世界はキミのために

65話 秘密の行方

  

「ねぇ、ラリマー。ここでは恋人のことを“花嫁”っていうの?」

広場で天使達がしきりに叫んでいた、“花嫁”という言葉。

そのままの意味だよ、とコハクは笑って流したが、あの天使達の様子から、何か特別な意味がありそうに思えてならなかった。

「そのままの意味ですよ」

ラリマーも同じ事を言った。

「セラフィムの花嫁となって、子を産む女性。それがあなたです」

確かにそのままの意味だ。

「・・・我々上級天使は“欲”を持たない」

「“欲”?」

「七つの大罪を知っていますか?傲慢・大食・怠惰・憤怒・貪欲・嫉妬、そして淫欲です」

「本で読んだことある・・・」

「その中で最も罪深いとされるのが、淫欲」

「・・・・・・」

「それでも子孫は残さなければならないので、生涯ただ一人の相手にだけ、淫欲の禁を犯して発情する。その相手のことを“花嫁”と言うのです」

そこまではっきり言われてしまうと、なんとなく気恥ずかしい。
天界を統べる上級天使の意外な一面・・・。

「あなたは悪魔ですが、こうなってしまった以上もうどうにもならない。“花嫁”の役目を果たしてもらうしかありません」

「もちろんそのつもりよ」

ヒスイは胸を張って答えた。

「ラリマーはそういう相手いないの?」

「・・・我らの代ではセラフィムが初めてです。“花嫁”を得たのは」

「ねぇ、もし“花嫁”と決めた相手にふられちゃったりしたらどうするの?」

「関係を持った後にそういうことになったら、おしまいですね」

ラリマーは所詮他人事と切り捨てた。

恋愛には全く興味がないと言う。

「でも、好みのタイプぐらいるでしょ?」

ヒスイはイズにした質問をラリマーにもしてみた。

(なんか、ラリマーもお兄ちゃんみたいな人・・・とかって言いそう・・・)

予感は的中した。

「セラフィム・・・のような女性がいいですね。どうせなら」

(やっぱり・・・)

「お兄ちゃんみたいな人、ってイズも言ってたけど、具体的にどういう意味なの?」

「勇気のある人とでもいうんですかね。彼は・・・一言でいえば殺し屋的な役割で・・・っと失礼。言葉が悪かった」

ラリマーはヒスイを気遣って言葉を切った。

「ううん。お兄ちゃん自分でも言ってたから」

「・・・神の崇高な理想の為とはいえ、血で手を汚すのは誰しも嫌がる。口ばかりの理想論のなかで、彼だけが神と共に現実と向き合っていた」

「・・・・・・」

「・・・彼は過去の生き方に囚われない心の強い天使だ。私も・・・そうでありたい」

そこまで話して、ラリマーはカップに口をつけた。

ヒスイがコハクの元から持ち帰った紅茶・・・もとを正せば、イズのおみやげの品だ。

「・・・ラリマーって・・・ホントはお兄ちゃんのこと好きなだけなんじゃ・・・」

「・・・なぜそう思うのです?」

「だってあの時・・・お兄ちゃんに殺されそうになっていたあなたが、とても悲しそうな瞳でお兄ちゃんの事を見ていたから・・・」

「・・・・・・」

ラリマーは瞳を閉じた。
思い出すまでもなく忘れられない出来事。

あの時、ヒスイが前に飛び出してこなかったら、命はなかった。
恐らく。

「お兄ちゃんとラリマーって似てる・・・」

「・・・え?」

「二人は同じニオイがするの。イズとは少し違うニオイ」

「それは・・・セラフィムと私の体の構造が殆ど一緒だからでしょう」

「だからかなぁ・・・」

コハクに似ていると言われて、どことなく嬉しそうにしているラリマー。

ヒスイは言葉の続きを少しじらしてから言った。

「やたらと手の込んだことする割に、理由はすごく単純だったりするの。お兄ちゃん」

「それで・・・私もそうだと・・・?」

「・・・そうだったらいいな、って思っただけ」

ヒスイは軽く肩をすくめてラリマーを見た。

「・・・ひとついいことを思いつきました」

唐突過ぎるラリマーの提案。

「学校へいきなさい」

「へ?が・・・っこう?」

「そうです」

「嫌。行きたくない」

ずんとヒスイの心が重くなった。天界にあるという学校の存在に驚く余裕もない。

(大勢の人のなかに入っていくなんて絶対に嫌!)

「・・・セラフィムはあなたの為に“お仕事”に精を出している。あなたも彼の為にできることがあるのでは?」

ヒスイは頑として学校へは行かないと主張するつもりだったが、そう言われてぐっと黙った。

「セラフィムと共にここで暮らすというのなら、石の所有権を譲ってもいい」

「ホント!?」

「3ヶ月」

「え?」

「学校に通って、ここに残る意志を見せなさい」

「3ヶ月でいいの?」

「ええ。それで充分です」

ヒスイはやる!と宣言した。

「ただし、このことはセラフィムにはまだ秘密です。絶対に悟られないように。もし知られるようなことがあればこの話はナシです。いいですね。セラフィムに何をされても、秘密を漏らしてはいけません」

「・・・わかったわ」

「あぁ、そうだ」

ラリマーが言い足した。

「学校へ入るには試験がありますから」

「えっ!?」

「筆記試験のみですが、これに受からないと入学は認められません。せいぜい頑張りなさい」

  

「だめ。絶対反対」

学校へ行くことを話すと、コハクがにこやかにそう断言した。

「どうして?」

「どうしても」

(ヒスイを他の男の目の保養になんてさせるもんか)

天使は男が多いのだ。
天使の数が少ない原因にもなるほど。

「どうせケルビムにろくでもないこと吹き込まれたんでしょ?僕が話をつけてくるから・・・」

「ち、ちがう!私の・・・意志だよ」

これまでコハクに嘘などついたことがない。
ヒスイは明らかに態度がおかしかった。
ケルビムの差し金であることは見え見えだ。

「・・・・・・」

(ケルビムのヤツめ〜・・・)

コハクは怒りが爆発した。内面で。

(ヒスイに嘘をつかせるなんて!しかも僕に対して!)

「学校行ったことないから、行ってみたいの」

棒読み。ケルビムにそう言えと言われている。

ヒスイはやましさからコハクのほうを見ることもできず、視線を漂わせている。

「入学試験があるんだって。だから昔みたいに勉強教えて。お兄ちゃん」

ヒスイは鞄からラリマーに与えられた教材とノート、筆記用具を出した。

それをテーブルの上に広げ、自分は椅子に腰掛けた。

「・・・・・・」

ヒスイにつられてとりあえず着席したものの、コハクは怒りのあまり言葉がでない。

「時間がないの。学校はみんな天使語だっていうし」

[・・・なら、ここでも天使語で話す?]

「え?ごめん・・・もっとゆっくり言って・・・」

ヒスイはコハクの口元をじっと見た。

「・・・ケルビムに何を言われたの?」

コハクは繰り返さずにいつもの言葉でヒスイに問いかけた。

「口止めされてるんなら、頷くだけでいいから・・・」

「いいのっ!お兄ちゃんには関係ないことだから!!」

ヒスイは真実を隠そうとするあまり、思わずそう口走ってしまった。

その言葉がコハクに火をつけてしまうことを知りながら。

「・・・ふう〜ん。関係ないんだ?僕は」

「う・・うん」

(・・・やっぱり怒った・・・)

言ってしまったことを引っ込めることはできない。

コハクは両手を組んでそこに顎をのせ、にこにことしているが、それが怖い。
白々しい程の笑顔なのだ。

真実を聞き出すためにコハクが何をしてこようとも、口は割れない。

ヒスイは身構えた。

「くすっ。そんなに硬くならなくてもいいよ。別に取って喰おうって訳じゃないから」

コハクはいつものように微笑んだ・・・が、目は笑っていない。

「じゃあ、数学から始めようか」

「教えて・・・くれるの?」

「うん」

コハクが参考書を開いたので、ヒスイはホッとしてノートに視線を落とした。

「これから出す問題、間違えたら一枚脱いでね」

「!!」

(うわぁ・・・やっぱり怒ってる・・・)

じわじわと追いつめられている気がする。

(こんなんじゃ、勉強どころじゃないよ〜!!)

  

「・・・で、どうする?もう脱ぐものがないみたいだけど?」

(・・・全然わからなかった・・・)

ヒスイは裸で椅子に座って、愕然としている。

(どうしよう・・・これじゃ、試験に落ちるわ・・・)

コハクに出された問題は当然天使語で、しかも早口だった。

意味がわかったところで解くのに手こずる難しいものばかりだった。

それに時間制限までつけられては惨敗だ。

解かせる気などないのだ。コハクには。

けれど、ヒスイはそれを真剣に受け止めてしまった。
解けないことを本気で悩む・・・。

「・・・もう一問、間違ったら・・・わかるね?」

コハクは目を伏せたまま、ぺらりとページを捲った。

「う、うん・・・」

ヒスイはどきりとした。

(今はそんなことしてる場合じゃないんだから!絶対解く!!)

「・・・違ってるよ」

意気込んだ割に、ヒスイの回答はかすってもいなかった。
これから何をされるかよりも、問題が解けなかったことに激しく落ち込む・・・。

(・・・くやしい)

「じゃあ、両手を机の上に置いて」

「?」

「ちょっと待ってて」

「??」

コハクは長いリボンを持ってきた。ヒスイのものだ。

それでヒスイの両手をひとつにぐるぐると巻いて最後にきゅっとリボン結びをした。

「大丈夫だよ」

「・・・え?」

「試験にはこんな問題でないから」

「!!!」

(騙された・・・)

気が付けば裸で、両手まで封じられている。

(お兄ちゃんのバカ!非道いよ!もう意地でも言わないんだから!!)

ヒスイは心に誓った。

  

「そんなに強く結んでないから、嫌なら解いていいよ」

コハクはヒスイの胸に顔を埋めながら言った。

「でもね、ちょっと強引にされるのが嫌いじゃないのも実は知ってる」

そう言って少し乱暴にヒスイの胸を掴む。

「!!っ・・・!!」

ヒスイは性癖を言い当てられて、赤面の至りという顔をした。

「う゛〜っ・・・」

泣き出しそうなくらいの快感。
ヒスイは理性を保とうと必死になった。

「んっ。んん〜っ・・・・」

(おにいちゃんといっしょにいたいから頑張ってるのに!なんでわかってくれないの!)

「おにいちゃんのばか・・・っ!わからずや!」

「くすっ。言葉と体がバラバラだよ、ヒスイ」

「あ・・・う。もう、やぁ・・・っ。はやく・・・おわりに・・・して」

「いいの?おわりにして。ホントはもっと繋がっていたいくせに」

「!!!」

火を噴きそうだ。すべて見透かされている。体の内側から、心の中までも。
羞恥心が高まれば高まるほど感度が上がる。
コハクはそれも知っていて、言葉でヒスイを煽ってくる。

「何でも知ってるよ。ヒスイのことなら。だから、本当は学校に行きたくないことも、ちゃんとわかってる」

「!!おにいちゃ・・・」

「答えはいらない。そのまま聞いて」

ふにゃっとヒスイの表情が崩れた。緊張の糸が切れてぽろぽろ涙がこぼれる・・・。

「怖いでしょ。学校。大勢人がいるから」

「・・・でも・・・いく」

コハクの腕のなかでヒスイは泣きじゃくりながら言った。

「・・・うん」

(ヒスイがここまで強く主張するということは大きな見返りがあるはずだ・・・。そうじゃなきゃ学校に自分から行くなんて言わない)

そしてその見返りに自分が絡んでいることは間違いない。

「ヒスイがそう決めたなら、合格させてあげる」

コハクは承諾し、ヒスイの勉強をみる約束をした。

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