世界に春がやってくる

3話 オトコの浪漫

 

街外れ。宿屋の一室。

軽いノックの後、静かに扉が開き、あどけない少年の声が響いた。

「お待たせ。それから、ごめん」

「・・・なぜ謝る」

対する低音はオニキスだ。

「ママに、似てるんだ」

「・・・そうか」

そこで僅かな沈黙。

「・・・顔を見せてみろ」

「うん」

深くフードを被り、俯いていたスピネルが顔を上げた。

両手でフードの端を掴み、初お披露目・・・

「・・・・・・」

自分と同じ黒髪に、愛する女と同じ翡翠の瞳。

確かにそれは罪なほど。

バランス良く混ざり合った遺伝子。

スピネルの姿に、瞬きさえ忘れて見入るオニキス。

「・・・ね?これじゃ、溺愛しちゃうでしょ?」

「・・・そうかもしれないな」

「でもボク男だから」

「わかっている」

というか、慣れている。オチのある展開に。

やはりここは苦笑い。

むしろ男で良かったと思う。

自分の血を継いでいるのだから、どれほどヒスイに似ていようと、娘は娘でしかなく、また、娘を他の男にくれてやる喪失感を味わうのも、もうしばらく遠慮したい。

「いこうよ。ボクに“世界”を教えて?」

はるか下からオニキスを見上げる瞳は、愛されていることをすでにちゃんと知っていて、その挑発的な瞬きは、いかにも一癖ありそうだ。

きっとまた振り回されるのだろうと思いながらも、自分へと伸ばされた小さな手に、自然と笑みが溢れる。

 

 

共に踏み出す世界は、新しいものであろう。

 

子供達が与えてくれるもの。

それは・・・“希望”。

生きる力だ。

 

新しい命を腕に抱けば、窓からの景色さえ、いつもと違って見えるのだから。

 

果てしない刻を生きるオレ達には、この“希望”が必要だ。

 

(ヒスイ・・・)

 

その名はいつも希望と共に。

こんなになってもまだ、胸を熱くする。

 

 

「・・・よし、行くか」

「あ、その前に一つお願い」

耳貸して。と、スピネルがオニキスの服を引っ張った。

ごにょごにょごにょ・・・

「・・・なん・・・だと・・・」

耳元でヒスイ並に唐突な事を言い出すスピネル。

オニキスは呆気に取られた。

ここまで無茶を言う子供を育てるのは初めてだ。

「だからまずは洋服屋さんに連れてって。ボクにワンピースを買ってね」

仕切屋。スピネル。

どうもこういう図々しいタイプに弱い。

「・・・わかった。連れて行く」

オニキスがそう答えると、スピネルは無邪気に笑って喜んだ。

「あ・・・一番大切なこと言うの忘れてた」

「・・・今度は何だ」

 

 

『ありがと。ボクに体をくれて』

 

 

それは、ある休日のこと。

 

「・・・何、やってるの?」

早朝にも関わらず、リビングには男性陣が全員集合していた。

遅れて現れたヒスイがきょとんとした顔で尋ねる。

妙な雰囲気なのだ。

折り畳みテーブルを広げて、コハク、トパーズ、ジスト、サルファー。

皆一様に下を向いて、ペンを動かしていた。

 

「え?なに?同人誌即売会??」

「うん。そこで自作の本を売るんだけど、原稿が間に合わないらしいんだ」

それでサルファーの手伝いをしているのだと、コハクがヒスイに説明。

サルファーの趣味はお絵描きに留まらず、近頃急速に発展してきた“漫画”に傾倒していた。

将来の夢は漫画家。実現目指して意欲的な活動を続けている。

 

「オレこういうの苦手〜・・・はみ出しちゃうよぉ〜・・・」

ジストはペンを持つ手がブルブル震えている。

「大丈夫。失敗しても僕が修正するから」

と、手先の器用なコハクがフォロー。

「じゃあ、私も・・・」

家族の輪に加わりたい。

ヒスイ自ら手伝いを買って出る・・・が。

「お前はいい。どうせすぐ居眠りする」

原稿から視線を上げずにサルファーが即答。

「父さんは絵が凄く上手いし、兄さんは何日も徹夜できるから戦力になるし。それに比べてお前なんか・・・」のところで、ヒスイの声が被る。

「戦力って・・・何の戦力よ・・・戦争じゃあるまいし」

「戦争なんだよ。これは。男のロマンがわかんないヤツは消えろ」

「な・・・バッカじゃないの!?」

(男の浪漫が漫画?冗談じゃないわ)

「あっ!ヒスイっ!!」

鼻息荒く身を翻すヒスイの後を心配顔のジストが追う。

「待て」

そこで襟首を掴まれる。

サルファーにだ。

「お前は行くな。ベタぐらい塗れるだろ」

(サルファー・・・コエぇ〜・・・)

一般人には理解不能なオーラが出ている。

「大丈夫。ヒスイは僕に任せ・・・ん?」

いそいそと立ち上がるコハクのシャツを掴んだのは勿論サルファー。

「待って。父さんはもっと行かないで」

「え・・・でも・・・ヒスイが・・・」

「今、それどころじゃない」

ジスト&コハクによるヒスイコールはことごとく無視。

アシスタントは絶対に逃すまいと、目を光らせている。

カリカリカリ・・・

「・・・・・・」

(なんで男4人で漫画描いてるんだ・・・おかしいぞ・・・この展開・・・)

コハク、心の声。

息子の頼みとはいえ、本音を言えば、ヒスイと一緒にいるほうがいい。

(ヒスイ・・・どうしてるかな・・・)

仲間はずれにされたのだ。機嫌が悪いに決まっている。

 

 

ふと、トパーズと目が合った。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

同じ事を企む者同士、視線で牽制。均衡が続く・・・が。

「!?兄さん、どこ行くの」

「・・・コーヒー」

眠気覚ましであることを強調し、トパーズが立ち上がる。

確かにまだ先は長い。

サルファーは止めなかった。

(!?上手い嘘を!!これはマズい!!先に抜けられる!!)

コハクが焦ったところでもう遅い。完全に出し抜かれてしまった。

サルファーの束縛を体良く逃れたトパーズは、素早くリビングから姿を消した。

行き先は、決まっている。

(・・・あの二人もいい加減、親離れ、子離れしないしなぁ・・・)

“親子”に分類できるかどうかさえ曖昧なまま、10年。

(ヒスイが“親子”だって言い張る手前、あんまりしつこく注意もできないし・・・)

ジレンマは相変わらずなのだ。

 

「まぁ・・・一緒に生活している以上、信じるしかないんだけどね」

 

「も〜!!!サルファー嫌いっ!!!」

サルファーにみんな取られてしまった。

「何なのよ!あのオタク男っ!!」

裏庭に飛び出したヒスイが喚く。

「・・・つまんないの。お父さんのとこでも行こうかな・・・」

「ヒスイ」

「あれ?トパーズ?」

サルファーの魔の手からどうやって抜け出してきたのか。

ヒスイは露骨に驚いた表情でトパーズを見つめた。

“ついてこい”

トパーズが無言のサインを送る。

「?」

ててて、と小走りで後に続くヒスイ。

ヒスイの歩調は知っている。けれどトパーズはわざと、早く、歩く。

するとヒスイが必死になって追いかけてくる。

それが何とも、嬉しい。

「はぁ。はぁ。どこいくの?」

やっとの思いで追いついたヒスイが息を弾ませ、覗き込む。

「・・・・・・」

犬の散歩に似ている、と思う。

ヒスイは言うなれば、尻尾を振って寄ってくる子犬のようで。

(・・・飼い主はアイツだが)

 

 

辿り着いた先は、博物館。

トパーズの魔法陣で一気に移動したので、どこの国の博物館かヒスイにはわからない。

そこでは、期間限定で天然石の展示会が行われていた。

「わぁっ・・・すごいね」

加工されたアクセサリーの類もたくさん陳列されていて、そういったものにあまり興味がないヒスイでも、石の効果を見比べてはしゃいでいた。

「ほら、これなんか・・・」

「・・・買ってやる」

「えっ!?」

トパーズが優しい。いつもの何割増しだろう。

(どうしちゃったの!?まさか!!)

警戒をしないでもないが・・・

(徹夜し過ぎて頭が変になってるんじゃ・・・きっとそうよ!!)

一つの結論。都合良く解釈するのは得意なのだ。

(折角買ってくれるって言うんだから、買って貰わなきゃソンよね!)

 

 

「それなら、こっちがいい」

と、ヒスイが持ってきたのは博物館のお土産グッズ。

「これはお兄ちゃんの分でしょ。で、これがジストの分。サルファーは・・・これでいいや。スピネルは何がいい?って聞いてもどうせ答えてくれないよね。じゃあ、これっ!」

一人でそんなことを言いながら、会計係のトパーズに次々と持たせる。

「・・・・・・」

自分のものではなく、当たり前のように子供達のものを選ぶようになった。

ヒスイ自身、そのことには気付いていない。

「ジストはこういうの大好きだから、きっと喜ぶよ」

 

「ありがとうございました〜!!」

 

元気の良い店員の声に送られ、二人は博物館の売店を後にした。

トパーズに荷物を持たせたまま、館内を一巡り。

外に出る頃には日も暮れかかっていた。

「すっかり遅くなっちゃったね〜」

ヒスイが早足で帰宅を促す。

「でも、ありがと」

大満足。ホクホク顔。

 

 

見上げた瞬間に・・・キス。上からトパーズの唇が重なった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・私達、恋人同士には見えないね」

そこは、よくある恋人達のための公園。

カップルが至る所でイチャイチャとしている中、キスを終えたヒスイが言った。

「だってこんなに“同じ”なんだもん」

髪と瞳。銀特有の空気さえ共有して。

誰がどう見ても血縁にしか見えない二人。

ヒスイは、それが嬉しくて、愛しくて、子離れどころの話じゃない。

何ができる訳でもないのに、トパーズの世話を焼きたがるのだ。

“贔屓だ”と、何度注意されても治らない、悪癖。

「さ、かえろ」

いいストレス解消になったと笑って、ヒスイが先を歩きだす。

けれども、トパーズは立ち止まったまま、動かなかった。

「・・・・・・」

「んっ?」

腕を掴んで、引き寄せて。

耳を噛むのは・・・甘えたい時。

(かっ・・・可愛いぃぃ〜!!!)

サルファーに煮え湯を飲まされた後なので、尚更そう思ってしまう。

(お兄ちゃん風に言うなら“萌え”よね!!)

「う〜ん・・・じゃあ、もうちょっとだけ、ここにいる?」

「・・・そうする」

 

 

「兄さんっ!!遅かったったじゃないか!!今まで何して・・・」

トパーズの隣に、ヒスイ。

と、言うことは。

「お前・・・何してんだよ」

サルファーは物凄い剣幕でヒスイを睨み付けた。

「何って・・・博物館に・・・」

「どこまでヒトの邪魔すれば気が済むんだよ!!」

アシスタントを奪われたくやしさが込み上げる。

しかし、どんなに怒ったところで、後の祭りだった。

 

 

サルファーにコキ使われたジストは抜け殻状態で。

コハクは夕飯の準備で席を立ったところだった。

 

 

サルファーの言う戦争は終結を見せたように思われたが、まさにここからが“決別”へのカウントダウンだった。



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