世界に愛があるかぎり

14話 因縁の調教

   

深夜2時。

グルル・・・。

ファントムの倉庫脇に繋がれた銀の獣・・・。

グアァァーッ!!

「・・・片手でも君の調教には困らないよ」

コハクは襲いかかってくる獣の牙を、鞘に入ったままの剣で止め、右足で勢いよく蹴り飛ばした。

キャン!

犬のような声をあげて獣が転がる。

魔石。オブシディアン。

所有者であるメノウに力を抑えられ、今は大型犬ぐらいの大きさしかない。
が、身に纏う獰猛な雰囲気はヒスイを傷つけた時と何ひとつ変わっていなかった。

  

「こいつさぁ・・・サンゴの弟なんだ」

メノウは魔石を光に翳した。

18年目にしてはじめてコハクに明かされた真実だった。

他に知る者はいない。

「サンゴの弟にして“銀”の直系・・・最後の生き残り」

「そうだったんですか・・・」

勝負がつかないはずだ。

(サンゴ様の弟だから・・・メノウ様は殺すのを躊躇って・・・戦いはいつまでも終わらなかった・・・か)

「サンゴ様に似てるんですか?」

「全然。っていうか、むしろ正反対」

羽根が2枚になってからは完全に戦線を離れていたので、コハクはオブシディアンのことを殆ど知らなかった。

(そもそもコイツが諸悪の根源だ。コイツがヒスイに襲いかかったから、結果的にオニキスが眷族という厄介な生き物に・・・)

「そろそろ外に出してみようかと思ってさ」

「そうしたら真っ先にヒスイを襲うんじゃないですか?」

「うん。たぶんそうだろうなぁ。でも、ヒスイにはお前が付いてるだろ」

「まぁ・・・そうですけど」

「少し調教してやってよ」

「え?僕がですか?」

「お前みたいに血も涙もないやつのほうが“調教”には向いてる」

(ひどい言われよう・・・)

だが、間違ってはいない。

「お前はそれがウリじゃん」

「はぁ・・・」

(全然褒められてる気がしない・・・)

「時間がかかると思うんだ。かなり歪んじゃってるから。ヒスイに牙を剥こうとしているうちは力で黙らせて」

「・・・わかりました」

  

(でも毎晩これじゃなぁ・・・)

人知れず、獣と格闘。

ファントムに合流した日から始まった深夜のメニューだ。

(放っておくと首輪抜けてヒスイのところまでくるからなぁ・・・コイツ)

向かってくるオブシディアンを、剣でなぎ払い蹴りを入れる。

これは“調教”だ。

やりすぎてはいけない。

ぎりぎりまで体力を削るのが目的だ。

夜の間だけ動きを封じればいい。

日が昇れば吸血鬼のオブシディアンは動けなくなる。

(メノウ様・・・優しくなったよなぁ・・・サンゴ様と結婚してから人が変わったみたいに)

結婚前のメノウと比べると、笑わずにはいられない。

(僕もメノウ様のこと言えないか。ヒスイが産まれてからすいぶん丸くなった・・・と、思うんだけど・・・。これでも・・・)

そんなことを考えながら、オブシディアンの頭を掴んで壁に叩きつける。

(これだけやっても24時間後には回復してるんだから・・・疲れる・・・)

  

「ええと・・・次なんだっけ・・・」

他にもやらなくてはならないことがたくさんある。

「そうだ・・・あれを・・・」

足元がふらついている。

ヒスイにたっぷり血を飲ませた後で、貧血気味なのだ。

コハクは近くの木に寄りかかった。

「やっぱり片手だといつもより時間くうなぁ・・・」

東の空が明るい。朝日の眩しさに目を細める。

(ヒスイが目を覚ます前に部屋へ戻らないと・・・最近、早起きなんだよね・・・。やっぱり夜の詰めが甘いのかな・・・)

  

「あぁ・・・今日も・・・寝そびれた」

  

「ん・・・」

ヒスイが目を覚ました。

朝一番にすることはコハクへのおはようの挨拶だ。

「お兄ちゃん・・・?」

ベッドの中からコハクを呼ぶ。

「おはよう。ヒスイ」

笑顔と共にコハクの声が返ってくる。
そこからヒスイの一日が始まる。

「おはよ!お兄ちゃん!」

「今朝はちょっと冷えるから早く服着てね、今お茶を入れるから・・・」

「いいよ!私がやる!お兄ちゃんは怪我してるんだから、じっとしててって毎朝言ってるのに!」

ヒスイは慌てて服を着た。

「大丈夫。大丈夫」

食事が自分で食べられないという割には器用にお茶をいれる。
その矛盾にヒスイは気付かない。

「はい。今日はアップルティーだよ」

「わぁ〜・・・いい香りがするね〜」

ヒスイはまず香りを深く吸い込んだ。
最近はアップルティーもお気に入りなのだ。
朝のティータイムはヒスイの大好きな時間だった。

「・・・ん?」

突然、ヒスイがピクリと反応した。
カップから視線を上げ、窓の方を見る。

「血の・・・匂いがする」

パサリ・・・。

ベランダから弱々しい羽音が聞こえた。

ドサッ!

「!?」

ヒスイとコハクは顔を見合わせてベランダに向かった。

「カーネリアン!?」

「・・・騒ぐんじゃ・・・ないよ・・・」

そうは言っても体中傷だらけだ。かなり出血もしている。

重症だ。一目でわかる。

「あそこ・・・何かが・・・いる」

カーネリアンはコハクに告げた。

「作戦は延期だ。単独行動は・・・許さない・・・よ」

「カーネリアン!」

ヒスイは血だらけのカーネリアンを抱き起こした。完全に意識を失っている。

「とにかく手当をするから。ヒスイも手伝って」

「うん!」

  

「・・・“何か”がいると言ったのか」

意識の戻らないカーネリアンの横でオニキスとコハクが対話していた。

仲違いをしている場合ではない。お互い嫌なことは水に流して向き合っている。

「カーネリアンをここまで追いつめるとは・・・」

オニキスの表情は深刻だ。

「戦い慣れしているカーネリアンがそう簡単にやられるとは思えない」

「・・・だとしたら相当な手練れが向こうにいるということですね」

「・・・少し、甘く見ていたかもしれん」

「・・・僕もナメてました」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・骨、くっつけてきます」

コハクが言った。

「・・・そうしろ」

  

「ヒスイ」

「あれ?お父さん?」

コハクと入れ違いでメノウが本拠地に顔を出した。

「お兄ちゃん、骨折治して貰うのにお父さんのところに行ったんだけど・・・」

「城にはシンジュがいるから大丈夫だよ。骨折ぐらいならすぐ治せる」

「そっか」

「今日はヒスイに大事な用があってきたんだ」

「大事な・・・用?」

「そ。ちょっと付き合ってくれないかな」

メノウはヒスイを連れて倉庫脇の広場に向かった。

オニキスも“大事な用”の該当者としてヒスイに同伴していた。

倉庫は関係者以外辿り着けないような、わかりにくい場所にあった。

針葉樹の多い森を抜けた先の小さな建物・・・それが倉庫だ。

「あ・・・」

ドクン・・・とヒスイの心臓が深く鈍い音を刻んだ。

見覚えのある銀色の獣・・・あの時ほどの大きさはないが、痛みの記憶が甦る・・・。

ヒスイの足が竦んだ。

その獣に殺されかけた恐怖とオニキスの命を奪った罪悪感が同時にヒスイを襲った。

「・・・・・・」

オニキスは獣を見据えた。

銀の獣・・・オブシディアンは死んだように動かない。ぐったりとしている。

(メノウ殿は・・・何か考えがあるに違いない)

少し先を歩くメノウの目を盗んで、オニキスは不安げなヒスイの肩をそっと抱いた。

「・・・大丈夫だ。今度は・・・守る」

   

(丁度いい具合に弱ってるな・・・)

メノウは上からオブシディアンを覗き込んだ。

オブシディアンの反応はない。

傷ついた体を癒すために眠っているようだ。

(“調教”の成果が出てる。サボらずにちゃんとやってたみたいだな。けど、ファントムのリーダーと掛け持ちじゃ、あいつもそろそろ限界だろ)

「・・・決着、つけなきゃな」

戦いの決着はついている。

メノウの望む決着は別のところにあった。

「こいつの名前はオブシディアン。サンゴの弟で・・・ヒスイの叔父にあたる」

まずはヒスイとオニキスにそう紹介した。

「叔父さん・・・」

「血縁・・・だったのか・・・」

二人は口々に呟いた。

「二人ともこいつには酷い目に合わされたよな」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

答えはない。

ヒスイもオニキスも何と答えていいかわからなくなっていた。

「・・・許せる?」

メノウは続けて質問した。

「・・・それをこれから見極めるのではないのか」

オニキスの声は落ち着いている。

「その通り。ちょっと趣味が悪いんだけど、これからこいつの記憶を探る。俺やヒスイに対する強い殺意がどこからくるのかちゃんと知っておきたいんだ。その上で、できれば・・・和解したい」

  

メノウは、オニキスにオブシディアンの体を倉庫の中へ運ぶように言った。
オニキスは黙って頷き、メノウの指示に従った。

倉庫の中はきれいに片付けられており、コンクリートの床には魔法陣が描かれている。

オニキスが魔法陣の中心にオブシディアンを降ろすと、メノウはポケットから取り出した小瓶を傾け、中の液体を一滴垂らした。

それから魔法陣の外に設置してあった水晶玉にも同じようにして一滴・・・ポワッと水晶玉が淡い光を放った。

「俺さ、結婚する前のサンゴのこと全然知らないんだよね。だけど、こいつなら知ってるはず・・・サンゴの・・・弟だから」

「私・・・お母さんの顔も知らない・・・」

ヒスイが呟く。
父親のメノウが復活してからもうずいぶん経つというのに、母親の顔どころか、いない理由さえ聞かされていなかった。

「これから会えるよ。こいつのなかのサンゴにだけど」

メノウは苦笑いで答えると、瞳を伏せ、呪文を唱えた。

「この水晶玉から・・・記憶を覗かせてもらう・・・」

ページのトップへ戻る