世界はキミのために

68話 大罪人

   

バサッ。バサッ。

コハクは空を一直線に横断している。

振り返らずに横目でラリマーの姿を確かめた。

(・・・ついてきたな。あれにはちょっとびっくりしたけど、いいチャンスだ)

「たぶんあれはヒスイが学校で受けた傷を治していただけ・・・のはず」

悪魔のヒスイが学校へ行けばどうなるかぐらいわかる。
反対したのにはそういう理由もあった。

(それにしてもちょっとヒスイは警戒心が足りないなぁ・・・無防備すぎる。教育しなおさないと・・・)

先程の傷ついたヒスイの顔を思い出すと胸が痛む。
とても不安そうな顔で自分を見ていた。

(ごめんね、ヒスイ。冷たくして)

心のなかで何度も謝る。

「あとでたっぷり可愛がってあげるからね」

邪な妄想でにやり。

「だけど、ケルビムを“あそこ”へ連れ出すには最高のシチュエーションだ」

コハクはまっすぐ進んだ。

生い茂る魔法樹の葉の間を抜け、前へ、前へ。

付かず離れずのペースでラリマーが追ってくる。

それを時々確認しながら、更に進んでゆく・・・。

眼下に花畑が広がった。

天界にしかない花が咲き乱れている。

だんだんと霧が深くなり、時間も天気もわからなくなるほどの場所で、コハクはスピードを落とした。

雲の大地を突き抜ける巨大な柱・・・。
円周は軽くスタジアム一周分はある。
始点も終点も目視できない。

(この柱がどこからどこまで伸びているのか・・・知るのは神のみだなんていわれてるけど・・・)

コハクは柱に沿って飛びはじめた。
ラリマーもその軌道に乗る。

天界を支える柱。
その崩壊。

それは天界の終焉を意味する。

(だから守ってきたんだ。神と僕らで)

熾天使・智天使・座天使、そして神。

それぞれの神殿が柱を囲むように配置されていた。

「この柱を・・・壊す」

(人間の国一つ潰すよりずっと意味のある破壊だ。間違いなく“大罪人”だけど)

コハクは、美しく苦笑いをした。

「歴史に名を残すこと請け合い、だな」

(・・・この世界はヒスイにとって住み易い場所とは言えない。ここでずっとなんて言っても世界がなくなればそれまでだ)

「この柱は力では壊せない。必要なのは神が僕らに与えた三つの言葉」

熾天使、智天使、座天使がそれぞれ持っているキーワード。

(与えられた、っていっても言葉を選んだのは僕らだ。イズのキーワードはだいたい察しがついた。あとはケルビム、君だ)

キーワードは花畑から有効になる。

ここではお互い言葉に気をつけなくてはならない。

だからこそ意味がある。
この場所で会話をすることでラリマーが意識して避けようとする言葉を探ろうと、コハクは考えていた。

[待ってください・・・っ!コハク!]

距離を詰めたラリマーがコハクを呼び止める。

(!?)

コハクは急降下して、花畑のなかに降りた。

そこで二人向かい合う。

[・・・“翡翠”の所有権をあなたに。]

ラリマーは何一つ言い訳をせず、コハクにそう言った。

[・・・条件は?]

[あなたがここに留まること。]

ラリマーの願い。

失われた時代の復活。

[・・・わかった。約束しよう。]

(この世界が続く限りはね)

  

(・・・やっぱりヒスイは僕の幸運の女神だ。こうも上手く事が運ぶなんて。それとも君の本当の願いは・・・こっちなの?ケルビム)

  

コハクは自分の神殿へ帰還した。

ヒスイも帰ってきているようだ。

ベットがもこっと膨れている。

(・・・いじけちゃった)

コハクはベットの脇に立った。

ヒスイはふて寝派だ。

落ち込んだりした時は、毛布を被って丸くなる。小さな頃から。

「・・・ただいま」

し〜ん。

返答はない。

モゾモゾとしているので、眠ってはいないようだ。

「あの・・・さっきはごめんね。ちょっと訳があって・・・」

「・・・・・・」

「ヒスイ・・・」

「触らないで」

ヒスイの声は本気で怒っている。

悲しい気持ちは時間が経つと悔しさにかわり、次第に怒りへと移行した。

「・・・何の訳なの?」

毛布の隙間から半分顔を覗かせる。

「それはちょっと・・・男同士の話っていうか・・・」

コハクは曖昧な返答しかしない。

「・・・・・・」

「ね?顔見せてヒスイ」

毛布をめくろうとするコハクの気配を察して、さっと避けるヒスイ。

こういうときの勘はいい。

ベッドの端のほうに避難して更に深く毛布を被った。
そこから目だけ出してコハクを睨む。

「あの・・・ヒスイ?」

ヒスイを追うコハクの手を他でもないヒスイがバシッと払う。

「やっ!ちゃんと理由を聞かせてくれるまでお兄ちゃんの近くになんかいかない!」

「そんな・・・久々なのに・・・」

思わぬところで尾を引いてしまった。

「む、無理矢理とかしたら嫌いになるからねっ!!」

強引に抱かれるのが好き、とコハクに言い当てられた後では、説得力がないのもわかっている。
それでも、疑いを抱く相手にそんな気持ちになれないのも本当だった。

「お兄ちゃん・・・何を考えているの?」

「何って・・・ヒスイの事だよ」

「・・・そうやっていつもはぐらかす」

「本当のことだよ。嘘は言ってない」

「・・・・・・」

「・・・そう言うヒスイはどうなの?」

「え?あ・・・」

すっかり忘れていた。
誤解・・・されているかもしれないことを。

「ケルビムと何をしていたのかな?」

コハクの澄ました微笑み。
優しげな顔に浮かぶ意地悪は最近知った一面。
昔はこんな顔をして笑わなかった。

「そ・・・それは・・・」

あっという間の形勢逆転。

(い・・・言えない・・・)

「・・・ね?お互い様でしょ?僕も似たような理由で今は話せない」

(・・・似たような理由・・・か。お兄ちゃんには隠し事するだけ無駄ってことね。だってみ〜んな知ってるんだから)

ヒスイは馬鹿馬鹿しくなってきた。どうせ見せる側なのだ。心も体も。

コハクには敵わない。
ずっと、ずっと、たぶんこれからもずっと、振り回され続けるに違いない。

(ずっと?お兄ちゃんが何を考えてるのかわからないまま・・・?)

「そんな顔してると、犯しちゃうよ?ホントに」

不安の見え隠れするヒスイの表情。

「そんなことしたら・・・嫌いになるもん」

「いいよ」

「え?」

「またすぐ好きになるはずだから。僕のこと」

含み笑いをするコハクは自信満々にヒスイを見た。

「試してみる?」

「・・・もうっ!お兄ちゃんはぁ〜っ!」

ヒスイ毛布から頭を出した。そしてまたいつもの口癖。

怒りながらも許してしまう魔法の台詞なのだ。

コハクは朗らかに笑いながら、ヒスイの頭を撫でた。

「僕を信じて。ヒスイ」

「うん。だけど・・・」

ヒスイは毛布にくるまったまま、コハクを見上げた。

「私、お兄ちゃんが何考えてるのか結局全然わかってない・・・」

「いいんだよ、それで。どうせ今はえっちな事しか考えてないし、たぶんいつもそんな感じだから」

二人は顔を見合わせた。

ヒスイが先に笑った。

続いてコハクも笑う。

「・・・触ってもいい?」

「・・・お兄ちゃん・・・言葉と行動の順番逆・・・」

コハクはもうヒスイを抱き締めている。

「あ・・・そっか。ごめん。間違えちゃった」

「もう、お兄ちゃんはぁ」

二人、声を揃えて笑った。

  

「最悪だわ。今日も」

ヒスイは大きく息を吐いた。

校門の前で両足を投げ出して座り込んでいる。

[あなたもわざわざ付き合うことないのに。]

[放っておけるかよ。]

ヒスイの隣で仰向けになって倒れている天使。

転入初日に声をかけてきたツンツン頭の少年、ダイヤ。

正義感が強く、困っている者を見過ごせない性格で、周囲と馴染まないヒスイをやたらと気にかけていた。

通学10日目。

二人とも傷だらけだ。

[ちくしょう・・・。あいつら・・・。“花嫁”を何だと思ってんだよ。]

ヒスイに嫌がらせをしてくるのは、悪魔を嫌う一部の集団だった。

天使のエリート意識から、悪魔の存在が許せないらしい。

最初は熾天使の存在を恐れて目立った行動を控えていた彼等も、熾天使が割って入ってくる気配がないのをいいことにエスカレートしていく一方だった。

[セラフィムはこのこと・・・]

ヒスイは首を横に振った。

[隠してるもの。]

[そっか。]

二人で夕日を見上げる。

[今日も最悪・・・だけど、ちょっとぐらいはいいこともあるものね。]

ヒスイは膝を抱えて笑った。

一緒になって喧嘩をしてくれたダイヤ。頼もしい戦友ができた。

熾天使のファンだと言う。

それだけで、打ち解けるには充分な理由だった。年も同じで、ヒスイにしては珍しく話の弾む相手。

[オレ、何でお前がセラフィムの“花嫁”かわかる気がする。]

ダイヤは自分に向けられたヒスイの笑顔にどきっとした。

照れ隠しに視線をそらして、遠い空の彼方を見た。

[セラフィムってカッコイイよな。オレもあんな風になりたいんだ。]

(お兄ちゃん・・・モテるなぁ・・・)

ヒスイは苦笑いでダイヤの横顔を見守った。

[天界最強だぜ?]

瞳を輝かせ、話にも熱が入る。天使だからなのか年の割には純粋だ。

ヒスイも自分の知らないコハクの話を聞くのは楽しかった。

二人はいつもコハクの話で盛り上がり、時間を忘れてお喋りをした。

コハク以外の相手と話に夢中になるのはヒスイにとって初めての経験だった。

[昔からの憧れなんだ。だから戻ってきてくれて嬉しい。そう思ってる天使はいっぱいいる。“花嫁”に否定的なのはごく一部だぞ。]

そう言っていつもヒスイを励ました。



[今度会わせてあげる。]と、ヒスイが言うとダイヤは手放しで喜んだ。

[じゃあ、また明日な!]

  

(遅いなぁ・・・)

なかなか迎えがこない。

ヒスイは立ち上がって汚れた制服を叩いた。

今日もまっすぐコハクのところへは帰れない。

(まだかな・・・ラリマー・・・)

橙色の空を仰ぐ。

バサッ。

「あれ?イズ・・・?」

迎えに現れたのはイズだった。

「・・・ラリマーこられない。用事、あって。かわりに来た」

「そっかぁ・・・」

「ヒスイ、元気ない」

「え?」

こう毎日諍いが続いてはさすがに疲れる。それをイズに見抜かれた。

「傷だらけ」

「あぁ、これね」

大したことはないとヒスイは笑ってみせた。

「喧嘩したのよ。笑っちゃうでしょ。子供じゃあるまいし。まぁ、一方的にやられちゃったけど」

「・・・それ、おかしい」

「どうして?」

「ヒスイ、強い。ここの天使相手にならない」

「・・・だって私がここで天使を傷つけたら、悪魔は恐いものだってみんなが思っちゃうじゃない。そうなったらお兄ちゃんにもラリマーにも迷惑がかかる。だから相手にしなかっただけ」

「・・・・・・」

「だけどやられっぱなしっていうのも性に合わないみたいで・・・くやしい」

唇を噛むヒスイの頭をイズが撫でた。

コハクがヒスイにしているのを見て覚えことだった。

「イズ・・・」

「・・・寄ってく?」

「え?」

イズがヒスイを抱き上げた。それは軽々と。

「・・・神殿」

「うんっ!」

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