世界はキミのために

67話 「え?」×3

   

どきん。どきん。どきん。

足が鉛のように重い。

ヒスイはラリマーの後について学校の廊下を歩いている。

学校は以前コハクと訪れた町の一番奥にあった。

真っ白な校舎。造りは地上で見た学校と大差ない。

(3ヶ月!3ヶ月の辛抱よ!!)

ヒスイは自分を励ました。

[試験は全教科ほぼ満点だったそうです。まぁ、セラフィムの“花嫁”としては当然ですね。]

ラリマーは振り返りもせずそう言ったが、コハクよりも熱心にヒスイの勉強に付き合った。
その成果が出て、内心はとても喜ばしく思っている。

[あなたひとりでは、ここと我々の住む場所は行き来できない。]

緊張からつま先ばかりを見ているヒスイにラリマーが言った。

[毎日私が送り迎えをします。]

[・・・え?]

智天使の送迎・・・目立ちそうなパターンだ。

[ひとりで町中を歩くのも禁止です。この学校から出てはいけない。]

ラリマーはつらつらと注意事項を述べた。

[あなたが私の魔石であることは伏せてありますから。魔力も授業に差し支えない程度に解放しておきます。]

魔石になったヒスイは魔力のすべてをラリマーに管理されている。
普段は自分の意志で魔法を使うことができない。

[それともうひとつ・・・今日からセラフィムの神殿で暮らすことを許可します。]

「えっ!?ホントっ!?」

ヒスイの緊張が吹き飛んだ。

[3ヶ月・・・頑張れますか?]

ラリマーの問いかけに強く頷くヒスイ。

[・・・頑張る!!]

[では、健闘を祈ります。]

教室の前でラリマーと別れた。

教室に入る前からざわめきが聞こえてくる。

ヒスイの緊張が一気に復活した。

(やるしかない・・・わね)

ヒスイは呼吸を整えて教室の扉を開いた。

  

ざわ。ざわ。ざわ。

ヒスイは今、教師らしき天使と教壇の前に並んで立っている。

大きな学校だが、クラスはここしかない。

生徒の年齢はまちまちで、見た目だけで判断するなら、10〜20才ぐらいまでの顔ぶれだ。
全体の人数はざっと20人。

(やっぱり天使って金髪が多いのね・・・)

ヒスイにはみんな同じ顔に見えた。

(・・・羽根はみんな白いのかぁ・・・)

大きな羽根、小さな羽根、羽根の大きさは年齢とは関係がないようだ。

現実逃避からぼんやりとそんなことを考える。

[皆さんもご存じかと思いますが、熾天使の“花嫁”です。]

教師のその言葉で、教室が一段と騒がしくなった。

[オレ前、広場で見た〜!]

[知ってる!セラフィムとキスしてたんだよ〜!]

「!!」

ヒスイはぼんやりムードから一転、現実に引き戻された。

すでに有名人。

自己紹介もしていないのに勝手なことを言われ放題だ。

[だけど、悪魔だぞ。]

[わたし・・・初めてみた・・・。]

少女の声に、オレも!ぼくも!と周囲が続く。

[キレイねぇ。]

[悪魔ってみんなそうなの?]

(・・・見せ物じゃないわよ・・・)

[熾天使をどう誘惑したんだか。]

[悪魔のくせに“花嫁”なんて。]

(悪魔、悪魔ってうるさいわね)

天使達の態度にムカムカしながらも、初めましての挨拶をして指定された席へと向かう。

[よろしくな!“花嫁”]

隣の席に座っていた天使が元気良くヒスイに挨拶をした。

ツンツン頭の少年。年はヒスイと同じぐらいだ。

興味深げにヒスイを見ているが、敵意は感じない。

明るい笑顔。第一印象は悪くない。無視もできない雰囲気だ。

ヒスイは不機嫌そうな顔でちらりと少年を見て答えた。

[・・・よろしく。]

  

「お兄ちゃんっ!!」

ヒスイは学校から帰ってすぐコハクの神殿へ向かった。

「ラリマーがここで暮らしていいって!」

コハクに飛びついてそれは嬉しそうに笑う。

「合格おめでとう。ヒスイ」

コハクはヒスイを抱き留めて頬に祝福のキスをした。

「お兄ちゃんとここでずっと一緒に暮らせるんだよ」

ヒスイは昔のようにコハクと生活できることが余程嬉しかったらしく、自分でも気が付かないうちに口を滑らせていた。

(ここで?ずっと?・・・なるほどね)

コハクはヒスイがラリマーに出された条件を察した。

(それにしても・・・)

コハクはごくりと唾を飲んだ。

ヒスイの制服姿がたまらない。

「3ヶ月。頑張るからね」

コハクを下から覗き込んでヒスイが笑った。

「お兄ちゃん?」

(か・・・可愛すぎる・・・!!)

コハクはヒスイを制服の上からぎゅっと抱き締めた。

「制服最高・・・癖になりそう・・・」

「え?」

「あ・・・」

心の中で叫んだはずなのに、思いっきり口に出していた。

「・・・・・・」

ヒスイの視線が痛い。

「お兄ちゃん・・・また変なこと考えてない?」

「うん。考えてる」

「もうっ!お兄ちゃんはぁ〜!」

いつものやりとり。

ヒスイは幸せを噛み締めた。

「ね、ヒスイ。合格祝い、何がいい?」

「う〜んとね、デート」

「いいよ。どこに行きたい?」

くすくすと笑いながらコハクが尋ねる。

「どこでもいいよ。お兄ちゃんと一緒なら」

  

「・・・最悪・・・だわ」

ヒスイは校門の前で地面を蹴った。

終業時間。刻は夕方。

学校にはもう誰も残っていない。

バサッ。

ケルビムが迎えにきた。

「遅くなってすみま・・・」

「・・・何よ」

ヒスイを見た途端言葉を詰まらせるラリマー・・・

ヒスイはずぶ濡れ、額にたんこぶ、他にも痣や擦り傷がそこかしこにあった。

「一体・・・誰に・・・」

「知らないわよ」

吐き捨てるようにヒスイが言う。

「誰にって訳じゃないの。椅子が突然壊れたり、ボールが飛んできたり、泥水の入ったバケツが振ってきたりしただけよ」

「な・・・」

「なかなかやってくれるわよ。天使のくせに」

ヒスイは腕を組んでフンと鼻を鳴らした。

「これがイジメってやつなのかしら」

落ち込んでいる様子は全くない。

「それにしても腹が立つわ。やるならもっと堂々とやりなさいよ!!」

ヒスイは誰もいない校舎に向かって吠えた。

「・・・とにかく私の神殿へ。その姿でセラフィムの元へは帰せない」

「うん・・・」

  

「服を脱ぎなさい。傷の手当てを」

「うん」

ヒスイは濡れた服を脱いだ。

少しの間でも、一緒に暮らしていた仲だ。
それ程気兼ねもない。

“お兄ちゃん”がもうひとり増えたような気持ちでいる。

命令口調にも慣れた。

コハクに言われたとおり意識して会話をするように心がけた賜物かもしれない。

ラリマーはわざと悪役ぶっているだけで、根は紳士。
ヒスイはそう確信していた。

何の疑いもなく、裸になってラリマーに向かった。

このままコハクの元へは帰れない。
傷を治して貰わなければ、コハクを逆上させるだけだ。

「・・・友でなく敵を作ってどうするんですか・・・」

「そんなの知らない」

「怪我にはくれぐれも気を付けなさい。あなたは“銀”なんですから」

「“銀”だとまずいの?」

「・・・“銀”は傷の治りが遅いんです。他の種族よりはるかに。私の知るなかで最も美しく脆い種族」

「傷の治りが遅い・・・?」

指摘されるまで全く気が付かなかった。
そもそもヒスイの体に傷が付くことをコハクが許さなかったのだ。

「だからお兄ちゃん、私が怪我すると怒るのかぁ・・・」

今更ながら思う。
怪我をすると、どんなに些細な傷でもコハクが飛んできて治療をした。
今までその繰り返しだった。

「セラフィムが神経質になるのも無理はない。あなたは自分で思っているよりもずっと傷つき易い・・・」

(・・・知らなかった・・・。そういえばシンジュも私が怪我すると必ず回復呪文を使ってたわね)

「例えば・・・この印」

ラリマーがヒスイの太ももに手を伸ばした。

(あ・・・お兄ちゃんのキスマーク・・・)

「普通なら一週間ぐらいで治るものでも、あなたの場合は一ヶ月以上かかる。それぐらい治癒能力が弱い。だからセラフィムも跡を残さないように気をつけているんでしょう」

「・・・変なことよく知ってるよね・・・ラリマーって・・・。興味がないって言う割には下着の趣味とかすごいし・・・」

コハクを唸らせるほどのセンスの持ち主はそうはいない。

ラリマーがヒスイに着せるために選んだ服や下着は、コハクを喜ばせるようなものばかりだった。

「それはセラフィムの好みに合わせて・・・」

「は??」

自分の趣味と思われてはかなわないと、ラリマーが話だした。

「力の強い天使ほど、神の加護なしで地上に留まるのは困難です。が、“智”の天使として人間界のことも知っておかなければなりませんから、時間の許す限り地上に降りて学んだのです」

(学んだ・・・?それで下着とかお兄ちゃんの趣味に詳しいの?一体ラリマーは何を学びに・・・。恋愛に興味がないとか言っておいて、えっちなことに妙に詳しい気がする・・・。実はムッツリスケベとか・・・)

誇らしげに語るラリマーには突っ込むスキがない。

(あ、でも別にムッツリしてないよね。じゃあ、爽やかスケベ・・・はお兄ちゃんかぁ。う〜ん・・・・)

学ぶ方向性がおかしいことに気が付いていないのだとしたら不憫だ・・・

そう思いながらもヒスイは言葉をかけそびれてしまった。

(だけど絶対変だよ。ラリマー・・・)

  

「ヒスイ、いる?」

舞い降りる羽音と共に聞こえるコハクの声。

「え?」

「え?」

「え?」

顔を合わせた三人はそれぞれに声をあげた。

裸のヒスイに手をかけているラリマー・・・誤解してくださいと言わんばかりの構図だった。

学校でやられた傷を治していた、とも言えず、ヒスイもラリマーも固まっている。

[・・・お邪魔だったかな?]

[セラフィム!!これは・・・]

(え?え?え?)

ヒスイは、コハクの落ち着いた態度とラリマーの取り乱した様子に驚いた。
交互に二人の顔を見る。
が、コハクは全くヒスイのほうを見ない。

完全無視だった。

産まれてこのかたコハクに冷たくされたことなどないヒスイは背筋の凍る思いがした。

バサッ・・・。

ラリマーの弁解を待たずにコハクが飛び立つ。

[待ってくださいっ!セラフィム!!]

今まで見せたことのない表情で、ラリマーがコハクの後を追う。

翼を持たないヒスイは神殿にひとり取り残されてしまった。

暗く沈んだ心のまま。

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