世界はキミのために

64話 お姫様と下僕


   

また出たらしいぞ。“天使”が。

 

モルダバイトもこの噂で騒がしくなっていた。

大陸中に広がり、もはや誰もが知っている話だった。

金色の翼の美しい天使・・・。

人々を悪政から救い、奴隷を解放し、疫病を消し去る・・・“天使”の活躍はめざましかった。

「・・・何やってんだ。あいつ」

コハクを知る者は“天使”の正体を当然知っている。

メノウはバルコニーの手すりに両肘をついて、遙か上空を見上げた

「人助けなんて、柄にもないこと・・・智天使の意志か・・・。けど、それに大人しく従ってるってことは・・・これに乗じて何か仕掛ける気だな、あいつ」

ふぅ。と溜息が洩れる。

「・・・な〜んかでかいことやらかしそうなんだよなぁ・・・」

天界で話した夜、コハクは軽く微笑んだだけで、何一つ深くは語らなかった。

  

「堕天使になるつもり?」

ヒスイの顔でメノウが尋ねる。

堕天使の条件は三つ。

自分より力の強い者に“裁かれる”か。

自分と同等の力を持つ悪魔に“誘われる”か。

あるいはとてつもない“大罪を犯す”か。

いずれかの条件を満たせば良い。

「ええ、まぁ。そうなんですけど・・・」

コハクは高い天井へと視線を泳がせる。

「ヒスイが気になってそれどころじゃない?」

「そうなんですよねぇ・・・。マジメな話」

「どうするの?ヒスイ」

「所有権を奪い取って、ヒスイを僕の魔石にするのも悪くないんですけどねぇ」

「・・・それでずっと石にしておくつもり・・・?」

「まさか。解放しますよ。ただ、そうすると・・・」

魔石から解き放つには代償が必要だ。

「魔石のシステムが極端すぎるんだよな」

メノウがぼやく。

「契約者の全魔力と引き替えなんてねぇ」

コハクもうん、うん、と頷いた。

力を失ってしまっては、大切なものを守れない。

「だったら作った本人に解放させるしかないでしょ」

作った本人ならば、何のリスクも負わず解放できる。

この方法でヒスイを救い出すのが最も理想的だ。

「すると思いますか・・・?智天使が」

「お前次第だろ。条件全部飲んでやればいいじゃん」

「・・・・・・」

「けど、仮にそうなったとしても、ここで石から解放されたら・・・ヒスイ、一瞬で塵だよ。そんなの・・・絶対許さない」

「もちろん。そんなヘマはしません」

真剣なメノウの言葉に、コハクも真剣な表情で返した。

  

(俺やオニキスは好きな女にしか弱みを見せないタイプだけど、あいつは逆だからなぁ。ヒスイには絶対弱みを見せないだろうし。何でも自分だけで解決しようとするから・・・。ホントどうするつもりなんだろうなぁ・・・)

バルコニーから眺める空。

天界で見た空と同じ色をしている。

「堕天使云々より、ヒスイが“魔石”ってのが一番厄介なんじゃないか・・・あいつにとっては」

  

コハクは鼻歌交じりにヒスイを着替えさせた。

自分好みに着飾らせるのは久しぶりだ。腕がなる。

「今日はいいところに連れて行ってあげる」

「いいところ?」

「そう。天界の下界」

「天界の・・・下界・・・?」

ヒスイは目をぱちくりさせている。

「僕ら三人はこんなところに住んでるけど、普通の天使はこの下に広がる世界で生きていて、ヒトとあまり変わらない暮らしをしてるんだ」

「へぇ〜っ」

そういえばここで他の天使の姿を見たことがない。

「今日はそこでデートしようね」

「うんっ!!」

コハクが“仕事”さえこなしていれば、ラリマーはそれ程ヒスイを拘束しなかった。
今日は朝早くから外出が許され、早速コハクの元へ訪れた。

そんなある日のこと。

  

この雲の下には別の世界が広がっている。

そう考えると不思議でならなかった。

「いい加減、空と雲ばかりじゃ飽きちゃうよね」

ヒスイを抱いて飛びながら、コハクが笑った。

「うわぁ・・・ホントに・・・」

人間界と変わらない。

町並みは、やたらと白い建物が多く、整いすぎている感はあったが、馴染み深い風景だった。

「だけど・・・誰もいないね」

「うん。町の広さの割には天使の数が少ないんだ」

二人はまだ空を飛んでいる。

「噴水広場までいけばさすがにいると思うんだけど・・・」

ヒスイは緊張して、コハクの腕のなかで硬くなった。

知らない世界の知らない人達。

コハクはくすっと笑って「大丈夫。怖くないよ」と、ヒスイに言い聞かせた。

「人間の嗜好品を集めたお店が出ていてね、なかなか人気があるんだ」

「嗜好品・・・」

「うん。ほら、アイスクリームとかクレープとか。ここでは珍しいんだよ。食の文化が発達していないから」

「そうなんだぁ・・・」

知らないことばかりだ。

「見えてきたよ」

「わっ・・・」

ヒスイの嬉しそうな顔。ここ最近、普通の暮らしから遠ざかっていたので、町でのデートは一層喜ばしく、それを見たコハクもにこにことしている。

「今日はこの町を案内するね」

「うんっ!」

「あ。その前に」

「ん?」

コハクは広場に面した二階建ての建物の屋根の上に着地した。

ここから広場を一望できる。

コハクが屋根で羽根を休めた瞬間に、広場は大騒ぎになった。

[セラフィムだ!!]

[セラフィムが戻ってきたぞ!!]

[いやぁ!怖い!!]

[セラフィムは英雄だ!]

[悪魔を連れてる!!]

[セラフィム万歳!]

波のようにどっと天使達が押し寄せる・・・。

何処から湧いて出たのかと突っ込みたくなるほどの集合ぶりだった。

様々な賛否の声が入り乱れていたが、熾天使を歓迎する者もそうでない者も視線は屋根の上に釘付けになっている。

「な・・・なに??」

ヒスイはおどおどした。

昔から人前に立つのは苦手だ。反射的にコハクの後ろに隠れた。

(皆、お兄ちゃんを見てる。お兄ちゃんってホント目立つよね・・・今にはじまったことじゃないけど、一緒にいるほうの身にもなってよ・・・)

心の中で不満を洩らす。

「・・・まぁまぁかな」

コハクは余裕の仕草で下を眺めた。

天使達の集まり具合をチェックしている。

「ちょっと付き合ってね」

「え?」

コハクは突然ヒスイの前にひざまづいた。

「な・・・何してるの?」

「お姫様と下僕ごっこ」

「はぁ〜っ???」

ざわっ!!

広場全体が色めきだった。

[セラフィムが悪魔に膝を折ったぞ!?]

[セラフィムが悪魔に与した!?]

信じられない!!と、悲鳴に近い声が飛び交う・・・。

無論、すべてが天使語だったが、言葉を学び始めたヒスイに何となく伝わった。

(私のこと・・・悪魔って・・・)

[あなたの意のままに。]

コハクはすっかり下僕気取りで、瞳を伏せるとヒスイの手の甲に口づけた。

かぁぁ〜っ。とヒスイが赤くなる。

(あれ?ひょっとして伝わった・・・?)

コハクは上目遣いでヒスイを見た。

[・・・愛してる。]

ぼぼっ。

ヒスイは更に赤くなった。

(やっぱり伝わってる。ケルビムに習ったのか)

これからは天使語でも迂闊なことは言えない。

しかしやはり、同じ言葉を共有できるのは嬉しかった。

コハクから笑みが溢れる。

同時にざわめきが膨れ上がった。

[“花嫁”だ!!]

[やっぱり“花嫁”なのか!?]

[悪魔だぞ!?]

[セラフィムの“花嫁”は悪魔だ!!]

[そんなのあり得ない!!]

[しかし現に・・・]

わぁわぁと意見をぶつけ合う天使達。

「・・・上々だね」

コハクが立ち上がった。そして天使達に向かって一言。

[愛があれば、天使も悪魔も関係ない。]

(おにいちゃん・・・)

ヒスイは胸に手をあてコハクを見た。

[僕達は幸せだ。最高に。]

「・・・瞳閉じて。ヒスイ・・・」

コハクはヒスイを抱き寄せキスをした。

わっ・・・と広場が沸いた。

  

「えへへ。ヒスイがあまりにも可愛いから、見せびらかしたくなっちゃって」
と、後になってコハクが言った。

ヒスイは怒るタイミングを完全に逃してしまった。

「・・・これじゃ降りられないよ、お兄ちゃん・・・」

ヒスイががっかりした顔で下を指さした。

広場は天使で埋まり、降り立つ隙間などない。

「ごめん。ごめん。一旦退却しよう」

コハクは謝りながらヒスイの頬にキスをして、それからヒスイを抱き上げた。

バサッ。

ワァァ〜ッ!!

二人は大歓声を後にした。

(まぁ、こんなもんかな。ついでにしちゃ上出来だ。少なくとも、あの場にいた天使達は知ったはずだ。悪魔とだって、愛は成立することを。考えるんだ。他の種族と交流を持つことを。ここに閉じこもっていたって何も変わらない)

「お兄ちゃん?」

ヒスイがコハクの瞳を覗き込む・・・。

「ん?」

「あの中で、私達のことを認めてくれた天使はどのくらいいるのかなぁ」

「・・・みんな僕らのことを羨ましいと思ったはずだよ」

「そうかな」

「そうとも」

二人は額を寄せ合って笑った。

「またしようね。お姫様と下僕ごっこ」

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