29話 キス、涙味。
「オニキスはどこにいるの!?」
張りつめたヒスイの声。
普段からは想像もつかない緊迫した表情でコハクに詰め寄る。
「・・・そんなに会いたい?」
「当たり前でしょっ!!」
「あそこだよ」
それはヒスイも初めて知る場所だった。
天界から人間界へ繋がる扉があるように、魔界へと繋がる扉も存在していた。
扉を抜けた先にある魔界の洞窟。
その奥に放置してきた、とコハクは言った。
「行ってもいいよ。ここに戻ってくるって約束するなら」
コハクと約束を交わし、ヒスイは神殿を飛び出した。
魔界への扉はヒスイ一人が通れるくらいの細い隙間が開いていた。
「オニキス・・・っ!!」
洞窟の深い闇。
両目は開いているのか、自分でもわからなくなるほどに。
ヒスイは、次第に濃くなる血の匂いでオニキスの所在を探った。
「どこ!?返事してっ!!」
「・・・こっちへ来るな」
「オニキス!?」
「・・・まだ完全に再生していない」
「そんなの・・・っ!!」
オニキスの制止を聞かず、ヒスイは更に足を速めた。
「オニキス!!」
目もだいぶ暗闇に慣れ、近付くにつれオニキスの輪郭がはっきりとしてきた。
足元の土には大量の血液が染み込んでいる。
オニキスは突き当たりの岩壁にもたれて座り、首を押さえていた。
「ヒスイ・・・来るなと・・・」
「もぉぉっ!!バカぁ!!!」
怒り、そして涙。
オニキスの膝に伏し、ヒスイはわんわんと泣き出した。
「・・・すまん」
空いている方の手をヒスイの頭にのせて。
「泣くな・・・石はまた掘りにいけばいい。いくらでも付き合ってやる」
失った結婚指輪に使われていた鉱石、ペリドット。
鉱山を探索するヒスイの隣に、オニキスもいた。
「指輪のことじゃないよっ!!」
泣きながらヒスイが怒鳴った。
「・・・気にするな。放っておいても治る」
主を守るため、無限に再生を繰り返す肉体。
“眷族”がどういうものなのか、ヒスイはこの時初めて知った気がした。
(一緒に生きて、一緒に死ぬ。ただそれだけの事だと思っていたのに)
「・・・ごめんっ!痛い思いさせて・・・っ!!」
首を切られてしまっては、痛いどころの話ではないが・・・
「いや。大した事ではない」
オニキスは即座に否定した。
「いつでも喜んでお前の盾になろう」
「盾になって欲しくて眷族にしたわけじゃ・・・!!」
「わかっている。オレの・・・我が儘だ」
えっ・・・うっ。
ヒスイの泣き声は、止むことがなく。
「・・・・・・」
意外だった。
(笑顔も涙も・・・全部あいつのものだと思っていた)
ヒスイが、オレの事で泣くとは。
それこそ思いもしなかった事で。
膝の重みがにわかに信じ難く。
それでも。
・・・オレのために流した涙なら。
堰き止めていた想いが溢れ出す。
常にいっぱいっぱいなので、些細なきっかけで決壊してしまうのだ。
オニキスは、見上げたヒスイの肩を掴み、押し倒した。
「オニ・・・キス?」
(もう変態だろうが構うものか)
翡翠色の瞳からこぼれ落ちる涙に唇を寄せ、啜っては、飲み込む。
次から次へと溢れる涙の粒を啄んで。
奪いたい訳じゃない。ただ、与えたいだけ。
己の定めた教訓を繰り返し、(冷静になれ、流されるな)と、止めても。
押し寄せる情熱に飲み込まれ、一瞬途切れる理性。
そして・・・
「・・・ヒスイ」
涙味のキス。
オニキスは瞳を伏せ、涙で濡れた唇同士を強く重ね合わせた。
「んっ・・・うっ」
抵抗というよりは戸惑いに近い動きで、ヒスイの唇が微かに震えた。
それを唇越しに感じ、我に返ったが手遅れだ。
「・・・すまん」
触れた唇を指で拭い、本日の二度目の謝罪。
ヒスイに対しては、訳も分からず謝っていることがある。
しかし今回の理由は明白。自己嫌悪の大嵐だ。
ところがヒスイは。
「・・・涙って・・・なんでしょっぱいんだっけ?」
いきなりそんな疑問を口にした。
「・・・ナトリウムが含まれているからだろう」
真面目に答えるオニキス。
「あ、そっか。食塩と同じ成分ね」
ヒスイは何度も瞬きをしながら体を起こした。
「一説だが、感情によってナトリウムの分泌量が異なる事があるそうだ」
「へぇ・・・涙の味って変わるんだ」
「今日はしょっぱかったね」
「ああ・・・」
涙の原料は血液。
愛するヒスイの涙を欲したのは、吸血鬼の性だったのかもしれない。
「首、繋がったね」
オニキスの首筋をヒスイの指先がそっと撫でた。
傷口は跡形もなく消え、すっかり元通りになっていた。
「血、飲む?」
「いや・・・今はいい」
確かに貧血だが、今吸血行為に及んだら確実に発情する。
涙に誘われてキスをしてしまうくらいだ。
まず我慢できない。
渇きを堪え、情熱の刻をやり過ごす。
再びオニキスの膝に頭をのせ、眠るヒスイ。
涙の跡は残っているが、安心しきった寝顔だ。
「・・・・・・」
ヒスイの眷族として。
生命の法則に反しても構わない。
滅びることのない体。
それは心も同じで。
いつでも。どんな時でも。
果てなくヒスイを愛している。
「ヒスイ・・・」
「んっ!おにぃちゃっ!!」
ガバッ!!
ゴンッ!!
「・・・・・・」
小一時間程で目を覚ましたヒスイは、オニキスの顎に頭突きを決めた。
それはデジャヴ・・・ではなく、つい先日もくらったばかりだった。
「あ、ごめん」
「・・・・・・」
直情的なヒスイは昔からよく泣くが、立ち直りも早い。
泣くだけ泣いて一眠りすれば、スッキリ。ケロリと。
「私、神殿に戻るね。お兄ちゃんと約束したから」
「・・・・・・」
結局コレだ。
けれどもそれがホッとする。
一番ヒスイらしいと思う。
「・・・気をつけろ。あいつは“お兄ちゃん”ではない」
例のコハクの元へ帰すのは気が進まないが。
(約束したというのなら、ここで逃げては逆効果だ)
コハクはヒスイを殺さない。
剣を交えた末、そう確信していた。
(凶悪な剣だが・・・無差別という訳ではない)
“黙示録”の名を口にしなければ、オニキスも殺される事はなかった筈なのだ。
「くれぐれも深入りはするな。ここは“過去”だ」
「・・・ん」
“現在”と“過去”の混同を諫め、オニキスは洞窟を後にするヒスイを見送った。
熾天使の神殿へ引き返すヒスイ。
「・・・・・・」
ふと足を止め、涙味のキスを思い出す。
「オニキス・・・」
人差し指を唇に置き、しばし想いを巡らせ・・・
「うんっ!次は女の子産もう!次も!その次も!」
きっと、そのうちの誰かがオニキスを幸せにしてくれる。
「まずはお兄ちゃんよねっ!」
精がなくては始まらない、という事で。
(えっちしたいなぁ〜・・・お兄ちゃんと)
カラダが癖になっていて、股の間が寂しい。
『好きだよ、ヒスイ』
深く奥まで探る指。
粘膜を撫でる舌先。
そして・・・二人を繋ぐコハクの陰茎。
「ハッ!ダメダメ!えっちな事考えてる場合じゃ・・・」
(でもお兄ちゃんは・・・)
「私が赤ちゃんの頃から、たくさん、たくさん、愛してくれた」
記憶を失った時も。
ジストを産んだ時も。
変わらず愛してくれたから。
「今度は私が愛すよ」
過去のコハクがどんなに残虐非道でも、愛せる。と。
雲の上、時折転びそうになりながらヒスイが走る。
「お兄ちゃん・・・っ!!」
現在。白の騎士出現ポイントへと向かうジスト&スピネル。
二人が告げられた場所は10年前コハクとトパーズが対決した森の渓谷だった。
「サルファー大丈夫かな」と、神槍を担いだジスト。
「黙示録の方が後悔してると思うよ、サルファーを選んだこと」
肩を竦め、意味深な微笑みを浮かべるスピネル。
「スピネルって・・・予言者?」
「何で?」
「だってさ!みんなスピネルの言うとおりになるんだもん!」
少し先の未来を的確に言い当てる、不思議少年。
「くすっ・・・気のせいだよ」
杖を口元にあて、やんわりと笑うスピネルにジストがポッ。
(やっぱスピネルって可愛い・・・)
スピネルが男じゃなかったら。
兄弟じゃなかったら。
迷わず結婚を申し込むのに。
つい、そんな事まで考えてしまう。
「で、どう戦う?一応打ち合わせしといた方がいいと思うけど」
「えっ!?あっ!うんっ!!」
やましいところを覗き込まれて、慌てる。
「オレが前に出るよ!スピネルは後ろから魔法で援護して」
「うん」
「オレ、成人化してられるの1時間ぐらいだけど・・・その間に倒せるかな?」
「大丈夫。倒せるよ」
ここでもまたスピネルは意味ありげに微笑んで。
「ボクも杖の封印解くから」
「封印?ソレの??」
「そ、見た目は少しボロいけどね。これでも凄い魔力を持ってるんだよ」
コンコンと軽く叩いてから、スピネルは木杖を高々と掲げた。
「目覚めよ・・・!!フェンネル!!」