世界はキミのために

66話 天界受験

   

「お・・・にいちゃん・・・わたし・・・もう・・・」

「うん。よく頑張ったね」

コハクは優しく微笑んで、ヒスイの額にご褒美のキスをした。

「・・・早く離れろよ」

「うわ・・・っ。メノウ様っ!!」

いつもならしばらく抱き合っているのだが、コハクは露骨に嫌な顔をしてパッとヒスイの体から離れた。

「毎回このタイミングで出てくるのやめてもらえません?」

「しょうがないだろ。ヒスイ、お前のとこじゃ寝ないもん」

「それはそうですけど・・・」

コハクは不満タラタラだ。

「っていうか、お前何やってんだよ・・・」

両手にリボンがかかっている。
メノウはリボンの端をくわえ、くいっと引いた。
ぱらりとリボンが落ちて、拘束が解ける。

「あんまりマニアックなことばっかりしてると嫌われるよ?」

「それはどうですかねぇ。案外好きみたいですよ」

「お前がそういう風にしたんだろ。ヒスイを」

メノウは床に落ちていたヒスイの服を拾い、袖を通した。

「・・・イラついてるだろ。内心、かなり。ヒスイと智天使が仲いいんで」

「う・・・」

コハクは短く唸った。
図星だったらしい。

「お前って毎回そのパターンじゃん。自分でけしかけといてさ」

「・・・そうやってヒトの心の内を代弁するのやめてください・・・」

コハクはメノウの突っ込みをすべて肯定した。
もはや開き直りに近い。

自慢の厚いツラの皮も、メノウの前では薄くなる。
ほんの少しではあるが。

「お前さぁ・・・ちょっとだけこのままでもいいと思ってない?このままここでヒスイを独り占めして。抱きたいとき好きなだけ抱いてさ」

どきっ、とした顔をするコハク。

「お前は独占欲が強いから」

「メノウ様だってヒトのこと言えないでしょ」

『ううむ』

と、二人同時に腕組みをする。お互い耳が痛い。

「・・・最近ちょくちょく地上にきてるね?」

「・・・・・・」

「・・・智天使はまだ神を造るなんて言ってるの?お前の子供は無理でもオニキスの子供ならすぐできるんだけどなぁ、ヒスイ。なにせ同族だし」

コハクがだんまりを決め込みそうだったので、メノウはわざと無視できない話題を振った。

案の定コハクはピクッと眉をつり上げた。
カンに触ったらしい。

「・・・冗談も休み休み言ってください」

「そう怒るなって」

コハクが面白いほど食いついてきたので、メノウは声をあげて笑った。
それから急に静かになって
「お前はホント、ヒスイの事以外はどうでもいいのな」
と洩らした。

地上でのコハクの行いに対してだった。
しかし、責めているわけではない。
呆れて苦笑い、そんな感じだった。

「それでも、ヒスイが大切にしているものを壊したりはしませんから。安心してください」

コハクが笑顔で答える。

「・・・お前が敵じゃなくて良かったよ」

心の底から思う。

(こいつは・・・今は大人しくしてるけど、ヒスイの為なら平気で人を殺すし、世界を滅ぼすことだって厭わない男だ。この容赦のないところが、ヒスイを任せるには適任なんだよな。世の中は綺麗事だけじゃ成り立たないことをこいつはちゃんと知ってるから)

  

「なぁ」

「はい?」

「あれからちょっと考えたんだけどさ、智天使をヒスイに惚れさせるってのはどう?いくら何でも惚れた女を石にはしとかないはずでしょ?なんなら俺が落としてきてやっても・・・」

「それには及びません。本気にでもなられたらそれこそ困る。惚れさせなくてもいいんです。ケルビムが少しでもヒスイに好意を持って、ヒスイを石にしたことに良心の呵責を感じるようになれば充分なんですから。たぶんもう感じているはずです」

「・・・お前ってさらっと悪だよな」

「ええ、まぁ」

「オブシディアンがヒスイを襲ってくること、わかってたんだろ?」

間接的にひとりの人間の運命を大きく変えることになった出来事。
メノウはその話をはじめた。

「・・・可能性のひとつとしてですよ」

「自分のピアスに、長い時間をかけて少しずつ光の魔法を蓄積させて対オブシディアン用に備えていた訳だ?」

追いつめたオブシディアンはすでに弱りきっていた。
ピアスが砕けたと同時に発動した魔法がオブシディアンを蝕んでいたのだ。
難なく魔石にできたのはそのためだ。

「いずれヒスイに付けさせるつもりで」

メノウはコハクのしている翡翠のピアスを見た。
琥珀のピアスはヒスイがしている。

「それも可能性のひとつとして、手を打っていたに過ぎません。そう首尾よくいくはずないと思ってましたし」

コハクの顔が緩む。
その点に関しては、これ以上ないくらい上手くいっている。

「思いどおりになったろ?まぁ、お前が先手を打ってなきゃ、ヒスイ今頃やばかったけど。オニキスにあの呪文を託したのだって、オニキスがヒスイに惚れることを見越してだろ」

いやな奴だなぁ・・・とメノウが笑う。

「今度もそうするつもり?」

「さぁ、どうでしょう?」

コハクは知らん顔をしている。
コハクにはぐらかされるのは慣れっこで、メノウはそのまま流して次の話題に移った。

「あ、そうそう。ひとつ確認したいことがあってさ」

「何ですか?」

「お前、堕天使になるんだよな?」

「・・・そのつもりですけど?」

「オブシディアンはちょうど今のお前と同じくらいの力を持ってる。“誘い”狙いなら、こいつしかいない・・・んだけどさ。俺、石にしちゃったんだよね・・・」

「・・・・・・」

「アイツ今、理性が吹っ飛んじゃってて、どうにもならない状態だから」

「・・・まぁ、仕方ないですね」

「俺達、悪魔に嫌われてるじゃん。今更お前を“誘う”酔狂な悪魔なんていないと思うよ」

「僕もそう思います・・・」

「だったら・・・」

「“大罪”しかないですね。堕天使になるには」

「・・・だな」

「国一つを滅ぼすぐらいの罪を犯せば、たぶん堕ちると思うんですけどね」

「・・・やるの?」

メノウは難しい顔をしている。

「昔の俺だったら止めないだろうけど・・・今は・・・違う」

失うことの痛みを知った。
もう命は奪えない。

「サンゴに怒られそうな気がするんだ。いるはずないのに」

「・・・国ひとつ滅ぼすぐらいわけないんですけどね。それでヒスイに引かれちゃっても困るし。今のところ考えていませんよ」

   

「ちょっと聞くけど・・・それ・・・」

次の日もヒスイは山のように参考書と問題集を抱えてやってきた。

そしておもむろにハチマキを取り出し、おでこにきつく巻いた。

ハチマキには天使語で[合格!!]と書かれている。

(・・・ヒスイって何でも極端にハマっちゃうからなぁ・・・。まぁ、そこが可愛いんだけど)

[そんなにムキにならなくても・・・ヒスイなら大丈夫だから。]

言葉さえわかれば問題はすべて解ける。
それくらいの学力はとっくに身につけさせている。

[大切なのは天使語で会話をして、少しでも慣れることだよ。]

[どうせやるなら徹底的にやるわ。]

ヒスイは異様なまでに燃えている。
完全に受験一色で、目の色が変わっている。

とりつく島もなかった。

そんな日が一週間続いた。

[はい。休憩。]

コハクがパタンと参考書を閉じた。

え〜、とヒスイが口を尖らせる。

[・・・ちゃんと寝てる?少し顔色悪いよ。]

そう言われて、ヒスイはぷぃと横を向いた。

(・・・疲れてるな。これは。少し眠らせないと・・・)

コハクは席を立ち、ヒスイの傍へ寄った。

心配そうな表情でヒスイを覗き込んで、そのままキスをする。

ヒスイもキスを返してきた。

(・・・喉、渇いてるのか・・・)

ヒスイがキスに積極的な時は、そういう場合が多いのだ。

「ん・・・」

「・・・このまま吸って」

ごくりとヒスイの喉がなる。

「・・・うん」

  

ヒスイは最後の一口をごくんと飲み込んで、コハクの唇から牙を引いた。

「ごめん・・・いっぱい吸っちゃった・・・」

止血のためにコハクの唇を舐める。
お礼の気持ちを込めてゆっくりと丁寧に・・・。

「いいよ。ヒスイに舐められるの好きだし」

と、コハクが血の滲む唇で笑った。

「ばか・・・」

照れたヒスイが、コハクをたしなめる。

コハクが軽く口を開いて舌を見せると、ヒスイは自分から舌を絡めた。

(・・・ヒスイって吸血鬼化すると大胆になるんだよね・・・。これがまたいいんだ・・・)

「・・・最高、だよ」

(そのハチマキがなければ)

  

「おいで、ヒスイ。だっこしてあげる」

コハクがソファーに座って手招きした。

見慣れたソファー・・・実家からイズに運んでもらったものだ。

力自慢のイズ。ソファーぐらいなら片手でも軽々と運べる。

「うんv」

ヒスイが甘えた声で返事をする。

子供の頃からだっこには目がない。

見た目は大人の女性でも、その表情は子供のように純粋だった。

「でも・・・重いよ?」

「平気だよ」

コハクがぽんぽんと膝を叩いた。おいで、の合図だ。

ヒスイは遠慮がちにコハクの膝にお尻をのせた。

そんな様子に苦笑いしながら、コハクは後ろからヒスイに腕をまわした。

優しくぎゅっと抱きしめて、ヒスイの髪の香りを吸い込む。

「・・・お兄ちゃんあったかい・・・」

(お腹もいっぱいだし・・・気持ちいいなぁ・・・)

耳元にかかるコハクの息も心地よい。

昔からの習慣。

ヒスイは数分も経たないうちにうつらうつらしはじめた。

「・・・べんきょう・・・しな・・・きゃ・・・」

口ではそう言っても、瞼がくっついて開かない。

「おやすみ。ヒスイ」

コハクが声をかけると、ヒスイは完全に眠りに落ちてしまった。

  

「!!!」

ヒスイは飛び起きた。

日がどっぷりと暮れている。

(うそぉ〜・・・。半日も寝ちゃった・・・)

顔面蒼白。
半ベソ状態だ。

「お兄ちゃんっ!!何で起こしてくれなかったのっ!!」

噛みつくような勢いで怒り出すヒスイ。
一方コハクは暢気なものだった。

「何でって・・・気持ちよさそうに寝てたし・・・」

「もういいっ!!帰るっ!!」

「え?」

「お兄ちゃんといたら勉強にならないもん!!ラリマーに見て貰うからいい!!」

ヒスイは勉強道具を鞄に詰め込んだ。

「あ!まって!ヒスイ・・・」

鞄を抱えてヒスイが走り去っていく。
手を伸ばしても届かない。

「・・・・・・」

ヒスイの去った神殿。

コハクは拗ねた表情で前髪を掻き上げた。

「一週間もしたいの我慢して付き合ったのに。最後の最後でケルビムのところへ行かれるとは・・・」

どうも納得がいかない・・・が、これが現実だ。

(あの様子じゃ、試験が終わるまで来ないだろうなぁ・・・)

 

・・・試験まであと3日。

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