世界に春がやってくる

7話 罪な唇

 


「兄上っ!元気かっ!!」

トパーズの姿を見つけるなり、猫シトリンは飛び付く勢いで駆けてきた。

「最近、城に全然顔を出さないじゃないか。ジンも寂しがって・・・」

「今忙しい。お前の相手をしている暇はない」

(ジジイのワクチンは発病してからでも効く。注射一本打てば終わりだ)

一刻も早くイズから解放されたい。

トパーズは玄関の鍵を開け、メノウの研究室を目指した。

後からシトリンがついてくる。

屋敷へ遊びに来てもすれ違いばかりで、トパーズに会うのは本当に久しぶりだったのだ。
今日もまさか会えると思っていなかったので、有頂天モード全開、お喋りが止まらない。

「そういえば兄上、学校はどうした?今日は出勤日じゃないのか?」

スーツにネクタイ。眼鏡。教師スタイルだが、出勤時間はとうに過ぎていた。

「・・・邪魔が入った」

散らかったメノウの研究室からワクチンを掘り起こす作業をしながら、トパーズが素っ気なく答えた。

「あ〜・・・母上とはその・・・上手くいってるか?」

「別に普通だ」

「・・・・・・」

(別に普通とはどういう意味だ・・・悪くないということか?)

判断に困りながらも、シトリンのテンションは高いままだ。

「まあいい!今日はいいものを持ってきたぞ!」

器用に尻尾で巻いていた箱をトパーズの前に落とす。

ラッピングがしてあって、中味まではわからなかった。

「兄上にぴったりのものだ!母上とするときはコレを使え!」

「・・・・・・」

そう言われてなんとなく中味の想像はできたが、いちいちツッコミを入れるのも面倒なので素直に受け取り、スーツのポケットにしまった。

 

それが、とんでもない誤解を招くことになるとは思いもせずに。

 

運命の糸が絡まり合う・・・そのはじまり。

 

 

 

一方、海底神殿。

 

 

「よし。こんなもんだろ」

パンパンと汚れた手を叩くサルファー。

二人は高く積み上がった瓦礫の前にいた。

ジストを囮にティンダロスの猟犬を引き寄せ、サルファーが魔法で天井を壊した。

ティンダロスの猟犬は降り注ぐ瓦礫の下敷き。作戦成功だ。

「でもこのままじゃ、すぐ動き出すよな・・・」

囮として散々走り回ったジストが荒い息を吐く。

これしきで仕留められる魔物でないことは二人ともよく知っていた。

「だからこれから“封印”するんだよ」と、言ったサルファーが指を噛み切る。

流れ出した血で瓦礫の一部分に何かを描き始めた。

「サルファー?何やってんの?」

「“封印”の紋様を描いてるんだよ。地下室で見たんだ。“封印”の札が貼ってある武器がいくつかあったろ?あれと同じ図柄ならたぶん札じゃなくても“封印”の効果があるはずだ」

「あのヘンテコ柄?オレ全然覚えてない・・・」

ジストは感心するばかりだ。

「頭は使うためにあるんだよ。馬鹿ジスト」

「う゛〜・・・」

「お前があの女と昼寝してる間に、僕は父さんから色々なことを教わった。父さんは何でも知っていて、質問には全部答えてくれる」

“師”を誤ったな、とサルファーに鼻で笑われ、膨れるジスト。

「いいの!オレはっ!ヒスイと昼寝するのが好きなんだよっ!」

そうとしか言い返せない。

「サルファーってさ、何でそんなに頑張ってんの?」

のんびり屋のジストからすれば疲れそうな生き方だ。

「言ったろ?一日も早く自立する為だよ」

「自立かぁ・・・」

 

同じ刻に産まれて。

同じ環境で、同じように育った筈なのに。

 

(サルファーはひとりでどんどん先に行っちゃうな・・・)

この試験に合格したら、サルファーは家を出る。

置いてきぼりがちょっぴり寂しくなって、ジストは口を噤んだ。

(あ・・・そういえば・・・)

そこでふと思い出す、ヒスイ似の美少女。

(あの子も受験者なのかな?また逢えるって言ってたけど・・・。今度逢ったら告白するぞっ!!オレと結婚を前提にえっち・・・じゃなくてっ!お付き合いしてくださいって!)

子供の淡い恋心でも、その効果は充分で。

サルファーと離れる寂しさも吹き飛び、自然と元気が漲ってきた。

(試験が終わったら、ヒスイに相談してみよう!)

そっくりな女の子を見つけたんだ!と、まずヒスイに報告したい。

・・・まだまだマザコンのジストだった。

 

 

ワンッ!

突然、獣の鳴き声が神殿に響き渡った。

「ん?犬?」

「また敵か!?」

無防備なジストとは対照的にサルファーが素早く身構える。

それは、シードックと呼ばれる海に棲む犬。

見た目は殆ど地上の犬と変わらないが、四肢の先端に水掻きがある。

先程のティンダロスの猟犬とは一転して友好的な雰囲気だった。

尻尾を振って二人に近づいてくる・・・が。

「来るな」

サルファーがハルベルトを突き付ける。

「ちょっと待てよ。まだ敵って決まった訳じゃ・・・」

「敵じゃない保証もないだろ」

警戒心も猜疑心も強いサルファー。

クゥゥ〜ン・・・

「どけよ。オレには普通の犬にしか見えない」

ジストはサルファーを押しのけて前へ出た。

シードックの傍へ寄り、頭を撫でる。

「こいつを攻撃するっていうんなら、オレがお前と戦う!」

「お前が?僕に勝てる訳ない」

「そんなのやってみなきゃわかんないだろっ!エクソシストは悪魔退治だけが仕事じゃないってじぃちゃんが言ってた!何でも敵って決めつけて攻撃するのはおかしい!」

睨み合う二人。シードックを巡って一触即発ムード・・・そこに。

 

 

「は〜い。試験終了〜」

頭上からコハクの声。

「父さん!」「父ちゃんっ!」

大きな羽根を広げた天使が舞い降りると、シードックは逃げてしまった。

「どう?ヒスイ」

コハクがヒスイに話しかける。

「ん〜・・・」

ヒスイはコハクの腕の中で、眉を寄せて、点数表らしきものを見ていた。

試験開始からコハクとヒスイの気配は全くなかったが、何処かから二人の行動をチェックしていたということだ。

「まぁ・・・いいんじゃない?」

「と、言うわけで合格。おめでとう」

「「やった〜!!」」

抱き合って喜ぶ兄弟を尻目にコハクはそっとヒスイに耳打ちした。

「ちょっと後片付けしてくるね」

「ん。いってらっしゃい」

ちゅっ。

 

 

神殿内を引き返して、ティンダロスの猟犬が封印された塚の前に立つ。

「僕等が呼びだしたのなら還す義務があるけど、君は自分からコッチへ来た。酌量の余地はない」

肩に担いでいた大剣の鞘を抜き、一振り。

パアァンッ!!

塚ごと一刀両断。ティンダロスの猟犬共々砂塵となって消えた。

 

(・・・試験の審査基準は“勝てない敵”と遭遇した時、どう行動するかだ)

 

勝てない敵に勝とうとしないこと。

まず自分の命を大切にできなければ、失格。

 

(スピネルが間に入らなかったら、サルファーは失格してたな)

 

ヒトを守る立場として、魔物を野放しにしないこと。

 

(これはちょっと低年齢者には厳しいから配点は多くないけど)

逃げても失格にはならないが、“封印”を見事にやってのけた。

それは褒めるべき点だろう。それから・・・

 

シードックを殺さないこと。

 

(ジストがいなかったら、サルファーはやっぱり失格だな)

 

見境いなく魔物を殺そうとするようでは、即失格。

 

(ただ・・・)

 

一ヶ月前の話だ。

情け深いエクソシストが“善”と判断し、逃した魔物が人間を殺した。

 

(現状では、サルファーのように非情なエクソシストも必要なんだ)

実際、酷な決断をしなければならない場面が多々あるのだ。

優しさだけでは、エクソシストは務まらない。

 

ジストは甘すぎる。

サルファーは乱暴すぎる。

 

ヒスイの“合格”は二人一緒であることを前提として、だ。

 

魔物に対して善悪の判断を下さなければならない時。

一視点からの独断になってはいけない。

(だからエクソシストは二人で一組なんだ)

 

一ヶ月前不祥事を起こしたエクソシストはたまたまパートナーが呼び出しに遅れ、単身悪魔祓いに臨んだ・・・その結果だった。

 

「難しい仕事になってきたなぁ・・・エクソシストも」

(大切なのは魔物を倒す力よりも、本質を見極める力・・・か)

 

 

 

コハク・ヒスイ・ジスト・サルファー。

四人のエクソシストは海底神殿を後にした。

 

「さて、じゃあ、町でお昼を食べて家へ帰ろうか」

「やった!昼メシっ!」

「腹減った〜」

コハクの言葉にジストとサルファーがジャンプで喜ぶ。

試験会場に使われた海底神殿は、モルダバイトからかなり離れた国にあって、魔法陣で移動しなければ何日もかかる。

「移動先はモルダバイトの城下町でいい?お兄ちゃん」

ヒスイがその場にしゃがみ込み、ステッキの柄でガリガリと魔法陣を描き始めた。

「うん。よろしく〜」

 

 

そして、モルダバイト城下町。

 

昔と変わらず、活気溢れる賑やかな町だ。

「あっ!!」

中央通りに出てすぐヒスイの瞳が輝いた。

歩道に沿って、古本市が大々的に開催されていたのだ。

「お兄ちゃん達、先行ってて!いつものお店でしょ?」

コハクの料理はどこの店のものより美味しいので、外食する機会は少なかったが、城下町には結婚前から贔屓にしている店があった。
家族でも時々そこを訪れる。

「すぐに追いつくから!先に食べてていいよ!」

興奮のあまり頬を上気させるヒスイ。

学問の国、モルダバイトの古本市は掘り出し物が多いのだ。

「ん〜・・・っ」

思いっきり背伸びをして。

一方コハクは身を屈めて・・・少し長めのキス。

「気をつけて行っておいで。知らない人について行っちゃ駄目だよ?」

「うんっ!」

 

 

ヒスイが抜けて、ご機嫌のサルファー。

益々食欲が湧いてくる。

コハクは店に入ってすぐ子供達の分を注文した。

「ヒスイはたぶん、しばらく来ないから。二人は先に食べてて」

「父ちゃんは?」

気を遣った様子のジストがコハクを見上げる。

「僕は後でヒスイと一緒に食べるよ」

注文の品が次々とテーブルに並べられる中、コハクは朗らかな笑顔でそう答えた。

 

 

「ヒスイ来なかったね〜・・・父ちゃん、腹減ってない?」

「大丈夫だよ」

店を出てすぐジストがキョロキョロ。

やはりヒスイの姿は見えない・・・が。

「すみませんっ!助けてくださいっ!!」

コハクに向けて黒髪長身の女が突進してきた。

ぎゅっ!勢いに任せてパワフルな抱擁を繰り出す。

「え?あの・・・」

「眼鏡をなくしてしまって良く見えないのですが、エクソシストの方ですよね!?ダイヤさんが体調を崩してしまって・・・」

ダイヤというのはインフルエンザに侵されたイズのパートナーの名前だった。

今頃トパーズの治療を受けている所なのだが、知る由もなく。

「“天使”を診て下さるお医者様を探しているのですが、なかなか・・・」

イズ同様、少年が死んでしまうのではないかと、少々取り乱した様子だった。

やっと見つけた救世主を離すものかと、抱きつく腕の力はどんどん強くなる。

「ダイヤ?」

コハクも当然知っている名前だった。

「あの、話聞きますから、先に腕を離してもらえます?」

(こんなとこヒスイに見られたら・・・いらぬ誤解を・・・)

 

そういう時は大抵悪いタイミングで再会する。

 

「・・・・・・」

「あ・・・ヒスイ・・・」

なんとなくそんな予感がしていたのだが、遠目にヒスイの姿。

ぷいっ!

一気に機嫌を悪くして、身を翻す愛妻。

(あぁ・・・やっぱりというか何というか・・・)

「あれっ?ジョール?」

女を覗き込んだジストが瞬き。

「ホントだ。ジョールさんだ」

サルファーも知っている風だった。

モルダバイト城のメイド、ジョール。種族、人間。25歳。独身。A型。

姉シトリンの所へ遊びに行くと、美味しいお茶とお菓子をくれる。

「髪下ろしてたから、わかんなかった」と、瞬きを繰り返すジスト。

メイド服を着ている時はきっちり髪を結んでいるのだが、今日はオフで私服。

細身のジーンズを大人の女性らしく履きこなしていた。

「お城の・・・メイドさん?」

「申し遅れました。わたくし・・・」

パッとコハクから離れ、ジョールは深々とお辞儀をした。

(まいったな・・・)

そう。いつもなら真っ先にヒスイを追いかける。

何を差し置いても。コハクにとってヒスイより大切なものはない。

だが・・・

(いつも妬かされてばかりだから、たまには妬いてもらうのもいいかな)

誤解はすぐに解けると思った。

(ヒスイも本気で疑っている訳じゃない)

そう考えたのが運の尽きで。

 

すぐに追えば、途方もない誤解も、すれ違いも起こらなかった。しかし。

 

ジョールの話を聞き、采配を振るった数分間の遅れが、未だかつてない夫婦喧嘩に発展することになるのだった。

 

 

 

「何よ、あれ」

(お兄ちゃんの知り合い?)

なんとなくそれだけでムッ。

後ろ姿しか見ていないが、綺麗な黒髪の女だった。
背も高く、金髪のコハクと絵になる構図で・・・チビのコンプレックスが刺激される。

「・・・お父さんとこ、いこ」

神出鬼没なメノウはエクソシストの寮にいることが多い。

つまりはそこが里帰りの場所だった。

 

 

エクソシスト正員寮。大広間。

「あれ?トパーズ?」

試験日だけあって他のエクソシストも皆出払っていた。

大広間といえど、他に人影はない。

トパーズは窓際で一服しているところだった。

「・・・お前こそどうした。試験は・・・」

「うん。ジストもサルファーも合格したよ」

「・・・・・・」

「トパーズ?」

「・・・アイツ等は?」

「城下町。ちょっと・・・個人的に嫌なことがあって、私だけこっちに来たの。今夜はお父さんとこ泊めてもらおうとおも・・・」

待ちきれないキスが唇を塞ぐ。

二人きりの時間。求められる、唇。

その意味すら考えず、“親子だから”で、応じてしまうヒスイ。

己の唇が犯す罪に、まだ気付かない。

 

 

「・・・あれ?それ、ナニ?」

窓の縁に置かれた箱がヒスイの目に留まる。

シトリンの贈り物。包みは開けられていた。

「・・・蓋を開けてみろ」

「うん」

箱の中に箱。更にそれを開けると・・・

「・・・ナニこれ」

「コンドーム」

さらりと言ってのけるトパーズ。

ヒスイをからかうには丁度いい。トパーズもそれくらいにしか思っていなかった。

「これが?」

ヒスイは見るのも初めてらしく、妙に真顔だ。

「お兄ちゃんとするのに避妊なんてしたことないもん」

「一つ開けてみろ」

「うん・・・え・・・気持ちわる・・・」

言われた通り、小さなパッケージの封を開けた。

ネトッとしたゴムの手触りに嫌悪するヒスイ。

「ここをこうしてこうすると、だ」

ビロ〜ンと・・・コンパクトにまとまっていたものが、薄く長く伸びた。

「こ・・・これをアソコに?」

「そうだ。被せてから入れる」

「で?そのまま?」

「擦って、イク。この中に出す訳だ」

「・・・・・・」

衝撃的だった。ヒスイが怯む。コンドームはどうも苦手らしい。

「何でこんなのトパーズが持ってるの?」

「家族計画がどうのとか言って、シトリンが置いていった」

(家族計画?シトリンのところはコレ使ってるんだ・・・)

「試してみるか?」

ピトッ・・・ヒスイの頬にくっつけて脅しをかける。

「ひぁ・・・っ・・・ちょっと・・・やめ・・・」

ヒスイが嫌がって暴れるのが楽しい。

 

 

「・・・何、してるの?」

広間に低く押し殺した声が響く。

「お兄ちゃん!?」

「・・・何だ、そういうこと?」

コハクの視線はトパーズの手元に注がれていた。

「え?」

「僕の目を盗んで結局やってたってことか。ご丁寧に避妊までして」

コハク、完全逆上。我慢の限界。もう笑って許せない。

ヒスイに対して本気で怒るのはこれが初めてで。

どうしてやろうかと、自分でも気持ちを持て余す。

もはや嫉妬などというレベルの問題ではなくなっていた。

「え?ちが・・・」

「ヒスイ、おいで」

「お兄ちゃん!違うんだってば!!」

手首を掴まれたヒスイが声を荒げて否定するも、コハクの耳には入らない。

「息子とセックスすることがいいか悪いかもわからないの?」

「してないもん!キスしかしてない!」

「・・・キスだって同じだ」

可愛さ余って憎さ百倍・・・今、まさにその瞬間だった。

「・・・いいから、きなさい」

 

 

「・・・・・・」

連れ去られていくヒスイ。

(殺されはしないだろうが・・・拙いことになった・・・)

自分が諸悪の根源だということは重々承知している。

今干渉してもこじれるだけだ。

トパーズは煙草を咥え、火をつけた。

「・・・ジジイ呼ぶか・・・」


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