28話 キライ、でもスキ。
翌日。理事長室前。
「トパーズには迷惑かけてばっかりだから、たまにはいいトコ見せないとっ!」
両手を腰に、ヒスイが意気込む。
モルダバイトが誇る巨大な教育機関、その最高責任者であるトパーズ。
公にはしておらず、平日は一介の数学教師として教育の現場に立っている。
受験対策、時間外・休日の補習授業、新人教師の指導から、優秀な人材の確保に至るまで、忙殺的な日々を送っていた。
徹夜続きで家に帰って来ない日も多い。
「トパーズって見た目によらず熱血教師なのよね」
高校3年生は夏休みが明けてすぐ、学力テストをするらしい。
スフェーンで交わした約束は、テスト準備の手伝いをする事だった。
「おはよっ!」
「来たか」
早速突き付けられたテスト用紙。
所要時間を計る、と言われ着席。
「始めろ」
「ん!」
トパーズの号令と同時にヒスイがペンを走らせる。
数十分後。
「終わったよ?」ヒスイはトパーズに答案を提出した。
「40分か・・・まぁまぁだな」
ふぅ・・・
朝から数字と睨めっこで、ヒスイは早くも息切れ気味だ。
学問は得意分野だが・・・
(数学はちょっと苦手なのよね)
ふぁ・・・
(ダメっ!!)
慌てて欠伸を飲み込むヒスイ。
昨夜はほとんど寝ずにジストの宿題を手伝った。
(だからって、ここで居眠りでもしたら信用ガタ落ちよ!!)
・・・落ちる程の信用があるのかさえ怪しいが。
(そうだ!コーヒー飲も!!)
ヒスイは、窓辺の鉢植えの隣にコーヒーの粉が入った瓶を見つけた。
「私、コーヒー入れるね!」
「・・・・・・」
仕事に集中しているのか、トパーズの返事はない。
コーヒーカップにお湯を注ぎ、ヒスイはそれをトパーズへと差し入れた。
ブラック派であることは知っているので、砂糖は抜きで。
「はい、ど〜ぞ」
「・・・・・・」
仕事机に置かれたカップを一瞥した後、トパーズはヒスイの答案に目を通しながら一口、二口、三口・・・そこで声を発した。
「・・・お前、何を淹れた?」
「何ってコーヒーだけど?」
堂々とヒスイが言い返す。そして自分も口へと運び・・・
「変わった味のコーヒーね。あまり香りもしないし」
紅茶党のヒスイはコーヒーを飲む機会が少ないので、正直味をよく知らなかった。
なかなかいけるなどと、味の批評をしながら、ヒスイがカップを空にしたところで・・・
「・・・土だ」
「え?」
窓辺で栽培しているマンドラゴラ用の肥料土なのだとトパーズは言った。
「うぷっ!!」
両手で口を押さえ、ヒスイが立ち上がる。
(じゃあコレ・・・泥湯!?私、またやっちゃった!?)
「ククク・・・」
ネクタイを緩め、トパーズが笑った。
ヒスイが何かしでかす度、被害を被るのに、不思議と愛しくなるのだ。
「・・・バカな女」
片想いである事を確かめる習慣・・・ヒスイの傍に寄り、唇を求め。
「だめだよ?」
いつもの指先に押し戻されてから、頬にキスをする。
唇以外の場所ならば、ヒスイはキスを拒まない。
トパーズはそれを知っていた。
耳元、首筋、胸元・・・その先まで。もっとキスがしたい。
息子のフリをすれば、ヒスイは簡単に騙せるだろう・・・が。
それも癪で、結局は引き返す。
「トパーズ?」
「・・・・・・」
この女には昔から飢えさせられてばかりで。
欲しいものは、いつだって手に入らない。
「お前なんか・・・嫌いだ」
口ではそう言っても、キスは偽れず。
触れる唇が告げるのは、まぎれもなく、愛。
「トパーズ?どうしたの??ちょ・・・こら・・・」
顔面キス責め。これが今日のお仕置きなのか、困惑するヒスイ。
「ごめんってばっ!!」
その時だった。
「トパーズ、あれ・・・」
教会の指令を運んでくる伝書鳩に代わり、飛んできたのは九官鳥。
ヒスイが指差すと・・・
「エクソシスト、キンキュウ招集〜!!」
「・・・・・・」
もう少しヒスイを困らせてやりたいところだったが、仕事の時間だ。
「行くぞ」
嵐のようなキスを切り上げ、トパーズは出口に向かった。
「うん!」
大きく頷いたヒスイが後を追う。そして。
「お兄ちゃんも来てるよね!きっと!」
エクソシスト教会。
「あれ?」
ヒスイの予想に反したメンバーが集まっていた。
総帥セレナイトの隣に立つのは・・・カーネリアン。
人外の孤児達を集めた義賊ファントムの長を務める女だ。
セレとカーネリアンは旧知の仲で、簡単に言えば飲み友達という間柄・・・また、ファントムを卒業した者がエクソシストの職に就く事も多く、公私共に交流があった。
事件は深夜・・・10歳以下の少年少女が一斉に姿を消した。
「無理に攫われた風でもないんだよ」
と、カーネリアン。
消息不明となった人数は10名を超えるのだ。
「誘い出された・・・みたいな?」
続く声はスピネルだ。
室内には、セレ、カーネリアン、スピネル、トパーズ、ヒスイの5名のみ。
(お兄ちゃんがいない・・・)
てっきりコハクも来ていると思っていたヒスイは気もそぞろに。
窓の方を見てみたりして。
「ママ、あのね・・・」
察したスピネルが状況を説明した。
「アクアもいなくなっちゃったんだ」
「え?」
メノウは別の任務で国外、コハク、ジスト、オニキスがアクアを探しに出ているのだという。
「パパが・・・もしかしたら他でも人外の子供がいなくなる事件が起きてるかもしれないって言うから、ファントムに行ってみたんだ。そうしたら、こんな事になってて」
カーネリアンに教会の力を借りるよう勧めたのもスピネルだった。
現在、教会とファントムの手透きメンバーでモルダバイト内を捜索中らしい。
実行犯と遭遇した場合は、戦いも辞さない覚悟で。
「・・・アンデット商会か」
可能性のひとつをトパーズが示唆した。
不老不死を求める者にとって、人間より遥かに寿命の長い人外の生き物は恰好の研究対象である。
その為、ファントムの子供達が狙われた・・・コハクもまずアンデット商会を疑ったという事だ。
「だとしたら・・・クリソプレーズの港?」ヒスイが言った。
アンデット商会は人体実験用の研究施設を船上に保有しているのだ。
「行ってみる価値はあるな」
クリソプレーズ港。
トパーズ等の推測通り、そこにはアンデット商会ウィゼライトの姿があった。
そしてもうひとり・・・
「テメー、拾ってやったんだからしっかり働けよ!!」
「愚かな・・・我は色欲の魔人であるぞ」
アンデット商会の制服である黒いスーツを着た、大悪魔テルル。
トパーズに海へと投げ込まれ、為す術なく漂流していたところを商会船に拾われたのだ。
魔力の大部分を封じられたまま、辛うじて犬の変身を解く事に成功したが、部下を喚ぶ事もできなければ、魔法を使う事もできない。
大悪魔テルルは“使えない社員”としか思われていなかった。
「ハッ!色欲の魔人?ムラムラしてんじゃねぇぞ!」
「お主などに欲情する筈がなかろう」
「チッ!!とんだセクハラ男を拾っちまったもんだぜ」
「“セクハラ”とは何ぞや?現代用語はよくわからぬ」
「いいから行ってこい!いいな!一匹残らず船に積め!!」
「ウィゼ部長!!」
部下の一人が血相を変えて現れた。
「捕虜の中に一匹えらく凶暴なのが混ざってまして・・・」
鉄格子を素手で抉じ開け、逃走を図ったらしいとの報告がウィゼの耳に入る。
人外の少年少女十数名を閉じ込めていた檻は、もぬけのからとなっていた。
「逃がすんじゃねぇ・・・一匹残らず連れ戻せ!!クソッタレ!!」
キツイ口調で部下に檄を飛ばすウィゼ。その傍らで一人優雅に。
「そう大声を出すでない。まったく忙しないの」
「テメーも行くんだよ!ボンクラ野郎!!」
ドカッ!!容赦なく、ウィゼはテルルを蹴り飛ばした。
「何と無礼な女・・・人間の分際で・・・ブツブツ」
「魔力さえ戻れば捻り潰してやるものを・・・おのれ、神め!!どこにおる!!」
港にて。交錯する者達。
攫われた子供達が自力で脱出した事で、様々な狂いが生じていた。
港に乗り込んだのは、トパーズ、ヒスイ、スピネル、カーネリアン。
逃げた子供達を追うアンデット商会社員と出くわし、小競り合いとなっていた。
「ヒスイ!ここはいいから、子供達を探しとくれ!!」
と、カーネリアンがヒスイに。
「お前も付いていけ」
と、トパーズがスピネルに。
こうして4人は2組に分かれた。
片っ端から港の倉庫を調べるヒスイとスピネル。
カーネリアンとトパーズが上手く引きつけているのか、近くにアンデット商会社員の姿はない。
「私!こっち探してみるっ!」
スピネルと反対の方向へヒスイが身を翻した時だった。
とんっ・・・軽く誰かにぶつかった。
「あ、ごめんなさ・・・」
ヒスイが見上げる・・・と。
「よ〜ぅ、お嬢ちゃん」
「!!」
コランダムの地下で出会った女である事にヒスイが気付いた瞬間。
「おっと、動くなよ?綺麗な顔に傷がついちまうぜ?」
「っ・・・!!」
右腕を掴まれ、頬にナイフが当てられた。
「モルダバイトの前王妃って、アンタだったんだな」
「何でそれを・・・」
怪訝な表情でヒスイが聞き返す。
「新しいスポンサーから聞いた」
「スポンサー?」
「グロッシュラーだよ」
ウィゼの口から出た名は、誰もが知っている軍事国家のものだった。
「モルダバイトの前王妃は見事な銀髪だったそうだ。小柄で翡翠色の眼をしてるって・・・アンタしかいなよなぁ?」
「・・・・・・」
今更、口を閉ざしたところで手遅れ・・・ヒスイにもわかっていた。
「なぁ、王妃サマ?」
「・・・なによ」
ウィゼが顔を近付ける・・・
射抜くような眼差しで、下からヒスイを覗き込み。
「アンタにだって、死んで欲しくない人間のひとりやふたりはいんだろ?その願いを叶えてやろうってんだ。何が悪い?」
<備考>
World Joker28話より登場のカーネリアンについては番外編『四葉の栞』を参照ください。