32話 テイクアウト
「ごめんね。歩きながらで」
と、コハク。
重要度の高い話であることはわかっていたが、それでも・・・
どうしても、ヒスイが気がかりで。
進路はコスモクロアの3階建てに向いていた。
「別にいいけど」
サルファーは、試験官として、ミノタウロスの迷宮で見たことを話した。
“ブラッド・ダイナマイト”の不発について、だ。
報告書にはあえて記入しなかったという。
「そう、気を遣わせて悪かったね」
いつもと変わらぬ笑顔で、コハクが首を傾ける。
この時点で、サルファーがアイボリーを“銀”と疑っていることは明確であり・・・現場にいた者の殆どが同じ疑惑を持っていると考えていい。
「・・・・・・」
(あの時、とりあえず口封じしておいて正解だったな)
オニキスがコハクの様子を気にかけたように、コハクもまたオニキスの様子を気にかけていたのだ。
「・・・・・・」
(さて、どうするか。今なら誤魔化せる、けど・・・)
横目で出方を探るコハクに対し。
サルファーは真剣な眼差しで、こう告げた。
「僕は、父さんの味方だ」
「血痕の後始末はジストにやらせた。あいつは疑ったりしない奴だから、気付いてない。公にするつもりもないし、父さんが不利になることは絶対にしない。だから・・・」
「うん、ありがとう」
金の睫毛を伏せ、礼を述べるコハク。
秘密が・・・思いがけない方向から綻び始めた。
(ここで真実を明かそうが、明かすまいが、時間の問題か・・・いよいよ悪役って気がしてきたなぁ)
「父さん?」
コハクは自嘲し、言った。
「アイボリーはね―」
同時刻、3階建ての家にて。
「時間通り、だな」
そう言って口元を歪めるトパーズの前に立っているのは、弟のマーキュリーだ。
挨拶として、まず一礼・・・柔らかな物腰はどこかコハクに似ている。
「モルダバイト本土への転入手続きは済んだ」
と、トパーズ。
「ありがとうございます。トパーズ兄さん」
マーキュリーは再び頭を下げた。
文化祭での過失召喚について、真相を明かすことと引き換えに、トパーズに転校を願い出たのだ。
お前の番だと謂わんばかりの視線に頷き、マーキュリーは口を開いた。
「・・・あの日、部長から“文化祭を盛り上げるために、友好的な幻獣を召喚する”と聞いていました。僕達が部室に行った時、もう準備は整っていて。部長に言われるまま、魔力を提供しました。あーくんも僕も、文化祭のイベントだからと儀式を軽視していたんです。召喚魔法陣の下に、別の召喚魔法陣が隠されていたなんて、思いもしませんでした」
「・・・知らぬ間に、リヴァイアサンの召喚を手伝わされていたという訳か」
「はい。その結果、学校にも生徒にも家族にも、多大な迷惑をかけました。責任逃れをするつもりはありません」
オカルト研究会部長、レムリアンシードは現在行方不明・・・足取りが掴めていない。
コスモクロアを離れ、モルダバイトの学校に潜伏している可能性が高いと踏んだマーキュリーは、個人的にレムリアンシードを追跡することにしたのだ。
「騙された腹いせに復讐でもするつもりか?」
トパーズが鼻で笑う。すると。
「自分なりにケジメをつけたいので」
マーキュリーは笑顔で締め括った。
「それでは失礼しま・・・」
「待て」
「ついでにこいつを持って帰れ」
「え?」
滞在していたヒスイを、屋根裏部屋から担ぎ出し、近くのソファーに投げ捨てるトパーズ。
笑い疲れたヒスイは爆睡中で、いつもの如く目を覚ます気配はない。
膝丈のふんわりピンクのスカートからは太腿が覗き、グレーのタートルネックの裾は捲れ上がって、お腹が丸々見えている。
ヒスイの衣服や髪が乱れたままになっているのは、わざとである。
思春期少年の反応を観察するつもりなのだ。
思った通り、マーキュリーは露骨に表情を曇らせた。
「お母さんと・・・何をしていたんですか」
想像に任せる、と。トパーズは意地悪な笑みを浮かべ。
「妬けるか?」
「どうして僕が?」
「そういう顔に見える」
「・・・地顔です」
そんなやりとりの後、ヒスイに顔を寄せ、その小さな耳朶を噛んで。
「クク、そろそろ犯りたくなってきただろう、この女を」
ここぞとばかりに弟を挑発した。
「兄さんと一緒にしないでください!」
感情的に、声を荒げるマーキュリー。
「面白い」
トパーズは一言、そう言い放ち。
「オレとお前に違いがあるなら、見せてみろ」
こうして―気まずくテイクアウト。
「・・・・・・」
眠るヒスイをおんぶして帰路に就く・・・マーキュリーにとっては、最悪の展開になった。
(軽いけど・・・匂いが・・・)
小柄なヒスイを背負って歩くのは苦でもないが、密着するだけに、あの匂いからは逃れられない。
甘く高潔で、飽きない香り・・・現を抜かしていると、すぐに自分を見失ってしまう。
仕方なく、薬局で特大マスクを購入し、装着。
見た目がだいぶ怪しくなった。
そして、一難去って、また一難。
「・・・・・・」
(肩に涎が・・・)
カーディガンの隙間から、じんわりと温かいものが浸透してくる。
「・・・・・・」
(無視だ、無視)
気分を変えようと、眼鏡をかけたところで無駄だった。
「むにゃぁ〜・・・おにいちゃぁ〜・・・おやつ〜・・・」
ヒスイの涎は止まらない。
「・・・・・・」
そのゆるい口元を、目玉クリップで挟んでやろうかと、サディステックな妄想が過ぎる。
が、そこでヒスイのターンに移り。
「んふふっ・・・」
寝惚けて笑いながら、マーキュリーの肩口に顔を埋める。
「・・・・・・」
(散々垂らした挙句、擦り付けないでください・・・お母さん・・・)
マーキュリーはついに我慢の限界に達し。
近くのベンチにヒスイを寝かせると、開きっ放しの口を塞ぐべく手を伸ばした。
しかし、その瞬間。
「!!」
ぱくっ!ヒスイは目をつぶったまま、マーキュリーの指を口に入れ。
ちゅうちゅうと吸い始めた。
「・・・っ!!」
時折、ヒスイの舌が無邪気に指へと絡みつき。
その都度、腰まわりが熱く痺れる。
「いい加減に・・・」
苛立ちもMAXで。
マーキュリーは、思いっきりヒスイの鼻を摘んだ。
「・・・んぷっ!!!」
息ができなくなり、さすがのヒスイも目を覚ます。
「れ???私なんで・・・」
「トパーズ兄さんに引き渡されました」
「あ・・・そう・・・」
寝起きのため、ヒスイは少しの間ぼんやりしていたが。
「今・・・なにかした?」
と、マーキュリーに尋ねた。
「いいえ、何も」
当然そこは、さらっと笑顔で流される。
(鼻がムズムズするんだけど・・・ま、いっか)
「そういえば、まーくん、どうしたの?そのマスク・・・風邪ひいたの?」
「・・・そんなところです」
ヒスイから目線を外し、
「いきましょうか」
と、ベンチに背中を向ける。
「乗ってください」
「え、でも・・・」
「もうすぐ家に着きますから」
ここまできたら、という意地もあり。強引に押し切って。
マーキュリーはヒスイを背に乗せ、颯爽と歩いた。
敷地の森が見えた時だった。
大人しくしていたヒスイが、突然、ある話を切り出した。
「ねぇ、まーくん」
「何ですか?」
「誰が何と言おうと、私は応援してるから」
「セレと・・・幸せになってね」
「・・・・・・」
(総帥と?幸せに?)
LOVEクッションと、お尻の話題・・・なんとなく話が読めてきた。
(この人は・・・総帥と僕の関係を誤解しているんだ)
一体何がきっかけで、そうなったのか・・・ヒスイの思考回路は理解不能だ。
「(勘違いで)どうしてそこまで・・・」
呆れ半分、呟くように口にすると。
「ん〜・・・だって」
ヒスイは両足をぶらぶらさせて言った。
「産んだ方としては、やっぱり・・・」
「産まれてきて良かったって、思って欲しいじゃない」
「それだけのことよ」
と、夕空を仰ぐ。
「子供の幸せを願わない親はいないわ」
「・・・・・・」
(母親らしいこと言ってる・・・どうしちゃったんだろう・・・)
あまりにヒスイらしからぬ発言に、逆に心配になって。
顔を見ようと振り返る・・・するとそこに。
「レム・・・部長?」