世界に咲く花

8話 消える恋心

   

その夜。

Gathering a poem all over the world Because it sings you.

囁くようなヒスイの歌声が宿の部屋に響く。

「初めての歌だから・・・少し練習しないと・・・」

床の上に譜面を広げ、ヒスイが口ずさむ。

コハクは両足の間にヒスイを抱き込んでにこにこしていた。

右手を床に、左手をそっとヒスイの腰に添えて歌声に耳を傾ける。

  

I am a canary, a music box.

It sings the poem of the love forever by your side.

(母上の歌か?いい声だな・・・)

宿の部屋は4人で寝泊まりしても問題ない広さだった。

家具が少なく視界も広かったが、シトリンからはコハクの背中しか見えない。

I am your one.

Therefore, this voice, too, is your one.

歌声に聞き惚れる。

(何とも心地よい声だ・・・)

「ん?終わりか?」

しかしその歌声は途中で度々途切れた。

「?」

それが何回か続き、不思議に思ったシトリンは回り込んでヒスイの姿を確認した。

ヒスイはコハクの腕のなかにいる。そしてまた歌い出した。

Because it is your one in all of us・・・

するとコハクがキスでヒスイの唇を塞ぐ。

(こいつが邪魔をしていたのか・・・)

「お兄ちゃん、これじゃ練習にならないよ・・・ん・・・」

合間、合間にキス。その度に歌が止まる。

「今夜はシトリン達が一緒だからキスだけ・・・ね」

そう言ってコハクがまたキスをする。

「うん。たまにはいいね、こういうのも」

ヒスイがキスを返す。

歌はなかなか再開しなかった。

(・・・オニキス殿が愛している女性は他の男の腕の中で幸せそうに笑っている・・・オニキス殿はこれでいいのか?)

「ラブラブだな、シトリンのお父さんとお母さん」

シトリンの背中にジンが声を掛ける。

「無駄に垂れ流しているだけだ!」

シトリンは背を向けたまま答えた。

「コハクさんがヒスイさんを育てたんだって。もう40年近く一緒にいるって言ってた」

「40年!?って、お前、何故そんなにウチの事情に詳しいんだ・・・?」

シトリンが振り向く。

「さっきコハクさんから色々聞いたんだよ。あの二人は夫婦だけど兄妹で、しかも親子だもんなぁ・・・凄いとしか言いようがない」

「・・・誰が見たって思う。あの二人は引き離せない」

「うん。そんな感じだな」

「・・・と、いうことはだ」

「うん?」

「やはりオニキス殿には私が必要だ!あいつらがイチャついている間もオニキス殿は一人だ!だから私が傍にいる!」

鼻息荒くシトリンが宣言した。

「女として見てもらえなくてもいい。オニキス殿を一人にはしない。この件が片付いたらすぐ城に戻るぞ!」

  

翌日。

Gathering a poem all over the world Because it sings you.

町にヒスイの歌声が流れ出した。

ヒスイは野外ステージの上に立っている。

背中をコハクに預け、その腕の中から魅惑的な容姿と歌声を披露していた。
広場にはすでにもうかなりの人数が集まっている。

(この町は他国との交流が盛んだ。娯楽施設も充実してる。人口は約2000人。恐らくその1/4は憑かれているはず)

コハクはヒスイを後ろからしっかりと抱き締めて、ステージ下の様子を窺った。

(ここに集まった人間は自分が憑かれているという自覚がない。極力騒ぎにならないように・・・)

目下のジンを見る。
美しい姿勢で静かに矢を放っている。

まだ一発も外していようだ。

(彼のように何でもそれなりにこなすタイプは使い勝手がいいな)

「人に当てるなよ、ジン」

「たぶん・・・大丈夫だと思う」

用意された弓矢の束を担いでいるのはシトリンだ。

(くやしいが他にすることがない・・・)

ゴルフのキャディさながらにジンの後を付いて回っている。

「もう半分は縫いつけた」

ジンが額の汗を拭う。

ヒスイの歌声に釣られて広場には次から次へと悪魔憑きが訪れた。

(モルダバイトの不思議・・・“風に乗って届く癒しの歌声”それってヒスイさんだよなぁ。“空から降る天使の羽根”はコハクさんかシトリンだし。不思議の正体はすべてこの家族なのでは・・・そう思うとなんか可笑しいな)

愛すべき一家だ。

そんなことを考えながらジンは正確に影を射抜いていった。

  

歌が終わる。

同時にコハクが呪文を発した。

『聖炎悪滅』

胸の前で十字を切ると、地面から白い炎が燃え上がった。

広場一面を覆い尽くす聖なる炎。

熱くはない。悪魔以外は。

集まった人間の口から黒い煙が立ち上っては消え、それが炎に包まれた空間全体で繰り広げられている。

「す・・・ごいな。これが・・・悪魔払い・・・」

任務を終えたジンが呟く。
シトリンも隣で強く頷いた。

「気にくわない奴だが・・・強さは本物だ」

  

「はい、終了〜」

コハクがヒスイを抱き上げてステージから飛び降りた。

悪魔が抜ける十数秒、意識を喪失していた人々が次々に正気を取り戻す。

「・・・何してたんだっけ?」

「歌を聴きにきて・・・」

「そうそう、歌を・・・あれ?でも」

ステージの上にはもう誰もいなかった。

  

「お疲れ〜」

広場脇の雑木林で4人は合流した。

ジンはほとんど連続で500回弦を引いた。

腕が腱鞘炎になりそうなだるさを伴っている。

「その・・・手を煩わせて悪かったな。私が何も考えず斬ってしまったばかりに・・・」

シトリンが頭を下げる。

「いやぁ、楽しかったよ、ね?ヒスイ」

「うん」

コハクがヒスイの肩を抱いて笑う。

「オレもいい経験になった」

ジンもさりげなくシトリンの肩に手を乗せて笑った。

「その服・・・よく似合っているぞ、母上」

気の緩んだシトリンはヒスイを見下ろして微笑んだ。

「え?そう?」

ヒスイが照れて赤くなる。

ステージ用の衣装なのか出会った時の黒い制服ではなく、フリルとリボンのワンピースを着ている。
器用にアレンジされた髪には可愛らしい飾りが付いていた。

(お姫様みたいだな・・・母上。とてもじゃないが、このヒトから自分が生まれたとは思えん)

身長はシトリンよりも20cm以上低い。

外見もシトリンのほうがずっと大人っぽく見えた。

「ヒスイは何を着せても可愛いから〜」

服装を褒められ、ヒスイ以上に嬉しそうなコハク。

「まさか・・・服はお前が?」

「そう。全部僕が選んでる。下着もね。ちなみに今日は情熱の赤・・・」

「お兄ちゃんっ!!」

ヒスイの声に怒りがこもる。

(こいつ・・・変態だ・・・)

ヒスイが気の毒になってくる。

「あれ?ヒスイさんの服サーペンティンの新作ですか?」

「詳しいね。ひょっとして君、上流階級出身?彼は一部の貴族にしか名が知れていないデザイナーだよ」

「いえ、あの・・・姉がよく着ていて・・・」

「お姉さんが?」

「あ、はい。子供の頃から贔屓にしてて・・・」

「へぇ〜っ。子供服のデザインもするのかぁ・・・それは初耳・・・」

ジンとコハクの話が異様に盛り上がっている。

「何の話?」

「私にもわからん」

ヒスイとシトリンは揃って首を傾げた。

「ジン!帰るぞ!変態がうつる!」

シトリンは早々にジンを呼び寄せ帰路に着いた。

「オニキスをよろしくね」

別れ際、小さな声でヒスイが言った。

  

来た時と同じように休む間もなく馬を走らせ、その夜遅く2人はモルダバイトに帰還した。

「お疲れ!お前はとにかく休め!いいな!」

昼間の疲れがどっと出て、フラフラになっているジンの背中を叩く。

それから咳払い。

「王への報告は私がしておく」

オニキスの元へ向かう足が自然と早くなる。

告白をしくじってから数日間オニキスとは顔を合わせていなかった。

たったそれだけで恋しくて恋しくて堪らない。

(オニキス殿に会いたい!声が聞きたい!)

「そうか。ご苦労だったな。お前達が無事で何よりだ」

シトリンもオニキスも公私混同はしなかった。

報告を済ませ公務を完了させた後、シトリンは改めて口を開いた。

「・・・私は子供だから正直よくわからない。だが、オニキス殿は母上とたまに逢瀬を重ねるだけで・・・幸せなのか?」

「・・・ああ。そうだ」

少し間を置いてからオニキスが短く答えた。

「ならば私もそれでいい。あれから・・・私なりに考えた。私の望む関係にはなれなくても、ずっとオニキス殿の傍にいる。好きだから・・・オニキス殿が好きだから・・・」

シトリンは迷いのない真っ直ぐな瞳でオニキスを見つめた。

「オニキス殿が幸せならそれでいい」

「・・・シトリン・・・」

オニキスの表情が歪む。

『ヒスイが幸せならそれでいい』

呪文のようにそう繰り返してきた自分の姿と重なり自然と体が動く・・・

オニキスはシトリンを抱き寄せた。

「!!!!」

突然の出来事にシトリンは卒倒寸前だ。

「・・・それではだめだ」

「え?」

「お前には幸せになってもらいたい。報われない恋はするな」

「私はそれでもいい!これ以上何も望まない!」

「だめだ」

「・・・いやだ・・・好きだ・・・」

シトリンの瞳から涙が零れる。

「オニキス殿が母上を想う気持ちはわかる。それは・・・誰が咎めるものでもない。だったら・・・私にだってオニキス殿を想う権利が・・・あるはずだ・・・」

「・・・ヒスイへの想いは胸に深く打ち込まれた杭のように、どうしても・・・抜けない。オレはもう・・・手遅れだ。だが、お前ならまだ間に合う」

オニキスは腕を解きシトリンを覗き込んだ。

「泣くな・・・」

指でシトリンの涙を拭う。

「前を向いて生きろ」

「私は・・・いつだって前向きだ・・・」

シトリンが背伸びをする・・・軽く唇と唇が触れた。

「す・・・すまん!!」

両手で唇を押さえてジリジリと後退・・・そして走り去る。

「・・・・・・」

(オレは・・・完全に矛盾している)

額に手を当て溜息と沈黙。

(シトリンを・・・泣かせてしまった・・・)

「オレは今、親としても男としても最低だ」

  

オニキスは宮殿に戻ってすぐ鍵付きのオルゴール箱を開けた。

溢れ出す切ないメロディー。

中には小さな薬瓶。

(一番大切な“想い”を消す・・・魔法薬。オレがこれを飲めば、ヒスイのことを・・・忘れる。偶然手に入れたものだが、捨てずにとっておいたのは、生涯報われることのない想いから救われたいと心のどこかで願っていたからかもしれないな)

「・・・こんな方法でしかけじめをつけられないのもどうかと思うが」

苦笑い。もうそれしかない。

「オレがこれではシトリンに何を言っても伝わらん」

薬瓶の蓋を開けワイングラスに流し込む。

グラス1/3ほどの無色透明の液体・・・一口で終わる。

「・・・さよならだ。ヒスイ」

そう呟いてグラスに口をつける・・・しかし傾けるのを躊躇う。

(この気持ちが残っているうちに・・・一目でいい、お前に・・・会いたい・・・)

「ヒスイ・・・」

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