世界に愛があるかぎり

4話 精神的恋愛講座

   

ファントムの本拠地には図書館があった。

吹き抜けになっている円形のホール・・・それほど広くはないが、蔵書の数はなかなかだった。
あまり使われていないらしく、中の空気は少し埃っぽい。

しかし実のところは魔道書や絶版になった本などが揃う素晴らしい図書館だった。

ヒスイはオニキスの案内でその図書館に来ていた。

大喜びで図書館を徘徊し、気に入った本を次から次へと読んだ。

「あ、もう日が暮れたんだ・・・」

ヒスイは柱時計を見た。

門限が近い。

帰りたくないわけではないが、また例の心臓病が再発するかと思うと気が重い。

「その点、ここは気楽でいいわ」

図書館の中では何故かオニキスの存在を空気のように感じる。

コハクよりも兄に近い感覚で、すっかり気を許している。

そんな居心地の良い空間だった。

「・・・そうか」

オニキスは複雑な心境だった。

恋愛対象外と宣告されも同然だからだ。

「・・・だからと言っていつまでも避けているわけにはいかないだろう」

コハクに誤解させたままでは逆に危険だ。あの凶暴な性格ではいつ暴挙にでるかわからない。

「ちゃんと説明してやれ」

「でも・・・今更って思われたら・・・」

モジモジと恥じらうヒスイ。

恋とはここまで女を変えるものなのか。

オニキスは溜息をついた。

「コハクに・・・今夜は何もしないと約束させる。それでいいな?あとは慣れだ。見慣れろ」

「う・・・うん」

  

「あれ?お兄ちゃん帰ってない・・・」

部屋にコハクの気配はない。

「忙しいのだろう。あいつがいくら要領が良くても、皆に慕われるカーネリアンの代役を務めるのは簡単なことじゃない」

「そ・・・っか。自分で逃げ出しておいて、いないと寂しいなんて矛盾してるよね・・・」

ヒスイはがっかりしている。

もしこの場にコハクがいたら朝まで苛められるのは間違いないというのに。

「・・・さっさと寝ろ。襲われたくなかったらコハクの前ではとにかく寝たふりをしろ」

立ち去ろうとするオニキスの背中にヒスイが声をかける。

「今日はありがとう。色々・・・助けてくれて」

「いや」

「図書館、また行こうね」

「そうだな」

楽しかった。本音を言えば帰したくない。いっそ間男にでもなりたい気分だ。

「オニキスに好きなコができたらいつでも相談にのるからね」

「・・・ああ」

結局最後はこれだ。

オニキスは不機嫌そうに短く答えてヒスイのもとを去った。

  

(ほっ。良かった・・・戻ってきてる)

コハクはカーネリアンとの打ち合わせを終え、部屋に戻ってきた。

ヒスイがいつもの場所で眠っている。

少し違うのは、普段着のままであることと、右手に読みかけの本を握っていることだった。

「?恋愛小説?めずらしいな」

コハクはヒスイの手から本を取って目を通した。

「・・・・・・」

(純愛?プラトニック??)

「なんだ・・・これ・・・」

完全にジャンル外だ。

「・・・まさかヒスイ・・・こういうのがいいの??だからあんなに嫌がったのかな・・・」

(プラトニック・・・ねぇ。今更そんなこと言われても・・・)

これまでを振り返ってみる。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・だめだ。どう考えても遠い・・・。まずいぞ。これは」

オニキスばりの溜息がでる。

「そもそもプラトニックって何だ?」

ヒスイが産まれてこのかた邪念一色だったコハクには理解し難い世界だった。

ヒスイと結ばれるまで18年・・・その間は貞操を守ったが、手を出さなかったのではなく出せなかっただけだ。

(・・・要はするかしないか・・・だよなぁ・・・)

小説を一通り読んでみてもそのぐらいしかわからない。

「・・・仕方ない・・・行くか」

  

「・・・マジメな顔をして何かと思えば・・・」

コハクに不意打ちを食らって、オニキスのクールな表情は完全に崩れている。

「プラトニック・ラブについて教えろ・・・だと?」

「そうです」

コハクはオニキスの部屋の戸口に立ち、いつもの調子でにっこりと微笑んだ。

オニキスの部屋を訪ねる・・・普通では考えられない行動だ。

「・・・お前には無理だ。諦めろ」

「そういう訳にもいかないんです」

コハクは食い下がった。

(プラトニック・ラブを求めて他の男※オニキスのところにでもいかれたらシャレにならない)

プラトニック恋愛をなんとかマスターしようとコハクなりに真剣だった。

「・・・ならば教えてやる」

「はい。お願いします」

「プラトニックの極意とは・・・」

「極意とは・・・?」

「・・・実らぬ恋にある」

「・・・そう、なんですか?」

「そうだ」

大の男が深夜に語り合う話題ではない。

犬猿の仲である二人が、恋愛を語り合う姿はかなり滑稽だった。

「・・・ふ〜む・・・」

コハクが唸る。

「僕、自慢じゃないですけど、ヒスイに対してプラトニックな感情なんて微塵もないですから。見ているだけでいいとか、幸せそうならそれでいいとか・・・思えませんね。はっきり言って」

「・・・・・・」

(こいつ・・・喧嘩を売りに来てるのか?)

「手が届くなら触る。隙があるなら奪う。そして・・・絶対に誰にも渡さない」

「・・・・・・」

(だめだ・・・こいつに何を言っても・・・)

変態的思考の持ち主なのだ。

泣く子も黙る美しい顔は、それを隠すためのものとしか思えない。

「本当に欲しいものがあるのなら、それくらいの覚悟は必要ですよ」

「・・・・・・」

(一体何をしに来たんだ・・・)

精神的恋愛論を聞きにきて、肉体的恋愛論を主張して帰っていくとは・・・。

呆れて物も言えない。

オニキスは釈然としないものを抱えながら一時の眠りについた。

  

(・・・とは言ったものの・・・試してみるしかないよなぁ・・・)

  

ヒスイが目を覚ますとふんわりと優しい紅茶の香りがした。

ベットから立ち上がり香りを辿って歩いていく・・・。

「おはよう。ヒスイ」

丁度コハクがテーブルにティーカップを置いたところだった。

「あ・・・おはよう。お兄ちゃん」

ヒスイは席についた。

「今日はこれ」

コハクがお茶を差し出す。

レモンティーだった。

さっぱりしていて美味しい。

(・・・慣れよ。慣れ)

たっぷり睡眠をとって、ヒスイの心臓はだいぶ落ち着きをみせていた。

また何かの拍子にスイッチがはいってしまう可能性は大きかったが、

とりあえず今は大丈夫だ。

(ドキドキするのは悪いことじゃないんだもんね)

昨日寝る間際に読んでいた小説の影響を受けている。

(もっと素直に自分の気持ちを受け入れて・・・)

「ヒスイ?」

「あ、うん」

「レモンティーどう?」

「うん。美味しいよ」

「・・・そう。良かった」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「あ、僕もう行かなきゃ・・・」

「えっ!?」

(もう行っちゃうの??)

  

二人、別々の場所に行くときは必ずキスをする。ヒスイはコハクを見上げてキスを待った。

「・・・じゃ、行ってくるね」

「あ・・・うん」

(あれ?しないの?)

それ以来、おやすみのキスもない。そして当然ヒスイの体にも触れなかった。

(あれれ?)

(なんで???)

今度はヒスイの番だった。

なぜこんなことになってしまったのかわからない。

(なんで急に何もしなくなっちゃったの??)

こうなってみるとかなり物足りない。

(お兄ちゃん・・・飽きちゃったのかな・・・するの。まさか私のこと好きじゃなくなったとか・・・)

ドキドキしている場合ではなくなってしまった。

今度は胸がズキンと痛む。

(・・・どうしよう・・・)

  

(我慢だ。我慢)

コハクはヒスイの知らないところで何度も手を伸ばしかけた。

その度に自制心を奮い立たせて4日が過ぎた。

(なんとか4日・・・だけどこのままじゃ僕の身が保たない・・・)

ヒスイは何も言わなかった。

ただ不安ばかりが大きくなり、知らず知らずのうちに溝が深まっていく。

5日目の夜のこと・・・

「お兄ちゃん」

「ん?」

「私もう寝るんだけど・・・」

「うん」

ヒスイはじっとコハクを見上げ、瞳を閉じた。

どうみてもキスの催促だ。

(・・・したい)

コハクはごくりと唾を飲んだ。が、耐えた。

(プラトニック・・・プラトニック・・・)

「・・・おやすみ。ヒスイ」

「もういいよ!!」

ヒスイが怒鳴った。

「え?」

「私!お父さんのところで寝るからっ!!お兄ちゃんなんてもう知らないっ!!」

ヒスイは枕を持って部屋を飛び出した。

(えええ〜っ!?何でそうなるの??)

  

「メノウ様ぁ〜・・・。ヒスイ来てませんか・・・?」

コハクはヒスイを追ってメノウのところへ顔を出した。

ヒスイはまだ来ていないようだ。

「何やらかしたの?今度は」

「実は・・・」

コハクは事の発端をメノウに話した。

「はぁ??プラトニック?何、血迷ったこと言ってんの?」

「ですよねぇ・・・」

コハクもそんな気がしてきた。

「あのなぁ・・・何の障害もない二人がプラトニックしてどうすんだよ・・・。自由に触ることが許されてるのにもったいなくない?」

「・・・メノウ様ならそう言ってくれると思ってましたぁ〜・・・・」

コハクは同じ肉体的恋愛派であるメノウの言葉に感激した。

「柄にもないことするのやめれば?」

「でもヒスイが・・・」

「何で怒ってるのかわからない・・・って?」

「はい〜」

「お前さぁ・・・自分の気持ちばっかり先走ってない?」

「え・・・?」

「ヒスイのこと好きだ!好きだ!ってそればっかりで、ヒスイが自分のことをどんな風に好きでいるのか考えたこと・・・ある?」

「・・・・・・」

(・・・ない)

「お前はさ、自分のどこがヒスイに好かれてるって思うワケ?」

「・・・・・・」

(・・・どこだ?)

「ヒスイのこと何でも知ってるなんて言っても、わかんないんじゃないの?実は」

「・・・・・・」

(・・・確かに・・・)

「ヒスイがいつまでも子供のままだと思ったら大間違いだよ。あれで結構頭はいいから、お前の得意な嘘だってそのうち全部見破られちゃうかもね。くすっ」

「・・・・・・」

(・・・そうかも、しれない・・・)

  

「・・・どこよ、ここ」

ヒスイは道に迷っていた。

メノウの部屋を目指したはずが、全く知らない場所だ。

「う゛〜・・・っ・・・」

ヒスイは我慢できなくなって泣き出した。

もともと涙もろい。

枕で顔を隠しながら、くやしいやら悲しいやらで、涙が止まらなかった。

「・・・迎えにきたぞ」

オニキスは自分の胸が痛み出したので、ヒスイの身を案じていた。

人目につかないようにして自分の部屋に連れ込む。

「・・・今度は何だ。何故胸を痛めている?」

「・・・お兄ちゃんが・・・私に飽きたみたいなの」

「・・・は?」

「何もしてくれなくなっちゃって・・・」

(・・・あいつ・・・ホントにバカか?)

話を聞けば、あの晩以来コハクはヒスイに触れないという。

コハクがオニキスのもとへ訪れたことは当然知らないヒスイ。

(・・・こいつら兄妹は直接向き合うことをしない。もっとお互いに話し合えばいいものを・・・なぜ・・・・前からそうだ)

ヒスイには言わないでくれ?

お兄ちゃんには黙ってて?

(・・・いい加減にしろ)

オニキスはキレる寸前だ。

(伝えるべきことをちゃんと伝えないから・・・常に体で確かめ合う必要があるわけだ。本当にどうしようもないな・・・)

プラトニックの世界とは正反対のところにいる。

「・・・飽きたら飽きたって言ってくれればいいのに!」

オニキスの思考を遮って、ヒスイが荒々しい声をあげた。

「・・・飽きた、と言われたらどうするんだ?」

「飽きられない努力をするだけよ。長く一緒にいればそういうことだってあるでしょ。・・・ちょっと癪だけど。頑張るわ」

「・・・殊勝だな」

「お褒めにあずかりまして」

「・・・では、何故泣く」

「汗よ」

ヒスイはごしごしと目を擦った。

「・・・汗が目から出るとは変わった体質だな」

「そ、そうよっ!特異体質なのっ!」

「・・・慰めて、やろうか?」

「え?」

バンッ!!

勢いよくドアを蹴破る音がした。

(・・・やれやれ。やっときたか)

オニキスは扉の方を見た。

コハクが猛スピードで前進してくる。

「お兄ちゃん!」

「プラトニック・ラブなんてやめた!!」

「え?」

コハクはヒスイの顎を掴み、唇を吸った。

「・・・ずっと我慢してたんだ。ヒスイが嫌がると思って」

「・・・全然、嫌じゃない!」

キスが終わるとヒスイはコハクに抱きついた。

「・・・続きは自分達の部屋でやれ」

オニキスは二人を追い出した。

「いやぁ、すっかりご迷惑をおかけして」

「ごめんね!ありがと!」

二人はべったりとくっついてオニキスの部屋を後にした。

毎度のことながら損な役回り・・・だが、ヒスイの微笑みひとつでチャラになってしまう。

(ある意味オレも特異体質かもしれん・・・)

  

「・・・血だけじゃなくて・・・こっちも・・・のむから」

ヒスイは四つん這いになってコハクの下半身に顔を寄せた。

「でも・・・」

「いいの。だってお兄ちゃんだって、いつもこうやってしてくれる」

「ヒスイ・・・」

「うまくできるかわからないけど・・・」

ヒスイは瞳を伏せ、舌を出した。

(!!この顔・・・いいぞ!!)

ヒスイのこんな顔はしてる時しか見られない。

コハクの自信は完全に回復した。

(あぁ・・・もう最高・・・・。むふっ)

  

「はふ・・・っ」

「・・・大丈夫?ヒスイ・・・すごく濡れてる」

コハクがそっと指で触れるとヒスイは悩ましげな声を漏らした。

「ぅ・・・ん」

「・・・欲しいの?」

ヒスイは申し訳なさそうに小さく頷いた。

「・・・いいよ。僕も中でいかせてもらうから」

「ん・・・」

ヒスイが顔を上げた。

上体を起こして自分からコハクを受け入れる。

「ん・・・ふっ。あ・・・っ」

「ん・・・はぁっ・・・おにいちゃん・・・」

「・・・うん」

可愛い。コハクはうっとりとヒスイを眺めた。

「おにいちゃ・・・ん」

「おにぃ・・・ちゃぁ・・・ん」

同じ“お兄ちゃん”でもだんだんニュアンスが変わってくる。

コハクはその違いまでじっくりと堪能した。

  

「お兄ちゃんと私はね、いっぱいしなきゃだめなの。だってこれは兄妹じゃない証なんだから」

ヒスイはコハクの腕の中で笑った。

「兄妹じゃない・・・証・・・ね」

その割にはコハクのことをいつまでも“お兄ちゃん”と呼んでいる。

微笑ましい矛盾。

コハクは苦笑いした。

  

翌朝。

一足先に服を着るコハクにヒスイが語りかけた。

「お兄ちゃんの髪が短くなった時のこと覚えてる?」

「覚えてるよ。あの時、ヒスイすごく怒って・・・あれ?」

そのシチュエーションはつい最近もあった。

「同じなの。あの時と」

「同じ・・・?」

「うん」

コハクはなんとなくヒスイが怒る理由がわかってきた。

(ヒスイは僕が男っぽく見えるのを嫌がるから・・・)

「・・・・もしかして・・・今回はこの服?」

「ん・・・カッコイイって思ったの。そうしたら急にドキドキして恥ずかしくなって・・・」

「それで怒って逃げちゃったの?」

「うん。ごめんね」

「謝ることないよ。それ、すごく嬉しい」

容姿を賞賛されることに慣れているコハクもヒスイに褒められるのが一番嬉しい。

コハクは幸せいっぱいに微笑んだ。

「お兄ちゃん・・・」

ヒスイは言葉に出して伝えることの大切さが少しわかった気がした。

(私のことを何でも知っているはずのお兄ちゃんでもわからない事があって・・・だけどそれをちゃんと言葉で伝えることができたら、こんなに喜ばせることができるんだ)

「じゃあ、行ってくるね」

「うん」

コハクがベッドの側に寄り、ヒスイに甘いキスをする。

((やっぱりこうでなくちゃ・・・ね))

ページのトップへ戻る