29話 最後に伝えたいコトバ。
煙草の匂い。
(トパーズ・・・近くにいるのかな・・・)
ヒスイは昼寝の真っ最中だった。
絨毯の上に転がって、ウトウトと夢の世界を漂っている。
そこに触れるトパーズの唇・・・。
「・・・苦い・・・」
ヒスイは眉をしかめ、うっすらと瞳を開けた。
「・・・忘れられない味だろう?」
「・・・んっ・・・」
再びヒスイの唇を塞いでから、トパーズが笑った。
今まで見たことのない表情。
初めてのキスだった。
トパーズはキスが終わるとすぐにいつもの顔に戻って、ヒスイの髪を引っ張った。
「・・・いくぞ。さっさと起きろ」
「え?どこへ?」
ヒスイは目を擦りながらトパーズを見上げた。
「・・・遥かな昔。世界の始まりへ。お前も連れて行くことにした」
「これが何だか知っているか?」
トパーズが目の前にぶら下げた懐中時計。
「!!それは・・・時間移動の・・・」
「その通り。城の宝物庫で偶然見つけたものを改造した。以前は100年ほど遡るのが限界だったが、これは違う。何千・何万の時を超えられる」
「それで・・・どうするつもりなの?」
「・・・説明が面倒だ。黙ってついてこい」
「待って・・・お兄ちゃんに・・・」
そう言われて待つはずがない。
「必要ない。攫っていく」
トパーズは懐中時計の蓋を開いて時間移動の呪文を唱えた。
時空を超える・・・と言っても一瞬だった。
髪も服も一切乱れていない。
瞬きをする間に景色が変わっていた。
「ここは・・・」
「魔界だ。五千年前の」
「ご・・・五千年前!?」
真っ暗な森の中。微かな月明かりだけが頼りだった。
「何を驚いている。アイツの歳とそう変わらないはずだ」
「お兄ちゃんと!?だって自分では二千歳ぐらいだって・・・」
「嘘だ。サバ読みしている」
「・・・・・・」
ヒスイは呆れて言葉を失った。
“お兄ちゃんは23歳だよ”
幼い頃からそう言い聞かされて育った。何年経っても23歳。
見た目と実年齢が大きく違うのを知ったのも結婚してからだった。
その上騙されていたとあれば不信感も募る。
(帰ったら問い詰めてやる・・・)
「・・・で、どこに向かってるの?」
暗くて足元がよく見えない。
ヒスイはトパーズのシャツをしっかりと掴んで歩いた。
「魔界は初めてか」
「うん。実は」
「・・・“銀”の吸血鬼が棲む国へ行く。ここからそう遠くない」
「そこで何を?」
「“銀”の始祖に会う。オレの考えが正しければ面白いものが見られるはずだ」
「面白いもの?」
「・・・お前が大好きなものだ」
「???」
1時間ほど歩いて辿り着いたのは美しい夜の国だった。
闇に映える草花が咲き乱れ、夜風に蜜の香りが混ざる。
静かな湖の畔に建つ城はそれほど大きくもなかったが、新築という感じで汚れは全くなかった。
生き物の気配もない。静寂に包まれた領域だった。
「・・・この頃はまだ“出来たて”だからな。生物の数も種類も
少ない」
そう言って、トパーズは城正面から堂々と入っていく。
「わざわざ忍び込むまでもない。どのみち誰もいない」
城の中は本当に誰もいなかった。
不審者を咎める者もいない。
そして、城主である始祖とは不意に廊下で遭遇した。
二人はとりあえず近くの石像の影に隠れた。
「お・・・にいちゃん??え・・・?」
理解不能・・・あまりの驚きで逆に声が細くなる。
石像の前を通り過ぎたのは長髪のコハクだった。
髪は銀。瞳は・・・紅い。
「・・・試作1号だ」
「え?」
「お前の“お兄ちゃん”は3号」
「ロボットじゃないんだからそんな言い方やめて」
トパーズの説明にヒスイは気分を害したようだった。
「他に言い方などない。所詮は神に創られた者だ。ある意味ロボットと変わらない。お前も・・・オレもだ」
「・・・・・・」
「・・・アイツと寝てこい」
トパーズが顎で始祖を指す。
「体の構造がお前の知るアイツと同じか、隅々まで確かめろ」
「え!?ちょっと・・・や・・・」
トパーズに突き飛ばされ、ヒスイは廊下へ転がり出た。
始祖が振り返る・・・
<あれ・・・?>
「!!」
(声もお兄ちゃんと一緒だ!)
しかし悪魔語だった。
言語学習を始めたばかりのヒスイは片言しか聞き取れない。
<君が僕の“相手”?>
始祖がヒスイを覗き込んだ。
<神の定めた僕の“花嫁”は・・・君?>
「私は・・・その・・・」
しどろもどろにヒスイが答える。
<?瞳の色が違うね。でも・・・綺麗だ>
(瞳の色?そうだ!トパーズが調査にきてるんなら協力しないと!でも・・・このヒトとえっちするなんて・・・)
コハクの色違い。その表現がぴったりだった。
始祖はすました微笑みでヒスイを見つめている。
(・・・やだな・・・お兄ちゃん以外のヒトとしたくない・・・いくら似てたって、このヒトはお兄ちゃんじゃないもん・・・)
泣きたくなってきた。
<“神の血”を絶やさず守り続ける。それが僕達の役目。共に力を合わせよう。銀の乙女・・・>
始祖の手が伸びる。
キスの流れだ。
ヒスイは嫌々ながらも目をつぶった。
「・・・気が変わった」
「え?」
トパーズが後ろからヒスイの手を引いた。
「・・・勿体ない」
抱き寄せて自分がキスをする。
<神!?いや・・・それにしては少し・・・>
ゆっくりと瞬きをして始祖が言った。
その瞳にはトパーズの姿が映っている。
トパーズは始祖の視線を無視してキスを続けた。
ヒスイは何が何だかわからない。
始祖の言葉もトパーズのキスも。
(???どうしたんだろ?今日キスばっかりしてる)
息子のキスは嬉しい。
必要以上に濃厚なキスでもヒスイは迷わず応じた。
「・・・帰るぞ」
「うん」
トパーズともう一度キスを交わす。
唇が離れる頃には元の時間に戻っていた。
「ええっと・・・」
ヒスイは必死に頭の中を整理した。
何が起きているのか・・・全く把握できていない。
正員寮。トパーズの部屋だった。
「・・・思ったより早いな・・・」
トパーズが呟く。
「・・・そろそろ・・・時間だ」
「え?」
謎のブロックが次から次へと積み上がる。
トパーズは“幸せ眼鏡”を外してヒスイに掛けさせた。
「くす・・・お前が掛けると逆に紅く見える」
「トパーズ・・・?」
眼鏡を掛けたヒスイが紅い瞳をぱちくりしている。
「・・・同じだな・・・オレ達。それ、お前にやる」
「え?」
「形見」
ドクン・・・
息が止まる衝撃。ヒスイの声が震える。
「な・・・にを言って・・・」
「・・・少し前に過去の天界へ行った。神の棲む世界は時間の流れが早い。3年なんてすぐ消化する。オレの体はもう保たない」
「!!どうしてそんなこと・・・」
「自分の目で確かめたいことがあったからだ」
潔い口調だった。
後悔も動揺も感じない。
「こうなることはわかっていた」
「そんな・・・」
ヒスイの瞳から涙が流れた。
なぜ話してくれなかったのか。
責めることもできない。
何もかもが手遅れだった。
「・・・ごめん・・・ごめんね・・・」
「お前のせいじゃない」
トパーズは瞳を伏せてヒスイと唇を重ねた。
とても優しいキスだった。
「別に未練もない」
「そんなの・・・嘘っ!」
ヒスイが両手で頬を包む。
そして自分からトパーズにキスをした。
触れるトパーズの唇が微かに動く。
「・・・やめろ。失いたくないものを見つけても・・・運命は変わらない」
「う゛〜っ・・・」
否定する言葉が見つからなかった。
ヒスイはくやしそうに歯を食いしばって唸った。
「・・・・・・」
最後に伝えたいコトバ。
美味しい血をありがとう?
犯してごめん?
元気で?アイツと幸せに?
違う。そうじゃない。
オレが最後に伝えたいのは・・・
「好きだ」
「え?」
「・・・・・・」
後が続かない。
口をついて出た言葉に自分で驚く。
(何を言うかと思えば・・・)
死に際の暴走・・・思わず笑ってしまう。
「ト・・・パーズ??なんでこんな時に笑って・・・」
恋人じゃない。
だけど母親とも思えない。
誰のものだとか、そんなの関係なくて。
ただなんとなく・・・愛しい女。
世界を構成するもので、わからないことなんて何もないはずなのにこの感情の名前をオレは知らない。
「や・・・っ!!トパーズっ!!」
トパーズの輪郭がサラサラと崩れ始めた。
「・・・いいか、ヒスイ。これから何が起こっても・・・お前に責任はない。それだけは・・・忘れる・・・な」
紅の呪い。肉体の崩壊。
ヒスイは大声で叫んだ。
「いやぁぁあ〜っ!!!」