世界はキミのために

76話 世界はキミのために

   

「学校・・・いかなきゃ・・・」

ベッドのなかでもぞもぞとヒスイが動く。

羽根の生えた日、学校を休んでしまった。

それからもう3日も学校へ行っていない。

「いいよ。もう。行かなくて」

同じベッドのなかでコハクがヒスイを抱き寄せる。

「でも・・・」

「ヒスイは学校へ行くのと、ここで僕としてるのとどっちが好き?」

「そんなの・・・決まってるじゃない」

ここにいる時点で訊くまでもない答えだ。

「くすっ。ケルビムと話がついてるんだ。もうすぐ自由にしてあげる」

コハクはヒスイの羽根を撫でながら額にキスをした。

  

(・・・ケルビムは所有権を譲るとは言ったが、ヒスイを解放するとは言っていない。まだ“切り札”としてヒスイと束縛するつもりか・・・?)

朝からヒスイを寝かしつけ、コハクは服を着た。

(だけど変だ。もしそうならヒスイがこちら側にこないほうがケルビムにとっては都合がいいはず・・・)

ケルビムとの約束の日。

(ヒスイに対する好意からか・・・。それとも“花畑”での出来事といい、ケルビムの真意は他にあるということか・・・)

「まあいいか。あとは力押しでいくだけだし」

コハクはベッドにヒスイを残して神殿を後にした。

  

雲の上。

向かい合う二人。

交わす言葉は少ない。

「・・・ヒスイは・・・」

ラリマーが口を開いた。

すぐさまコハクが答える。

「・・・眠らせてきた」

「・・・では石に戻します」

「・・・よろしく」

念じるだけだ。

ヒスイを石に戻す作業は一瞬で終了した。

「・・・始めましょうか」

「・・・では僕が」

コハクが剣をぬいた。

ラリマーが黙って右手を差し出す。

その手の平にコハクが剣先を滑らせる。

切り口からポタポタと血が流れた。

次にコハクは自分の左の手の平を同じように切った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

コハクの左手とラリマーの右手。

二人は傷口を重ね合い指を絡めた。

混ざり合い流れ落ちる血。

その下には魔石翡翠がある。

「・・・血を分かつ者・・・汝に・・・魔石翡翠の・・・所有権を・・・」

ラリマーが締めの言葉にはいった時だった。

突然、コハクが違う呪文を唱え始めた。

「・・・我が力を以て封じる・・・石と化せ・・・智天使ケルビム」

「!!?」








すべてが一瞬の出来事だった。

ラリマーは目を見開いてコハクを見た。

封印される最後の瞬間、何かを言いかけたが、言葉として発することはなかった。

そのまま魔石となって雲の上に落ちる・・・。

空の色をそのまま映した魔石ラリマーの完成だ。

(ヒスイがこちら側にくれば、僕がどうするかぐらいわかっていただろうに・・・)

そして・・・

「お兄ちゃん・・・私・・・」

ラリマーが魔石化したのと同時に翡翠が砕けた。

他者がリスクを負わずして魔石を解放する方法がひとつだけある。

それは、魔石の主人を魔石にすること。

ヒスイが魔石化した時、シンジュも石から解放された。その後はメノウに仕える精霊として活躍している。

「ヒスイ・・・」

コハクは両手を広げた。

「お兄ちゃん・・・っ!」

そこにヒスイが飛び込む。

「あ・・・でもラリマーが・・・」

ヒスイは初めからラリマーを悪人とは思っていない。

今となってはもうひとりの兄と慕うほど、信頼のおける人物だ。

「大丈夫だよ。少しの間、大人しくしていてもらうだけだから」

つくった本人ならば解放はたやすい。

コハクの言葉にヒスイはあっさりと納得した。

コハクは魔石ラリマーを拾った。

(もうここに縛られる必要はない・・・。君は新しい生き方を見つけられるはずだ。たぶん・・・そう遠くない未来に)


  

「さぁて。これからが本番だ」

モルダバイト城の中庭で、コハクがポキポキと指を鳴らして笑った。

「お兄ちゃん??」

「巻き込まれると危険だからヒスイはここにいてね」

「え・・・?」

「大丈夫。すぐ迎えにくる。だからお別れのキスはしない」

「迎えにくる・・・って、お兄ちゃん、どこ行くの!?」

「・・・またね」

コハクは舞い上がった。

「待って!!お兄ちゃん!!」

後を追おうとしても、ヒスイの小さな羽根ではまだ空など飛べない。

「やだっ!もう置いて行かれるのはいやっ!!」

コハクの羽根がヒスイの上に降り注ぐ。

ヒスイの声は届かなかった。

「お兄ちゃんの・・・バカーッ!!!」

  

天界。

コハクは迷いのない瞳で、柱の前に立っている。

「神よ。許し給え・・・」

とりあえず十字を切ってみるが、全く心がこもっていない。

“裁けるものなら裁いてみろ。”

それが本音だ。

コハクは右手で柱に触れた。

『・・・ピーすけ』

まずはイズのキーワードを述べる。

それは昔イズが可愛がっていた鳥の名前だった。

ピシィィィッ!!

その一言で巨大な柱に亀裂が入る。

そして・・・二つめのキーワード。

ラリマーのものだ。

「なんかコレを自分で言うのも何なんだけど・・・」

『・・・セラフィム』

パキパキと柱の裏側にも亀裂の入る音がした。

「・・・で、僕は・・・」

『新世界』

「だったかな・・・?」

これから世界をひとつ滅ぼすというのに全く緊張感がない。

パアァァーン!!!

柱が粉々に砕けた。

ゴゴゴ・・・・・

地響き。天界崩壊の合図だ。

「天使・・・いや、有翼人の諸君に神のご加護があらんことを」

コハクは瞳を伏せ、ゆっくりと十字を切った。

  

ザァァ〜ッ・・・・

地上に雨が降る。

青空の天気雨。

一粒、一粒が淡い光を放つ不思議な雨だ。

「・・・来るぞ」

雨の中、傘もささずに空を見上げる者達・・・。

オニキス、メノウ、シンジュ、インカ・ローズ、

カーネリアン、オパール・・・そしてヒスイ。

ヒスイはオニキスからコハクの“計画”を聞かされ、一時の別れの意味を理解した。

(お兄ちゃん・・・)

雨に打たれながら、ただひたすら上空を仰ぎ見る。

バサッ・・・。

「!!お兄ちゃん!!」

「ヒスイ。お待たせ」

  

「・・・驚いた。堕ちてないね、アイツ」

降りしきる雨の中抱き合う二人を見つめながら、カーネリアンが言った。

「そうねぇ・・・。こんなことをしたらどう考えても堕天決定よねぇ・・・」

オパールも不思議顔だ。

コハクは神々しい熾天使のままの姿をしている。

「これが・・・神の意志・・・」

シンジュが呟く。

「あ〜ぁ。行っちゃうねぇ」

メノウがオニキスの横に立って言った。

相変わらずからかうような口調だ。

「・・・手の届かない場所へと連れ去られてしまうのに・・・ヒスイが幸せならそれでもいいと・・・思う」

オニキス・・・ではなくメノウの言葉だった。

「・・・勝手に人の気持ちを代弁しないでもらいたい。メノウ殿」

「哀愁漂う君にぴったりなセリフだろ?」

「・・・・・・」

  

「なんか僕、悪者みたいじゃないですか?」

片手でヒスイの肩をしっかりと抱いて、コハクが言った。

「そうだよ。悪者」

軽やかな冗談でメノウが迎える。

「メノウさま」

コハクとメノウは視線を交わし、笑い合った。

「あの〜・・・皆さん。別にヒスイを遠くに連れ去るわけじゃないんですから・・・」

家に帰るだけだ。

別れという別れではない。

「そうよ。いつだって会えるじゃない」

いくらヒスイがそう言ったところで、メノウを除けば、皆オニキス派だ。

空気が重くなるのも無理はない。

(・・・ここはみんなオニキス派か・・・)

コハクは悟った。

「ヒスイ、彼にお礼を」

「うん」

コハクに耳元で囁かれ、ヒスイはオニキスの元へ走った。

オニキスを見上げ、にっこりと微笑む。

「今まで・・・ありがとう。色々とお世話に・・・ん?」

オニキスがヒスイの顎を掴んだ。

「・・・これが最後だ」

「え?」

コハクの目の前でオニキスはヒスイの唇を奪った。

ヒュウ♪とカーネリアンが口笛を吹く。

「・・・行け」

「え?え?」

キスが終わると、オニキスはヒスイをコハクの方へ押した。

コハクは腕を伸ばして、ヒスイを引き寄せた。

「?お兄ちゃん?」

「じっとして。消毒するから」

「え・・・?」

ぺろり。

「!!!?」

コハクがヒスイの唇を思いっきり舐めた。

それから間髪入れず唇を塞ぐ・・・。

「んっ・・・ん・・・みんなが見てるってば!んっ・・・」

恥かしがって暴れるヒスイを押さえ込み、何度もキスをする。

「・・・あいつら・・・もう勝手にやらせとけよ・・・」

カーネリアンがオニキスの肩を叩く。

「・・・そうだな」

  

「ヒスイはここにいて」

「もう。お兄ちゃんってば・・・」

ヒスイは唇を手で隠して誰とも目が合わないようにしている。

頬がほんのりと赤い。

嫌がっている割には嬉しそうなその姿に、周囲は益々呆れた。

「可愛いわねぇ・・・」

オパールがほほほと笑った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

コハクはオニキスのすぐ前まで早足で歩いた。

睨み合う・・・のはいつものことだ。

「ヒスイも僕も・・・そしてあなたも。これから永い刻を生きるんです。勝負はどうなるかわかりませんよ?」

コハクが挑発的な笑いを浮かべる。

「・・・では、そういうことにしておいてもらおうか」

オニキスがクールに言い放つ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・では。失礼します」

「ああ・・・」

  

次にコハクはメノウの前で足を止めた。

「なぁ〜んだ。闘らないの?」

「・・・この間、闘ったばかりですから」

「そろそろやばいんじゃないの?お前。オニキスはまだ伸びるよ。お前と違って若いし」

「・・・ヒトを年寄りみたいな言い方しないでください」

「実際そうじゃん。この中じゃ一番年配のくせに」

「・・・・・・剣の修行にでも出ようかな・・・ヒスイ連れて」

コハクは聞こえないフリをして話を流した。

「“家族”で暮らします?僕は構いませんよ。もうお義父さんって呼んじゃおうかなぁ〜」

「・・・ってかお前、できちゃった結婚はダメだからね」

メノウがコハクに釘を刺した。

「ホントはさ、すぐそばで見張ってやろうかと思ったけど・・・俺はここに残るよ」

「そうですか」

「ま、ちょくちょく遊びにいくから」

「ええ。お待ちしてます。皆さんもぜひ遊びにきてください」

コハクがにこやかに微笑んで、大きく羽根を広げると、ヒスイがぴたっと身を寄せた。

コハクはヒスイを抱き上げてモルダバイトの面々に深く頭を下げた。

「お世話になりました」

羽根で空を切りふわりと飛び立つ。

「ありがとう。またね」

コハクの腕の中からヒスイが手を振った。

  

残された失意の王、オニキス。

『我らがお仕えします』

シンジュとインカ・ローズが同時に膝をついた。

「そうそう、俺もここに残るし」

後ろからメノウがぽんっと背中を叩く。

オニキスが言った。

「あいつらは・・・世界の秩序も世の中の常識もお構いなしだ」

その言葉に一同が頷く。

「無茶苦茶だが・・・あいつらは、それでいい。それが・・・いいんだ」

「・・・かもな」

カーネリアンも賛同して一同はまた頷いた。

そしてそれぞれが空を仰ぎ、小さくなる二人を見送った。

  

「あ!いけない。これ返すの忘れてた」

オニキスのピアス。

長い髪に隠れて見えないことが多いため、すっかり忘れていた。

ヒスイはあまり自分から鏡を見ないので尚更だった。

「それは・・・そのままにしておいて、ヒスイ。オニキスが自分から返せと言うまで」

「?そう?」

「うん。なかなか似合ってるよ。僕のピアスほどじゃないけどね」

コハクが勝気に微笑む。

「帰ろうか。家に」

「うんっ!!」

  

「あ!見て!お兄ちゃん!」

輝く雨と共に白い羽根の天使が次々と降下してゆく。

それはとても美しい光景だった。

「イズもダイヤも、ここで素敵な出会いがあるといいね」

「・・・そうだね」

コハクは腕の中で無邪気に笑うヒスイを見つめた。

  

世界は変わる。

すべては・・・キミの為に。

  

世界はキミのために。

   

+++END+++
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