52話 知ってはいけない蜜の味
ヒスイとマーキュリー。2人が転送されてきた先は、まるで図書館のようだった。
円柱形の建物で、天井まで吹き抜けになっている。
壁に沿って蔵書がずらりと並び、スライド式の梯子が設置されていた。
床の中心には、机がひとつ。そこに着席していた“何か”が・・・
「よっ!」と、挨拶がてら腕を上げた。
肩から、『司書代理』と書かれた襷を掛けている。
「・・・・・・」マーキュリー、呆気の無言。
(クマの着ぐるみに見えるのは気のせいかな)
眼鏡をかけ、改めて見直す一方で。
「わ・・・」ヒスイが感動めいた声を出す。
クマさん柄の幼女パンツにはじまり・・・クマのキャラクターが昔から好きなのだ。
何を隠そう、今履いている毛糸のパンツもクマさん柄だ。
「・・・・・・」
マーキュリーの想像していた“向こう側”の世界とは全く違っていた。
「ここは一体・・・」呟くように口にすると。ヒスイがこう答えた。
「幻獣界だよ。んと、正確には幻獣会・・・かな?」
「幻獣会?」
「うん。お父さんが召喚士だったから、聞いたことあるの」と、ヒスイ。
「炎の魔神とか、氷の女王とか、それぞれ通り名はあるけど・・・」
人間界で言うところの幻獣とは、召喚に応じる者のことを指す。
「んで、そいつらのほとんどは、ここの会員なワケ」
司書代理が続けてそう話した。
「会員制度・・・なんですか」
慎重な口調で、マーキュリーが聞き返す。
「そゆこと。中には気難しいのもいるし、召喚に応じたからといって、従うとは限らない。あとは召喚士と幻獣の相性次第だな」
それこそが、数ある魔術の中でも、召喚術が難しいとされる所以だ。
「ちなみに、リヴァイアサンは管轄外」
「・・・・・・」
こちらが知りたい情報を流してくれる・・・
関係が上手くいっていないという割に、ずいぶん好意的な司書だな、と、マーキュリーは思った。
(ああ、そうか、代理だから・・・)
会員になるかどうかは任意で。
「会員登録した奴は、ここにある本に宿る」と、司書代理。
すると、名が背表紙に刻まれるという。
「システムは至って単純でさ」
幻獣召喚は、魔法陣や呪文の精度は勿論のこと、魔力が大きく関係し。
すべての条件が揃った時、術者の声がここに届くようになっている。
今回の、イフリート過失召喚事件は異例のことらしい。
「術者の声がここに届けば、本が反応する。人間界に行ってる間は、背表紙から名前が消えるからすぐにわかるよ。逆に、質の低い召喚術だと、術者の声がここまで届かないから、何が起きてもフォローできない、ってワケ」
現在多発している過失召喚は殆どこのケースだ。
「・・・・・・」(あれは・・・)
マーキュリーは、机に置かれている一冊の本に気付いた。
凍りついているのからして、イフリートのものだろう。
「人質を要求してきたのは・・・」
「俺、っていうか、こいつらの意志」軽く館内を見渡す司書代理。
「とりあえず、捕虜扱いだから、牢に入って貰うけど」と、開いた本を向けてきた。
そのページには、鉄格子と思われる絵が描かれており、本の中に閉じ込められるのだと察したマーキュリーは。
「2人、別々にして貰えませんか」
「えっ!?なんで!?」
驚くヒスイを無視して、再度願い出る・・・けれども。
「そういうサービスはしてないんだよなー。ま、仲良くやれよ」
司書代理の、その言葉と共に。2人一緒に封じられてしまった。
天井と壁と・・・鉄格子。
窓はないが、きちんと絨毯が敷かれ、テーブルとベッド、部屋の隅にトイレもある・・・が。
そこは、用を足す時、カーテンで仕切るだけの作りになっていた。
「ちょっ・・・まーくん!?」
いきなりトイレを占拠するマーキュリー。
「・・・・・・」
(プライベート空間がここしかないなんて・・・)
ヒスイと2人きりになりたくないのだ。
コハクに抱かれている姿ばかりが脳裏に浮かび、不快な気分になるからだ。
「まーくん?う○こ???」と、カーテン越しに尋ねてくるヒスイ。
一応気を遣っているらしく、小声だ。
「違います」
マーキュリーはカーテンを開けた。
ヒスイのボケに、いちいち付き合っていられない。
そして、考えた末に・・・鞭を使って、境界線を作り。
「ここから先には入ってこないでください」
普通は女子がやるようなことをしてしまう。
「お母さん、聞いてますか?」
・・・聞いていなかった。
こちら、ヒスイ。
「どうしよう・・・」
(お兄ちゃんの血、飲んでくるの忘れちゃった!!)
エッチの後は特に、吸血鬼的な意味で喉が渇くというのに。
非常用の血液キャンディは、絆創膏を出した時に落としてしまったらしく、いきなり食糧難に陥る。
「・・・・・・」
(何て言うんだっけ、こういうの・・・そうそう!自業自得!!自業自得なのよ!!だから、我慢しなきゃ!!)
とはいえ、渇きに慣れていないため、すぐに禁断症状が現れた。
鋭く牙が伸び、先端が疼く。
「・・・・・・」
(羽根・・・齧ってみようかな・・・お兄ちゃんの味するかも・・・)
ヒスイはその場にしゃがみ込み、背中の羽根を引っ張った。
「んんっ!」(もうちょっと・・・なのに・・・)
角度的に少々厳しい。
「・・・・・・」(お母さんが、また変なこと始めた・・・)
しばらくして・・・ボキッ!何かが折れた音がして。
「いっ・・・いたぁぁぁ!!!」
ヒスイが悲鳴を上げた。
「お母さん!?何やって・・・」
痛い、痛い、と転げ回り、鉄格子に激突。
その拍子に、理性が飛び、本能に支配されてしまう。
立ち上がったヒスイは、まるで別人だった。
ヒスイらしさを失ったが故の、淘汰された美しさ。
痛みは感じないらしく、境界線を踏み越え、マーキュリーのテリトリーに侵入。
そして一言。
「血、ちょうだい」
「・・・は?」
飢えた吸血鬼の力で、マーキュリーを押し倒し、首筋を狙う。
「!?お母さ・・・やめてくださ・・・」
ヒスイの牙がマーキュリーの血管を貫いた。
「!!」(な・・・んだ・・・これ・・・)
そこから広がる、性的快感。
血を抜かれている筈なのに、下半身にも血が集まって。
それこそ、頭の方に血が回らず、正常な思考ができなくなってくる。
マーキュリーは呼吸を浅くしながら、何とか意識を繋いだ。
「・・・・・・」
(僕より先に、理性を失うとは思わなかったよ・・・)
吸血を終えたヒスイは、じっとマーキュリーを見つめていた。
(これを母親と思えという方が無理だ)
ヒスイの頬に触れ。顔を寄せ。
血に染まった唇を舐めてみる。
そのままゆっくりと口づけて。
(美味しい・・・っていうのかな)
無駄に甘い。
(・・・気がする)
それは・・・知ってはいけない蜜の味。