世界に春がやってくる

28話 唯一の弱点

 

天界。神直属の三天使が棲む地。

 

 

雲と空の世界。

 

 

「え・・・あれっ?オニキス?」

「ヒスイ・・・」

 

二人は顔を見合わせた。

(こうなることを承知の上での転送だったか・・・)

コハクの態度がおかしかったのも今なら頷ける。

 

「私達って・・・一括りだったんだね」

自分がなぜここにいるのか。

それはヒスイも理解しているようだった。

「暢気な事を言っている場合か」

はぁ〜・・・っ。

オニキスは気が気でない様子で。

 

「とにかく、人目についてはまずい。どこかへ移動・・・」

「なら、こっち」

 

オニキスの手を引くヒスイ。

熾天使コハクが天界を消滅させる直前の数週間、ヒスイは天界で暮らしていた。

その頃と地形は全く変わらない。

「大丈夫だよ。ここにはお兄ちゃんと、イズと、ラリマーしかいないから」

ついさっきまで間近で見ていた顔だ、が。

「油断するな。ここでは恐らく“敵”だ」

「ん・・・」

 

 

 

延々と続く雲の上を歩く二人。

 

「案外踏みごたえがあるな」

「でしょ?」

 

足元の雲は人間界の大地と同じような感触だった。

瞳に映るは、青空。

あとはただひたすら、静寂。

季節はどうやら夏のようで。

渇いた熱風が吹き抜ける。

蝉時雨が聞こえてきそうな、気怠い夏の風景。

 

「・・・不思議な世界だ」

「キレイなところだよ」

 

時間の概念もあり、朝・昼・夜と、空は違った景色を見せるのだという。

「お兄ちゃんの神殿から見る夕焼けは絶景なんだよ」

ヒスイの案内で辿り着いたのは、巨大な魔法樹の根元だった。

その大きさ故に死角も多く、身を隠すには最適の場所だ。

 

「ここだと涼しいね」

「ああ」

 

無造作に額の汗を拭うヒスイは、珍しくアクティブモード。

引き締まった顔つきで木漏れ日を仰ぐ。

 

「ヒスイ」

「ん?何?」

 

「コハクの神殿はどの方角だ?」

「ん〜と・・・あっち」

 

 

漠然と、南東。障害物は何もなく、見通しはいい。

まっすぐ歩いていけば、いずれ熾天使の神殿が見えてくるだろう。

 

「その先に、神の神殿があるの」

「そうか。わかった」

 

「じゃ、いこっ!」

「・・・・・・」

 

ヒスイの号令にオニキスは応じなかった。

 

「オニキス?」

「・・・お前は一刻も早くここから離れろ」

 

「え?」

「オレ達が一緒にいるのはまずい」

 

説明するまでもなく、ヒスイが攻撃されては本末転倒だ。

「でも・・・」

ヒスイが不服を訴える。

オニキスの言いたい事はわかるが、自分だけ高みの見物を決め込むのは嫌なのだ。

「・・・自分の立場をわきまえろ」

基本的にヒスイには甘いオニキスも今回ばかりは厳しい口調だった。

“不死身”の肉体なくしては、この苦境を乗り越える事はできない。

 

「お前はオレの・・・唯一の“弱点”だ」

逃げることもまた戦いなのだとヒスイを説得。

「お前さえ無事なら、心置きなく戦える」

「そうかもしれないけど・・・私だって何かの役に・・・」

 

渋るヒスイに、眷族の誓いを立てるオニキス。

強く手を握り、募る愛しさを込めて。

ヒスイの指先へキスをした。

 

 

「何があっても必ずお前のところへ戻る。オレは、お前の眷族だ」

 

 

「オレを信じろ」

「・・・うん」

ヒスイは小さく頷き、それならば人間界へ身を隠すと告げた。

「ああ、頼んだぞ」

 

 

 

引き続き、天界。

 

 

順調に歩みを進め、オニキスは熾天使の神殿に到着した。

(コハクは留守のようだな)

立ち並ぶ柱の間から中の様子は丸見えだった。

すべてが白で統一されていて、少々目に眩しい。

「・・・家捜しする趣味はないが、この際仕方あるまい・・・」

(コハクは「“僕”が守っている」と言っていた)

直接持ち歩いているか、或いは神殿で保管している可能性が高い。

「あいつの性格からして・・・自分にとって価値のない物の扱いは適当だ」

案外その辺に放ったらかしなのではないかと思う。

「それにしても・・・」

物がない。殺風景の極みだ。

「あいつどういう生活してるんだ・・・」

 

 

 

逃走中のヒスイ。“天界の扉”前。

壮大な彫刻が施された扉がヒスイの視界を塞いだ。

(ここを抜けなきゃ、人間界へ行けない・・・)

「う〜・・・ん」

全身で押してみるが、びくともしない。

「当たり前よね」

この扉は神直属の三天使にしか開くことができないのだ。

ヒスイもそれを知っていた。

「誰か来ないかな・・・」

(できればイズがいいんだけど)

年中ぼんやりの座天使イズ。

コハク曰く“最も心の優しい天使”。

(お願いすればここから出してくれるかも・・・)

待っているだけでは気が遠くなる。

「そうよ!イズなら!!」

思ったら、即行動。

 

ヒスイは座天使の神殿を目指した。

 

 

 

ところが。

 

「あれ?間違えちゃった・・・?」

座天使の神殿を目指した筈が、到着したのは智天使ラリマーの神殿だった。

そのうえ・・・

(お兄ちゃんとラリマー!?)

ヒスイは息を殺し、柱の影に隠れた。

 

聞こえてきたのは、ラリマーの声。

「黙示録が完成したと・・・」

 

 

(黙示録!?まさかここに!?)

 

「うん。僕が預かってるよ」

ラリマーの問いに答えたコハクが手にしているのは・・・

“現在”で見たものと全く同じ装丁で、すぐにそれとわかった。

 

(黙示録だわ!!)

 

見つけてしまった以上、引くわけにはいかない。

このままここにいては危険だとわかっていても。

何とか情報を集めようと、ヒスイは聞き耳を立てた。

 

「なかなかよくできてる」

軽く表紙を叩き、笑うコハク。

「読んだのですか?」

「うん」

 

(お兄ちゃん・・・それで内容知ってたんだ・・・)

羊にしか開けない黙示録の内容を、なぜコハクが知っていたのか・・・疑問に思っていたのだが、これでひとつ解決した。

「おにいちゃん・・・」

見慣れた顔でも胸がキュンとなる。

過去のコハクは髪を腰まで伸ばし、その風貌は優雅で女性的だった。

(くすっ・・・お兄ちゃん綺麗)

現在のコハクは自分の女顔を気にしていて、常に髪を短くする事にこだわっている。

懐かしく。愛おしく。

ヒスイは目の前のコハクに夢中で。

背後に忍び寄る気配を察する事ができなかった。

 

「・・・まいご?」

「え・・・?」



(イズ!?)

遅れてきた座天使、イズ。

この頃はまだ名前を持っておらず、呼んだところで返事はしないが。

「えっ・・・まっ・・・」

イズに神殿内へと引き込まれ、その姿が晒されるヒスイ。

コハクとラリマーの視線が注がれる・・・

 

「キミ、“銀”の吸血鬼?」

興味津々のコハク。

「“天使”以外ここに入れる筈が・・・」

難しい顔をしているラリマー。

そしてイズは・・・

「まだこども・・・うちへかえす」

(子供じゃないわよっ!!失礼ねっ!!)

ヒスイは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

(でも、その方が都合がいいわ)

「うち・・・どこ?おくっていく・・・」

イズの優しさに触れ、感動。

これに便乗しない手はない。

(なんとかここから抜け出して、オニキスに黙示録の事伝えなきゃ・・・)

「家は人間界の・・・」

「わかった・・・」

ヒスイが適当にでっちあげた場所へ送り届けようと、イズが動く。

 

しかしそこで。

 

「待った」と、コハクが制止した。

「意図的な侵入者だと思う、僕は」

コハクの視線は冷めていて、当然そこに愛はない。

「おかしいでしょ?吸血鬼がここにいるのは」

天界の中でも特にここは、究極の聖域なのだ。

「闇の生き物が無事でいられるはずがない」

外見は見紛うことなく“銀”の血族であるヒスイだが、その体は聖域の影響を全く受けていなかった。

「それに・・・僕と同じ匂いがする」

コハクは近くに立て掛けていた剣を手に取り、高々と振り翳した。

 

「セラフィム!?罪のない子供に何を!?」

「殺すわけじゃないよ」

 

「・・・っ!!?」

剣先で斬られたヒスイの頬から血が滲む。

その血を指先で掬い、味を確かめるようにゆっくりと舐めるコハク。

「・・・やっぱり熾天使の血だ」

「・・・・・・」

(当たり前でしょ・・・お兄ちゃんのバカ・・・)

主食が熾天使の血なのだ。

同じ味がするのも当然といえば当然である。

 

 

「見た目は吸血鬼でも属性は僕等と同じ“天使”だよ」

コハクが解釈を述べると、ラリマーとイズは更にヒスイへ接近し、物珍しげに眺めた。

「まさかそんなことが・・・」

「おなじ・・・てんし?」

 

熾天使、智天使、座天使。

三方を囲まれ、絶体絶命だ。

 

(オニキスと約束したんだから・・・逃げなきゃ!!)

逃走を試みるヒスイだが。

「おっと、そうはいかないよ」

コハクに足を引っかけられ、転ぶ。

「キミは僕の神殿に連れていく。もっと色々調べてみたいし」

「セラフィム!?そんな事をして神に見つかりでもしたら・・・」

「そんなヘマはしない」

「離してよ・・・っ!!」

ラリマーを冷たくあしらったコハクに腕を掴まれ、暴れるヒスイ。

「・・・大人しくしないと、殺すよ?」

次の瞬間、最愛のコハクに左手で首を絞められる。

「く・・・っ・・・」

「細い首だなぁ・・・少し力を入れるだけで簡単に折れちゃうね」

「セラフィム!!」

「ころしちゃ、だめ」

ラリマーとイズが必死になってコハクを止める。

「・・・冗談だよ。まだ殺さない」

コハクの左手がヒスイの首から離れた。

「ケホッ・・・」

(お兄ちゃんに・・・首締められるなんて・・・何なのよ・・・ココ)

 

 

「ついてきて」

「・・・・・・」

コハクと二人きりで歩く最中。

生きるも死ぬもコハクの機嫌一つという状況で。

震えているのが自分でもわかる。

(怖くない。怖くない。このヒトはお兄ちゃんなんだから・・・)

「私が怖がってどうするのよ・・・」

呟いて。深呼吸。

「むしろ愛すべきだわ。愛よ!愛!」

自分を激励し続け、なんとか震えも止まった。

(現在に戻ったら、お兄ちゃんと子作りするんだからっ!!びくびくしてる場合じゃないわ!!)

「あの・・・おにい・・・ちゃ・・・」

パシッ!

コハクに伸ばした手は、無情にも叩き落とされた。

「触らないでくれる?馴れ馴れしくされるの好きじゃないんだ」

「な・・・」

(なによぉぉ!!いつもあんなに触りまくってるクセにっ!!)

過去のコハクと現在のコハク。

全くの別人のような気さえしてきた。

「一体何があって・・・ブツブツ・・・」

(コレがアレになるのよっ!!)

「キミって・・・独り言多いね。頭、大丈夫?」

「大きなお世話よっ!!」

 

 

熾天使の神殿にて。

家宅捜索中のオニキスと対面。

 

「ヒ・・・スイ?」

「オニキス・・・」

 

最悪の事態。

ヒスイ一人で行動させると毎回ロクな事にならない。

わかっていた筈なのに。

自分が人間界まで送り届けるべきだったと、後悔しても遅い。

ヒスイはコハクの捕虜になっていた。

「・・・銀の眷族か」

コハクがオニキスに視線を流した。

それからすぐにヒスイへと視線を戻し・・・

「ひょっとして・・・キミの恋人?」

「痛いっ!」

左の手首を掴まれ、体ごと引っ張り上げられるヒスイ。

オニキスは剣を構えた。

「結婚してるのか・・・見た目ほど幼くはないようだね」

(結婚相手はお前だ・・・バカ・・・)

未来から見たら、過去なんてそんなものかもしれない。

だが、過去のコハクはどうやらそれが気に食わなかったらしく。

「ちょっと・・・なに・・・」

ヒスイの薬指から指輪を抜いて。

パキッ!

「え・・・?」

片手で粉々に握り潰した。

「そ・・・んなぁ・・・」

大切な結婚指輪が跡形もなく塵と化し、風に乗って消えてゆく。

夫婦和合の石、ペリドッド。

結婚の記念にと、ヒスイが鉱山で掘ってきたものだった。

 

 

「さて、そちらは何をご所望かな?」

ヒスイを離し、今度はオニキスへ剣を向けるコハク。

「まぁ、何を望むにしても、相手はしてもらうけどね」

「いいだろう」

1対1の決闘になった方が好都合だ。

 

「ここは汚したくない。場所を変えよう」

「ああ」

 

剣を一旦鞘へと戻したオニキス。

 

(ヒスイ・・・)

 

結婚指輪を失い、打ちひしがれているヒスイに言葉をかけてやりたいが、まず優先すべきは傷の治療だ。
ヒスイの右頬の傷が再会した時から気になっていた。

「じっとしていろ」

血の滲む傷口をそっと手の平で覆い、呪文を唱える。

銀の眷族として闇に属するようになってから、反対属性の回復魔法は使い勝手が悪くなってしまったが、それでも軽度の傷なら治せる。

頬に触れた温もりにハッとして、ヒスイがオニキス見上げた。

「オニキス・・・」

“こんなことになってごめん”

ヒスイが謝罪の言葉を口にする前に。

「逃げろ」


そう言い残し、オニキスは決戦の地へ赴いた。

 

 

それから数時間後。

 

 

嗅ぎ慣れた血の匂いを纏って、熾天使コハクが帰還した。

 

 

「オニキスは?」

ヒスイがコハクを睨み付ける。

「逃げろ」と言われても、オニキスを置いて逃げる事などできない。

「オニキスはどうしたの?」

一回目の質問は無視されてしまったので、ヒスイは同じ質問を繰り返した。

「まだ再生してないと思うよ」

「再生?何を言ってるの・・・?」

「キミが死なない限り、彼は死なない。そうだろ?」

じわじわと悪い予感に襲われる。

「オニキスに・・・何をしたの?」

先程から何度呼び掛けても返事がないのだ。

「別に?銀の眷族の生命力がどの程度のものなのか、試させてもらっただけ」

充満する血の匂いはオニキスのものだった。

「首を切っても死なないって、ホントなんだね」

「く・・・首を・・・切った・・・の?」

「うん」

 

神殿に響く、ヒスイの悲鳴。

 

「いやぁぁぁっ!!」

 

 

 

現在。コハク。

 

 

「・・・騎士の出現ポイントはそれぞれ異なる。これから僕が言う場所に各自向かって貰いたい」

コハクによる黙示録対策は続いていた。

戦いの場をそれぞれに言い渡し、自分も身を翻す。

 

「お前、大丈夫?」

「何がですか?」

 

メノウに呼び止められ、笑顔で振り向くコハク。

 

「顔、引きつってるよ。しかも反対方向だし」

「・・・・・・」

 

コハクは無言で方向を正した。

実のところ、ヒスイの事が心配で仕方がなく、微笑む余裕などどこにもない。

 

「・・・そんなにヤバイの?昔のお前って」

「・・・と、思いますよ。あの頃ホント最悪だったんで」

 

その口調からは焦りと苛立ちが感じられた。

「メノウ様、後はよろしくお願いしますね」

まっとうな闘志・・・とは言い難いかもしれないが。

コハクはすでに戦闘モード。

ヒスイがいなければ、甘く取り繕う必要もない。

 

「へ〜・・・ヤル気じゃん」

「ええ、決めたんです」

 

メノウへ向け、コハクの決意表明。

 

 

 

『騎士を倒して、僕も過去へ行きます』

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