振る。

「苦戦・・・してるんだ」

「うん」

「だけど、痛みなんてない。苦戦=苦労って事じゃないから。わかる?」

「うん・・・」

ヒスイはコハクに諭され、すっかり大人しくなった。

「大丈夫だよ」

「うん」

コハクは肝心なことには何ひとつ触れず、ヒスイを納得させた。

「くすっ。服も髪もびしょびしょだよ。あがろう」

  

二人は剣の立て掛けてある場所とは反対側の岸辺にあがった。

そこには巨大な樹があり、根の一部が泉に垂れ下がっている。

「樹齢一万年の魔法樹なんだ。この泉を浄化してくれてる」

「大きいねぇ・・・」

見上げてもてっぺんが見えない。

「ヒスイ、服脱いで。そのままじゃ気持ち悪いでしょ?」

「下着も?」

「うん。全部」

  

屋外。青空。そして樹の下。

「おにいちゃん?ここで・・・するの?」

「うん。この場所に他の天使は来られない。だから見られる心配もないし、安心していいよ」

コハクがそう言うので、ヒスイは素直に足を開いた。

「ん〜っv」

まずはキス。

ヒスイはキスが好きで、何かにつけてコハクにキスを求めた。
キスをしながら唇を噛んで、血を吸うこともしばしばあった。

バサリ。

(・・・ん?)

羽音がして、ヒスイは薄目を開けた。

「・・・イズ!?」

イズがじっと見ている。

ヒスイはすでにコハクの下になっている。

「やぁ、イズ。どうしたの?」

コハクは手を止めたがヒスイからは離れない。

「・・・鳥。見に来た」

「そういえば、イズはバードウオッチングが趣味だったね」

こくり。

「ちょっとお兄ちゃん、どいて。服着るから」

ヒスイは慌てた。誰も来ないって言ったのに。

(思いっきりイズが見てるじゃない)

「その必要はないよ」

「え?」

コハクは愛撫を再開した。

「や・・・っ!!イズが見てるよ!?イズの前で・・・するの!?」

「うん」

「ええっ!?やだ・・・っ」

ヒスイは抵抗した。人前でするなんて冗談じゃない。

イズはしゃがみ込んでじっと二人を見ている。

純粋な瞳。二人が何をしているのかわかっていない。

「興味あるでしょ?」

コハクがイズに話かけた。

こくり。イズが頷く。

「じゃあ、よく見て」

こくり。

「ちょ・・・ちょっ・・・んっ」

ヒスイは頑なに拒んだが、今度は唇を塞がれてしまった。

「・・・こういうのは順番だから・・・僕もメノウ様に随分お世話になったし。イズは何も知らないんだ。ちょっと恥かしいかもしれないけど、見せてあげて・・・」

(ええ〜っ!?そんなこと言われても・・・ちょっとどころじゃないよっ!!)

ヒスイはパニック状態になった。

「好きな人ができたら、こうやって気持ちを伝えるんだよ」

コハクはヒスイの体に唇を這わせた。

「やぁぁんっ!」

言葉とは裏腹に、体は抵抗できない。気持ちが良いのだ。

そしてイズの眼差し・・・。

「ん・・・ふっ」

(あぁ、もうっ!なんでこんなことにっ・・・!)

コハクと交わり合う前に、意識が飛びそうだった。

体が燃えるように熱い。

「くすっ。興奮してるね、ヒスイ」

コハクがヒスイの耳を軽く噛んで囁いた。

「こうやって好きな人を喜ばせてあげるんだよ」

こくり。コハクの言葉にイズが更に深く頷いた。

「あ・・・っ。おにいちゃ・・・んっ!あ・・・ぅ」

上気するヒスイの顔。

「・・・ヒスイ、キレイ」

イズが呟いた。

  

「もうっ!!お兄ちゃんはぁ〜っ!!」

ヒスイは牙を出して、ぷりぷりと怒っている。

しかし、どんなに文句を言ったところで、独り言だった。

コハクは服を取りにむこう岸へ渡っている。

ヒスイは泉で汗を流していた。

イズは相変わらずしゃがみ込んで、ヒスイを見ている。

ヒスイと目が合うと、にこりと微笑んだ。瞳は純粋なままだ。

(イズはいっか。とことん見られちゃったし、今更隠してもしょうがないよね)

ヒスイのなかで、イズは見せてもいい相手に分類された。

服はまだ乾かない。

裸のまま岸に上がり、イズの隣にちょこんとすわった。

(お兄ちゃんって・・・イズのこと気に入ってるんだなぁ。弟みたいに可愛がってるもんね・・・)

「ねぇ、イズはどんな子が好き?」

ヒスイはイズの好みのタイプを聞いてみた。

「・・・・・・」

イズは黙って指さした。コハクのほうを。

「だめっ!!!」

ヒスイは両手を広げて、イズの視界を遮った。

「・・・頭のいいひと」

イズが続けた。

「あ・・・そう」

(今のは例えだったのね・・・。もう!紛らわしいことしないでよ・・・)

「・・・キモチいい?」

「え?」

「あれ」

「あ・・・うん。好きな人とするのはね、気持ちがいいよ。すごく。イズにもいい人見つかるといいね」

こくり。

(頭のいい人かぁ・・・)

ふとインカ・ローズのことを思い出した。

(なかなかお似合いかも・・・。でもローズはシンジュ一筋だもんねぇ。そういえばシンジュ・・・怒ってるだろうなぁ・・・。たぶん今までで一番。お父さんがいるから大丈夫だと思うけど・・・。オニキスも・・・)

インカ・ローズを皮切りに、地上に残してきた者達の顔が次々と浮かんできた。

「驚きなのは、今まで忘れてたってことよね・・・」

ひとつのことに夢中になると周りが見えなくなる。

(今、思いだしてもきっとまた忘れてしまう。お兄ちゃんのところにいったら。他のこと、考えられない)

「笑っちゃうくらい自己中心的だわ・・・私って。みんな、ごめん」

ヒスイは隣にイズがいるのも忘れて、自分の性格を笑った。

  

「いいんですか?あんなに近づけて」

服を取りに戻ったコハクの前にラリマーが姿を現した。

向こう岸を見ると、ヒスイとイズが仲良く並んで座っている。

「僕のものに手をだすほど愚かではないからね、イズは」

逆に“ヒスイに手をだす君は愚かだ”というニュアンスでコハクが言った。

「・・・次の“お仕事”です。今度は“裁き”ではありません。もっともあなたには一奪えば千も万も救われる・・・そんな“裁き”しか依頼していませんが」

「・・・・・・」

「“裁き”の次は“救済”です。地上で流行っている疫病の駆除を。これで相当数の民が救われるはず」

「・・・わかった」

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