29話 春の足音
「いいからヒスイんトコ行ってみなって!」
そうメノウに強く勧められ、オニキスは今ヒスイ宅前に立っている。
誰もいない村・・・その奥にある大きな屋敷でヒスイとコハクは暮らしている。
朝から晩まで二人きり・・・狂気に近い世界だ。
コン。コン。
オニキスは軽く扉を叩いた。
この家には過去に何度か来たことがあった。
「いらっしゃい〜」
出迎えたのはコハクだ。
「すみません。こんな格好で」
(・・・益々主婦じみてきたな・・・こいつ・・・)
コハクは三角巾にエプロンという格好をしていた。
「ヒスイ・・・ですよね?」
「ああ」
居間に案内されたが、ヒスイの姿はない。
近くの衝立に向かってコハクが声を掛けた。
「ヒスイ〜。ほら。出ておいで〜」
「?」
(かくれんぼでもしているのか?)
ヒスイに会うのは久しぶりなのだ。
早く顔が見たい。
「そこにいるんですけどね、恥ずかしがっちゃって」
「?何故だ?」
「ふふふ。それはですねぇ」
コハクは微笑んで衝立の裏側からヒスイを連れ出した。
「!!!!!」
過去最大の驚きと言っても良かった。
ヒスイのお腹が・・・膨らんでいる。
これは明らかに・・・
「・・・おめでた・・・なのか・・・」
オニキスはまさにハンマーで頭を殴られたようなショックを受けた。
「えへへ。いらっしゃい。お腹目立ってきちゃって」
ヒスイはしきりに照れている。
「・・・そうか・・・」
心中激しく複雑・・・どうリアクションを取っていいのかわからない。
「あ、じゃあ、僕、裏庭に行ってますね。どうぞごゆっくり」
コハクは余裕たっぷり、完全勝利という笑顔でオニキスを見た後、ヒスイのお腹と頭を撫で、更にキスをしてから出ていった。
「お兄ちゃん、今、ガーデニングに凝ってるの」
ヒスイが苦笑いで見送る。
「庭いじり・・・か」
「うん。本格的だよ。なんかわけのわかんないハーブとか育ててる」
「庭師に欲しいな」
窓の外でコハクが水撒きをしている。
ヒスイは声をあげて笑った。
「血、飲むでしょ?」
「いや。今日はメノウ殿に言われて来ただけだ」
「ついでに飲んでいけばいいじゃない」
「しかし・・・」
困惑の表情を浮かべるオニキスにヒスイが迫る。
「気にしないで。お腹が大きいだけであとは全然普通なんだから」
「だが・・・」
「ホント平気だってば!ここのところ毎日お兄ちゃんからたっぷり血貰ってるから。喉乾くとつらいよ?」
「やはり今日はやめておく」
オニキスはどんなに勧められても血を飲もうとはせず、早々に帰っていった。
その翌日、オニキスは再びヒスイの元を訪れた。
「・・・手を出せ」
「?」
玄関口に呼び出されたヒスイは不思議そうな顔で右手を出した。
ポトリと手の平に落ちたもの・・・
ヒスイは耳まで赤くなった。
「やだ・・・妊婦扱いしないでよ・・・なんかすごく恥ずかしいから」
それは、安産のお守りだった。
「でも・・・ありがと・・・ね」
「・・・・・・」
ぽすっ、とヒスイの頭に手を置く。
「・・・オニキス?」
「・・・いい子を産め」
「・・・うん!」
村を守るために張られた結界の中では移動魔法が使えない。
オニキスは森の中を歩いた。
春先だが、今日は風が冷たかった。
照れながら頷くヒスイの姿を思い出す度に心があたたまる。
風の冷たさなど感じない。
そんな自分にいい加減呆れる。
(・・・腹の中に他の男の子供がいるとわかっていても・・・愛おしいと思える・・・オレは・・・正真正銘の馬鹿だ。わかっている。もう考えるまい・・・)
モルダバイト城の宮殿は賑やかだった。
コハクがヒスイを連れて遊びに来たからだ。
ヒスイの懐妊を聞きつけたお馴染みのメンバーも集結している。
お腹が目立つようになるとヒスイは更に人前に出るのを嫌がって、コハクの後ろに隠れたり、家具の影に隠れたりで顔を見せようとしない。
その後を金魚のフン状態でついていくのはメノウとカーネリアン・・・
喜びから顔が原型を留めていない。
「孫は目に入れても痛くないほど可愛いっていうし」
「産まれたら毎日でも見にいくよ!」
カーネリアンは子供が大好きだという。
「可愛いマタニティ服ねぇ」
オパールがほほほと笑う。
「でしょう?僕が作ったんですよ〜。お出かけ用に」
コハクはあちこちで笑顔をふりまいている。
「赤ちゃんはもちろん僕が取りあげます」
「あ!俺も参加〜!魔法医師免許持ってるし!」
メノウが手を挙げる。
「女手もあったほうがいいだろ!」
続いてカーネリアンも挙手。
とにかくすごい盛り上がりだ。
ヒスイは部屋の隅で小さくなっている。
自分が話の中心というのが嫌なのだ。
「ヒスイ様!おめでとうございます〜!」
ローズとシンジュが持てなしのお茶を運んできた。
「・・・ってそんな隅っこで何やってるんですか?」
「話についていけないのっ!」
ヒスイは赤い顔で口を尖らせている。
「それなら私の部屋で休みませんか?」
ローズは気を効かせ、ヒスイを自分の部屋に誘った。
「え・・・どうしたの?これ・・・」
ローズの部屋に足を踏み入れたヒスイは目を丸くした。
机の上に将棋の指南書が山のように積まれている。
勿論部屋の中はやり手のメイドらしくきちんと片付いている。
将棋グッズのみがやたらと浮いていた。
「あれから将棋にハマっちゃって」
暇を見つけては指しているという。
「・・・女流棋士にでもなる気?」
ヒスイにそう聞かれてローズは静かに微笑んだ。
「今、負ける訳にはいかないんです」
「それにしても大きいですね、お腹」
「うん。やっぱり人間じゃないせいか妊娠期間っていうのがはっきりしないみたい。お腹の大きさもかなり個人差があるんだって」
ヒスイは、うんしょ、うんしょ、と少し身が重そうに移動している。
(・・・かわいい。ヒスイ様って幼い感じがぬけないなぁ。スタイルはいいけど小柄だもんね)
「でもヒスイ様って結婚したばかりですよね〜。もっと二人でラブラブしなくていいんですか?子供が産まれたら忙しくなりますよ〜?」
「全然平気。あのね・・・」
ヒスイはローズに体を寄せ、耳元で囁いた。
「え?ええっ!?ホントに!?」
「うん。秘密よ」
(まぁ、ヒスイ様らしいと言えばそうなのかもしれないけど・・・でも普通考えないわよね・・・やっぱり少し変わってる。夫婦揃ってどういう思考回路してるんだか・・・)
「ねぇ、そこにある本見てもいい?」
と、言ってヒスイが将棋の指南書を指した。
「どうぞ」
「この間来た時にシンジュと指したんだけど、コテンパンにやられちゃって・・・っと・・・わ・・・」
突然何もないところで躓くヒスイ。
「!!ヒスイ様っ!危ないっ!!」
流産でもされたら大変だ。
ローズは体を張ってヒスイを支えた。
ヒスイの体はずっしりと重い。
「大丈夫ですかっ!!?」
「う・・・うん。ごめんね、足元がよく見えなくて・・・ローズ!?」
ローズも突然だった。お腹を押さえてうずくまる。
「う・・・お腹・・・いた・・・」
「ちょっと!!誰かっ!!」