―外伝―
願わくば、世界の終わり。[2]
「え?」
スピネルの笑顔が固まる。
それは突然で、あっという間の出来事だった。
誰も手を触れていない筈の棺桶の蓋が動いたのだ。
ギギギ・・・バタンッ!
重そうな音とともに、オニキスとヒスイを閉じ込めた。
「オニキス!ママ!!」
閉じた蓋に手をかけるスピネル。
「ん・・・っ!」
全力で押しても、びくとも動かず。
「お願い、フェンネル」
フェンネルの力を借りるべく、スピネルが杖を振り翳した時だった。
ガタンッ・・・勝手に蓋が外れた。
「・・・・・・」(いない・・・)
オニキスもヒスイも跡形もなく消えていた。
「転送の魔方陣・・・?」
棺桶の底面に描かれている、それはスピネルも目にしたことのない仕様だった。
どうやら二人はいずこかへ強制転送されたらしい。
(オニキス・・・)
今すぐ後を追いたい。けれど。
(三人揃って行方不明なんてことになったら・・・)
一族に心配をかけてしまう。
ここは連絡役として残るべきと自身に言い聞かせ。
「とにかくパパに知らせないと・・・」
一方、オニキスとヒスイは・・・
「・・・・・・」
熱も匂いも情熱も籠る、閉ざされた棺桶の中、吐く息がいつもより熱くなっているのをヒスイに気付かれぬよう、オニキスは顔を背けた。
「オニキス?」
「・・・これ以上近づくな。変な気起こすぞ」
誰の目にも触れない、密封された空間でも理性的であろうとするオニキス。
「変な気?」何それ、と、ヒスイ。相変わらず、疎い。
「・・・・・・」
オニキスとて性欲がない訳ではないのだ。
が、一向にヒスイの理解は得られなかった。
「・・・とにかく大人しくしていろ」
「開けちゃだめなの?」
「ああ」
「モルダバイトの匂いじゃないよ?」
ヒスイがしているのは“外”の話だ。
「どうやらオレ達は飛ばされたらしい」
モルダバイトではないどこか。
知らない土地の匂いだ。
「・・・・・・」
オニキスは意識を外に向けた。
棺桶の周囲に人間の気配・・・しかも一人や二人ではない。
何十という人数に取り囲まれている。
敵か、味方か。
(恐らく・・・味方ではないだろう)が。
そうとわかっていても、このままずっと棺桶に入っている訳にはいかない。
「ヒスイ」
「うん?」
「オレから離れるな」
ガタッ・・・
ヒスイを懐に抱き、オニキスは棺桶の蓋を開けた。
その途端。
「復活した!!」
「杭を打て!!」
「燃やせ!!!」
見知らぬ男達が憎悪に満ちた言葉を吐いた。
空に太陽はなく。そこは村外れの墓場だった。
掘り返された棺桶からオニキスが立ち上がるのと同時にオイルをかけられ。
そこに松明が投げ込まれる。
「!!」「!!」
瞬く間にオニキスの体が燃え上がった。
「オニキス!!」
「じっとしていろ。火傷するぞ」
オニキスはいつもと変わらない口調で、腕の中から出るな、と。
ヒスイを炎から守るべく、一層深く抱き込んだ。
「だってオニキスが・・・!!」
「オレは大丈夫だ」
「大丈夫なわけ・・・な・・・ちょっ・・・」
暴れるヒスイを抑え込みながら。
「・・・・・・」
(この者達は、大きな誤解をしているのではないか)と、思う。
とはいえ、話し合いができるムードではなく。
「!!く・・・」
炎の中に放たれた矢が次々とオニキスの背に突き刺さった。
「オニ・・・っ!!」
「・・・隙を見て逃げるぞ。余計な抵抗はするな。事を荒立てるだけだ」
ヒスイの安全を第一に考えればこその判断。
「いくぞ」
「え・・・ちょ・・・」
ヒスイを抱き上げ逃走を図る。
オニキスはどんな攻撃を受けようと反撃せず、腕の中のヒスイを守り通した。
二人は墓場を抜け、森を抜け、シロツメクサの咲き乱れる丘陵に出た。
点在する大きな岩の影に身を潜め、追っ手を巻いたことを確認すると、草の上に腰を下ろし。
「怪我はないか」と、オニキス。
「それより矢を」
すぐさまヒスイが、オニキスの背に刺さった矢を抜いた。
すると、傷口は見る間に塞がり。
眷属の凄まじい再生能力に、主の方が驚く。
「大・・・丈夫?」
「見ての通りだ」
銀の眷属は、現存する種族の中で最も不老不死に近い。
「だからって・・・痛みがないわけじゃないでしょ」
「・・・気にするな。これがオレの役目だ」
「役目?そんなつもりで・・・」
「わかっている」
そう、ヒスイにそのつもりがないことは、わかっているのだ。
「・・・ならば、褒美をくれるか」
と、ヒスイの手首を掴むオニキス。
「え・・・?」
そのままゆっくりとヒスイを押し倒し。
「あ・・・」
首筋の血管に沿ってキスを繰り返す・・・それは、血の催促で。
「いいよ、吸って」ヒスイが言った。
「ああ」
先程食したばかりだが、これはいわばデザートのようなもの。
別腹の、オニキスにとってはまさにご褒美なのだ。
カリッ・・・
「ん・・・オニ・・・」
わざと浅く噛んで、じんわり滲み出す血を舐める。
ヒスイの体に開けた穴を舌先で擽ったり、口付けたり。
吸血と言えるのか定かではない行為が続く・・・
「んっ・・・あ・・・」
ヒスイは小さく声を漏らした。
「こうされるのは・・・いやか?」オニキスが尋ねる。
「べつに・・・いいよ。どんな吸い方だって」
それでオニキスが満たされるなら、と。
草の上で横を向いたまま、ヒスイは言った。
それからもう一言。
「・・・ありがと」
「いや・・・」
急に申し訳ない気持ちになり、オニキスはヒスイから離れた。
「もういいの?」
「ああ・・・充分だ」
それから・・・闇に紛れて、しばしの休息。
二人は背中合わせに座り。
主にヒスイがオニキスの背に寄り掛かるようにして。
「ねぇ、オニキス」
「何だ」
「私達、何か悪いことしたっけ?」
迫害される意味がわからない、と、ヒスイ。
「・・・・・・」
追っ手の者達は皆、首から十字架を下げていた。
手には聖書と木製の杭を持ち。
「・・・吸血鬼と因縁のある村なのだろう」
ヒスイが知らないだけで、そういう場所はいくらでもある。
これまで・・・コハクがずっと守ってきたのだ。
偏見ある外の世界からヒスイを隔離して。
だからこそヒスイは、吸血鬼が人間に忌み嫌われる存在だとは思わない。
「・・・・・・」
(どのみち一度村へ戻らねば・・・)
危険は承知だが、情報が欲しい。
あの棺桶が転送装置の役割を担うものなら尚更・・・と。
その時だった。
カサッ・・・
草を踏む微かな音に、オニキスは警戒を強めた。
一枚岩の裏側に何者かの気配がする。
「・・・誰だ」