世界に咲く花

1話 幸か不幸か


   

水の中に佇む彼女は、世界にたった一輪の花のように見えた。

世界で一番美しい花。

彼女は、オレの知るどんな花より綺麗だった。


   

モルダバイト。
不思議な伝承の多い国だ。

『いつまでも若く秀麗な王が納めるこの国には不老不死の秘術がある』

最近、各国で囁かれている噂。
そして17年前・・・二人の子供を残して忽然と姿を消した王妃はすべてが謎に包まれた女性で、この世のものとは思えぬ美しさだったという。

空から天使の羽根が降るとか。
風に乗って届く癒しの歌声とか。
この国はとにかく奇妙なことが多い。
好奇心旺盛な学者達は、夢を求めてこの地にやってくる。

オレもその一人だ。
大学院で植物学を専攻している。
名前はジンカイト。

モルダバイトは学問に力を入れている国で、魔道学院、大学院、その種類も多岐にわたり、学問を愛する者達の間では“学ぶならモルダバイト”と標語になるほどだ。
その恵まれた地で、研究と恋愛・・・普通に楽しい日々を送るはずだったオレは、ある出会いをきっかけに大学を辞め、騎士団に志願することになった・・・。

  

訳アリの姫君、シトリンの場合。

モルダバイトの王女。
騎士団長を務めるしっかり者の17歳。
父親譲りの見事な黒髪。誰もが認める優美な顔立ち。
“王女”であるにも関わらず、大鎌を振るい悪を狩るその姿は“正義の死神”“戦いの女神”と称され国民からの支持も厚い。

ちゃぷん・・・

水面に波紋が広がる。
王家の私有地である森の奥で、シトリンは水浴びをしていた。

「・・・私は・・・“誰”なんだ?」

水面に映る自分の姿。
キラキラと輝く金髪。菫色の瞳。
背中には金色の小さな羽根が生えている。
シトリンは首から下げている小瓶を握った。

(月に一度これを飲まなければ、黒い髪と瞳を保てない・・・)

モルダバイトの王は黒髪。
そして王妃は世にも珍しい銀髪だった。

(兄上は銀髪なのに・・・私だけが金髪・・・)

王と血が繋がっていないことは他ならぬ王の口から聞いている。
が、それ以上のことは何も知らなかった。

「・・・忌々しい髪だ・・・」

目が眩むほど鮮やかな金髪を一束手に取る。
どんなに美しくてもシトリンにとって嬉しいものではなかった。

「!!誰だっ!」

他者の気配を感じ、護身用の短剣を投げつける。

トスンッ!

突き刺さった木の後ろから現れたのは明るいオレンジ色の髪をした男だった。
男は両手を挙げ、降伏のポーズをしている。

「・・・君は・・・この国の・・・姫・・・?」

シトリンは水から上がり、男の胸ぐらを掴んで木に押しつけた。

「命が惜しくば、このことは誰にも言うな。お前・・・名前は?」
「・・・ジンカイト」

「すまなかったな。手荒なことをして」

ジンカイトは逃げも隠れもせず、平和的話し合いを提案した。
シトリンもそれに応じ、服を着てからジンカイトの隣に腰を降ろした。

「ええと・・・ジン、だったな?」

いきなり愛称。
シトリンは細かいことにこだわらない気さくな性格だった。

「こちらこそ、王族の私有地とは知らず失礼を」
「ジン。お前の返答次第ではここから帰せない。わかるな?」
「誰にも言いませんよ、誓って」
「・・・見ての通り、私は王家の血を引いていない。髪を染め、瞳の色を変え、国民を欺いてきた」
「・・・・・・」
(こっちのほうが綺麗だ・・・)

植物採集に夢中になり知らず知らずのうちに踏み込んだ森で、シトリンの姿を見つけた時は、息を吸うのも忘れて見とれた。
心を奪われる瞬間というのはきっとこういうことなんだろうと、実感していたところで捕まった。

「・・・私はこの国が好きだ。王女としてではなく、ひとりの人間として。いや・・・人間でもないようなのだが、自分でもよくわからん」

シトリンは自分の言葉にツッコミを入れて軽く咳払いをした。

「とにかく、だ。私はこの国を守りたい」
「それで・・・騎士団を?」
「そうだ。これでも腕には多少自信があるのでな」

シトリンを筆頭に結成されたモルダバイトの騎士団。
かなりの腕利きが多いと評判だ。
しかも、活躍の場は魔物退治だけではない。
落とし物、人捜し、迷子の案内・・・ささいな事件にも根気よく付きあって国全体の治安を守っている。
とても17歳の少女がまとめているとは思えない、統率の執れた組織だった。

「いくつか質問に答えろ。ジン。お前、家族は?」
「単身留学をしている身なので、この国にはいません」
「・・・ふむ。特技は?」
「・・・植物に関しての・・・薬草や毒草についての知識なら多少は・・・あと、手先は器用なほうだと思います」
「・・・悪くない」
「え?」
「お前はなかなか度胸があるとみた。騎士団に入れ、ジン。可愛がってやるぞ?」
「・・・騎士団・・・ですか・・・」
「嫌か?」
「嫌というか・・・オレ、戦いの経験ないですけど・・・」
「大丈夫だ。お前ひとりぐらい私が守ってやる。秘密を知られてしまった以上、そばに置きたいと思うのは定石だろう?」

金色の髪を掻き上げてシトリンが微笑む。

「・・・わかりました・・・大学、辞めてきます・・・」
「悪いな。だが、しっかり面倒みてやるから安心しろ」

美しいだけじゃなく、強い花だと思った。
その花は、容赦なくオレの心に根を下ろした。
つまり・・・オレは彼女に恋をした、ってことだ。

シトリンの“秘密”と気取らない笑顔は、オレにとって最高に甘い蜜となった。

  

眼鏡王子、トパーズの場合。

「誰かに話したら・・・殺す」

ジンはここでも胸ぐらを掴まれ、今度は壁に押しつけられていた。
“入団手続きをするから午後7時に城へ来い”
シトリンにそう言われ、時間ぴったりにやってきたものの、受付場所がわからず城の中を彷徨った。
そこでまたもや見てはならないものを見てしまった。

モルダバイトの王子、トパーズ。
シトリンの双子の兄。
類い希なる銀髪の美少年だ。
しかし、産まれて初めて目にする銀髪に感動する余裕すらなかった。
トパーズの口元から牙が見える。唇は血で染まっていた。
そして、燃えるような紅い瞳・・・鳥肌の立つ美しさだ。

(王子は吸血鬼!?一体どうなっているんだ?モルダバイト王家は。王も人間じゃないのか?不老不死伝説の真相はまさか、こういうことなんじゃ・・・)

「余計なことを考えるな。死期を早めるだけだぞ」

表情ひとつ変えずにトパーズが言った。
ジンから離れ、胸のポケットから眼鏡を取り出す。

「!!?」

声にならない驚きだった。
眼鏡を通して見るとトパーズの瞳は緑色なのだ。
血の色とはほど遠いエメラルドグリーンをしている。

「専門大学院のジンカイト。院生とはいえ植物学の権威で、博士号も持っている。周囲には隠しているが、貴族のお坊ちゃんだ」
「なぜそれを・・・」
「オレが教育機関を総括している。さっきお前の退学届けを受理した」

17歳で学問の頂点に立つ少年。
眼鏡をかけると、理数系でいかにも頭が良さそうに見える。

トパーズはシトリンのように表立った活動をしていないため、国民の認知度は低かった。
双子と聞いて驚く者もいるくらいだ。
とはいえ、モルダバイトでは特に愛される“銀”の髪・・・王子として明るみに出れば一気に盛り上がるはずだ。

「・・・肉親の血は基本的に旨い」

トパーズが指で眼鏡を押さえた。
シトリンがぐったりと椅子にもたれかかっている。
意識を失っていた。

「騎士団に入るそうだな?」
「ええ、まぁ・・・」
「それは好都合。見張りも楽だ」
「・・・・・・」

こうしてジンはシトリン・トパーズ双方に監視されることになった。
さすがに少し気が重い。

「このことはシトリンにも話すな。いいな?誰かに洩らすようなことがあれば・・・死ぬまで血を吸ってやる」

トパーズの目は本気だ。背筋が寒くなる。

(シトリンが蜜ならトパーズは棘だな・・・)

そんなことを考えながらジンはトパーズの言葉に何度も頷いた。


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