世界に愛があるかぎり

7話 リリスの楽園

   

「ラピス様」

ガチャガチャと鍵を外す音が聞こえた。

「迎えが・・・」

ラピスは今にも泣き出しそうな顔でヒスイを見つめた。

ヒスイは窓を開けて逃亡計画を練っている。

(・・・高い)

細く長い塔の最上階。

監禁に使うにはもってこいの場所だ。

(移動の魔法陣では2人同時に逃げられない・・・)

「飛び降りるしかないわね」

「こ・・・ここから!?」

「早くこっちへきて!」

ラピスを窓辺に呼び寄せた。

「ちょっとこれ持ってて!!」

そして素早くTシャツを脱いだ。

「わあっ!!」

ラピスは見てはなるまいと両手で顔を覆った。

しかしその隙間から・・・つい見てしまった・・・ヒスイの白い肌と

背中の小さな羽根を。

(天・・・使の羽根??)

「ラピス様?」

侍女らしき女性の声。複数・・・いる。

ガチャリ・・・と扉が開いて、返事がないのを心配している顔が覗く。

「いくわよっ!」

ヒスイは思いっきり羽根を広げた・・・つもりだが、上から服を着ていればわからないくらいの小さな羽根を広げたところで、たいした面積はない。

コハクのように自由に出し入れできるようになるには20年近くかかると言われている。
それまでは空も飛べない。
羽根をしょったままの生活だ。

(少しでも空気抵抗があれば・・・落ちたときの衝撃が減るはず・・・)

「ラピス様!?」

侍女達がどっと部屋の中心に押し寄せてくる。

振り向きもせず、ヒスイはラピスを抱え上げて窓から飛び降りた。

「ねぇ・・・今の・・・」

侍女のひとりが言った。

「モルダバイトの王妃様じゃなかった・・・?」

   

「ヒスイが・・・召喚されました」

コハクはかなりきまりが悪そうにしている。

「・・・あのあと・・・か」

オニキスの視線が突き刺さるようだ。

「はい・・・」

「・・・お前なら召喚魔法を断ち切ることぐらいたやすいだろう。なぜヒスイから離れた?」

「・・・すみません」

あっちでもこっちでも責められっぱなしだった。

さすがにヒスイの下着を拾いに行っている間の出来事だった、とは言いにくい。
深く追及される前に話を展開させることにした。

「眷族のあなたなら、ヒスイの居場所がわかるはずだ」

オニキスは一瞥してから答えた。

嫌味たっぷりに。

「・・・お前もしてもらったらどうだ?」

それが通じているのかいないのか、コハクははっきりと否定した。

「・・・僕はヒスイの眷族にはならない。何故だかわかります?」

わかる筈もない。

オニキスは黙って続きを待った。

「・・・世の理も自然の摂理も関係ない。ヒスイは僕より先には死なせない。もしものことがあっても僕がいる限り何度でも蘇生させます」

「・・・・・・」

「一緒に死んでしまっては元も子もないですから」

コハクとオニキス・・・この二人が対照的なのは見た目だけではなかった。
それぞれが選び取る道が見事なまでに正反対だ。

「まぁ・・・羨ましくないと言えば嘘になりますが」

コハクは肩をすくめて笑い、話を続けた。

「召喚士が相手だと何かとまずいんで、一刻も早く場所の特定を」

「・・・どうしろと言うんだ、オレに」

「この間のように・・・ヒスイの声に耳を傾けてください。ヒスイはきっとあなたに語りかけてくる」

   

はぁっ。はぁっ。

はぁ。はぁ。

ヒスイとラピス・・・二人は近くの森に逃げ込んだ。

二人とも酸欠状態だったが、足を止める訳にはいかなかった。

逃げるところを見られている。

相当数の追っ手が差し向けられるのは覚悟しておかなければならない。

(なんとか逃げきらなくちゃ・・・でも・・・どこに身を潜めれば・・・)

この土地は初めてで、どこに何があるか全くわからない。

肝心のラピスは箱入り王子で、外のことはほとんどわからないという。

(ホント頼りにならないわね・・・)

ヒスイの苦手なタイプだった・・・弱々しい話し方が妙にイラッとくる。

「男ならもっと男らしくしなさいよっ!」

ひとこと言ってやらなければ気が済まない。

「ご・・・ごめんなさい〜」

「・・・・・・」

はぁ〜っ。ヒスイの口から大量の二酸化炭素が洩れる。

「・・・ケット・シーを召喚するわ」

ケット・シーとは周囲を混乱させるのが得意な猫の幻獣だ。

「それで追っ手を混乱させて時間を稼ぐ。魔法陣は私が描くからやってみて」

「え!?ぼくが??」

「そうよ」

ヒスイは召喚術が得意ではなかった。

魔法陣も呪文も何一つ間違いはないのに成功率が低いのだ。

「召喚術には、悪魔召喚、幻獣召喚、精霊召喚の三つがあるの。

悪魔召喚は代償が必要な場合が多いけど、幻獣召喚は違う。

幻獣は自分を呼び出した相手に敬意を払って、無償で力を貸してくれる。中には気むずかしいのもいるけど・・・」

偉大な父メノウの受け売りだが、木の枝で魔法陣を描きながらヒスイはそうラピスに話して聞かせた。

ラピスは熱心に耳を傾けている。

「人間に好意を持ってくれている幻獣ほど呼び出しやすいの。ケット・シーはその筆頭と言われているから、キミの呼びかけに応じてくれるはずよ」

  

「・・・ケット・シーを召喚して、って言ったでしょ・・・」

にやぁ〜ん。ごろごろ。

「どう見てもただの猫じゃない」

「ご、ごめんなさい・・・」

ラピスが召喚呪文を唱えると、空から猫が降ってきた。

猫・猫・猫。

見渡す限り猫で埋め尽くされている。

「どうするのよ・・・これ・・・」

「ど、どうしましょう・・・」

二人は猫に囲まれ、立ち往生してしまった。

(こんなところで足止め食らってる場合じゃないのに・・・)

だが、人任せにした自分も悪い。

「私がやってもたぶん同じようなものだわ」

ラピスがすっかり落ち込んでしまったのを見て、ヒスイは声に出して言った。

にゃぁん。

降ってきた猫が頭の上にも肩にも乗っている。

二人はお互いに笑った。

「あ・・・っ!」

ラピスの肩に乗っていた猫がベールを加えて飛び降りた。

「それ、レンタルだから・・・ちょっと待って・・・」

情けない理由でラピスが後を追う。

「え?ラピス?どこ行くの??」

ヒスイが更にその後に続く。

深い森だった。

モルダバイトの樹海よりも、異世界めいた空気が流れている。

「待ってぇ〜」

ベールを加えた猫は大きな樹の根本に消えた。

地面と根っこの間にかなりの隙間がある。
奥は見えないが、女子供なら軽く通れる程の大きさ・・・ラピスは脇目も振らずその中に突っ込んでいった。

「ちょっと!?」

猫だけでなくラピスまで消えてしまった。

ヒスイは渋々、根本に体を押し込めた。

(この先・・・なんか嫌な予感がするのよね・・・)

  

「なに・・・ここ」

二人は立ち尽くした。

木の中か、地下であるはずの場所にもうひとつの世界が広がっていた。

根っこに潜り込む前はどんよりとした曇り空・・・それがこちらでは雲ひとつない青空・・・そして、草原だ。

「ベールがぁ〜・・・・。借金がまた・・・増える・・・」

猫を見失ったショックでラピスがへなへなと座り込んだ。

「・・・噂以上の貧乏王家なのね・・・」

気の弱いラピスが実はお金にうるさいということが判明して、ヒスイは思わず笑ってしまった。

「でも・・・国で一番の財産は“平和”であることだってオニキスも言っていたし・・・まぁ、そう気を落とさず・・・ぷぷっ」

「え?モルダバイトのオニキス様が!?」

「そ、そうよ?」

ラピスがモルダバイトの王の名に過剰に反応したので、ヒスイは少々驚いた。

「オニキス様は・・・ぼくの憧れなんです。モルダバイトはとても良い国だから。ぼくもいつか・・・オニキス様みたいな王様になって、この国を・・・モルダバイトのような豊かな国にできたらと・・・」

「へぇ〜・・・」

(一応王子としての自覚はあるのね・・・)

「そういえばご結婚されたってきいたけど・・・王妃様ってどんなヒトなんだろう」

ラピスは人差し指を顎にあてて呟きながらヒスイを見た。

オニキスのことを知っているのなら当然王妃のことも知っているだろうという期待に満ちた眼差しだった。

「え!?ああ、そうね。どんなヒトなのかしらね。私も知らないわ」

「きっと・・・すごく綺麗で、優しくて、頭のいい人なんだろうなぁ・・・」

ラピスは王妃像を勝手に創り上げてうっとりしている。完全に自分の世界だ。

「・・・・・・」

ヒスイは知らんぷりを決め込んで、明後日の方を見た。

「?ねぇ・・・あれって・・・」

ヒスイの見た明後日の方角に林があった。

その入り口に純白のベールが落ちている。

「あ!あれは!!」

ラピスは喜々として駆けていった。

「よかったぁ・・・これで弁償しなくて済む・・・」

「ラピスっ!!」

「え?」

危険を知らせようとするヒスイの声。

「罠よ!!」

「わぁぁっ!」

ラピスは足元を網に掬われた。

そのまま全身に網が掛かり、ぶらんと木に吊された。

(・・・何、この人達・・・)

ヒスイと木に吊されたラピスを何人かが取り囲んだ。

(女ターザン・・・?)

全員、女だ。
動物の毛皮で胸とお尻を隠している程度のワイルドな服装・・・。
どう考えても時代錯誤だ。

「ようこそ。リリスの楽園へ」

女のひとりが口を開いた。

それからヒスイをまじまじと見た。

「・・・こいつは上物だ。チャロ様に捧げろ!さぞお喜びになるだろう」

女は縄を取り出し、ヒスイの手首をきつく縛った。

(ここで逃げるのは得策じゃないわ。かえってここのほうが見つかりにくいかもしれない・・・)

ラピスは網の中で意識を失っている。

どのみち置いて逃げるわけにもいかない。

相手は人間。しかも全員女。
その気になればいつでも逃げられるとヒスイは思った。

甘んじてお縄になり、女達に挟まれて歩く。

異様に体格の良い女がラピスを軽々と肩に担いでいた。

(それにしても・・・リリスの楽園って・・・なんかアヤシイ響き・・・)

ヒスイは悪い予感が的中しないよう心の中で祈った。

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