26話 優しい背中
「メノウ様。ヒスイ知りません?」
「出かけたよ、トパーズと」
バンッ!!
コハクがテーブルに両手をついて叫んだ。
「二人きりで!?」
「そう、二人きりで」
「人間を喰う下級悪魔が大量に出てさ。本来は掃除屋の管轄なんだけどなにせ数が少ないだろ?新人のトパーズが駆り出されて。パートナーってことでヒスイが同行したの。もちろん“仮”だけど」
「あぁぁ〜っ・・・何てこと・・・」
コハクが頭を抱える。
「・・・大丈夫だよ、トパーズは」
「信じられますか!!またヒスイが襲われでもしたら・・・あぁ!!」
危険な妄想・・・気が気でない。
目の色を変えて後を追おうとするコハクをメノウが制止する。
「待てって。あいつはそれほど歪んでない。頭の中はお前よりずっとマトモだ」
「どこが!?メノウ様は身内に甘すぎます!!」
「トパーズはちゃんと愛を受けて育った子供だ。“親”を知らない俺やお前とは違う」
「・・・確かにそうかもしれませんが・・・」
「もっと向き合う必要があるんだよ。お前達親子は。溝が深い」
「私ね、エクソシスト歴だけは長いの。子供の頃お兄ちゃんが勝手に登録して、ずっとそのままになってたから。仕事は全然してないんだけど、在籍26年のベテランよ」
道中でヒスイがそう話して聞かせた。
トパーズは黙って耳を傾けている。
「エクソシストは種族も身分も関係ない。悪魔に関する正しい知識さえあれば誰でもなれるのよ。トパーズは“王子”だけど、簡単に登録できたでしょ?」
メノウに言われた言葉が胸に引っかかって気持ちが晴れない。
普段は口数の少ないヒスイが珍しくよく喋った。
(トパーズが何を考えているのか“わからない”。だけど“わからない”ままにしちゃだめなんだ、きっと・・・)
人間界と魔界が交わる場所。
それは随所に存在するが、人間の目には映らない。
何の変哲もない倉庫の地下室を囲う壁。
そこから次々と現れる悪魔達。
特有の腐臭を身に纏って。
「う〜ん。どうやって追い返そうか〜・・・とりあえず結界でも
張っとく?」
「その必要はない。すぐ済む」
「え?」
<・・・還れ>
悪魔語で一言だった。
<!!オォォォーッ!!!>
トパーズの声に悪魔達が従う。
風の音に似た歓喜の声をあげながら、壁の中へと引き返してゆく。
<ハヤク、イコウ、ワレラガ、アルジ>
<トモニ、ヤミノ、ナカヘ>
<ソメヨウ、セカイヲ、マックロニ>
<フラセヨウ、チノ、アメヲ>
「え?え?何て言ってるの?私、悪魔語って全然わからなくて・・・」
ヒスイがトパーズと悪魔を交互に見て首を傾げた。
「・・・これで終わりだ。いくぞ」
「え?あの?もういいの?」
「・・・交渉成立だ」
一路地上への階段を昇るトパーズの後にヒスイが続く。
「お兄ちゃんも悪魔語ペラペラだけど、結局最後は戦いになっちゃって。“交渉”で事が穏和に運ぶことってあんまりないのよね・・・」
「アイツは悪魔の天敵だからな。上手くいく筈がない」
トパーズが煙草に火を付ける。
「・・・・・・」
(トパーズ・・・煙草の本数増えてる・・・)
日に日に伸びる喫煙時間。
「・・・喉渇いてるの?」
「別に」
「煙草・・・好きで吸ってるんじゃないんでしょ」
「・・・好きで吸ってるんだ」
長い階段を昇っている最中だった。
「でも・・・」
「・・・黙ってろ」
言葉の続きを遮るようにトパーズはヒスイの首筋へ噛みついた。
「・・・ぅ・・・」
しばらくしてヒスイが呻いた。
その声で我に返る。
「・・・・・・」
すぐに止血をしたがヒスイはかなりの貧血状態に陥っていた。
「う・・・ん・・・」
(帰ったらお兄ちゃんからたっぷり貰わないと・・・)
意識を保つために何度も頭を振るヒスイ・・・足元がふらついている。
狭い足場。そして踏み外す。
「きゃ・・・っ!!」
「馬鹿、何を・・・」
咄嗟にトパーズの服を掴んで道連れ。
二人は縺れ合い、階段を転がり落ちた。
ドサッ!!
「イタタ・・・トパーズ?大丈夫?」
「大丈夫もクソもあるか。ヒトを巻き込むな。一人で落ちろ」
トパーズはヒスイの下敷きになっていた。
「・・・早くどけ」
「あ、うん。ごめん」
眼鏡を掛け直してトパーズが溜息を洩らした。
「他人のことに首を突っ込むからこういう目に合うんだ」
「他人じゃ・・・」
そこまで言って言葉に詰まる。
トパーズには“母親”と認められていない。
きっぱりと否定され手酷い目をみたばかりだ。
「・・・そうだね、うん」
「・・・・・・」
「トパーズの言ってる事は正しいわ。自慢じゃないけど私、
母親らしいこと何一つしてないし」
「・・・・・・」
「昔はね、嫌だったのよ。“母親”っていうのが。だからオニキスに任せっきりで自分は何もしなかった。“母親じゃない”って言われるのも当然の事だし、それでもいいと思ってた。ずっと」
「・・・・・・」
「でも・・・シトリンがね、あまりにも普通に“母上”って呼んでくれたから・・・何となくその気になっちゃって・・・」
ヒスイは照れて頭を掻いた。
「・・・ごめん。気分悪かったでしょ?」
「・・・・・・」
「別に何と思ってくれてもいいわ。自分がしてきたことの報いは受ける」
「・・・・・・」
「だけど、これだけは言っとく。あなた達をオニキスに託したこと、後悔してないから」
「・・・何を勝手に解釈しているんだ?」
トパーズが言葉を返した。
その顔には苦笑いが浮かんでいる。
「お前は馬鹿だ。阿呆だ」
「・・・うん」
「・・・帰るぞ。乗れ」
トパーズが低い姿勢で背中を向ける。
「え?おんぶしてくれるの?」
「・・・また階段から落ちるのは御免だからな」
(・・・あったかいなぁ・・・トパーズの背中・・・)
トパーズの背中で思わず顔が緩む。嬉しい。
(ふふっ・・・やっぱり優しい・・・)
ヒスイは後ろから回した両腕に力を込めた。
(・・・お兄ちゃんと同じ匂いがする、って言ったら怒るかなぁ・・・)
「ああ!もう!離してくださいよっ!!」
寮ではまだメノウとコハクが揉めていた。
「一刻も早くヒスイを迎えに・・・ん?あれは・・・」
「な?大丈夫だったろ?」
二人の視界にトパーズの姿が入った。
いつもと同じ咥え煙草。
背中にはヒスイ。
とても気持ち良さそうに眠っている。
「おかえりっ♪」
メノウが笑顔で迎えた。
「・・・・・・」
(何だ!?この敗北感!!?)
コハクは言葉が出てこない。
(どうなってるんだ!?意地悪だけど優しい!?その設定は反則でしょ!!)
一ヶ月後。
「よし!完璧な仕上がりだ!」
「うん、よく頑張ったね」
シトリンとコハク。
上空で手を叩き合う。
城に戻ってからも激務の合間を縫ってコハクと訓練を続けていた。
直伝の大技もマスターし、すっかり自信もついた。
「・・・いよいよだ」
ごくり、とシトリンが唾を飲む。
「これで私の勝率はどれくらいだ?」
「う〜ん・・・はっきり言わせてもらえば5割」
「5割・・・充分だ!私は勝つ!!」
モルダバイト城。
「オニキス殿っ!!これを受け取ってくれ!!」
書斎にいたオニキスに押しつける・・・果たし状。
「・・・何だ・・・これは・・・」
オニキスは呆気に取られた顔で果たし状を開いた。
「・・・お前の意図がさっぱりわからん」
「3日後の正午、樹海の渓谷にて待つ!!」
樹海の渓谷・・・以前トパーズとコハクが戦いを繰り広げた場所だ。
「雨天決行だ!!いいなっ!!」
「・・・弁当はどうする?お前の好きな卵焼きを・・・」
「いるわけないだろうっ!!遠足じゃないんだ!!」
シトリンの切り返しにオニキスが笑う。
完全に子供扱い。笑殺。相手にされていない。
(くぅぅ〜!!見ていろよ!!今までの私とは違うんだ!)
火に油。シトリンの情熱が燃え上がる。
「これは決闘だ!ケ・ッ・ト・ウ!」
「わかった、決闘だな」
「笑っていられるのも今のうちだぞ!!私が勝ったら母上のことは忘れてもらう!!」
「・・・何だと?」
オニキスの表情が変わる。
ヒスイの名を出すことでシトリンの“本気”が伝わったようだ。
「母上を忘れて、私を愛してくれ!!」
大声で言ってしまってからボッ!と赤面。
「そ、その代わり私が負けたらオニキス殿のことはスッパリ諦める!!それでいいな!?」
「・・・いいだろう。その賭けにのらせてもらう。本気でいくぞ」
「望むところだっ!!!」