世界に愛があるかぎり

3話 オニキスの逆襲

   

「熾天使のコハクだ。しばらくアタシの代理をしてもらう。実力は申し分なしだから、皆、安心しな!」

「皆さん、初めまして。少しの間留守を預かることになりました。よろしくお願いします」

カーネリアンの紹介に続いてコハクが丁寧に挨拶をした。

バサリ・・・と、大きく羽根を広げ会釈をする姿は例えようもなく美しい。
圧巻だった。

ファントムには天使を見たことがない者が多く、美しい熾天使の姿に誰もが夢中になった。
見た目だけですでに大部分の心を掴んでいる。

コハクの周囲にはたちまち人だかりができた。

「お〜・・・人気だねぇ。あいつは注目を集めるのがうまい」

羽根を出してみせたのも当然、計算してのことだ。

「・・・・・・」

ヒスイはいつもの人見知りで、賑やかな輪の外側からコハクを傍観している。
部屋をひとりで飛び出してきてから、コハクと言葉を交わしていない。

はぁ〜っ・・・。

心臓が壊れてしまったかと思うほど、コハクの姿を見るたびに胸がきゅんとなる。

「あんな・・・男みたいな服着せることないじゃない」

ヒスイはカーネリアンにささやかな抗議をした。

「アンタ・・・言ってることおかしいって」

カーネリアンがツッコミを入れた。

「男が男の服着て何が悪いんだよ。アイツには最前線に立ってもらうからな。エクソシストのスカートみたいな服着てられちゃどうにもならないよ」

「そりゃ、そうかもしれないけど・・・」

照れ臭そうにしているヒスイにピンときたカーネリアンは笑いながら続けた。

「今更言ってんだい。服のひとつやふたつで。夜はもっと凄いことしてるくせにさ」

「それとこれとは別なのっ!」

ヒスイは赤い顔でツンと横を向いた。

すると視界にオニキスの姿が入った。
立場上目立つ訳にはいかないオニキスも一人で立っている。

ヒスイはオニキスのもとへ向かった。

オニキスは不可解な顔で胸に手を当てている。

「・・・ごめん」

「いや・・・」

ヒスイの動悸はそのままオニキスの動悸になる。
オニキスはさぞ困惑しているだろうと思っていた。
まずは一言詫びを入れる。

「ちょっと・・・変なの」

「何がだ」

「お兄ちゃん見ると・・・なんか・・・」

ヒスイは言葉を濁した。

「カーネリアンにも言われたんだけど、今更変よね・・・こんなにドキドキするなんて」

「・・・・・・」

ヒスイが素直に本心を打ち明けたので、オニキスはなんとか言葉を返そうとしたが、何も思い浮かばなかった。

(女心というやつは難しい・・・。何と言ってやればいいんだ・・・)

「・・・笑っていいよ」

ヒスイが言った。

「自分でも可笑しくなってきたから」

「・・・では、そうするか」

オニキスは微笑んだ。
ヒスイにしか見せない特別な顔だ。

それには気付かずヒスイも笑う。

苦しい程に強く脈打っていた心臓もほんの少しだけ楽になった気がした。

   

「・・・・・・」

その様子をコハクは遠目からしっかり見ていた。

何処で何をしていようとヒスイのことを忘れることはないし、近くにいれば目で追ってしまう。

しかし、さっきからヒスイには目を逸らされてばかりだった。

(・・・ずいぶんと楽しそうにしてるじゃないか)

内心かなりムッとしつつも、集まったメンバーひとりひとりに名前を訊ねてゆく。
人を束ねるにあたって名前がわからないなどとは論外。
それが持論だ。

(いい仕事しとかないと今後の取引に差し支えるし)

ヒスイが姉のように慕うカーネリアン・・・またオイシイ取引があるかもしれない。

コハクの中にはヒスイがらみの煩悩しかない。
それがすべての原動力だった。

はぁ・・・。

ヒスイは頬を紅潮させて溜息ばかりついている。

「なんか疲れた・・・。ドキドキするの」

ドキドキの元凶であるコハクを避けたい気分だ。

(お兄ちゃん・・・は一緒にいて一番安心できるはずなのに・・・)

きっかけは本当に些細なことなのだ。

ヒスイは深呼吸して、誰もいない廊下を歩き出した。

「・・・ヒスイ」

「え?」

いきなり腕をつかまれた。コハクにだ。

「にゃっ!?お兄ちゃん!?」

コハクはいつも以上に強くヒスイの手を引き、近くの物陰に連れ込んだ。

「あっ・・・えっ・・・と・・・」

根っからの照れ屋であるヒスイは一旦意識しだすと、もうどうにも止まらなかった。
赤面、しどろもどろに加え、コハクの目を一切見ようとしない。

「ごめん」

「え?」

「なんか怒ってる?」

いきなりコハクが謝った。
コハク自身謝る理由がわからなかったが、とにかく仲直りが優先だ。

謝り倒すつもりで顔を近づける。

「う・・・」

(・・・お兄ちゃんの唇が妙にえっちっぽく見える・・・この唇に何度理性を奪われたことか・・・って何を考えてるのよォ〜!!)

ヒスイは自分を叱咤した。
コハクが顔を覗き込んだのはかえって逆効果だったようだ。

「べ・・・別にっ!!」

ヒスイはコハクの脇を走り抜けようとした。

「・・・いかせないよ」

コハクはヒスイが逃げるのをあらかじめ予想していた。

(ヒスイは都合が悪くなるとすぐ逃げるんだ。ちゃんと言葉で説明してくれればいいのに)

ヒスイをつかまえて壁に追いつめる。

「ちゃんと言葉で説明して。でないと・・・ここでしちゃうよ?」

「!!や・・・っ!やだっ!!」

ヒスイのTシャツに指を滑り込ませる。

冷たく長い指が肌に触れ、ヒスイは目眩がした。

血管が切れるとしたら今しかない。
それくらい恥ずかしい。

「やだ!やだ!やだっ!!」

ヒスイは本気で暴れた。

(・・・様子がおかしい。一体どうしたっていうんだ・・・)

そう思いながらも、コハクは容赦なくヒスイの胸を掴んだ。

ドキン。ドキン。ドキン。

ヒスイの鼓動を感じる。
いつもより心拍数が上がっていることにコハクはすぐ気付いたが、この状況故にだろうと思った。

(・・・この鼓動の半分はオニキスのものだと思うと無性に腹が立つんだよなぁ・・・)

はじめは軽く脅かすだけのつもりだった・・・が、かなり本気で抱きたくなってきた。

(・・・ここでもいいか。この際立ったままでも・・・)

そう思った。いつの間にか目的がすり替わっている。

「いやだってば!!」

ヒスイはコハクを押し戻した。

本気になれば力は強い。

「悪いけどここは譲れないよ」

コハクも男として負けてはいられない。
それ以上の強い力でヒスイの動きを封じた。

「ちょ・・・っ!!誰かっ!!」

コハクと力くらべをしながら、ヒスイが助けを呼んだ。

「・・・呼んだか」

この上ないタイミングでオニキスが現れた。

眷族の運命だ。
ヒスイが心で強く念じれば、それはオニキスに伝わる。

(そんなことまでできるのか!?)

コハクはショックが重なって硬直した。

ぱっとヒスイがコハクから離れ、オニキスの後ろに隠れた。

「な・・・・・・」

(何なんだ〜!!!この構図は!!)

自分のもとから逃げ出してオニキスの後ろに隠れるヒスイ。

本当にもう何が何だかわからない。


「・・・・・・」

「・・・・・・」

「あの・・・ごめんね?本気でしようとしてた訳じゃないんだ」

体よく“兄”の仮面を被って、穏やかに微笑む。

「もうしないから、お兄ちゃんのところへおいで」

「・・・こんな時だけ兄貴ヅラか?」

オニキスに見事一刀両断された。

コハクはカチーンときたが、返す言葉がない。

一方ヒスイは“兄”のコハクにあっさり騙されそうになっていた。
オニキスの影から顔を覗かせ、戻るべきかどうか迷っている。

「いくことはない。ついていったら、犯られるぞ」

鋭い洞察力。

かつてこれほどの窮地に立たされたことがあるだろうか。

コハクは前髪を掻き上げた。

(・・・分が悪すぎる・・・。ここでヒスイを取り戻すのは・・・無理か・・・)

「え?なに?」

オニキスがヒスイの耳元で囁く。

「え?ホント??」

「ああ」

「いきたい!」

「では、行くか」

二人の間で何やら話がまとまったようだ。
ヒスイはオニキスについていくという。

「・・・少々妹君をお借りするぞ。兄上どの」

「・・・どうぞ」

図太さが自慢のコハクも目の前で恋敵にヒスイを攫われてしまってはショックが大きい。
見た目は平然としているが、気分的には立ちくらみがしている。

なぜこういう状況に陥ってしまったのか・・・考えたくもない。

(そりゃあ、ここで襲ったのはまずかったかもしれないけど・・・)

コハクは胸のポケットからヒスイの写真を取り出し、キスをした。

実物にできないのだから仕方がない。


「・・・虚しすぎる・・・」

(とにかく原因を突き止めないと・・・あぁ、でもファントムの仕事が・・・)

正直かなり忙しい。
出陣の際の戦力を割り出すために一刻も早く個人能力の把握をする必要があるのだ。
メンバーとのコミュニケーションも疎かにはできなかった。

「・・・ヒスイ・・・ちゃんと帰ってくる・・・よね・・・」

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