世界に春がやってくる

12話 不自由な贅沢

  

裏庭。

  

「んじゃ、俺コハク探してくるわ」

 

メノウと裏庭で別れた直後のことだった。

「・・・・・・」

(悪魔の気配・・・)

“悪魔”と言えば半吸血鬼のヒスイもそうだが、近頃はその括りも変わり、一般には“害をなすもの”の意で使われる。

トパーズが感じたのは、その後者である悪魔。

 

ヒスイが取引のために喚びだした悪魔だ。

 

「あいつ・・・何かしでかしたな」

感傷に浸る間もない。

軽く舌打ちをして、トパーズは屋敷内へと引き返した。

 

 

 

「・・・ヒスイ」

トパーズより先に、姿を現したのはオニキス。

心臓に違和感があったのはほんの一瞬だった。

しかし、どうにもならない胸騒ぎがして、すぐさまヒスイの元へ馳せ参じた。

更に、数秒の差でトパーズが合流。

 

「「お前・・・何をした?」」

 

「えっと・・・その・・・」

二人に詰め寄られたヒスイは説明に困り、しどろもどろ・・・

「・・・・・・」

トパーズはヒスイの脇を抜け、一枚の羊皮紙を拾い上げた。

「・・・これは何だ」

一旦オニキスの元まで持ち帰り、二人で目を通す・・・が・・・

 

 

紙面に“子宮”の文字を見た途端、トパーズとオニキスの表情が同時に凍りつく。

かつてない硬度で。

「・・・オニキスの心臓が欲しくて・・・取引したの」

「その代償に・・・子宮を・・・」

強張った顔のまま、オニキスがヒスイの肩を掴んだ。

「うん。あと、“契りの制約”をつけて。その・・・注意事項を読み飛ばしちゃって・・・私もまさか内臓持っていかれるとは思ってなくて。だからその・・・」

苦しいヒスイの言い訳に、益々血の気が引く二人。

「スピネルがね・・・」

「スピネルは問題ない」

そう答えたトパーズの声には怒りが籠もり。

「契約破棄できるか?」

オニキスの問いかけに頷く。

「父上、結界を」

「わかった」

 

 

「来い」

乱暴に手首を掴むトパーズ。

「ちょ・・・何す・・・」

ヒスイを魔法陣に放り込んで。

 

 

『お前は史上最高の馬鹿だ』

 

 

「な・・・」

「・・・取引契約を破棄する」

「やめて!スピネルが無事ならいいよっ!!せっかくの心臓が・・・」

「ヒスイ!」

オニキスの声も怒りに震えていた。

「話は後だ。とにかく今はそこから動くな」

一方でトパーズが呪文を唱えている。

聞いたこともない言葉の羅列。

暖炉に再び火が灯り・・・くらっ。

急に意識が遠のく。

 

 

(これで・・・みんなうまくいくと思ったのに・・・)

 

 

取引契約の破棄は本来不可能とされていた。

「・・・・・・」

(コイツらとは相性が悪い・・・)

代償取引を行う悪魔は神の創造物ではない。

戦って倒せば反故になる類でもなかった。

(能力をすべて解放しても、取り戻せるのは・・・8割)

取引で得た“心臓”を返還し、“子宮”を取り戻す。

(それは可能だが・・・)

ヒスイの胸元に視線を落とす。

歪なハートの紋様が右胸上に。

(残りの2割は他者が引き受けるしかない)

「・・・・・・」

ヒスイの体に刻まれた新しい紋様に左手を翳す。

すると紋様は一瞬にしてヒスイの肌から・・・消えた。

 

 

 

「ん・・・あれ??」

気付けばそこは自分のベッド。

バッ!と飛び起き状況確認。

「紋様が・・・ない・・・」

鏡を覗き込んだ後、自ら身体チェックをしたが何処にもない。

「・・・この頭はカラか?ん?」

確認を終えたところでトパーズに捉まり、ペシッ!と額を叩かれた。

「イタッ!」

「お前には学習能力がないのか。バカめ」

ペシ!ペシ!ペシッ!

「ご、ごめんってばっ!!」

「・・・こんなことをしても、誰一人喜ばない。父上も、アイツもだ」

 

 

何故もっと自分を大切にできないのか。

愛されているからこそ、及ぼす影響は多大なものであるというのに。

 

 

(・・・気付け。バカ)

パシッ!パシ!パシ!

「イタイ〜!イタイよ〜!!」

躾を受ける子供のようにじたばたとヒスイがもがく。

「・・・謝ってこい」

「うん・・・」

 

 

「・・・・・・」

ヒスイをオニキスの元へ向かわせ、まず一服。

煙を吐きながら、左手をそっと開く。

 

トパーズの手の平には、ハートの紋様。

 

 

「・・・世話の焼ける女」

 

 

 

とぼとぼと、足取り重く、ヒスイが歩く。

「お兄ちゃんは怒らせちゃうし。トパーズには怒られちゃうし」

何をやってもうまくいかない。

良かれと思ってしたことがことごとく裏目に出ている気がする。

「オニキスも・・・怒ってるかな・・・」

 

 

 

屋敷の裏庭。

 

 

「オニキス・・・あの・・・」

「・・・・・・」

怒っている。

ピリピリとした空気が伝わってきた。

「・・・心臓が欲しいなどと、オレが、いつ言った?」

「そ、それは・・・」

 

最も尊いものを。

最も必要ないものの代償にされた。

 

大事に至らなかったとはいえ、オニキスの怒り悲しみは深く。

その悲愴な面持ちに、ヒスイも目を逸らす。

「なぜこんな事を・・・」

「だって・・・他にしてあげられることないじゃない」

ヒスイの声が切なく響いて、オニキスは口を閉ざした。

 

 

 

ただ、愛しているだけで。

 

 

こんな風に傷つけてしまうのなら。

 

 

(傍にいる意味がない)

 

 

「・・・もうお前には会わない。二度とだ。オレの事は死んだと思え」

 

 

「な・・・」

オニキスの言い草にヒスイがカチン。

「そんな言い方しなくたって、邪魔なんかしないわよっ!恋人とどこでも好きなトコ行けばっ!?」

 

 

突如、状況反転。

 

 

「・・・恋人・・・だと?」

(またおかしな事を・・・いや)

すぐに思い当たった。

スピネルだ。

 

 

説明もしてやらずに。

呼びかけにも応じず。

 

 

これでは・・・ヒスイが誤解するのも無理はない。

 

(悪いのは・・・オレだ)

 

身勝手な感情をヒスイに押し付けて。

重荷にならないようにと、連絡を絶てばこの様だ。

 

はぁ〜・・・っ。

 

ヒスイが相手だとどうしても大人になりきれない。

溜息ばかりが重なって。

 

 

「・・・すまん」

とりあえず潔く謝る。

「恋人などではない。あいつは・・・」

 

「呼んだ?」

 

近くで様子を伺っていたのだろう。

オニキスの台詞に合わせて、スピネル登場。

くすくすと上目遣いに笑って、オニキスの腰に両腕を絡ませた。

「・・・・・・」

じ〜っと。ヒスイが目つきを悪くして・・・

「・・・どこかで見た顔ね・・・」と、唸る。

「くすくす・・・相変わらずボケてるね、ママ」

「ママ?」

「ボクのこと、パパに誤魔化されたまんまでしょ?」

「ま・・・まさか・・・スピネル!?」

「うん♪」

そこで改めてオニキスが紹介。

「お前の・・・息子だ」

「えぇぇ〜っ!?な・・・なんで??」

どこまで遡っても、産んだ記憶がない。

しかもなぜ黒髪なのか。スカートを履いているのも気になる。

「その髪・・・染めてるの?」

「ううん。自前」

スピネルは外ハネ気味の黒髪をひとつまみして、再び笑った。

「自前・・・って・・・え?え?」

 

はぁ〜っ・・・。

 

ついにこの時がきた。

(ヒスイにきちんと説明してやらねば・・・)

とはいえ、胸を張って言える事でもなく。

正直、かなり説明しにくい。

 

「ボクが話すよ」

今こそ自分の出番とばかりに。

スピネルは、ちらっとオニキスを見て(ボクに任せて)と、サインを送った。

(頼んだぞ)と、オニキスが微かに頷く。

 

 

 

「・・・という訳で、オニキスの遺伝子が欲しくて。ボクからお願いしたの」

「うん。それはわかった。けど・・・遺伝子って言われても・・・」

遺伝子と聞いて想像するのは順当に・・・アレだ。

「私・・・全然身に覚えがナイんだけど・・・」

ダラダラと汗を掻いて、ヒスイがオニキスを見上げる。

 

 

「・・・すると思うか?」

「・・・思わない」

 

 

「ならば、それ以上は聞くな。深く追及されたくない」

少し照れた様子で、バツが悪そうに。

「そうそう。今は魔法医学が発展してるから」

スピネルが茶化して。

「・・・そういう事だ」

ムスッとするオニキス。

「あ〜・・・うん」

察したヒスイも言葉を濁す。

「・・・・・・」

「そうね!うんっ!そういう時代だもんねっ!」

わざとらしいヒスイのリアクション。

「・・・・・・」

「お・・・おつかれさま・・・」

「いや・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 

「あ、じゃあ、ボクはこれで。兄貴に挨拶でもしてくるよ」

スピネルが体良く繕って逃げる。

「どうぞごゆっくり」と、手を振って。

 

 

「・・・勝手な事をして、すまなかった」

事後承諾となってしまったことに深く謝罪。

「ううん。私こそ、確かめもせずに“恋人”だって思い込んじゃって・・・」

ヒスイも自分の非を認め、素直に謝った。

 

 

「恋人ではないが・・・今はあいつが傍にいてくれる」

「うん・・・」

オニキスとヒスイ。仲良く並んでスピネルを見送った。

 

 

 

「・・・お前の内臓を引き替えにしてまで欲しいものなどない」

しばらくの沈黙を経て、オニキスが口を開いた。

 

たったひとつ。二人を繋ぐもの。

むしろこの不自由こそがオニキスにとっての贅沢なのだ。

 

 

「心臓など・・・くれてやると言った」

それは、眷族として2度目の生を受けた時のこと。

「覚えているか」

「・・・うん」

大きな手で、そっとヒスイの頬を撫でて。

「その気持ちは今も変わらない」

 

 

「・・・だけど私、お兄ちゃんが一番好き」

「わかっている」

あっさりと、余裕たっぷりに受け流されて、焦るヒスイ。

「次はお父さんとトパーズと子供達だしっ!」

「ああ、それでいい」と、オニキスが笑って。

「何番目でもいい。お前の“世界”に留まることができれば」

「・・・何もしてあげられないよ?」

「必要ない。もう充分だ」

「じゃあ・・・オニキスは欠番にしとく」

「ああ、そうしてくれ」

 

 

願わくば、永久欠番。

 

 

「オレは・・・コハクとは別の意味で変態なのかもしれん」

「ぷっ・・・何それ」

二人、声をあげて笑って。

 

 

「・・・お前の血が飲みたい」

「うん・・・いいよ」

 

 

サクッと微かな音をたてて、オニキスの牙が首筋に食い込む。

(オニキスの気持ちも考えないで、あんなことしちゃって・・・)

「・・・ごめん」

「何がだ?」

「ううん」

軽く頭を左右に振って、見上げた夜空に月と星。

「・・・どうしたら、みんなが笑って暮らせるのかなって」

「簡単なことだ」

「?」

「お前が、コハクを見つけるだけでいい」

牙を引き、ヒスイの耳元で、コハクの居場所を明かすオニキス。

「オニキス・・・ありがと・・・」

迷いのない抱擁で親愛の情を示すヒスイ。

オニキスは瞳を伏せ、躊躇いがちに抱き返した。

「この恩はいつか・・・」

「いや、いい。また今回のような事になったらかなわん。望みがあれば自分から言う。その時応えてくれればいい」

 

頼むから余計なことはしないでくれ。

 

心の底から、そう懇願する。

 

「そうしてくれる?見当違いなコトすると、またトパーズに怒られそうだし」

叩かれた額がまだ熱を持っている。

「トパーズって結構躾が厳しいのよね・・・」

親子逆転現象の報告にオニキスが笑って。ヒスイも笑う。

 

 

(トパーズにも後でお礼言わなきゃ)

 

とにかくまずは・・・

 

“お兄ちゃん”

 

おにいちゃんに会える。

そうしたらちゃんと謝って。

許してもらえたら、いっぱいキスして、えっちして・・・

 

おにいちゃん・・・

 

(・・・あれ?なんか急に眠く・・・)

 

 

 

「・・・ヒスイ?」

「・・・・・・」

オニキスに腕を回したまま、ぶら下がるようにして眠っているヒスイ。

(眠りの魔法・・・?スピネルか?)

 

Zzzz・・・

ヒスイがしがみついて離れないので、腕に抱いたまま、その場に腰を下ろす。

真冬の夜。

普通なら凍える寒さだというのに、屋敷のある村全体が暖かい。

これもすべてメノウの魔法によるものだった。

 

「むにゃぁ〜・・・」

ヨダレを垂らす姿さえ愛しくて。

指で拭い、無意識に自分の口元へと運ぶ・・・

(む・・・これはもしや変態行為か?)

途中で我に返り、凹む。

ヒスイと過ごす時間はそんな事の繰り返しで。

自分の未熟さを思い知らされてばかりいる。

 

 

 

「・・・・・・」

 

唇に唇。

自分には許されていないとわかっていても、視線が囚われる。

奪うつもりはない。

けれども・・・触れたい。

そんなことを考えながら、ふっくらとしたヒスイの唇に指を置いたところで・・・

パクッ。

「・・・・・・」

寝ぼけたヒスイが指を咥えて。

にへっと笑った。

「・・・・・・」

途端に優しい気持ちでいっぱいになり、微笑みが浮かぶ。

(そういえば、間近で顔を見るのも久しぶりだな・・・)

 

 

ひとりなら、上を向いて、星を眺めて。

 

ふたりなら、下を向いて、愛しい者を見つめていよう。

 

 

「ヒスイ・・・」

 

 

くすくす・・・

「まぁ・・・たまにはご褒美もないとね」

二人の様子を2階の窓から見守るスピネル。

これ以上野暮なことはすまいと、窓辺から離れる。

 

「それにしても背伸びてきちゃったな〜・・・」

日々目の当たりにする成長は少年の悩みでもあった。

(早くしないと・・・)

「ママに似てるのはたぶん今のうちだけだろうし」

年頃になればむしろオニキスに似てくるであろう予感。

一刻も早く黙示録を見つけて、目指すは女の園。女子校だ。

 

「よ〜し。頑張ろっと」


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