世界はキミのために

69話 空の森

   

ヒスイはイズの神殿へ招待を受けた。

「わぁ・・・」

一歩足を踏み入れるとそこは緑で一杯だった。

森の中と錯覚してしまうほどの緑・緑・緑。

ヒスイの知る神殿とは全く違う雰囲気で、自然と心が安らぐ場所だ。

(・・・空気・・・おいしい)

深く息を吸い込む。

少し体が軽くなったような気がした。

「消毒・・・」

「え?」

「!!ぎゃっ!痛いっ!染みる!!」

イズが突然ヒスイに消毒薬を吹きかけた。

魔法以外で治療を受けるのは初めてのヒスイ。
跳び上がりそうな勢いだ。

「回復魔法、使えない・・・。だから、人間の薬使う」

「え・・・?これ巻くの・・・?」

二人とも加減がわからない。

イズは包帯を取り出して、ヒスイの右腕にぐるぐると巻いた。

おぼつかない手つきで。

お世辞にも器用とは言えなかった。

「ちょっと大げさじゃない・・・?」

イズは地上で手に入れてきた救急道具を次々と試した。

塗り薬、絆創膏、赤チン・・・体温計でヒスイの体温まで測った。

「もういいよ・・・イズ」

何かにつけて傷に染みたが、イズの一生懸命な姿を見ると、とてもじゃないが怒れない。

こくり。

(気持ちは嬉しいけど・・・エライ目に合ったわ・・・)

あちこちがヒリヒリする。

ヒスイは気を紛らわせようと神殿のなかをぐるっと見渡した。

(?ぬいぐるみ??)

棚に動物のぬいぐるみが並べられている。
他にも地上で手に入れてきたらしきものが陳列されていた。

「イズ、ぬいぐるみが好きなの?」

こくり。

イズは素直に頷いた。

「じゃあ、今度私の部屋から持ってくるといいよ。お兄ちゃんがどんどん増やすから困ってたの。イズにあげる」

ヒスイの部屋にはコハクの趣味で置かれたぬいぐるみが山のようにあった。
ヒスイはいつもぬいぐるみに埋もれるようにして眠っていた。

「・・・ありがとう」

(・・・なんかいいなぁ。イズって。なごむ・・・)

短い言葉をスローテンポで話すイズと過ごす時間は、ゆっくりと静かに流れてゆく・・・。

ヒスイはイズと共に床に座り込んで、何を話す訳でもなく一緒になってぼ〜っとした。

(そういえばお兄ちゃんがぼ〜っとしてるのって見たことないなぁ・・・)

  

「・・・遅い。ヒスイが帰ってこない・・・」

コハクは何度も時計を見た。

学校はとっくに終わっている時間だ。

制服姿のヒスイを熱い抱擁で出迎えるのがコハクの密かな楽しみになっていた。

「・・・ケルビムのところか」

前回のようにタイミングが悪くないことを祈りつつ、コハクはラリマーの神殿へ向かった。

  

「え?ヒスイ?来ていませんよ。今日はどうしても外せない用事があって、イズに迎えを頼んだので・・・」

ラリマーも出先から帰ったばかりだった。

「・・・イズが連れ帰ったのか・・・」

コハクはそそくさと向きを変えた。

「迎えにいくのですか?」

「当然でしょ」

「では私が」

イズは回復魔法が使えない。

傷だらけのヒスイと再会させるのは好ましくないと、ラリマーが慌ててコハクを制止する。

「いいよ。知ってるから」

ラリマーの考えを読んだコハクが溜息混じりに言った。

「しかし彼女が隠したがっていることですよ?」

ラリマーが困ったような顔で言う。

「そうだけど・・・僕が知っていることを知っているよ、ヒスイは」

「・・・それでも隠そうとするのなら尚更でしょう」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

いつもの如く意見の合わない二人。

「・・・とにかく迎えにいく」

コハクは羽根を広げた。

「私も行きます」

ラリマーもほぼ同時に羽根を広げる。

「・・・いつまで渋っているんですか」

並んで飛びながら、ラリマーが仄めかした。

「早く彼女をこちら側に」

「・・・・・・」

コハクは黙っている。

ラリマーは構わず続けた。

「もはや選択の余地はない」

「・・・その為にはヒスイに相当な苦痛を与えることになる」

コハクが重い口を開く。

「だから決心がつかないと?あなたらしくもない・・・」

「・・・・・・」

コハクは口を噤んでしまった。

ラリマーもそれ以上は何も言わなかった。

バサッ。バサッ。

座天使の神殿に降り立つ二人の天使。

「・・・三人が揃うなんて何十年ぶりですかね」

「そうだね」

  

「・・・いらっしゃい」

イズは無表情ながらも二人を歓迎し、ヒスイの元へ案内した。

「・・・ヒスイ、寝てる」

ヒスイは日当たりの良い場所で、大きなクッションにもたれて口をむにゃむにゃさせている。

(・・・泥酔してる・・・)

コハクはヒスイの寝顔を覗き込んで呆気に取られた。

ヒスイは赤い顔でぐっすりと眠り込んでいる。
ちょっとやそっとでは起きそうにない。

「・・・ヒスイに何か飲ませた・・・?」

こくり。

イズはテーブルの上の瓶を指さした。
お酒の入った瓶だった。

「嫌なこと、忘れる薬」

「確かにそうかもしれないけど・・・」

(一体誰にそんなこと習ったんだ・・・?)

再びヒスイに視線を戻した。体は包帯と絆創膏だらけだ。

「・・・ヒスイ・・・」

傷ついたヒスイを目の前にして、いてもたってもいられない気持ちになる。
コハクはしゃがみ込んでヒスイの頬に触れた。

「・・・ちゃんと、守って。ヒスイ、かわいそう」

イズが眉を寄せる。
傍目でわかるほど表情をくもらせることなど日頃あり得ない。

「・・・ごめん」

コハクはイズに謝った。それからすぐにヒスイを見て、苦々しい顔で言う。

「ごめんね、ヒスイ・・・」

(僕が甘かった。ヒスイが隠そうとしているなら、もう少し黙って様子をみてみようなんて。そのままにしちゃいけなかったんだ。体の傷は治せても、心の傷は魔法では治せない)

コハクは自分の対応の遅さを深く後悔した。

そんなことは露知らずヒスイは熟睡している。

「今、治してあげる。体の傷も心の傷も」

コハクはヒスイの顔を両手でふわりと包み込んだ。

コツンと軽く額を当てると、ヒスイがうっすらと瞳を開けた。

「・・・おにい・・・ちゃん・・・?」

「ごめんね、ヒスイ。遅くなって」

ヒスイはまだ夢から醒めない顔をしている。瞼も半分しか開いていない。

コハクが啄むような優しいキスをすると、夢見心地のうっとりとした表情で微笑み返した。

(・・・相当酔ってるな・・・)

夢と現実の区別がついていない。そんな顔だ。

コハクはシャツのボタンを外しながらヒスイに乗りかかった。

「・・・見る?今日も」

じっと見守るイズに背中を向けたままコハクが笑う。

「・・・いきますよ」

頷きかけたイズの襟をラリマーが引っ張った。

「あなたは私の神殿に来なさい」

ずるずるとイズを引きずっていく。

「・・・まって・・・」

「何ですか?」

イズがのんびりとした動作で柱の影から紙袋を取り出した。

「・・・あげる」

「?」

ラリマーが中を覗くと、そこには白いシャツとジーンズが入っていた。

「な・・・っ!?」

「ひとりだけ・・・ソレ、変」

「・・・・・・」

熾天使や座天使がジーンズを履きこなすなか、智天使ラリマーだけは“天使”のスタイルに忠実だった。
だが、ここではそれが浮いている。

「・・・今どき流行らない・・・」

「と、セラフィムが言ったのですか?」

こくり。

「・・・・・・」

ラリマーはジーンズを取り出してまじまじと見た。

「それでわざわざこれを?私に?」

こくり。

(コレを着るのか!?私が??)

激しい葛藤。

しかし、コハクもイズも当たり前のように着ているものを自分だけが着ないのもどうかと、根が真面目なラリマーは思った。

何かにつけても真面目すぎるがゆえに、おかしな方向へいってしまっていることに自分では気が付いていない。

「・・・わかりました。統一しましょう。でなければ他の天使に示しがつきませんから・・・」

ラリマーの言葉にイズが微笑む。

「さ、いきますよ」

こくり。

「・・・ありがとう」

イズを率いて飛び立つ寸前、ラリマーがぼそっと言った。

イズはにこりとして、こくりと頷いた。

  

「・・・今日はうんと優しく・・・するから・・・ね」

「ふにゃぁ・・・」

ヒスイは寝ぼけて反応が鈍い。イズと飲んだ酒がまわってしまい、眠くて眠くて仕方がなかった。

「何もかも忘れるぐらい気持ちよくしてあげる」

「・・・おにぃちゃぁん・・・」

ヒスイは甘えた声を出した。

自分が何をされているのかもわかっていないまま、妙なテンションでコハクに迫る。

「キスぅ〜。するっ!」

「うん」

コハクはヒスイのリクエストに笑顔で応えた。

(こういうヒスイもいいな・・・)

「・・・ひとつになろうね、ヒスイ」

「うにゃ〜・・・」

(うわ・・・可愛い・・・。これはかなりお得かも・・・)

心の中でイズに感謝しつつ、怒られた事を思い出せば多少なりの罪悪感はある。
しかし今は別問題になっていた。

「ん・・・あ・・・。ひとつに・・・なってる・・・?」

「うん。なってるよ。ほら・・・ね。気持ちいい?」

「な・・・んかもぉ・・・どこまでがおにいちゃんで、どこからが私なのか・・・わかんない・・・。いい・・・気持ち・・・」

ヒスイは最後にそう口走って、また眠ってしまった。

「・・・お前、最近エロすぎ」

ヒスイの口が動いた。

コハクはメノウが現れることを予測して、早めにヒスイから体を離していた。

「もうちょっと他のことで頭使え」

「すみません」

コハクは自分でも反省していたところに追い打ちをかけられて、しゅんとした。
問題を棚上げしている場合ではない。

(お?めずらしく効いてる・・・)

落ち込んでいるコハクなど、滅多に拝めない。
ここぞとばかりにメノウは説教を続けた。

「したくてしたくてしょうがない気持ちはわかるけど、ヒスイ疲れてるよ」

「・・・はい」

「ちゃんと守ってやってよ。心もさ」

「はい・・・」

「やることばっか考えてないで」

「う・・・はい。その通りです。すみませんでした」

コハクは潔く認めて率直に謝った。

「で?俺のこと待ってたんだろ?その様子じゃ」

「はい」

素直に失敗を認めた分、立ち直りも早い。

「実は・・・」

かくかくしかじかで・・・とコハクはメノウに学校の話をした。

「へぇ・・・学校かぁ。俺も行ったことないから、行ってみたいなぁ」

「ぜひ、一度行ってみてください」

「え?いいの?」

「力を貸して貰えませんか?メノウ様。ヒスイをこんな目に合わせた奴等を潰すのに」

コハクの邪悪な微笑み。

「そういうことなら、喜んで」

メノウは大乗り気だ。

メノウとコハクはかつての主従であるが、その関係は悪友に近い。

「じゃあ、朝になったらまたくるから」

打ち合わせを一通り終えて、メノウは瞳を閉じた。
ヒスイに体を返すつもりで。

「ん・・・?あれ??」

「どうかしましたか?」

「・・・まずい」

「?」

「俺の体にヒスイが入っちゃったみたい。戻れないや」

「はぁぁ〜っ!?」

コハクにとってはかなりの衝撃だった。

「何だよ・・・そのリアクション・・・。すげぇ嫌そう・・・」

「だって・・・それってヒスイが地上に戻っちゃったってことでしょう?」

「そうだよ。オニキスのところに」

「・・・で、でも、体はメノウ様だし。大丈夫ですよね。ははは」

そう思いたい一心のコハクにメノウが意地悪を言う。

「大切なのは“中身”なんだろ。お前だって中身が俺のトキは指一本触れないじゃん。その逆って充分あり得るよなぁ〜?」

「・・・・・・」

まさに絶句。

「罰が当たったんじゃない?エロいことばっかしてるからさ」

メノウは笑いを噛み殺して言った。

「そんなぁ・・・。僕のライフワークなのに・・・」

「ばぁか。お前、ほんと懲りないね・・・」

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