世界に春がやってくる

14話 10年宣言


 

「父ちゃん、ヒスイは〜?」

ジストはやっぱり“ヒスイ”だ。

「あそこだよ」と、コハクが笑いながら場所を教える。

「今日は天気がいいから外で本読むって言ってね」

 

裏庭はそのまま森へと繋がっていた。

結界に守られた村。

森との境目を正確に判断するのも難しいが、森には生えていない桜の木、その内側が結界有効と聞いていた。

中でも一番大きな一本。

ヒスイは大抵その下にいた。

 

 

「ヒスイっ!」

(・・・あれ?)

木の根元で眠っているヒスイ。

夫婦の愛を徹夜で確かめた後なので、とにかく眠い。

仰向け、大の字で豪快に熟睡していた。

(花びら?違う。これは・・・)

キスマーク。

桜の季節にはまだ早いが、それこそ花びらが全身に降り注ぐみたいに。

(父ちゃんがこんなにアト残すのも珍しいな・・・)

一体どこまで・・・と、ヒスイのワンピースの裾を捲って覗き込む。

(うわ・・・すご・・・)

点々と続く赤い印。

コハクに肌を吸われているヒスイの姿を妄想してジストもカーッと赤くなった。

「やっぱ久しぶりだから燃えちゃったのかな」

時折、ヒスイの首筋や胸元に跡が残っている事はある。

しかしそれはひとつかふたつの話で。

(サルファーの言ってた“大人の事情”ってのがイロイロあったのかも・・・)

 

 

「おに〜・・・ちゃぁ〜ん・・・もうたべられないよぅ〜・・・ムニャムニャ」

「何の夢みてんだろ?」

(ヒスイはしょっちゅう寝言いうんだよな〜・・・)

「うん!可愛い!」

コハクがいなくなってから眉間に皺ばかり寄せていたヒスイが、伸び伸びと昼寝をする姿を見るのも久しぶりで。

(良かった・・・いつものヒスイだ)

 

 

「むにゃ〜・・・くしゅっ・・・」

ヒスイの寝言に小さなくしゃみが混じった。

「寒いのかな?」

いくら結界の中とはいえ、冬場の早朝は肌寒い。

(ヒスイはいつも薄着だから・・・)

「よしっ!毛布取ってこよっ!待っててね、ヒスイ」

ジストは屋敷へ向けて駆け出した。

 

 

「・・・・・・」

前方にはトパーズ。

忙しなくすれ違うジスト。

「あっ!おはよっ!兄ちゃんっ!」

家族で一番朝が苦手なトパーズがこんなに早く起きているという事は、夕べから寝ていないのだろうと思いながら、朝の挨拶。

無反応はいつもの事なのでジストはそのまま話を続けた。

「そっちでヒスイ寝てるから、起こしちゃダメだよっ!」

毛布を持ち込んで一緒に寝る予定なのだ。

今さっき起きたばかりでも、ヒスイの隣でならいくらだって眠れる。

「じゃまたねっ!兄ちゃん!」

 

 

桜の木の下。

「・・・・・・」

トパーズは足元に転がっているヒスイを眺めた。

残されたキスマークから容易に想像できる昨夜の情景。

“全部僕のもの”と全身を吸われたに違いない。

(・・・馬鹿な女。完全に洗脳されたな)

「・・・・・・」

 

ヒスイはキスを拒むだろう。

確信に近い予感がした。

 

それでも・・・唇を寄せてみる。

「・・・だめだよ」

「・・・・・・」

いつから目を覚ましていたのか。

唇と唇の間にヒスイの指が挟まれた。

「・・・もう、しない」

指先でトパーズの唇を押し戻し、そう念を押す。


 

「・・・・・・」

強引に奪うのは簡単だ。

力では絶対に負けない。

 

 

「・・・・・・」

自分で突き放した筈なのに、じんわりと込み上げる淡い後悔。

(・・・くだらない)

あの時、コハクを選ばせた時点でこうなるのは目に見えていた。

「・・・・・・」

たぶんそれは・・・男の意地。

トパーズは大人しくヒスイから離れ、立ち去った。

「・・・ごめんね」

その背中に向けてヒスイが呟く。

「あ、お礼言うの忘れちゃった・・・」

本当は“ごめんね”よりも“ありがとう”を言うつもりだった。

「そうだ!」

トパーズの複雑な男心など知らず、ヒスイは手を叩いて立ち上がった。

「お礼にコーラ奢ろ!」

コハクの方針で家に炭酸ジュースは置いていない。

家で飲むジュースといえば果汁100%。

コハクがミキサーで作ったもの限定だ。

(こっそり町まで買いに行かなきゃ)

移動の魔法を使えば往復10分とかからない。

しかし、そのために必要なステッキを屋敷へ取りに戻らなければならなかった。

(お兄ちゃんに見つかったら“おしおき”されちゃうかも・・・)

 

 

「ヒスイ?どこ行くの?」

両手で毛布を抱えたジストがヒスイの前に立っていた。

「買い物。ジストも行く?」

「行く!行く!」

ヒスイと一緒ならどこへだって。

「お兄ちゃんに内緒で炭酸ジュース飲ませてあげる」

「ホントっ!?」

「うん。だから協力してくれる?」

「する!する!任せてっ!」

ご褒美があろうがなかろうが、ヒスイの願いなら何だって叶えてあげたい。

(あれ?でも・・・そのまま行くのかな・・・)

体中キスマークだらけであることを、本人は忘れているらしかった。

そんなところがまたジストの萌え心を擽る・・・。

「ヒスイっ!」

「何?」

「大好きっ!」

 

 

 

にぁ〜っ・・・。

 

トパーズの前に現れた一匹の猫。シトリン。

「・・・何しに来た」

「ジョールから夫婦喧嘩の話を聞いてな。母上に謝ろうと思って来た」

・・・のだが。

「兄上・・・泣いているのか?」

トパーズの目に涙が浮かんでいる訳ではなかったが、なんとなくそんな気がして聞いてみた。

「誰が泣くか、馬鹿」

憎まれ口を叩きながら、シトリンを抱き上げるトパーズ・・・

「・・・母上にフラれたのか?」

「・・・・・・」

「いてて・・・ヒゲを引っ張るな、ヒゲを」

 

 

「兄上・・・泣いてしまえ」

 

(そんな顔をしていないで)

 

「涙は悲しみを体の外に出してくれるものだ。泣けばきっと楽になる。誰にも言わないから・・・」

「生憎だが、そんなものは持ち合わせていない。勝手に言ってろ」

きゅっ・・・

言葉とは裏腹にシトリンを求めて、抱きしめる力が強くなった。

(兄上・・・)

 

“失恋”では済まない。

二人の間には子供がいるんだ。

 

(アイツが母上を手放すとは思えん)

兄上の想いは、どうしたって行き場がない。

 

しかし。だからこそ。

 

(私ぐらい応援したっていいじゃないか・・・なぁ、兄上)

 

 

 

12月23日。

 

来る24日のクリスマスパーティの買い出しに、城下町を訪れたコハクとヒスイ。

「ついでだから、彼に仲直りの報告をしに行こう」

住宅街まで足を伸ばし、505号室のチャイムを鳴らす。

あの夜、留守だった家主。

(彼って誰なのかな・・・お兄ちゃんの友達?)

「はい」

返事と共に扉が開いて・・・

「ラ・・・ラリマー!!?」

 

 

 

前神直属の3天使。

熾天使コハクを筆頭に智天使ラリマー、座天使イズ。

淡いミントグリーンの髪と瞳をした青年は、間違いなく智天使のラリマーで、ヒスイとも旧知の仲だった。

「ヒスイ、元気でしたか」

上からの物言いは相変わらず。

「うん。それにしても何十年ぶり・・・」

ヒスイが指折り数えた。

「どうやら仲直りできたようですね」

ラリマーは智天使の名に恥じぬ上品な微笑みを浮かべている。

「うん、君には色々と世話になったね」

あの日の帰り際、置き手紙で礼は述べたが、改めて。

「てっきり恨まれてると思ってた」

コハクとラリマーは、持論の食い違いで昔は何かと対立する間柄だった。

「恨むなんて・・・そんな・・・」

「まぁ、とにかく君に会えて良かった」

「こちらも・・・」

 

(ラリマー・・・やっぱりお兄ちゃんのこと好きなのね・・・)

コハク崇拝者のラリマー。

コハクの一言で一喜一憂するのは昔から変わらない。

「ヒスイ、ラリマーと少し話がしたいんだけど・・・」

「うん。じゃあ先行ってるね」

ラリマーのことは嫌いではなかった。

熾天使と智天使。

兄弟とも呼べる二人の仲に、ヒスイなりに気を遣って、身を引いた。

「僕もすぐ行くからね」

「ん!」

ちゅっ!

 

 

「それで“黙示録”は・・・」

ラリマーが声を低くしてコハクに尋ねた。

「心当たりを探しているけど、まだ見つからない」

「“羊”に封印が解かれたら・・・世界が・・・」

「うん。ただでは済まないね」

「あなたの統率力があれば、再び天使をまとめることなど容易・・・今こそ我々が団結する時なのでは・・・」

「う〜ん・・・天使の問題は天使で解決すべきだとは思うけど・・・あまり大袈裟にしたくないんだよね。ヒスイに話してないから」

「話してない!?この事態を!?」

「うん」

「あなたという人は・・・何年経っても変わりませんね。緊張感が全くない」

「今回は身内から該当者が出るかもしれないから・・・話づらくてね」

「セラフィム・・・」

「近いうちにちゃんと話すよ」

「・・・私は引き続き“羊”を探します」

「うん、頼む」

 

 

12月24日。

 

家族で過ごすクリスマス・イブ。

スピネル・オニキス・メノウも勿論一緒だ。

初恋の女の子がスピネルだったという衝撃の真実にしばらく打ちひしがれていたジストだが、立ち直りの早い血筋・・・すぐに笑顔を取り戻した。

 

「はい、プレゼントだよ」

「「わ〜いっ!!」」

ジストとサルファーはコハクのプレゼントを早速試着。

マフラーと手袋をお互いに自慢し合っている。

「ありがとう、パパ」

スピネルのマフラーと手袋は気の利いた女の子カラーだった。

「ヒスイもっ!可愛いっ!!」

ジストが自分の事の様に喜んで叫ぶ。

「えへへ・・・あったか〜い」

帽子とショールに身を包み、ヒスイも幸せそうに微笑んで。

「お兄ちゃんっ!ありがとっ!」

「どういたしまして」

 

 

「・・・・・・」

一転。コハクに押し付けられたプレゼントに不機嫌極まりないトパーズ。

「似合うよ、絶対。さぁ、してみて」

ニヤリとコハクが口角を吊り上げ「ジストも見てみたいよね?」と、話を振る。

「うんっ!兄ちゃんっ!してみてよ!腹巻きっ!」

コハクは悪意たっぷりでも、ジストに悪気はない。

「ち・・・」

期待の目に晒され、渋々、嫌々。

「おお〜っ!」「わぁっ!ソレいいよ!トパーズっ!」

純粋に喜んでいるのはジストとヒスイだけ。

 

・・・大部分は同情の笑みを浮かべていた。

 

「あはは!お前最高!」

メノウがコハクの背中を叩いて絶賛。

「今回ずいぶん大人しいと思ったら、コレ編んでたのかぁ」

次にトパーズの背中を叩いて追い打ちをかけた。

「似合ってる!似合ってる!うん!うん!」

悪戯ゴコロも健在で、短い呪文を唱えてみせる・・・と。

腹巻きがギュッときつく締まって。

「ソレ、日付が変わるまで外せないから」

「ジジイ・・・今すぐ昇天させてやる」

いよいよキレたトパーズがメノウに喧嘩を売った。

「わ〜っ!!兄ちゃんっ!!喧嘩はダメだよっ!!」

ジストが腕にぶら下がって止める。

 

賑やかな時間。

 

「ん〜と。じゃあ私からは・・・」

笑うだけ笑ってから、ヒスイが動いた。

ぐいっ!ちゅっ!

「!!?」

トパーズの頬に不意打ちキス。

ちゅっ!

続けてジストの頬にキス。

「やったぁ!!!ヒスイにキスしてもらったっ!!」

ジストは飛び跳ね、大喜び。過去最高のクリスマスだ。

ちゅ!

お次はスピネル。

(ボクよりオニキスにしてあげればいいのに)

スピネルは頬を押さえ、控えめに笑った。

 

子供は皆、平等ということらしい。

 

と、くれば次は当然・・・

「やめろっ!!僕はいいっ!!こっち来るなぁ!!」

「ちょっとっ!何で逃げるのよっ!!」

ダダダダ!ドタドタ!

嫌がって逃げるサルファーをヒスイが追い回す。

 

 

「くすくす。ヒスイ、僕には?」

ちょいちょいとコハクが手招きした。

タタタ!

すると、軽快な足取りでヒスイが寄ってきて・・・ちゅ〜っ。

「お・・・」

唇に唇を重ねる別格キス。

(ああ・・・わかってくれた・・・)

幸せ絶頂。デレッと崩れまくる顔。

 

チラッ。

 

ヒスイからキスを貰ったトパーズが、自分からキスをする時よりも

嬉しそうにしている事に気付いても。

 

小事と笑い飛ばせる程に、自信回復。

(ヒスイっ!!愛してる!!)

 

 

『いっただきま〜す!!』

 

 

一段と賑やかな家族パーティが始まり、給仕担当のコハクとトパーズがキッチンで肩を並べた。

「僕の勝ちだ」

包丁でキャベツを刻みながら、勝ち誇るコハク。

「今回は、だ」

揚げ物をしながら、憎々しい口調でトパーズが答える。

「・・・10年だ」

「ん?」

「あと10年したら本気で獲りにいく」

トパーズの宣戦布告。

「10年?」

(ああ・・・なるほど)

 

 

ジストが成人するまで。

この関係を守ると。

 

 

(案外律儀なんだよな、オニキスの躾か・・・)

 

「ヒスイを諦める気はないってこと?」

「当然だ。あいつはオレが飼う」

コハクの質問に淀みない口調でトパーズが断言した。

 

(諦めの悪い所は僕に似ているのかもしれないな)

 

 

宣戦布告も何のその。何処吹く風で。

この先の10年を考えてみる。

 

 

あと2、3人は子供欲しいな。

子は鎹と言うし。(※一部例外アリ)

僕とヒスイの愛の証をたくさん世界に残したいから。

 

 

たまに二人きりの生活が懐かしくなる時もあるけど。

 

 

子供達が僕等の愛を邪魔する訳でもないし(※一部例外アリ)

まだしばらくこのまま・・・

 

 

キッチンから顔を覗かせる。

目に入るのは無数の笑顔と笑い声。

その中心にはヒスイがいて。

 

 

(うん、いいかな。こんな感じで)

 

 

 

同じ頃。モルダバイト城では・・・

 

 

「うぅ〜っ・・・ついにあいつが帰ってくるぞ」

ジンの腕の中で、猫シトリンがブルブルと震えていた。

聖なる夜。

城内も楽しいムードで溢れるはずが・・・

「床を磨いて!」

「塵ひとつ見逃しては駄目よ!!」

メイド達は殺気立っていた。

「おいおい。娘が帰ってくるだけでそんなに怖がることは・・・」

と、ジン。

「お前はっ!」

「ジン様はっ!」

シトリンとメイドの一人が同時に口を動かす。

「あいつの恐ろしさを知らないからだ!」

「タンジェ様の恐ろしさをご存じないからです!」

 

 

カッカッカッ・・・

 

磨き上げられた廊下をキビキビと歩く靴音。

「来たっ!!」

シトリンが耳をピクピクさせて縮こまる。

 

コンコン!

 

ノックが響いた。

恐れ戦くシトリンとは対照的に、娘に会える喜びでジンの顔は綻んでいた。

シトリンを片手で抱き、いそいそと扉を開ける寸前・・・

バンッ!!

「わっ!?」

(っ・・・てぇ〜・・・)

待ちきれない扉が勢いよく内側に開いてジンに直撃した。

気が短いのは母親譲り。

外見は父親譲りで、髪は橙、瞳はエメラルド。

そして、身に纏うは・・・マーキーズの軍服。

腰にサーベルを携えて。

大人びた風貌はとても10歳には見えなかった。

 

「あら、お父様、どうかされましたの?そんなところで蹲って」

「・・・・・・」

(お前だ!お前!)と、怒りたくても怒れない。

やっぱりここでも父親は娘に甘かった。

「まぁ、いいですわ」

周りの様子などお構いなしに、敬礼を決める少女。

 

 

「お父様、お母様、タンジェ只今戻りました」



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